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Psychi-Towerの攻略

 その日剣士になった。閉ざされた塔をクリアする為に何度も何度も冒険に出た。


 闇の中に男が寝ていた。男は名をフィエブルと言った。粗末な布の服を着け、剣を抱いて寝ていた。

 フィエブルは目を覚まして闇を見た。闇の中は埃の臭いが強烈に漂っている。埃の充満した暗闇の中で耳を澄ますと森閑とした彼方から金属の規則正しいがちゃめいた音が聞こえてくる。埃と金属音と闇しかない闇の中でフィエブルは緩慢に立ち上がり、そうして体にひっつくぼろぼろの毛布を払いのけ、剣を片手で垂れ下げ引きずりながら、手探りで前へ進み、ざらついた棒に行き当たって、力を込めて押すと錆びついた甲高い音がなって、その牢屋の外に出た。

 外に出ると弧を描く様に左右へ伸びる道がある。すぐ右手の壁際に火の灯った松明が飾られていて、煉瓦造りの廊下と格子で封じられた牢屋の中を照らしている。いつの間にか現れたその松明を手に取って、道の先を照らすと階段が見える。下り階段の様だ。フィエブルはこの塔の上を目指そうと、階段へ向かった。

 曲がった廊下を進んでいくと響いてくる金属音が段々と大きくなって、遂には重たい金属のこすれ合う音になる。道の向こうから鈍色の全身甲冑が重たい足取りで歩んでくる。フィエブルは立ち止まって、甲冑の様子を窺った。甲冑はどうやらフィエブルの元へ向かってくる様だ。

 フィエブルが剣を構える。甲冑も弱々しい動きで剣を構え、よろけながら近寄ってくる。フィエブルは甲冑を待ち受け、そうして間合いに入った瞬間、剣を閃かせ、甲冑の首へ突き刺した。甲冑も剣を突き出そうとしていたが、微かに剣の切っ先を動かした時には既に喉をフィエブルの剣に穿たれていた。

 甲冑の中からくぐもった吐息が漏れ、すぐ後に甲冑の継ぎ目から血が流れ出る。甲冑の体が傾ぎ、倒れ伏す。土埃を巻き上げて松明の火がちらちらと揺らぐ。甲冑の地面に倒れた甲高い音が闇の中を何処までも遠くまで反響する。

 血溜まりがフィエブルの足先を浸し始めた。血の臭いが埃と交じり合って、古めかしい空気がわだかまる。フィエブルは剣を下ろして、甲冑を跨ぎ、すぐ傍の階段を降りた。

 狭い階段には真新しい蜘蛛の巣があちらこちらに張られている。歩く度に埃が立ち、松明の火に照らされて細かに踊る。一段降りる度に体が壁にぶつかる。遠くから犬の遠吠えが聞こえてくる。しばらく歩くと階段が終わる。

 階段を抜けると真四角の広い空間に出た。広い空間は床が石畳で出来ていて、壁には規則正しく松明が遠くまで焚かれている。同じ様に規則正しく、壁際には鉄格子が上中下の縦三段に、横は五十程並んでいる。そうして遥か向こう、反対側の壁に出口がある。反対側の壁にも上中下に三段、横に二十程の等間隔で鉄格子があって、出口は下段の中央の鉄格子の代わりにぽっかりと穴が開いている。

 フィエブルが空間を一望し終え、先に進もうとした時、頭上から声が聞こえた。

「やあ、遅かったな!」

 フィエブルが見上げると、顔にそれが張り付いた。

「待ってたんだ! さあ、外に出よう!」

 フィエブルが喚くそれを摘み、顔から引き剥がして目の前に掲げた。それは妖精だ。フィエブルと同じ粗末な服を来た男の子は背に蜉蝣の羽を生やしている。フィエブルが妖精を見つめていると、妖精が楽しそうに言った。

「で、あんたは誰だ? あんたの名前は?」

 フィエブルが黙っていると、妖精は頬を膨らませた。

「何だよ、無愛想な奴だな。まあ、良いや。さ、早く外に出ようぜ!」

 妖精が手を引いてきた。フィエブルは微動だにしない。

「実はこの先危なくて一人じゃ進めそうになかったんだ」

 妖精がそう言いながら、フィエブルの後ろに回り込み、その背中を押し始めた。

 フィエブルは、周囲の壁の鉄格子が並んでいる事をもう一度確認してから、踵を返して元来た道を戻った。フィエブルが反転した時、背中を押していた妖精は回転に巻き込まれて吹き飛ばされた。

 フィエブルが再び狭い階段を登って行くと、妖精が追いついてきて、文句を垂れ始めた。どうして逃げるんだとか、早く戻ってくれという言葉が狭い廊下の中で強く強く反響する。それに答えずフィエブルは階段を上り切った。

 階段を登り切ったフィエブルは傍に転がる甲冑に目を落とした。鎧は倒れた時と同じ格好で転がっている。兜だけが少し離れた場所に落ちている。鎧の中も兜の中も空だ。血の跡も消えているた。

 妖精がフィエブルの首に縋りついた。

「お、良いのが捨ててあるじゃん。貰っちゃいなよ」

 フィエブルが屈みこんで兜を手に取ると、妖精が囃し立てた。フィエブルは纏わり付く妖精を払って、甲冑を着込んだ。

 甲冑を身につけたフィエブルは金属で覆い隠した自分の体を見回した。兜の大きな動きに合わせて妖精もフィエブルの周囲を飛び回った。

「格好良いじゃん。格好良いじゃん」

 フィエブルは一度剣を振り、また階段を降りて広場へと戻った。犬の遠吠えが聞こえてくる。

 広場へと戻ると、相変わらず壁に掲げられた松明が闇を払い、払われた闇が部屋の隅に、何か邪悪なものが立ち上りそうな程、黒々と淀んでいる。

 フィエブルは一度辺りを見回して、反対にある出口へ向かって歩き出した。フィエブルは、所々が黒錆びた色をしている石畳を歩いていると、途中妖精が恐ろしそうに言った。

「なあ、大丈夫かな?」

 その言葉を合図とした様に、突然そこいら中の鉄格子が甲高い音を立てる。フィエブルが辺りを見回した。妖精が恐ろしそうにフィエブルへとしがみついた。

 広場をぐるりと囲う鉄格子の向こう側から犬達が顔を突き出している。どれもこれもが凶暴そうに唸りながらフィエブルの事を睨みつけていた。内の一匹が高く遠吠えた。それを合図に、全てが一斉に高く吠え鳴らし、幾重にも織成った敵意の叫びが広場中に響き渡る。

 妖精がしがみついていた力を更に強くした。

「ほら、来るよ、来るよ」

 そうして一斉に鉄格子が開かれる。

 吠え散らしながら犬達が飛び出してくる。幾つもの幾つもの吠え声が重なり重なり折り重なって、びうびうと強大な風の音になってフィエブルへと襲い掛かってくる。

 フィエブルは剣を構え、腰を落とした。四方八方から犬達が大波となって押し寄せてくる。妖精は恐ろしそうに身を震わせて、フィエブルの兜の中へ難儀しながら入り込む。

 そうして犬達の、フィエブルを取り囲む輪が、フィエブルの剣の届く範囲に入った瞬間、フィエブルは大きく回転しながら剣を振るった。先頭に居た犬達の大口を開けた顔が横一文字に切り裂かれる。命を失った先頭の犬達は、それでも生前の勢いでフィエブルへと突っ込み、それをフィエブルは腕で払いのけて、その奥に居る犬達へ剣を振るった。剣の範囲に居た犬達はそれで死んだ。だがそれを乗り越えて更なる犬達が飛びかかって来る。犬達は次から次へとフィエブルへと飛びかかり、フィエブルの体を覆い尽くし、それでも止まずに上へ覆い重なって、一瞬にして犬達の体によって大きな山が出来上がった。

 次の瞬間、それが弾き飛ばされた。犬の山を弾き飛ばしたフィエブルは大きく一歩踏み出し、犬の群れへ向かって剣を薙いだ。それだけで多くの犬が斬り飛ばされる。背後から大量の犬が牙を剥いてやってくる。フィエブルは振り向きざまに大きく剣を振って、後ろから来る犬達を切る。切られた同類の死体を乗り越え犬達がフィエブルへと組み突き牙を突き立てるが、鎧に阻まれ甲高い音を立てた。更に四方から犬達がフィエブルへと飛びかかって、フィエブルの上に乗り重なり、再びこんもりと犬の山が出来た。それをまた弾き飛ばし、中から現れたフィエブルは近くの集団へ駆け寄って大きく剣を振って切り飛ばす。そしてまた四方から犬が襲ってくる。

