――第95章・海獣への旅――
屋敷――
ザリアは道場で訓練に励んでいた。
オマリロが見守る中、彼女は訓練用の人形を次々と斬り裂き、力強い蹴りで首を飛ばしていく。
「こんな感じっすか、マスター?」
オマリロは背中に氷を当てたまま、椅子に座っていた。
「少女、上達している」
ザリアは動きを止め、誇らしげに笑った。
「マスター、見せたいものがあるんすよ! これ!」
彼女は姿勢を整え、槍へと黒い力を吸い込ませる。
「ジュゲン闘士――旋界槍!」
槍は高速で回転し始め、凄まじい風圧を巻き起こした。
ザリアがそれを投げると、まるでボウリング玉のように地面を転がっていく。
そのままオマリロに当たりかけ、彼女は慌てて呼び戻した。
「あっ、すみません、マスター!」
オマリロはただ椅子にもたれたまま答える。
「少女、まだ鍛錬が要る」
「へへ……まあ、そうっすよね……」
だがすぐに目を輝かせた。
「マスター、教えてくれませんか? もっと強くなりたいんす。そしたら、マスターが心配しなくて済むから!」
オマリロはコーヒーを一口飲んだ。
「槍を回せ」
槍が再び高速回転を始める。
「はい! で、このあとどうすれば――」
「ジュゲン闘士――聖刃乱撃」
無数の刃がオマリロの周囲に現れ、そのままザリアへ飛ぶ。
ザリアは咄嗟に槍を前に出し、回転による風圧でそれらを弾いた。
「うおっ! これ、防ぐのにも使えるんすか!」
オマリロは続けて弓を形成し、矢を放つ。
それすら彼女は辛うじて弾き返した。
オマリロは分身を一体作り、椅子に腰掛けたまま言う。
「打て」
ザリアは槍を投げ、分身を壁まで吹き飛ばした。
槍を呼び戻すと、オマリロは小さく頷く。
「少女の技は有用だ。うまく使え」
「はい、マスター!」
ザリアは腕をぐっと曲げて見せた。
「でも、あのロードアウトだけはまだダメっすね。全然発動しなくて。何か助言ないですか、マスター?」
「感情を鎮めろ。そうすれば、少女は求めるものに辿り着く」
「感情を鎮める……? でも、私めっちゃ落ち着いてますよ? 何がいけないんすか? そんなに緊張して見えます?」
オマリロは杖を頼りに立ち上がり、そのまま道場を出ていく。
「少女、分かりやすい答えから目を逸らしている。受け入れねばならん」
「受け入れる……?」
ザリアは首を傾げた。
「待ってください、マスター!」
二人がリビングへ入ると、そこではノノカ、レイ、リカ、ソウシンが片付けをしていた。
「子供たち、散らかしたな」
オマリロが言う。
「ごめんなさい、マスター!」
リカが謝る。
「私たちも訓練したかったんですけど、邪魔したくなくて!」
「リビング使ってたのかよ」
ザリアが笑う。
「リカ、お前ちょっと私っぽくなってきたな」
「なってないし!」
リカはソファを整えながら聞いた。
「マスター、今日はもう訓練しないんですか?」
「明日だ。背を休める」
皆が気遣うような顔を向ける。
オマリロが腰を下ろした、そのときだった。
玄関がノックされる。
オマリロの表情があからさまに険しくなる。
「ふん。徴税人か」
レイが扉を開け、不思議そうに目を瞬かせた。
「ガクトさん?」
ガクトは片手を上げた。
「よう、みんな! 嬬恋から戻る途中で、伝説のカイダンチョウに顔見せしとこうと思ってな! ついでにモンスターも片付けてきた!」
その言葉に応じるように、上からスライムが一体落ちてきたが、ガクトはヘルメットで即座に粉砕した。
「で、どうだオマリロ?」
オマリロはゆっくり立ち、杖をついて玄関へ向かう。
「ミヤマ。家が壊れた。封印も壊れた」
「封印?」
ガクトは眉をひそめた。
「待て、それって青森のやつか?」
オマリロは頷く。
「獣だ」
リカが肩を震わせた。
「ま、待って、それって先生たちが言ってた獣の……?」
「そうだ」
ガクトが答える。
「前に話しただろ、リカ。オマリロが封じた、やばい化け物の話」
「そうそう!」
ザリアが焦って口を挟む。
「ていうか、先生、その“獣”ってどれくらい強いんすか? なんで封印したんす?」
「獣は強い」
オマリロが淡々と言う。
「そして私の首を取りに来る」
「誰の首って?」
「私のだ」
生徒たちは息を呑む。
ガクトは咳払いした。
「いやいや、落ち着けって! たとえ封印が壊れてても、誰かがそいつを解放して、しかもお前を見つけて、さらに計画立てて襲ってくる必要があるんだぞ? そんな都合よく――」
その瞬間。
ドォン――!
