声
凄く短いです。思いついたまま、感じたまま書きました。
人は何かを忘れる時、まず音が記憶から消えていくらしい。
場面や状況ならその時流れていた音楽だとか雑音、特にその場面を象徴するものから消えていく。
そして人の場合、それは声にあたる。
何年か前の冬。クリスマスやらお正月やらで色めき立つ街の中、私は静かに彼に堕ちた。
やたらと失恋ソングの多いこの季節に、まるでたった一筋の光が私を暖めるように現れた。
少し前に降り出した、センチメンタルな雪をも溶かすような君の声。
泣きたくなった。
「どうした?」
何が。
「泣きそうな顔してる」
してないよ。
「何で隠すんだよ、言えよ。」
何で言わなきゃいけないのよ。
嫌な事があった。でもそれは、本当に些細な事。きっと涙の理由じゃない。偶然か必然か分からないけれど突如現れた彼にそれを、私は伝えたのだろうか。
伝えたとしたら、彼はどんな反応をしたのだろう。
覚えていない。覚えているのは、今でも感じているのは、その彼の声を聞いて、聴いて、安心したこと。
無意識に、隣にいたいと思ってしまったこと。
そういう風に誰かを想うというのは、彼だけだと思っていたのに。
「…た?」
え?
「…な顔して…」
今何て?
「んで…隠す…」
何を隠すっていうの。
聞こえない。頭で再生されない。
柔らかく暖かな彼の声が。
確かにあの日響いた声は、心に沁みたはずなのに。
昨日食べたもの、去年友達と遊んだこと、小学生の頃のこと。
消えないものはたくさんあるのに、彼の声は少しずつ消えてしまう。
何で言わなきゃいけないのよ。
「…、だからだよ」
何だから?何だから、何だっていうの。
空は雲が多くて、雪が降り始めていた。あの日は気づかなかったけれど、雪は少し濁っていた。
どうして私は今こんな事を考えて、遠く離れたであろう彼の面影を追っているのだろう。
彼との別れすら、はっきりと覚えていないのに。ただどうしようもなく、彼を愛しいと思う。
今も彼はどこかにいる。
完全に言い切れる訳じゃないけど、きっとそうであるという事実を不思議に思う。
きっと今日も、いつか私から彼の声が完全に消えてしまう日も、彼の声はまた誰かを救うのだろう。
「…好き、だからだよ」
そうどこからか聞こえた声は、多分彼のものじゃない。
fin.
大切な記憶ほど忘れている気がします。忘れたくない人を、忘れないで生きていきたいです。