 犬達は何度もフィエブルへと飛びかかり、フィエブルは何度もそれを切り捨て殴り飛ばした。数十匹の牙がフィエブルの鎧に当たり、それ等は全て金属に阻まれて、牙が効かぬと分かると今度は体躯をぶつけて衝撃を加えてきた。フィエブルは怯まずに切り殴り、多くを殺していった。

 やがてフィエブルは剣の構えを解いた。残るは一匹、他の犬達より一回り大きな群れのボスがフィエブルの目の前に居た。群れのボスはもう何度もフィエブルの刃を受けて、立つ事すらままならない様子で、それでも顔を上げ、フィエブルを睨み、憎しみの籠もった唸りを立てていた。

 フィエブルはそのボスとしばらく見つめ合っていたが、やがて剣を振り上げて、ボスの首を跳ね飛ばした。首は地面に何度か跳ねて、完全に止まると消えた。首の無くなった胴体も消えていた。犬の群れの痕跡はもう何処にも無く、大きく広い部屋は初めと同じ光景へと戻った。一つだけ違う点は鉄格子が開いている事だけ。

 妖精がフィエブルの兜の中から出てきて、開いた鉄格子の内の一つを指差した。

「あ、見てよ。あれ! 何か光ってる」

 妖精の言葉の通り、鉄格子の開け放たれた闇の奥に何か光を放つ物がある。フィエブルがその穴蔵へ歩むと、突然に広間中の鉄格子が一斉に閉まって大きな音を立てる。

「ああ!」

 妖精が声を上げながら、鉄格子へと飛び寄って、何とか向こうへ行こうともがき始めた。

鉄格子の隙間は妖精の体よりも明らかに大きいのに何故だか通り抜けられない。まるで見えない壁でもあるかの様に阻まれてしまう。苦闘する妖精の姿を眺めていたフィエブルは、大きく剣を振りかぶり、鉄格子へと叩きつけた。金属の打ち付け合う大きな音こそたったものの、後はまるで変化がない。

「うわあ、駄目だ。頑丈過ぎるよ。残念だけど、諦めるしかないね」

 フィエブルがもう一度振りかぶって、再度鉄格子を切りつける。けれどやはり大きな音が立つだけだ。

「わーわー、無理だよ。剣が折れちゃうよ。それより先に進もう」

 フィエブルは更にもう少し鉄格子の向こうを覗き込んでいたが、やがて剣を下ろして、出口へと向かった。

 出口の穴へと近付いた時、突然鉄扉が落ちてきて、大きな音と土埃を立てて穴を閉ざす。フィエブルが足を止める。妖精は構わず進んで、鉄扉に縋りつくと拳を作ってその表面を叩きだした。

「何だよ、これ! 開けろー!」

 妖精の叫びに呼応して、鉄扉の向こう側からしわがれた声が聞こえてきた。

「駄目ですよ。それは、駄目です」

「何だ、婆さん。あんたが閉めたのか! 開けろよー!」

 妖精が鉄扉の向こうの見えない誰かに抗議した。鉄扉の向こうから笑いだか咳き込んだのだか分からない音が響き、それに言葉も付いてくる。

「約束を守らないのが悪いんです。恨むのはお門違いというもの。自分の出来損ないの脳味噌を恨みながらそこで過ごしていてください」

 それっきり妖精が幾ら鉄扉を叩き、扉の向こうを罵倒しようとも、鉄扉の向こうのしゃがれた音は聞こえなくなった。

 やがて叩き疲れた妖精が消沈した様子でフィエブルの元へ戻ってきた。フィエブルは横を向いていた。妖精がフィエブルの様子に疑問を持って尋ねた。

「どうしたの?」

 フィエブルが壁伝いに歩き出して、鉄格子の一つ一つに松明を近付けては更に隣の鉄格子へと歩いて行った。その後を妖精がついていく。

「何、どうしたの?」

 やがてフィエブルの持つ松明が、ある鉄格子の前に来た途端大きく炎を揺らがせた。フィエブルはその鉄格子に手を当てる。後ろで妖精が感心した様子で頷いた。

「そっか。風が吹いてきてるんだ。奥が続いてるかもしれないって事ね。でも開かないんでしょ?」

 そう言って、妖精はフィエブルが手を当てる鉄格子へと体を寄せ、そのまま鉄格子の間をすり抜けて向こう側へ飛び込んだ。

「あれ?」

 妖精は不思議そうに呟いて、後ろを振り返り、フィエブルと目が合うと、突然辺りを忙しく眺め回してから、その視線が何処か一点に落ち着くと嬉しそうに声を上げた。

「在った! スイッチが在ったよ!」

 妖精は鉄格子の奥の壁際にある小さなレバーに全体重を掛けて押し下げた。鉄格子が開く。先には暗い道が続いている。不意に大きな風が奥から吹き込んできてフィエブルに辺り、散じて消える。その風に煽られた妖精は制御を失ってフィエブルの鎧にぶつかり、頭を打った衝撃で茫洋としつつも、へばりついたまま鎧の背中に回り込んで次の風に備えた。

 廊下は良く舗装されていて、天井も廊下も両側の壁もとてもまっ平らに、僅かの取っ掛かりも無い。道は弧を描く様に湾曲していて松明を翳しても向こう側が見えない。先程閉ざされた鉄扉とは逆の方向へと曲がっていた。奥から調子の狂った、抗議でもしている様な甲高い声が聞こえてくる。

 道を進むとやがて開けた場所に出る。広さは先程見た鉄格子の並ぶ部屋と同じ位だが、高低は桁違いで、フィエブルが上を向いても天井が見えず、下を向いても底が見えなかった。壁は平らで、それが上と下、仄かに発行する真っ白なその表面がどちらの果てまでも伸びている。

 その空間には二つの階段があった。一つはフィエブルの居る場所から真っ直ぐと前に下りる階段で、その伸びた先にもう一つの階段がある。もう一つの階段は丁度空間の中央に合って、フィエブルから見て右上がりに、右の壁と左の壁を橋渡している。フィエブルから真っ直ぐに進む階段も、空間の中央で左右に広がっている階段も、両端以外は宙に浮いている。左手の壁には、階段に続く形でぽっかりと四角く穴が開いている。右手の壁は、階段の突き当たった辺りだけが何故か赤茶けた色をしている。

「うわー、すごいなぁ。落ちちゃ駄目だよ。俺と違って飛べないんだから」

 フィエブルが階段を踏み出すと、ひび割れる様な音が足元から聞こえてくる。

「ねえ、ちょっと、今、嫌な音が聞こえたよ。ねえ」

 フィエブルはそのまま階段を下りていった。足元の音が更に大きく高く響きだす。

「ねえ、やばいって。せめて急ごうよ!」

 その瞬間、フィエブルの歩んできた背後が崩れる。階段の一部が何処までも果ての無い闇の中へ落ちていく。

「うわ、やっぱり不味いよ」

 更にフィエブルの足元に細かなひびが出来る。フィエブルが駆け出した。それを追う様に階段が崩れていく。フィエブルが駆け、あと一歩で中央を渡すもう一つの階段に辿り着けるところで、踏み出した場所が崩れ落ち、そのまま足場を失った。妖精が慌ててフィエブルを掴もうとするが到底力が足りなかった。

 足場を失ったフィエブルは剣を振りかぶり、落ちる途中で中央を渡る階段の側面に突き立てた。フィエブルの体が止まった。そうして突き立てた剣の刃と階段に手を掛けながら、両手の力で器用に体を引き上げて、階段の上へと転がり出た。

