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雪中のセンカ

雪が降っている。

白く冷たいそれは、風の無い静かなこの街を深く埋め尽くし、染め上げていく。

まるで彼女のように。

「はぁ」

だからというわけでも無いが、俺は雪というものがあまり好きじゃなかった。身を冷やし、歩み出した足を絡め取るそれは邪魔でしかなく、風景画に描かれた美しい景色を想う以上に、実感的な煩わしさがどろりと染み出してきた。

なんか、気に入らないことばっかだ。

帰りに露店で買ってきた焼き芋を頬張りながら、窓から見える景色に腐った視線を注ぐ。白く曇った街で、腕を組んだ恋人達がさも幸せそうな顔で歩き過ぎていく。何がそんなに面白いのか理解出来ないが、見ていて苛つくのには違いなかった。

「あ、姉ちゃん」

ふとその雪の中に見知ったシルエットを見つけたと思ったら、我が血を分けた姉こと泉火だった。意外と早い帰りだなぁと思いながら、視線を窓から玄関に移す。

鍵を開けるガチャリという音の後、一人の女性が現れた。

「ただいま」

雪の中寒かっただろうに、ホッとした素振りの一つも見せない。無表情のまま靴を脱いで上がり込んできた彼女は、ぬくぬくとした部屋でただだらけている俺を見ても、その凍りついたような無表情を崩すことはなかった。

「おかえり」

俺が先程の挨拶に返すと、コクリとただ頷く。そしてまるで興味なんて無いですよとばかりふぃっと視線を逸らすと、奥の部屋ーーーアトリエへと向かった。

「また何か描くのかねぇ……」

俺は呆れた目でその後ろ姿を見送り、小さく溜息を吐いた。



飽憑終酔(あきつしゅうすい)という画家がいる。

彼女は現世(うつせよ)に興味が無く、其処に住まう人にも興味が無い。目に映るはココではない何処かであり、生きているのか死んでいるのかがよく判らない、なのに透き通った瞳が印象的な、空想に埋もれて生きる、天才。

そう、彼女は紛れも無く天才なのだ。

こと芸術に関しては、その御心の赴くがままに奮われた筆が描き遺すものは至高の逸品たり得る。

雄大なる大地。

悠久なる大空。

泥臭くも美しい誰か。

全て彼女の見た見えない景色から溶け出した光景だ。

そんな素人目にも圧巻だというそれらの作品は、数千万はくだらないとされている。

そしてこれが一番重要なことだが。

そんな法外な値段の作品を気儘に描き殴るその彼女こそ、我が姉、秋津泉火なのである。



我が家に住まうは俺以外には姉しかいない。父は落盤事故で他界。母はそんな父にベタ惚れだったため抜け殻のようになってしまい、仕方無く他国の奴隷商に売り飛ばした。姉はその頃から既に自分の世界にトリップしていたし、俺自身も親に大した執着は無かったので、邪魔な無駄飯食らいは遠慮無くご退場願った。

ちなみに俺は美術商としての顔を持っている。主に姉の絵画を売り捌いており、よく姉の腰巾着と罵られている。そんな罵倒は微風であるが、気分は良くない。いつか潰そう。あのハゲ。

とまぁそんな取り留めもないことをだらだら考えながら鍋をかき回している訳である。今日は野菜がごろっごろ入ったクリームシチューだ。最近外食の多い姉に少しでも健康的な食事を供してやろうという理由の下に、半ば嫌がらせ気味にぶち込んだ野菜達は、弱火でじっくり煮込まれて柔らかく仕上がっている。

ちなみにその噂の姉だが、今はアトリエで絵の具と墨に塗れている。食事が出来次第呼ぶつもりだが、その前にお風呂に入れなければ。食卓が汚れては気分が悪い。

俺はシチューの鍋の火を止めると、隣に用意したもう一つの鍋にパスタを放り込んだ。沸騰していた湯が一瞬静かになるも、すぐに勢いを取り戻す。暫く待つと茹で上がり、ザルにあげると真っ白な湯気が眼球を湿らせた。これで飯の準備は完了だ。

エプロンを着けたまま、アトリエへと向かう。墨だらけの部屋の中、ぽつんと姉が突っ立っていた。正面の壁には描きかけであろう巨大なキャンバスがあり、極彩色に埋め尽くされて目に煩い。