「やっべ」
ガクトが顔を引きつらせた。
「何か来たぞ!」
全員が屋根へ飛び出す。
すると、そこには巨大な象のような怪物がいた。土と岩でできた皮膚に鎧をまとい、その背にはスライム状の存在が乗っている。
怪物の体躯は屋敷を軽々と見下ろしていた。
「ニュガワァ!」
怪物が低く響く声で吠える。
「いたか、この臆病者め! 出てきて戦え!」
「ベヒモス……」
オマリロがその名を口にする。
リカは愕然とした。
「せ、先生……あれって先生の“ペット”なんですか?」
「そうだ。だが今は不安定だ」
その背でエメラルドが姿を現す。
「妹を返せ、ニュガワ。二度は言わん」
ザリアがすぐにそいつを指差した。
「あのスライム! 先生を追ってたやつだ! ってことは、あいつがこれを解放したのか!?」
「スライムは愚かだ」
オマリロが言う。
その前へ、エメルが飛び出した。
「お兄ちゃん、待って! やめて!」
エメラルドは妹を見下ろす。
「こっちへ来い、エメル。お前はそいつのところにいるべきじゃない」
「いやだ! 私はダンジョンに戻りたくない!」
「それを決めるのはお前じゃない。だが、そこまで逆らうなら、全員殺したあとで連れ戻してやる」
「やめて!」
ベヒモスが屋敷へ突進する。
オマリロはすぐ杖を鳴らした。
「ジュゲン後備者――神々の拘束」
黄金の拘束が獣とスライムを一瞬縛り上げる。
だが、ベヒモスはすぐに引きちぎった。
ザリアがオマリロの腕にしがみつく。
「先生、どうするんすか!?」
「下がれ、子供たち。獣は危険すぎる」
オマリロは地面へ瞬間移動し、ベヒモスの前に立つ。
獣はそのまま彼を踏み潰そうとするが、オマリロは片腕でその足を受け止め、押し返した。
ベヒモスは勢いよく突進し、両足で地を打つ。
すると、雲に届くほどの山型の岩槍が地面から噴き上がった。
オマリロは掌でそれを薙ぎ倒し、そのままベヒモスへ叩き落とす。
だが、岩は獣に当たった瞬間に砕け散った。
「大地は我が領域だ」
ベヒモスが告げる。
「今回は勝てんぞ!」
咆哮とともに、無数の山が地面から突き出し、屋敷や周囲一帯を貫いていく。
オマリロは咄嗟に手を打ち、ハンを含む子供たち全員を安全な場所へ転移させた。
「何が起きてるんだ?」
ハンが問いかける。
「じっとしてろ!」
ガクトが怒鳴る。
「野生の獣が暴れてんだよ!」
ガクトは駆け出した。
「おい、止まれ!」
ベヒモスがその巨体を向ける。
「ガクト」
「覚えてるだろ? 昔、お前らの面倒見てやってたじゃねえか。飯もやった、体も洗ってやった! やめろ、こんなのやる意味ねえ!」
「死ね、愚か者」
獣が踏み潰そうとするが、ガクトはヘルメットをベヒモスの顔面へ投げつけ、一瞬だけ怯ませることに成功した。
「人間の状況は終わっている」
エメラルドが告げる。
「諦めろ。さもなくば、ここ一帯を徹底的に破壊する」
オマリロはベヒモスを湖へ叩き落とす。
だがベヒモスは平然と立ち上がり、背後に巨大な岩峰を何本も生成し、それをオマリロへ撃ち出した。
オマリロは拍手一つでそれらを消し去る。
「先生、あれ消せないんすか?」
ノノカが聞く。
「地に足がついている限り、獣は消せん」
オマリロが答える。
「じゃあ、あれって地上じゃほぼ無敵ってこと!?」
「賢い人間だ」
ベヒモスが言う。
「褒美に楽に殺してやる」
象牙でノノカを貫こうとするが、ガクトがヘルメットでその頭を弾いた。
エメラルドはオマリロに掴みかかろうとしたが、オマリロは剣でその腕を斬り落とす。
「もう十分だ」
不意にオマリロの手が上がり、黄金の光が溢れる。
「ジュゲン後備者――黄金神の真意介入」
巨大な振り子時計が出現した。
時計が鳴った瞬間、ベヒモスとエメラルドはその中へ吸い込まれる。
「やった、マスター!」
レイが歓声を上げる。
「これで終わり?」
リカが尋ねた。
「いや」
オマリロが首を振る。
「獣はすぐに破る。止めるには、獣を分離させねばならん」
「分離……?」
ガクトが目を見開く。
「まさか、空の獣と海の獣か?」
「そうだ」
ハンが時計を見つめる。
「色々置いていかれてる気がするんだけど……他の二体も、あれと同じくらい強いのか?」
「強さの方向が違うって感じだな」
ガクトが答える。
「しかも、こいつほど攻撃的じゃない。二体を集めれば、こいつを抑えられるかもしれねえ」
「どうやって探すんだ?」
ザリアが拳を握る。
「こいつとエメルの兄貴は先生を狙ってるんだろ? なら、その前に止めるしかない!」
「海獣は喜界島ダンジョン。空獣は中標津ダンジョンにいる」