 フィエブルが奈落の底から生還したのを見て、妖精が詰めていた息を吐き出した。

「びっくりした。落ちて死んじゃうのかと思った」

 フィエブルが立ち上がり、階段の続く上と下を見た。丁度階段の真ん中で、どちらの端に行くにしても距離がある。

「もしこっちの階段も脆かったらどうしてたの? 本当に落ちてたよ?」

 フィエブルが階段の上の赤い壁に目を止めると、赤い壁の向こうから神経質そうな甲高い男の声が聞こえてくる。

「君達は何をしているんだ、何を。ここを何処だか分かっていて、君達はここに来ちゃいけない事を分かっていないのか?」

 赤い壁がまるで布の様に左右に開かれる。痩せぎすの男が玉座に座っている。矮小な体に似合わない大きな冠とマントを身につけ、良く光を照り返す衣装を着込んでいる。

「君達は何を黙っているんだ、何を。私が質問をしているのに答えないというのはどういう了見で、どういった教育を受けてきたんだ?」

 男は酷く落ち着かない様子で頭を掻きだして、大きく息を吸い込み、頭上を見上げて、ああ、ああ、と唸りだした。

 妖精がフィエブルの後ろから出てきて、肩の上で仁王立ちになった。

「何だよ、いきなり! ただ外に行きたいだけだよ! だから下に下りてるの!」

 妖精が偉ぶってそう言った。

 男は頭を掻いてから、妖精とフィエブルを指差した。指先は震え、一点に定まっていない。

「もう良い。言い訳は沢山だ。勝手に口を開いて生意気な事を言ってはいかん。君達が悪い事をやっている自覚無く大人に楯突くのであれば、これはお仕置きだ、そうお仕置きをしなければならない。私は教育者として正当な輝かしい理想的な世界を作らなくてはならない」

 気の違った様子で泡を吹き始めた男は、玉座に立てかけていた王笏を手に取ると、高く掲げた。唸り声が辺りから聞こえる。フィエブルが左右を見ると、二人の男が空を飛んでいた。毛の無い紫色の肌の、背中に蝙蝠の様な筋張った羽、蛇の様にぬらめいた尾、手に長い三叉の槍を持った男達が、フィエブルの左右に一体ずつ、羽を大きく躍動させて浮いている。

 妖精がフィエブルの耳元にやって来て恐々と囁いた。

「どうしよう。怒ってるみたいだよ。今から謝って許してもらおうか」

 妖精の言葉が終わらぬ内に、二体の男が槍を突き出してくる。フィエブルはそれを剣で払いのけ、そのまま男達を切ろうとするが剣はぎりぎりのところで届かない。男達はフィエブルの間合いの外から槍で突いてくる。それをフィエブルは器用に払う。だが反撃が出来ない。更に玉座に座っていた男が王笏をフィエブルへ向ける。王笏の先端に白い光が灯り、それが大きくなって人を飲み込む程大きくなると撃ち出される。光球が鈍い重低音を響かせながらフィエブルへと飛来する。空を飛ぶ男達と戦っていたフィエブルは音に気が付き、身を屈めて間一髪で迫る光球を躱した。しかし光球を避けて無防備になったところへ、男の振り降ろした槍がフィエブルの頭に直撃し、フィエブルは前のめりに倒れこんだ。

「おい、大丈夫か?」

 妖精が倒れこんだフィエブルに寄りそった。フィエブルは剣を突いて立ち上がり、よろけながら前へ逃れて、辛うじて背後からの槍を避け、そうして遠くの玉座に居る男を見た。

 男は再び王笏を構え光球を作り出している。フィエブルの兜から息を吸い込む音が聞こえ、それが止まるとフィエブルは王座へ向けて階段を駆け上がった。

 フィエブルを狙っていた二体の男がすぐにフィエブルの背を追って羽ばたく。玉座に座る男はフィエブルに向けた王笏から光球を撃ち出す。撃ち放たれた光球はフィエブルへと迫る。更にフィエブルの後ろには二体の男も迫っていた。

 フィエブルは迫る光球に怯む事無く走り、直前で前へと飛び込み、階段に伏せた。光球がフィエブルの上を紙一重で通りすぎる。後ろから迫っていた二体の男は迫る光球を避ける為に、フィエブルから距離を離した。

 フィエブルが勢い良く立ち上がって、再び玉座へ駆けた。玉座に座る男は急に慌てた様子で、再び王笏に光を灯し始める。光がフィエブルの足元へ向けて放たれる。フィエブルは光球が着弾する瞬間跳び上がり、光球を避け、着地するのと同時に王座を目指して再び駈け出した。光球の当たった箇所が崩れ落ち、階段が断絶する。フィエブルの背後からは槍を振りかぶった二体の男が追いすがる。

 フィエブルが一段と速度を上げて、王座へ駆けよった。男が恐れの籠もった表情で、光の灯った王笏をフィエブルへと向けたが、フィエブルは王笏をあっさりと叩き落とし、王座に座る男の胸に剣を突き立てた。勢い良く突き立った刃は男の背後にある王座に当たって止まった。

 男が動かなくなったのを見て取ったフィエブルは、突き出した刃を抜いて振り返り、目前で槍を構えた二体の男の片一方に向けて剣を振るった。男は避けようとしたが避けきれず、羽が斬り飛ばされて地面に倒れた。フィエブルは倒れた男から三叉の槍を奪い取ると、羽を失い倒れた男の背中に突き立てて止めを刺した。更に背を向けたもう一体に目掛けて、槍を投擲し、逃げようとしていた男を貫いた。貫かれた男は底の闇へ落ちていく。

 フィエブルが全てを片付けると妖精が顔にへばりついてきた。

「ねえ、階段が崩れちゃうよ!」

 妖精を引き剥がして、階段を見ると、言葉通り階段が崩れ始めていた。フィエブルは一度玉座の向こう側を見て、奥が壁で行き止まっている事を確認すると、足元に落ちていた王笏と王冠を掴み上げて階段を駆け下りた。羽を失った男の死体を飛び越え、光球による階段の断絶を飛び越え、ひびの浮き始めた階段を踏みしめて、階段を走り下りていく。

 フィエブルが階段を下り切って、ぽっかりと開いた壁の穴へと入り込んだ時、丁度階段が根本から折れて崩れ落ちていった。

 落ちていく残骸を見ながら妖精が言った。

「何だよ、もう。こんな危ない家作らないで欲しいよね」

 フィエブルは背を向けて穴の奥に続く道を進んだ。道は十分な広さがある。歪な石組みの壁で出来ている。途中で三叉路に行き着いて、左に曲がると今までにない真新しい空気が、ほんの僅かに、名残の様に漂ってくる。更に進むとフィエブルの灯す松明が絨毯の強烈な赤い色を映し出し、その上で胡座をかく黒いフードを着た老婆を浮かび上がらせる。老婆は目の見えない様子で、首を少しだけフィエブルに向けて下を向いたまま、笑った。

「何だ、珍しい。お客さんかい」

 敵意の無い声だ。少し枯れた声が柔らかな調子で心地良く届く。

 妖精が安心した様子で、老婆の回りを飛び回る。

「そうだよ、お客さんだよ! 婆ちゃんは何売ってるの?」

「役立つもんだよ」

「役立つもん?」

 老婆が手で自分の一帯を示してみせる。

「そうさ、この通り。人になる為の薬に、何処に出ても恥ずかしくないドレス、何でも答えてくれる賢い鏡に、誰とでも仲良くなれる薬、毒の林檎、あんた等の役に立つものが沢山あるよ」

