Gilbert side 3
はしばみ亭に住み込みで働き始めて、ひと月ほど過ぎた頃、ダリルが店を訪れた。
オレは、久しぶりに顔を合わせたダリルに動揺して、皿を落として割ったり、刃物で指を切ったりと、その日の働きぶりは、散々な事になってしまった。
ダリルは、その様子を微笑ましげに見ていたけれども、オレの気分は最悪だった。
夜、店を閉めてから、オレはマスターに呼ばれた。
それまでオレは、そんな粗相をした事などなかったから、明かに様子がおかしいオレを、マスターは気にかけてくれたのだった。
問われても、話し出す事が出来ず、黙りこくっていたオレに、マスターは辛抱強く付き合った。
やがて、オレは、根負けして、重い口をひらき、それまでの事を、ゆっくりと話した。
マスターは、オレが懺悔のすべてを語り終えるまで、ダリルと同じ、優しいヘイゼルの目で、オレを見守っていてくれた。
「ギルバート、自分を否定ばかりしてはいけないよ」
全部聞き終えたマスターは、オレにそう言った。
「誰かを想う気持ちは、決して悪いものではないのだから。これは、自分を成長させる機会なんだと考えなさい」
マスターは穏やかな口調で続けた。
「そうやって芽生えた気持ちを、悲観するんじゃなく、受け入れて、誰かを大切だと思えるようになった自分を慈しみなさい」
マスターの言葉は、すぐに実践するのは難しかったけど、オレの中に、深く、染み入るように届いた。
そうして、マスターが他界するまで、短かい間だったけれども、オレは、本当にたくさんの事を教わり、何よりも、勇気を貰った。
思いつきの逃げ場としてここを選んだのは、正しい選択だったのだと、今にして思う。
ダリルが仕入れから戻ったので、新メニューを試食して貰いながら、オレは思いきって聞いてみた。
「結婚、しないの?」
ダリルは面喰らった顔をして、逆にオレに尋ねた。
「誰と?」
「・・・付き合ってた人、いたじゃん」
オレは、ジーンと呼べずに、そんな言い方をしてしまった。
「あいつとなら、とっくに終わってるぞ。俺が、一方的にフラれて」
そう、だったんだ。
ダリルから、ジーンとの顛末をはっきり聞いたのは、実はこれが初めてだった。
ダリルがここで暮らし始めてから、ジーンと会っている様子がなかったから、別れてきたのだろうとは思っていた。
加えて言うなら、ダリルに軍を辞めさせてしまった選択が、原因になったのではないかと、罪悪感を感じてもいた。
だけど、ダリルの口振りからすると、どうもそれだけではなさそうだった。
「一体何だ、突然」
「なんでもない、ちょっと気になっただけ!」
「ギルバート」
名前を呼ばれて、ドキリとする。
普段は短く愛称で呼ぶくせに、ダリルは何かを問い質したい時だけ、オレのことを名前で呼ぶ。
「さっさと食って。夜の仕込み始めるよ」
オレはダリルにそれだけ言い捨てて、厨房に逃げ込んだ。
そろそろラストオーダーかという頃、突然、ホールで何かが割れた音がして、ポーラの短い悲鳴が聞こえてきた。
「お客さん、放して下さい!」
何事かとホールに出ると、酔った客がポーラの手首を掴んで、酌を強要しようとしていた。
素早く動いたダリルが、その客の腕を掴んだ。
「―ってぇ!!」
「お客さん、うちの看板娘の独り占めは、困ります」
解放されたポーラが、こちらへ逃げてくる。
「おい、何すんだ、てめぇ!」
連れの客も、色めきたって、ダリルにくってかかろうとする。
「ちょっと、外でお話ししましょうか?」
ダリルは騒ぎたてる二人の客を上手くいなしながら、表へ連れだしていった。
「大丈夫、ポーラ?」
「はい、すみませんでした。他のお客さまのテーブルにお詫びしてきますね」
「オレも行くよ」
騒ぎと外の様子を気にかけて、静まりかえってしまったホールの、他のお客さんたちのフォローに回る。
男性客の多いテーブルはポーラが、その逆はオレが回るのが、こういう場合のいつもの分担だ。
「お騒がせしてすみません。割れもので、お怪我などされてませんか?」
オレは騒ぎが起こったすぐ隣のテーブルの、女性客のグループに声をかけた。
「大丈夫よ、でも、びっくりしたわ~」
「ホントに。外は大丈夫かしら?」
年配の女性客が、ダリルを心配してくれた―――というより、興味津々で表の様子をうかがっていた。
「ありがとうございます。うちのマスター、一見、優男に見えますけど、腕っぷしは強いので、問題ありません」
「あらぁ、そぉなのお?」
「はい。それより、お騒がせしたお詫びに、甘いものか何かお持ちしますよ。何がいいですか?」
女性客たちは喜んで、それぞれメニューを選び始めた。