「姉ちゃん。飯出来たから風呂入ってきて」

なんとか濡れてない床に爪先立ちになりながら姉を呼ぶと、ゆっくりとこちらを振り向いた。

「彩渦?」

俺の名を呼ぶ。その目は何でここにいるのかと訊ねていた。

「飯出来たから呼びに来たの」

いつものことながら、聞こえてなかったらしい。難儀な耳だな。

「そう……。今行く」

泉火はそう言うと、絵の具と墨ぺちゃぺちゃといわせながら歩いてくる。おいおいその足で食卓に入るのはやめてくれよ。

「ちょ、待ってストップストップ。その前に風呂入ろう風呂に」

「お風呂?ううん。お腹空いた」

何がううんだ。

「駄目。今の姉ちゃん汚いから。ほら足べちゃべちゃじゃん。抱えてくから手ぇ出して」

自分の欲求に素直な姉の手を取り、強引にお姫様抱っこしてやる。抱えるまでは抵抗があったが、腕に納まってしまえば大人しくなった。

この際自分の服は多少汚れても仕方ない。エプロンを着けててよかった。

足元に細心の注意を払いつつ、アトリエを出る。

家具とかに足をぶつけないようゆっくり運び、脱衣所を越してそのまま風呂場に姉を下ろした。

「今日は自分で洗えよ」

「やだ」

「あのなぁ」

「だってやってもらう方が早い」

何処までも我儘な姉だが、実際俺が洗ってやった方が早いのは事実だ。

「昨日もだったよな」

「だって、お腹空いた」

それでこちらが仕方無いとでも思うと?

「彩渦、早く……」

姉は墨で汚れたお腹を押さえ、こちらを上目遣いで見上げた。

………………はぁ。

「今日までだからな」

「うん」

俺は諦めと共にそう告げると、姉の胸元へと手を伸ばした。


俺のぞんざいな手つきによって丸洗いされた泉火は、今俺の目の前で食卓につき、クリーム(シチュー)パスタを頬張っている。余程腹が減っていたのか、がっつくような勢いだ。

そんな姉を眺めながら、俺はシチューに浸けた黒パンを頬張る。硬くてパッサパサの不味いパンだが、その分水分をよく吸って、シチューには合う。

パスタは泉火のシチューにしか入っていない。炭水化物を嫌う泉火は、こうしてシチューやスープに入れてやらないと食べないのだ。パンも米も食わない彼女にとって、唯一パスタが主食を張れる。

「そういや姉ちゃん。さっき官公庁から郵便が届いたんだけど」

「官公庁?」

さっきといっても、姉がアトリエに籠っている時なので割と前なのだが、絵に没頭しているときは食欲ぐらいにしか反応しないので、こうして食卓についてる時にしか話せないのだ。

「中身はまだ見てないけど、今読む?」

「うん」

俺はポケットから封筒を取り出し、姉に手渡した。

ビリビリと不器用に開封し、中の書類に目を通す。その表情が変わる様子が無いので、いい知らせなのか悪い知らせなのかが判別出来ない。

やがて目を通し終えたのか、俺に突き返してきた。

「俺が読んでもいいの?」

頷く。

少々懸念が残るが、まぁ気になるし読むとしよう。

「……………………」

「…………ゴホッ、ゔっ、んんっ」

泉火がシチューを喉に詰まらせているが気にしない。

一通り目を通し、俺は泉火をじっと見た。

「なぁ姉ちゃん」

「ゴホッ、…………何?」

俺は書類に目を落としながら、姉に言った。

「これ、請けるの?」

「うん」

書類に書かれたその内容。

それは飽憑終酔へ、絵画講師を依頼するものだった。

海を挟んだ隣国、セヴェガ。

この独立交易国家アヴァロンの唯一の同盟国であり、軍事国家としては世界最大の勢力を誇る、武の国である。

その国王陛下から直々に、稀代の天才画家なる我が姉を招致したいという話が来たらしい。

「つまり海外に行くと?」

「うん」

「しかも長期で」

「うん」

ほぉ〜……。

「珍しいな。姉ちゃんが長期滞在なんて」

我が姉は割とよく出かける。絵のインスピレーションのために。そのため時には海外にも足を運ぶ。が、彼女が興味を抱くのは一瞬なので、すぐに飽きて帰ってくる。持って帰ってくるのは絵のインスピレーションだけだ。

なので、いくら官公庁から来た仕事とはいえ、長い間留まる気になるとは意外だった。

「うぅ〜ん。セヴェガって何かあったっけ」

「特には何も」

それなら何故?

そう訊ねようと口を開いた時には、もう泉火は立ち上がっていた。

「ご馳走様」

「あっ、あぁ。ーーーまぁいっか」

所詮俺には大して影響は無い。あるとすれば、泉火が向こうで絵を描いた場合、俺も出向かなきゃいけなくなるだけだ。鑑定も含めてが俺の仕事なので、他人に頼むわけにもいかない。

まぁ、姉は滅多に他所で絵を描くことはないが。そのためこの家のアトリエは、壁の絵の具の乾く暇が無い。

しかし、それも泉火の仕事が始まるまでだ。

俺は姉の背中を見送りながら、そんな呑気なことを考えていた。

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