 老婆の回りには何も無い。粗い岩肌の壁と赤い絨毯、そして老婆自身だけがそこにある。妖精は辺りを飛び回って老婆の語った物を探したが、やがてつまらなそうに言った。

「何だ、何にも無いじゃん」

「あるさ、あんたに見えてないだけだ」

「ええー、全然見えない」

 妖精はしばらくまた探したけれど結局見つけられずにフィエブルの元へと戻った。

「俺には何にも見えないけど。見えるの?」

 妖精はフィエブルに尋ねた。

「何か見える? 見えてる? 何が欲しいの? あ、もしかしてドレス? いや、でも似合わないと思うけど」

 妖精がそう言いながら笑った。

 フィエブルは妖精の問いに答えず老婆の前に進み出た。

「あれ? もしかして怒った? 冗談だよ、冗談」

 フィエブルが老婆に王冠と王笏を差し出す。

「何だい、これと何かを交換しようって?」

 老婆は受け取ると、指先で仔細に触り、そうして放る。

「何だ、こんなもんじゃ、何にも売れないよ」

「ええー、一杯宝石とか付いてたよ。良く見た?」

「駄目だよ、そんなものじゃ。そうだねぇ、その剣と鎧なら私の商品と交換してやっても良いよ」

 老婆が見えない目をフィエブルに向けてそう笑った。その視線を遮る様に妖精が老婆の目の前を飛び回る。

「駄目だよ。あれが無いと戦えないんだから!」

「じゃあ、何にも売れないね」

「けち!」

「全く。じゃあ、大負けに負けて、あの竜殺しの剣位だね」

「何それ! 格好良い」

 老婆が指差すと、そこに岩に突き刺さった剣がある。剣は柄こそぼろぼろだったが、刀身はまだ一度も使った事の無い程、真新しく、松明の光を照り返す様子は水で濡れている。

「冠、杖、剣、三つを、竜殺しの剣と交換。それなら売ってやらん事も無い」

「だって! どうする?」

 爛々と目を見開いて妖精がフィエブルに尋ねた。

 フィエブルは岩に刺さった剣の元へ行くと、柄に手を掛けて引っこ抜いた。

「代わりにあんたの剣を指しておいておくれ」

 老婆の言葉通りに、フィエブルは自分の使っていた剣を岩の穴にはめ込んだ。

 老婆が笑う。

「この先に龍が居るから、その剣も少しは役立つだろう」

 老婆が指差した先に階段が現れる。

 フィエブルは、格好良いと何度も褒め称えてくる妖精を連れて、階段を下った。狭く、あちらこちらに蜘蛛の巣の張った階段を下りきると、そこには大きく弧を描いて湾曲した廊下があった。左右に伸びていて、右手の先には牢屋の鉄格子が見える。そして左には龍が居る。

 人の背丈位の龍だ。

 龍は大儀そうにフィエブル達を見ると、下らないものを見る目付きになる。妖精が困惑した様子でフィエブルの後ろに隠れる。

「どうしよう、何だか攻撃してくる訳じゃないみたいだけど」

 龍が唐突に口を開く。その喉の奥に敵意を具現化した様な荒々しい炎が燃え盛った。

 フィエブルが剣を構えて走り出した。同時に龍が炎の息を吐き出す。瞬く間に通路が炎で埋まり、フィエブルへと迫る。フィエブルは剣を構えて、やって来る炎を切った。炎がたちまち消える。炎が消えて丸裸になった龍が通路の奥で口を開ている。フィエブルは竜殺しの剣を振り被り、そうして龍の胴体へ叩きつけた。

 剣が龍の胴体を切り裂くと、龍は凄まじい悲鳴を上げて倒れ伏し、ぶくぶくと泡を立てながら消えた。龍の消えた廊下をしばらく眺めていたフィエブルは突然鎧を脱ぎ捨て、身軽になって鉄格子の嵌った牢屋へと向かった。後ろから妖精がついてくる。

「どうしたの? 疲れた?」

 フィエブルは丁度鉄格子の隣に備え付けられた置台に松明を乗せて、鉄格子を開け、牢屋の中に入った。

「やっぱり疲れたんだ。寝るの? じゃあ、俺は向こうで待ってるね」

 妖精が遠ざかり、闇の中で一人になったフィエブルは、埃の充満した牢屋の中で剣を抱き、毛布を自分の身に掛けて眠りについた。


 闇の中に男が寝ていた。男は名をフィエブルと言った。粗末な布の服を着け、剣を抱いて寝ていた。

 フィエブルは目を覚まして闇を見た。闇の中は埃の臭いが強烈に漂っていた。埃の充満した暗闇の中で耳を澄ますと森閑とした彼方から金属の規則的にがちゃめいた音だけが聞こえてくる。埃と金属音と闇しかない闇の中でフィエブルは緩慢に立ち上がり、そうして、体にひっつくぼろぼろの毛布を払いのけ、手探りで前へ進み、ざらついた棒に行き当たって、力を込めて押すと錆びついた甲高い音がなって、その牢屋の外に出た。

 外に出ると弧を描く様に左右へ伸びる道があった。出てすぐの右手の壁際に火の灯った松明が飾られていて、煉瓦造りの廊下と格子で封じられた牢屋の中を照らしていた。いつの間にか現れたその松明を手に取って、道の先を照らすと階段が見えた。下り階段の様だった。フィエブルはこの塔の下を目指そうと、階段へ向かった。

 曲がった廊下を進んでいくと響いてくる金属音が段々と大きくなって、遂には重たい金属のこすれ合う音が聞こえてきた。フィエブルが階段より少し先に鈍色の全身甲冑が落ちていて、その傍で人と同じ大きさの蜥蜴が甲冑を弄って遊んでいた。蜥蜴がフィエブルに気が付いて顔を上げ、フィエブルが剣を構えたのと同時に、蜥蜴は大いに驚いた様子で勢い良く立ち上がり何処かへと逃げていった。

 逃げていく蜥蜴を見送っていると、頭上から声が聞こえた。

「やあ、遅かったな!」

 フィエブルが上を見上げると、顔にそれが張り付いた。

「待ってたんだ! さあ、外に出よう!」

 フィエブルが喚くそれを摘み、顔から引き剥がして目の前に掲げる。それは妖精だった。粗末な服を来た男の子は背に蜉蝣の羽を生やしていた。フィエブルが妖精を見つめていると、妖精が楽しそうに言った。

「で、あんたは誰だ? あんたの名前は?」

 フィエブルが黙っていると、妖精は頬を膨らませる。

「何だよ、無愛想な奴だな。まあ、良いや。さ、早く外に出ようぜ!」

 妖精が手を引いてきた。フィエブルが自分の足元にある鎧を見つめていると、妖精がフィエブルの首に縋りついた。

「どうしたの? 着ないの?」

 フィエブルが屈みこんで兜を手に取ると、妖精はフィエブルの周りを飛んで早く早くと急かし始めた。フィエブルは纏わり付く妖精を払って、甲冑を着込む。

 甲冑を身につけたフィエブルは金属で覆い隠した自分の体を見回した。兜の大きな動きに合わせて妖精もフィエブルの周囲を飛び回る。

「格好良いじゃん。格好良いじゃん」

 フィエブルは一度剣を振り、階段を降りた。狭く、あちらこちらに蜘蛛の巣の張った階段を下りきると、人が三人か四人は通れそうな道が続いていた。歪な石組みの壁で出来ていた。不意にフィエブルの灯す松明が絨毯の強烈な赤い色を映し出し、その上で胡座をかく黒いフードを着た老婆を浮かび上がらせた。老婆は目の見えない様子で、首を少しだけフィエブルに向けて下を向いたまま、笑った。

「何だ、珍しい。お客さんかい」

 敵意の無い声だった。少し枯れた声が柔らかな調子で心地良く届いた。

 妖精が安心した様子で、老婆の回りを飛び回る。

「そうだよ、お客さんだよ! 婆ちゃんは何売ってるの?」

「役立つもんだよ」

「役立つもん?」

 老婆が手で自分の一帯を示してみせた。

「そうさ、この通り。人になる為の薬に、何処に出ても恥ずかしくないドレス、何でも答えてくれる賢い鏡に、誰とでも話せる様になる薬、毒の林檎、あんた等の役に立つものが沢山あるよ」