オマリロが説明する。
「どちらも厳しい。攻略は容易ではない」
「なら先に海獣、レヴィアタンだな」
ガクトが提案する。
「あっちの方がまだ話が通じる」
「いい子なんですか?」
レイが聞く。
「まあ……一応“そういう何か”ではある」
オマリロは屋敷へ戻り、玄関から中へ入る。
リビングは天井と床に大穴が開いていた。
「家まで壊れた」
ガクトは頭を掻いた。
「いやあ……お前、家運だけはとことん悪いな」
「ふん」
オマリロは二階を指した。
「子供たち、荷をまとめろ。旅の準備だ」
女子たちとソウシンはすぐに装備を取りに散っていった。
ハンだけがその場に残る。
オマリロは彼を見る。
「少年もだ」
「先生……」
ハンは言い淀んだ。
「今回、俺は留守番してた方がいいんじゃないですか。家宅待機中ですし、それに……俺が行くと、また任務を台無しにするかもしれない」
彼は外の時計に目を向ける。
「あれを見張ってます。獣が出てこないように」
「いや」
オマリロは言い切った。
「少年も来る。逃げてはならん。背負うべきものから目を逸らすな」
「……本当に?」
「本当だ」
ハンは小さく息を吐いた。
「分かりました。けど、もし俺が生きて帰れなくても、驚かないでください」
「心配は不要だ」
ハンが荷物を取りに向かうと、エメルがぴょこんと現れる。
「私も行きたい! あの化け物がお兄ちゃんと組んでるなら、私も分離させたい!」
ガクトはエメルをひょいと持ち上げた。
「おお、お前のペットか? じゃあ外にいたスライムが家族ってことか」
エメルは何度もガクトを叩いた。
「下ろして! それと、そうよ! あれはムジンシャの上位の一人なんだから!」
「余計に面倒だな」
「私がお兄ちゃんに近づければ、きっとあの殺意も止められる!」
「スライムでは届かん」
オマリロが告げる。
「獣が強すぎる」
「だったら、まず獣をどうにかするまでよ!」
階段から子供たちが降りてきた。皆、カイタンシャの装いだ。
最後尾にいたハンを横目に、全員がオマリロの前へ集まる。
「準備できました、先生!」
ザリアが宣言する。
オマリロは杖を鳴らした。
一瞬で全員が消える。
外では、時計がゆっくりとひび割れ始めていた。
喜界島・日本――
彼らが降り立ったのは、スギラビーチだった。
海辺では多くの島民がのんびりと過ごしていたが、オマリロの姿を見た途端、一斉に駆け寄ってくる。
「ニュガワさん!」
「本物ですか!?」
「写真いいですか!?」
あっという間に人だかりに飲まれ、ガクトとザリアが必死に引き剥がす。
なんとか海辺の端まで出ると、オマリロの足元には砂に埋もれた奇妙なルーンがあった。
「ダンジョンゲートだ。触れろ」
リカがそっと触れる。
すると青白く光る石の門が姿を現した。
「来い。入るぞ」
見物人たちが息を呑む中、一行はそのまま門の中へ入っていく。
ゲートは背後で静かに閉じた。
???――
〈ほう……戻ってきたのね、オマリロ〉
〈侵入を確認――フロアレベル:一〉
一行が降り立ったのは、海底王国のような空間だった。
周囲にはいくつもの閉ざされた門、そして中央には封じられた大扉がある。
どこからともなく、女の声が響く。
〈まさか、あなたが再び私を目覚めさせるとは思わなかった。どうして眠りを妨げたの?〉
「陸の獣が解放された」
オマリロが告げる。
「日本に危険が及ぶ」
声はしばし沈黙した。
やがて再び響く。
〈なるほど。でも、私の力はただじゃない。まだ私を従える資格があると証明してみせなさい。そうすれば力を貸してあげる〉
オマリロが返す前に、声は途切れる。
すると近くの門のひとつが、淡い青で照らし出された。
一行がそこへ近づくと、UIが浮かび上がる。
〈フロアレベル:二。入場可能人数は三名のみ〉
ハン以外の全員がすぐ手を挙げた。
オマリロはザリアとガクトを指差す。
「来い」
「了解っす、先生!」
ザリアが即答する。
「昔を思い出すな!」
ガクトが笑う。
オマリロが門に手を触れると、そのまま中へ吸い込まれた。
ザリアとガクトも顔を見合わせて後に続く。
「大丈夫かな……」
リカが不安そうに呟く。
「大丈夫でしょ」
ノノカが言う。
「マスターにカイダンチョウ、あと一人脳筋。あれでダメならもうどうしようもない」
その時だった。
門が赤く染まる。
深紅の光が領域全体に広がり、空気そのものの色を変えていった。
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