――第83章・裏切り――
カイタンシャ本部――
レイとシノは革ジャンにスカート、ブーツという格好で、カイタンシャ本部の屋上へと降り立った。
レイはシノのほうを見た。
「シノ……本当にこれ、やって大丈夫なのかな……」
シノは近くの別の屋上へ目をやった。そこではストーンがこちらを監視している。
「大丈夫……オマリロ先生が、無理なことを任せるわけないでしょ。手早く入って、手早く出る。それだけ」
二人は近くの通気口に気づく。
シノはそれを消し去り、間髪入れず中へ飛び込んだ。レイも続く。
ダクトの中を這い進みながら、シノは髪についた埃を払った。
「レイ、ハン見た?」
レイは首を振る。
「あとで合流するって言われた!」
「だったら急いで来てもらわないとね。置いてくよ」
しばらく進んだところで、シノが急に止まった。
「よし。ここから降りる」
彼女は通気口を蹴破って下へ降りた。
レイもそれに続く。
そこは廊下だった。武装したエージェントたちが次々と通り過ぎていく。
二人はジャケットのポケットからスキーマスクを取り出し、素早く装着した。
「準備いい?」
シノが聞く。
「うん!」
レイが頷いた。
二人は身を低くして廊下を進み、部屋の表示を一つずつ確認していく。
「武器庫……メンテナンス……トイレ……倉庫……あった。資料保管室」
だが、その前には警備が巡回していた。
シノとレイは慌てて近くの物置へ身を隠す。
「どうやって入るの?」
レイが小声で問う。
シノは脇にあった清掃員の制服へ目を向けた。
「ちょっとした変装で。あんた、馴染める?」
「がんばる!」
数分後。
二人は清掃員の制服に着替え、箒を持って警備の前へ現れた。
レイは愛想よく手を振る。
「こんにちはー! 入ってもいいですか?」
「何の用だ?」
警備の一人が怪訝そうに聞く。
「えっと、その……」
シノが手を上げた。
「局長に言われたの。資料室の掃除。ファイルに変な汚れが入らないように、ってね」
警備たちは顔を見合わせた。
「そんな話は聞いてないぞ」
「そりゃあそうでしょ」
シノは鼻で笑う。
「あんたたちはエージェントで、清掃係じゃないんだから」
「何だと?」
「だから、あんたらの仕事じゃないってこと。で、入れてくれるの? くれないの? こっちは暇じゃないんだけど」
警備たちはしぶしぶ脇へどいた。
レイとシノはそのまま部屋の中へ入る。
室内には大量のファイルが整然と並んでいた。
シノは棚を見回す。
「で、何探すんだっけ?」
「ダンジョンファイル!」
「そうだった。じゃ、あたし右。レイは左」
「うん!」
二人は手分けして探し始めた。
廊下のほうで物音がするたびに、二人はびくりと肩を震わせる。
やがてレイが一冊のファイルを手に取った。題名は黒塗りされている。
「シノ、これかな?」
シノはそれを受け取り、中をぱらぱらとめくる。
「違う。ジュゲン関連の情報だ」
そのとき、シノは遠くの棚の上の箱に入ったファイルを見つけた。
「……あれだ。レイ、持ち上げて!」
レイがしゃがみ、シノを持ち上げる。
シノは箱を取って中身を確認した。
「……あった。これだ! さっさと出るよ!」
その瞬間、警報が鳴り響いた。
箱に罠が仕掛けられていたのだと、シノは即座に悟る。
「……クソ」
〈警報。警報。資料室への侵入者を検知〉
「走れ!」
警備が扉を蹴破るように入ってくる。
レイとシノは清掃員の制服を脱ぎ捨て、そのまま全力で駆け出した。
廊下を駆け抜け、追ってくるエージェントたちをかわす。
シノは上を指した。
「ダクト!」
二人は壁を蹴って跳び上がり、通気口へよじ登る。
下から警備の手が足を掴もうと伸びてきた。
「くっ……屋上で合流する!」
二人はダクトの中を急いで進む。
警報音はますます大きくなっていく。
ようやく出口へ辿り着き、屋上へ這い出たそのとき――
そこにはすでに武装した警備隊が待ち構えていた。
「止まれ!」
二人が振り返ると、屋上の縁に立つ一人の人影が見えた。
「ハン!」
二人は駆け寄る。
だが、振り向いた彼の姿を見て、思わず足を止めた。
「……ハン?」
髪は以前よりずっと長く乱れ、目元には紫の傷痕が走っている。