 老婆の回りには何も無い。粗い岩肌の壁と赤い絨毯、そして老婆自身だけがそこにある。妖精は辺りを飛び回って老婆の語った物を探したが、やがてつまらなそうに言った。

「何だ、何にも無いじゃん」

「あるさ、あんたに見えてないだけだ」

「ええー、全然見えない」

 妖精はしばらくまた探したけれど結局見つけられずにフィエブルの元へと戻った。

「俺には何にも見えないけど。見えるの?」

 妖精はフィエブルに尋ねる。

「何か見える? 見えてる? 何が欲しいの? あ、もしかしてドレス? いや、でも似合わないと思うけど」

 妖精がそう言いながら笑った。

 フィエブルは妖精の言葉を無視して老婆の前に進み出た。

「あれ? もしかして怒った? 冗談だよ、冗談」

 フィエブルが黙って立っていると、老婆が自分のこめかみを指で二三回叩いた。

「何だい? もしその剣と鎧を寄越すなら私の商品と交換してやっても良いよ」

 老婆が見えない目をフィエブルに向けてそう笑った。その視線を遮る様に妖精が老婆の目の前を飛び回る。

「駄目だよ。あれが無いと危ないんだから!」

「じゃあ、何にも売れないね」

「けち!」

「全く。じゃあ、大負けに負けて、あの獣殺しの剣位だね」

「何それ! 格好良い」

 老婆が指差すと、そこに岩に突き刺さった剣があった。剣は長い間使い込まれた様な古めかしさと長い年月を耐え切った頑丈さと長い間戦いに使われた血生臭さを持っていた。

「あんたの持ってる剣と交換してやっても良い」

「だって! どうする?」

 爛々と目を見開いて妖精がフィエブルに尋ねる。

 フィエブルは岩に刺さった剣の元へ行くと、柄に手を掛けて引っこ抜いた。

「代わりにあんたの剣を指しておいておくれ」

 老婆の言葉通りに、フィエブルは自分の使っていた剣を岩の穴にはめ込む。

 老婆が笑う。

「この塔は獣が多いから、その剣も少しは役立つだろう」

 老婆が道の奥を指差した。フィエブルが道を進むと後ろから老婆の高笑いが聞こえてきた。

 しばらく歩くと途中で三叉路に行き着いた。右手からは何か甲高い忙しない話し声が聞こえてくる。ずっと一人で喋り続けている様である。妖精が無性にそれを怖がって、しきりに左の道へ行こうと訴えた。

 フィエブルは左右の道を見比べて、妖精の言う様に左の道へ進んだ。左の道に入ると急に酷くすえた臭いが辺りに漂い、妖精が口を抑えてフィエブルの肩に捕まった。

「何だよ、この臭い。変に酸っぱくて気持ち悪い」

 更に道の先に進むと、明かりも無いのに妙に仄明るい広い空間に出た。フィエブルが辺りを見回すと、まずすぐ左右に階段があって、壁沿いに奥へと伸び、その先に柵に覆われた高台があった。空間の四隅に一つずつ高台があった。更に部屋の中央の遥かに高い天井には鳥を閉じ込める様な籠があった。一部が壊れ、中には何も居なかった。部屋の四隅の高台から、鳥籠に向けて木組みの梯子が伸びていた。

 一頻り空間の中を見回したフィエブルは見上げるのを止めて、遠くに居る巨大な鎧を眺めた。鎧は動かず、じっと直立不動の姿勢でフィエブル達の反対に居る。その奥には幅の広い階段があって上り切った先に大きな穴が開いていた。

 巨大な鎧は動かない。

「あれ、誰か入ってる?」

 妖精が鎧を眺めながら心配そうに言った。フィエブルは剣を垂れ下げ、鎧へと向かった。近くに行けば行く程その大きさは大きくなる。鎧の頭はフィエブルの遥か上にあって、フィエブルの頭と同じ高さに鎧の足首があった。

 鎧へと近付くと遥か頭上から声が降ってきた。

「止まれ」

 地の底から響く様な声だった。フィエブルは足を止め、妖精は驚いてフィエブルの背後に回った。

「ここから先へ進む事は出来ん」

 鎧がゆっくりと巨大な剣を振り上げ、頭の上にまで振りかぶり、そうして振り下ろした。振り下ろされた切っ先が、フィエブルの目の前に打ち下ろされる。強烈な地響きと風圧でフィエブルと妖精は吹き飛ばされる。フィエブルが地面を転がって立ち上がると、巨大な鎧は剣を肩に担いで、フィエブルの事を見下ろしていた。鎧の奥からまた声が聞こえた。

「騎士の総代として姫には指一本触れさせん」

 騎士が大きく足を踏み鳴らす。その地響きに立ち上がろうとしていたフィエブルが体勢を崩してよろけた。よろけたフィエブルの後ろから妖精が飛び出して、騎士に対して文句を言った。

「いきなり何だよ! 俺達は進むの! 行くんだから通してよ!」

「駄目だ」

「けち!」

 妖精が頬を膨らませて、フィエブルの背後に戻った。

「やっちゃえ! やっちゃえ!」

 フィエブルが首を捻って背後の妖精を見つめ、そうして騎士に顔を戻した。

 騎士もまた自分の背後にある、階段を上った先の暗い穴の奥を眺め、そうしてフィエブルに顔を戻し、大きな声で呟いた。

「守れ」

 騎士が一歩踏み出す。地響きが起こる。

「守れ」

 騎士が更に一歩踏み出す。地響きが起こる。騎士が剣を振り上げる。

「姫を守れ」

 戦う姿勢を見せた騎士を見て、フィエブルも剣を持ち上げ、駈け出した。

 騎士が剣を振り下ろす。フィエブルはそれを横に転がって避け、地響きに突き上げられて立ち上がり、更に騎士へと駆けた。騎士が剣を腰に溜め、横に薙ぐ。フィエブルはそれを床に這う事で避けたが、風圧に吹き飛ばされて地面を転がり、すぐさま立ち上がって、また向かう。再び剣が振り下ろされフィエブルはそれを避け地響きに突き上げられ、騎士の剣がほんの僅かに持ち上げられてまた打ち下ろされ、フィエブルは辛うじて転がって剣を避け、地響きに突き上げられて立ち上がると、更に騎士へと向かった。

 足元に辿り着くと、妖精が様に叫ぶ。

「こんなおっきな奴どうしよう。鎧着てるし普通に切っても効かないよ」

 フィエブルは剣を振り上げた騎士に視線を彷徨わせ、そうして騎士の足元で目を止めた。かと思うと、騎士の足の踵へと駆け込んで、剣を両手で逆手に持って、騎士のかかとの鎧の隙間に力を込めて差し込んだ。騎士の足が跳ね上がり、フィエブルの頭上から凄まじい叫び声が聞こえた。フィエブルが頭上を見上げると、大剣が迫っていた。フィエブルが横に転がり、それを避ける。巻き起こった風に飛ばされ、立ち上がり、騎士へ駆ける。騎士の横薙ぎが来るのを見て、フィエブルは倒れこんで地面に剣を突き刺して、物凄い風圧を起こす剣をやり過ごす。立ち上がり、駆け、騎士の踵に回りこんで、鎧の隙間に剣を突き刺した。再び凄まじい叫びが起こって、巨大な足が後ろにずり下がり、その足の動きに巻き込まれてフィエブルは吹き飛ばされた。フィエブルは地面に体を打ちつけ、剣を手放す。騎士は体勢を崩して、呻きを上げ、それでも辛うじて踏みとどまる。

 騎士が大きく唸る。フィエブルは騎士の唸りに身を起こし、傍に落ちていた剣を取って、頭上から迫った騎士の剣を避け、吹き飛ばされて立ち上がり、もう一度騎士の足元に近づいて、鎧の間に剣を差し込んだ。

 今まで以上に巨大な唸りが起こり、騎士の足が浮いた。フィエブルが騎士から離れると、騎士はゆっくりと後ろに傾いで、背後の壁に頭をぶつけ、背中から地面に落ちて、階段の半分を崩して、大量の土煙を巻き起こし、兜から緑の液体が漏れだした。だが騎士は大剣の柄を力強く握る。

「姫を」

 騎士が今までに無い程、憎々しげな力強い声で唸った。丁度頭の隣にある穴の奥を見ようと首を動かしている。

「あいつまだ戦う気なんじゃ」

 妖精が不安そうに行った。フィエブルは駈け出した。階段を駆け上がり騎士の頭の横に辿り着いて、騎士の兜と胸当ての隙間に剣を添えた。いつでも殺せる状態で手を止める。

 騎士の兜の向こうから荒い息が聞こえてくる。

「姫を」

 騎士は動かない。

「助けてくれ」

 騎士が言った。

「子供達を」

 咳き込み、鎧の間から液体が流れ出る。そうして動かなくなった。鎧の奥からは微かな吐息が漏れている。

「子供達って何だろう」

 妖精が呟いた。フィエブルは暗い穴を進んでいった。

 穴の中は今まで以上に強烈な酸味が漂っていた。妖精がえずきながらフィエブルの肩にしがみついている。岩肌がところどころぬめっている。壁に手を突きながら進むフィエブルは時々手を滑らしながら進んでいく。

 しばらく進むと行き止まりに当たり、行き止まりには鉄扉が付いていた。鉄扉の隣には小屋があり、小屋から伸びた鎖が鉄扉の上の滑車を通って鉄扉の上に結び付けられている。小屋の中からは明かりが漏れていた。

「何だろう、あそこ」

 妖精が不思議そうに言った。フィエブルが小屋に近付くと、中から鼻歌が聞こえてきた。穏やかで儚い旋律がしんしんと聞こえてきたが、フィエブルの足が小石を蹴ったのと同時に、鼻歌は止んだ。中から皺枯れた声が聞こえてくる。

「どちら様でしょうか」

 フィエブルが小屋の中に入ると、更に強い酸味が満ちていた。中には粗末な服を着た女性が居た。女性はフィエブルを見ると立ち上がり、腰まで伸びた黒い髪を揺らしながら、美しい顔に笑顔を浮かべた。

「ようこそいらっしゃいました」

 皺枯れた声だった。

 妖精が疑わしそうに女性の周りを飛ぶ。

「もしかしてお姫様?」

 女性が笑う。

「ええ、かつては」

 妖精が尚も疑って姫の周りを飛び回る。姫はそれを優しげな笑顔で眺めている。

「良くここまで来れましたね」

「うん、何か途中に鎧を着たのが居たけど倒してきた」

「あら、もしかして彼の命を絶ってしまったのですか?」

「ううん、まだ生きてると思うよ」

「そうですか」

 フィエブルの目が小屋の隅にある床下から生えた二つのレバーに目を向けた。姫がその視線に気が付いて、レバーの傍に寄る。

「これは鉄扉を開けるの。こっちはペット達の小屋を開けるのです」

 皺枯れた声で、姫は恥ずかしそうに笑った。

「もしかして先へ進みたいのですか?」

 姫の言葉に、妖精が周りを飛び回りながら同意した。

「そうそう。先へ行きたいんだ。良いでしょ?」

「勿論です」

 姫が頷いて、鉄扉を開けるレバーを動かした。床下から大きな金属音が何度も聞こえ、それが止むと外から鎖の巻き取られる音が聞こえ始めた。

「それでお願いなんですけれど」

 レバーから手を離した姫がフィエブルの元に歩んでくる。

「子供を連れてきてくれませんか?」

 妖精が聞き返す。

「子供?」

「そうです。子供を連れてきてくれませんか?」

「子供って、お姫様の?」

「いいえ、違います」

「うーん、どんな子供なの?」

「その辺りに居ると思うのですが」

「だったらお姫様が探しに行けば良いのに」

「残念ですが、私はこの場所から離れてはいけないらしいのです。彼がそう言っていたのです」

「ふーん、そっか。どうしようね? 可哀想だから助けてあげようか?」

 妖精が振り向いてフィエブルに問いかけた時、フィエブルは既に背を向けて外に出ようとしていた。

「あ、待ってよ!」

 フィエブルが外に出ると、背後から妖精がしがみついてきた。姫の声も聞こえてきた。

「よろしかったら、一緒にお食事をとりませんか」

 フィエブルが振り返ると、女性が奥の部屋に繋がる唯一つの扉の横に立っていた。

「食べる食べる!」

 妖精が叫んで小屋の中に入ろうとしたのを、フィエブルは小屋の入り口を閉めて阻んだ。

 先を見ると鉄扉が開いていた。くぐると真四角の広い空間に出た。広い空間は床が石畳で出来ていて、壁には規則正しく松明が遠くまで焚かれている。同じ様に規則正しく、壁際には鉄格子が上中下の縦三段に、横は五十程並んでいる。そうして遥か向こうの自分の居る場所とは反対側の壁にぽっかりと開いた出口があった。反対側の壁にも上中下に三段、横に二十程の等間隔な鉄格子があって、たった一つ、下段の中央が出口の為に空いていた。

「何か、ここは嫌な予感がするよ。俺の勘だけど」

 妖精が言った。

「急いで抜けた方が良いと思う」

 フィエブルは妖精を見つめ、そして反対側の出口に向かって駈け出した。四分の一を越え、半分を越え、そうして何も無いまま反対側に辿り着く。フィエブルは振り返って何の異常も無い事を確かめると空間を後にした。

「何だ、何にも無かったね」

 出口は下りの階段に続いていて、奥からは何か泣き出しそうな声が聞こえてくる。狭い階段には真新しい蜘蛛の巣があちらこちらに張られている。歩く度に埃が立ち、松明の火に照らされて細かに踊る。一段降りる度に体が壁にぶつかる。その度に鎧が大きく鳴った。しばらく歩くと階段が終わった。そこには大きく弧を描いて湾曲した廊下が左右に伸びていて、右手の先には牢屋の鉄格子が見えた。そして左には見窄らしい男が居た。

 男はフィエブルに気が付くと、驚いた様子で目を見開き、かと思うといきなり駆け寄ってきた。縋りつく様に尋ねてくる。

「な、なあ、あんたこの辺りに子供を見なかったか?」

 妖精がフィエブルの背から顔を出す。

「子供? もしかしてお姫様に頼まれたの?」

 男が目を見開き、そうして剣を抜いた。

「お、お前等も姫様に頼まれたのか? じゃあ、じゃあ、あんたは俺の手柄を横取りする気か? そうなんだな?」

 フィエブルは何も答えない。妖精は男の言葉の意味が分からず首を捻る。そうして男はそれを肯定だと受け取った。表情に絶望の混じった怒りを滲ませる。

 男は唐突に身を沈め、次の瞬間剣が閃いた。剣先はフィエブルの首に当たったが鎧に弾かれる。フィエブルが剣を振るうと、男は素早く躱し息吐く間も無く剣を突き出してフィエブルの腹に突き立ててくる。けれど鎧に弾かれる。フィエブルが剣を突き出すと、男は難なく避け、フィエブルが更に一歩踏み込んで横に薙いだ剣をも、男は見事に屈んで躱し、屈んだ男は下から剣を振り上げてフィエブルの股間を切り上げた。けれど鎧に弾かれる。

「くそ」

 男が悪態をついて後ろに退がる。その隙を見逃さずにフィエブルは素早く間を詰め、剣を振るった。避けられる。避けられるが避けられても構わずに連続で剣を振り続ける。時折男が反撃の剣を振るってくるが、全て鎧に弾かれる。男は少しずつ後ろに追い詰められ、やがて湾曲した壁にぶつかった。男が一瞬だけ背後に気を取られ、それと同時にフィエブルの剣が男の剣を持つ腕を切り裂いた。男が呻きを上げて、腕を抑え、通路の奥へ逃げ去っていく。

「くそ、俺にも鎧があれば」

 男の声が曲がり切った廊下の向こうから微かに聞こえた。

 妖精がフィエブルの目の前を浮かぶ。

「凄いじゃん!」

 嬉しそうに妖精は言って、けれど不安そうな顔をした。

「でも大丈夫? 疲れてない?」

 フィエブルは自分の体を見回し、そうして鎧を脱ぎ始めた。

 鎧の一部が床に落ちる度に、妖精は耳を塞いで身を竦ませる。

 やがて粗末な服装になったフィエブルは道を戻って、牢屋へと向かった。牢屋の中に入り、毛布を引っ掴んで、剣を抱いて横になる。

「やっぱり疲れてたんだ。寝るの? じゃあ、俺は向こうで待ってるね」

 埃の臭いに満ちた部屋で、フィエブルはゆっくりと目を閉じた。


 闇の中に男が寝ていた。男は名をフィエブルと言った。粗末な布の服を着け、剣を抱いて寝ていた。

 フィエブルは目を覚まして闇を見た。闇の中は埃の臭いが強烈に漂っている。埃の充満した暗闇の中で耳を澄ますと森閑とした彼方から金属の規則正しいがちゃめいた音が聞こえてくる。埃と金属音と闇しかない闇の中でフィエブルは緩慢に立ち上がり、そうして体にひっつくぼろぼろの毛布を払いのけ、剣を片手で垂れ下げ引きずりながら、手探りで前へ進み、ざらついた棒に行き当たって、力を込めて押すと錆びついた甲高い音がなって、その牢屋の外に出た。

 外に出ると弧を描く様に左右へ伸びる道がある。すぐ右手の壁際に火の灯った松明が飾られていて、煉瓦造りの廊下と格子で封じられた牢屋の中を照らしている。いつの間にか現れたその松明を手に取って、道の先を照らすと階段が見える。下り階段の様だ。フィエブルはこの塔の上を目指そうと、階段へ向かった。

 曲がった廊下を進んでいくと響いてくる金属音が段々と大きくなって、遂には重たい金属のこすれ合う音になる。道の向こうから鈍色の全身甲冑が重たい足取りで歩んでくる。フィエブルは立ち止まって、甲冑の様子を窺った。甲冑はどうやらフィエブルの元へ向かってくる様だ。

 フィエブルが剣を構えた。甲冑も弱々しい動きで剣を構え、よろけながら近寄ってくる。フィエブルは甲冑を待ち受け、そうして間合いに入った瞬間、剣を閃かせ、甲冑の首へ突き刺した。甲冑も剣を突き出そうとしていたが、微かに剣の切っ先を動かした時には既に喉をフィエブルの剣に穿たれていた。

 甲冑の中からくぐもった吐息が漏れ、すぐ後に甲冑の継ぎ目から血が流れ出る。甲冑の体が傾ぎ、倒れ伏す。土埃を巻き上げて松明の火がちらちらと揺らぐ。甲冑の地面に倒れた甲高い音が闇の中を何処までも遠くまで反響する。

 血溜まりがフィエブルの足先を浸し始める。血の臭いが埃と交じり合って、古めかしい空気がわだかまった。

 フィエブルは屈みこんで兜を手に取り、甲冑を着込む。甲冑を身につけたフィエブルは金属で覆い隠した自分の体を見回した。顔と体が大きく動く。やがてフィエブルは一度剣を振り、また階段を降りて広場へと戻った。

 狭い階段には真新しい蜘蛛の巣があちらこちらに張られている。歩く度に埃が立ち、松明の火に照らされて細かに踊る。一段降りる度に体が壁にぶつかる。その度に鎧が大きく鳴った。しばらく歩くと階段が終わった。

 階段を抜けると真四角の広い空間に出た。広い空間は床が石畳で出来ていて、壁には規則正しく松明が遠くまで焚かれている。同じ様に規則正しく、壁際には鉄格子が上中下の縦三段に、横は五十程並んでいる。そうして遥か向こうの自分の居る場所とは反対側の壁にぽっかりと開いた出口があった。反対側の壁にも上中下に三段、横に二十程の等間隔な鉄格子があって、たった一つ、下段の中央が出口の為に空いていた。

 フィエブルが空間を一望し終え、先に進もうとした時、頭上から声が聞こえた。

「やあ、遅かったな!」

 フィエブルが上を見上げると、兜にそれが張り付いた。

「待ってたんだ! さあ、外に出よう!」

 フィエブルが喚くそれを摘み、顔から引き剥がして目の前に掲げる。それは妖精だった。粗末な服を来た男の子は背に蜉蝣の羽を生やしていた。フィエブルが妖精を見つめていると、妖精が楽しそうに言った。

「で、あんたは誰だ? あんたの名前は?」

 フィエブルが黙っていると、妖精は頬を膨らませる。

「何だよ、無愛想な奴だな。まあ、良いや。さ、早く外に出ようぜ!」

 妖精が手を引いてきた。フィエブルは微動だにしない。

「実はこの先危なくて一人じゃ進めそうになかったんだ」

 妖精がそう言いながら、フィエブルの後ろに回り込み、その背中を押し始めた。

 フィエブルは、周囲の壁の鉄格子が並んでいる事をもう一度確認してから、突然に反対側の出口に向かって駈け出した。四分の一を越え、半分を越え、反対側にまで辿り着くと、出口をくぐり、その先にある小屋の中へと飛び込む。

 中には髪の長い女性が居た。女性は髪を乱雑に掻き乱しながら机の上に突っ伏していたが、フィエブルが入ってきた事に気が付いて顔を上げた。美しい顔をしていた。女性は驚いた表情でフィエブルを見ると、嬉しそうに笑った。

「約束は果たしていただけましたか? 見たところどこにも頼んでいたものが無い様ですけれど」

 皺枯れた声だった。

「え? 約束って?」

 妖精が尋ね返すと、女性が首を傾げ、短剣を取り出した。

「ちょっと、何で剣なんか」

 女性は無言で歩いてきて、短剣を振りかぶり、何の躊躇も無くフィエブルの胸元に向かって短剣を振り下ろした。当然の様に鎧で弾かれ、女性の手から短剣が弾かれる。短剣が床に落ちた時には、フィエブルの剣が女性の胸を貫いていた。女性は足から崩れ落ち、一瞬血が吹き出て、瞬きをした時には血の溜りが大きく広がっていた。女性は最後に手を伸ばし、子供 と呟いて息絶えた。

 女性の伸ばした手の先には扉があった。奥の部屋に繋がっているらしい扉に妖精が興味深げに近寄った。

「扉の向こうにこの女の人の子供が居るのかな?」

 そう言って、必死でノブを回そうとするが、力が足りず回らない。妖精がノブから離れると、代わりにフィエブルがノブを掴んで扉を開けた。

 中から赤ん坊の鳴き声と笑い声が混ざり合ってぐちゃぐちゃになった叫び声が何重にもなって扉の向こう側から溢れでてそれと一緒になって闇の濁り固まった様な粘性の塊が幾本も伸びてきてその先に生えた五指が扉を開けたフィエブルの体に。

 フィエブルが扉を閉める。叫び声が消えた。粘性の塊も扉に押されて、奥の部屋に閉じ込められる。

「何、今の」

 耳を塞いでいた妖精が呟いた。フィエブルは小屋の中を見回して、レバーに目を止め、近寄ってレバーを動かした。何処からか大きな音が聞こえ、続いて沢山の吠え声が何処かで沸き立った。

 フィエブルが外に出ると、犬の吠え声が聞こえてくる。犬達はさっきフィエブルの通った鉄格子の空間に居る様だった。フィエブルが鉄格子の空間と繋がる穴に近づくと、その穴から沢山の犬が飛び出してきた。

「うなぁ」

 妖精が慌ててフィエブルの背後に回りこみ、それで足らずに慌てたままフィエブルの顔に登って兜の中に潜り込んだ。フィエブルは剣を構えて腰を落とす。犬達が迫ってくる。フィエブルはゆっくりと剣を腰に据え、犬達が目前に迫った瞬間、目にも留まらぬ速さで犬達を切り捨て、一歩進んだ。剣を振って犬を切り捨て一歩進む。それを繰り返して、五歩歩いて入り口に辿り着き、鉄格子に囲まれた部屋に入った時には背後に幾十の死体が転がっている。押し寄せ圧しかかってくる犬達を殴り飛ばし、切り捨てていく。鎧に何度も牙を立ててくる犬を殴り飛ばし、足にぶつかってくる犬を突き刺し、犬を串刺したまま剣を振って周りに集まる犬を切り払う。犬達の集団を真っ直ぐに切り進んでいく。

 犬の集団を抜けたフィエブルは駈け出した。後ろから追いすがってくる犬達を切りながら、壁に並ぶ鉄格子の内の一つに入り込んだ。中は藁が敷かれただけのほんの小さな部屋だった。藁の上に黒ずんだ人型が落ちていた。フィエブルが屈んでそれを拾い上げる。薄汚れた布製のデフォルメされた人間は古びていて、何か懐かしさを感じさせる姿だった。

 フィエブルが立ち上がり背後の敵を切り裂く。切り裂かれた一際大きな犬が地面に転がると、外で唸っていた犬達も消えた。

 外に出るとまるで何事も無かったかの様にまっさらとした空間で、ただ一つ最初と違うのは鉄格子が開いている事だけ。松明が部屋を照らしている。ほんの少し、部屋の隅に何かが立ち現れそうな闇がわだかまっている。

「怖かったなぁ、さっきの犬」

 妖精がそう言いながら鎧の中から出てきた。フィエブルは出口へと向かう。

 出口を過ぎ、小屋を越え、先へ進むと、大きく開けた場所に出た。明かりも無いのに妙に仄明るかった。すぐ目の前に幅の広い階段があって、降りると広場だった。広場の四隅には高台があって、それぞれの高台から中央の天井に吊り下げられた鳥籠へ真っ直ぐに急な角度で粗末な木組みの梯子が伸びている。鳥籠は一部が壊れ、中には何も居なかった。

 一頻り空間の中を見回したフィエブルは見上げるのを止めて、隣に在る巨大な鎧を見上げた。鎧の頭はフィエブルの遥か上にあって、フィエブルの頭と同じ高さに鎧の足首があった。鎧は動かず、じっと直立不動の姿勢で立っている。

 巨大な鎧は動かない。

「ただの飾り?」

 妖精が鎧を眺めながら心配そうに言った。遥か頭上から鎧がその問に答えた。

「違う」

 地の底から響く様な声だった。妖精が驚いてフィエブルの背後に回った。

「姫に会ったか?」

 鎧が言った。妖精がフィエブルの背後から恐る恐る首を出す。

「姫?」

「小屋に住んでいなかったか?」

「ああ、あの怖い人?」

「そうだ」

「あの人なら」

「私は姫を守る騎士だ。だがこの穴を通れなくてな。姫はまだ元気にしているだろうか」

 妖精が口を抑えた。

 それを見て鎧が足を踏み鳴らす。地響きが起こって、フィエブルは倒れた。

「殺したな?」

 妖精が必死で首を横に振る。兜の向こうから息を吹き出す音が聞こえた。

「子供は居たか?」

「子供?」

 妖精が女の居た小屋の扉の奥を思い出して身を震わせる。

「子供なんて居なかったよ!」

「そうか。居なかったか」

 鎧は床に剣を突き刺した。地鳴りが起こる。フィエブルが倒れる。

「行くと良い」

 鎧がそう言って、腰を下ろす。また地鳴りが起こる。立ち上がろうとしていたフィエブルが倒れる。

 妖精が鎧を見上げた。

「行くと良いって、戦わないの?」

「戦う? どうして?」

「だって、分かんないけど」

「戦わないで良いなら、それに越した事は無い」

「まあね。だってさ」

 妖精がフィエブルを見る。フィエブルは黙っている。

 兜の中から息を吹き出す音が聞こえ、それから声もやって来た。

「私はそれが出来なかった」

「どういう事?」

「きっともう外の世界は私を受け入れてはくれないだろう」

 それっきり鎧は黙ってしまった。

 妖精は何度か鎧に話しかけて反応の無い事を確信して、フィエブルの元に戻った。フィエブルは反対側の壁に空いた出口へ進んだ。途中振り返ると、鎧は消えていた。

 フィエブルが穴に入ると、空気が途端に清浄となった。穴の奥にはずっと道が続いていた。道は十分な広さがあって、歪な石組みの壁で出来ていた。途中で三叉路に行き着いて、右に曲がると今まで以上に真新しい空気が、ほんの僅かに、名残の様に漂ってきた。更に進むとフィエブルの灯す松明が絨毯の強烈な赤い色を映し出し、その上で胡座をかく黒いフードを着た老婆を浮かび上がらせた。老婆は目の見えない様子で、首を少しだけフィエブルに向けて下を向いたまま、笑った。

「何だ、珍しい。お客さんかい」

 敵意の無い声だった。少し枯れた声が柔らかな調子で心地良く届いた。

 妖精が安心した様子で、老婆の回りを飛び回る。

「そうだよ、お客さんだよ! 婆ちゃんは何売ってるの?」

「役立つもんだよ」

「役立つもん?」

 老婆が手で自分の一帯を示してみせた。

「そうさ、この通り。人になる為の薬に、何処に出ても恥ずかしくないドレス、何でも答えてくれる賢い鏡に、誰とでも仲良くなれる薬、毒の林檎、あんた等の役に立つものが沢山あるよ」

 老婆の回りには何も無い。粗い岩肌の壁と赤い絨毯、そして老婆自身だけがそこにある。妖精は辺りを飛び回って老婆の語った物を探したが、やがてつまらなそうに言った。

「何だ、何にも無いじゃん」

「あるさ、あんたに見えてないだけだ」

「ええー、全然見えない」

 妖精はしばらくまた探したけれど結局見つけられずにフィエブルの元へと戻った。

「俺には何にも見えないけど。見えるの?」

 妖精はフィエブルに尋ねる。

「何か見える? 見えてる? 何が欲しいの? あ、もしかしてドレス? いや、でも似合わないと思うけど」

 妖精がそう言いながら笑った。

 フィエブルは妖精の問に答えず老婆の前に進み出た。

「あれ? もしかして怒った? 冗談だよ、冗談」

 フィエブルが甲冑を脱いで、剣と共に差し出した。

「何だい、これと何かを交換しようって?」

 老婆は受け取ると、指先で仔細に触り、そうして言った。

「何と交換する?」

 老婆は剣と鎧を大事そうに横に置いて、見えない目をフィエブルに向けて笑った。フィエブルが老婆の掌を指差す。すると緑色をした液体の入った瓶が老婆の手の中に現れた。

「誰とでも仲良くなれる薬かい?」

 老婆が瓶を差し出す。フィエブルがそれを受け取る。

「飲めばしばらく効果があるよ。階段はそこだ」

 老婆が指差した先に階段が現れた。

 フィエブルは、瓶の中の薬を飲み干してから、階段を下った。奥から何か懐かしいものが込み上げてくる。狭く、あちらこちらに蜘蛛の巣の張った階段を下りきると、そこには大きく弧を描いて湾曲した廊下があった。左右に伸びていて、右手の先には牢屋の鉄格子が見えた。そして左には龍が居た。

 人の背丈位の龍だった。

 龍は大儀そうにフィエブル達を見ると、嬉しげに笑って近づいてきた。

「どうしよう、何だか攻撃してくる訳じゃないみたいだけど」

 妖精が不安そうにフィエブルを見上げる。フィエブルはじっと龍を見つめている。

 龍が唐突に口を開く。

「久しぶり」

 そうしてフィエブルの手にある人形を見て、目を輝かせた。

「ずっと大事にしていてくれたんだ」

 フィエブルが人形を持つ手を胸に当てた。

 龍がフィエブルに擦り寄ってくる。妖精がフィエブルと龍から離れる。

 龍が言った。

「迎えに来たよ」

 龍の背後の道の先に階段が現れた。塔の出口だった。

 妖精がフィエブルの髪を引っ張った。フィエブルが振り返る。

「お別れだね」

 妖精は涙を浮かべて笑っていた。

「楽しかったよ。だから、また今度」

 フィエブルが妖精を見つめる。龍が妖精に向かって言った。

「もし良かったら」

「僕はここに残るよ。もう少し妖精のままで居る」

「そう」

 龍がフィエブルの手を引いた。

「お別れの挨拶をしましょう」

 フィエブルは龍を見上げ、そうしてまた妖精に目を戻した。

 妖精は泣きそうな顔で笑っている。

「じゃあな。また遊ぼうよ絶対」

 フィエブルは頷いて、あっさりと妖精に背を向け歩き出した。戸惑った龍は何度か妖精とフィエブルを見比べて、やがてフィエブルの後を追う。

 階段がある。フィエブルは足をかけ、上り始める。途中振り返ると、小さな妖精は大きく手を振って別れを告げていた。フィエブルはそれに小さく手を振り返して、また階段を上っていった。

 見上げると、階段の向こうには青空がある。青空は手の届かない程高い場所に塗られている。フィエブルはその淡い色で塗られた青空を見上げながら、一歩一歩階段を上っていった。


 そうして少女は青い空を見上げながら、身を起こした。少女が急に上半身を起こしたので、傍に居た姉が驚いて尋ねた。

「どうしたの?」

 少女は黙って首を横に振った。

「そう。大丈夫?」

 少女は黙って頷いた。

 草原の上に突いた少女の手に、姉が大きな手を重ねる。

「大丈夫。お姉ちゃんが傍に居るから」

 少女は黙って頷いた。

「もうお母さんは居ないから。あんなところに閉じ込めておかないから」

 姉が少女を抱き寄せた。少女はその胸に顔を埋め、目を閉じる。

「ずっとずっとお姉ちゃんが一緒に居るから」

 目を閉じながら、少女は思った。

 クリア。

 少女は目を閉じ、姉の暖かさに意識を少しずつ溶かしていった。

 ならもう一つの結末は?

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