ハンは手を差し出した。声もどこか冷たく、威圧的だった。
「ファイルを渡せ」
シノはとっさにそれを差し出し、振り返る。
「ハン、追ってきてる! 逃げ道を――」
「ご苦労」
ハンはそのままワイヤーを撃ち、ストーンのいるビルへ向かって飛び移った。
二人は置き去りだった。
「……待って、ハン!」
その頃にはもう、二人は警備に完全包囲されていた。
ハンはストーンにファイルを渡す。
「これだ」
ストーンは、連行されていくレイとシノを見ながら顎を撫でた。
「ほう。仲間をあっさり見捨てるとはな」
「あいつらは二重スパイだ」
ハンは淡々と言った。
「隙を与えたら、すぐにニユガワへ全部流す」
ストーンは満足そうに頷く。
「お前にそこまでの度胸があるとはな。マスターを裏切るとは、大したもんだ」
「彼は俺のマスターじゃない」
ハンは目を細める。
「俺が俺のマスターだ」
少し前――
シンカイダン邸――
ハンは屋敷の裏壁にもたれながら待っていた。
そこへオマリロが現れる。
「……来てくれてありがとうございます、先生」
「男、助けが要る」
ハンは手に持っていた小瓶を見せた。
「ええ。ドッコウ団が何か企んでる気がするんです。でも、俺たちを完全には信用してない。もしアビスを使って襲ってきたらって思って」
「アビスは危険。容器も危険。男がそれを持つには理由がある。何だ」
「……もっと内部へ食い込むべきか、聞きたかったんです」
ハンは少し俯いた。
「連中の上まで登って、中から壊したほうがいいんじゃないかって。でも、それをやるなら、あの子たちとは縁を切らないといけない。俺、どうすれば――」
「男は重いものを背負う」
オマリロは静かに言った。
「これをやれば、女たちの信頼は戻らぬかもしれん」
ハンは大きく息を吸う。
「……それでも、先生の信頼は残りますか?」
オマリロは彼の頭を軽く叩いた。
「残る」
「……それで十分です」
ハンは言った。
「これをやれるのは俺だけだと思うんで。せめて、今までの埋め合わせにします」
オマリロはその場から消えた。
ハンは小瓶を見つめ、そして中身を一気に飲み干した。
現在――
ストーンはハンを連れてホテルへ戻る。
そこではザンが拍手しながら待っていた。
「よくやった、ハン」
ザンは満足げに言う。
「裏切り者を暴き、ファイルも回収した。カゴシマでアビスを拒んだ時は失望したが……ようやく自分の進む道を理解したようだな」
「ええ」
ハンは頷く。
「もっと力が欲しい」
彼はファイルをザンに渡した。
「ならば望み通りにしてやる」
ザンは笑う。
「来い。大事な方に会わせる」
ハンはザンに続いて個室へ入った。
そこには灰色の髪の女が静かに瞑想していた。体には点滴がいくつも繋がっている。
「ナース……?」
ハンは内心で身構えた。
「どうしてこいつがここに……いや、今は任務だ。先生のために、絶対にやり遂げる」
「第六の御方」
ザンは恭しく頭を下げる。
「あなたの愛し子をお連れしました」
ミレイはゆっくり目を開けた。
「ハン……」
「ナース様」
ハンは応じる。
「この姿を見て、笑いに来たの?」
ミレイは問うた。
「いいえ。そんなつもりはありません」
ハンは首を振る。
「俺はドッコウ団に加わるために来ました」
「本当に?」
ミレイの声が少しだけ柔らかくなる。
「何が心変わりを起こしたの?」
「もっと力が必要だと理解しました。ニユガワは秘密主義すぎるし、距離がある。あの人からじゃ得られないものがあります」
「ああ……ようやく目が覚めたのね」
ミレイは満足そうに微笑んだ。
「いいわ。ザン、連れて来て」
ミレイは立ち上がる。
点滴の管が外れ、砕け散った。
足取りは重く、わずかに引きずるようだった。
ザンが後ろにつき、三人は廊下を進む。
「今だ……情報を引き出せ」
ハンは内心で自分に言い聞かせた。
「弱点や正体を掴めれば、先生なら必ず仕留められる」
咳払いして口を開く。
「……ヘラルド様」
「何かしら、愛しい子」
「どうして、そんな状態なんですか」
ハンは探るように聞く。
「外を自由に歩けないまま、ここに隠れてる理由は」
ミレイは足を止めた。
ザンが二人を見る。
「いい質問ね」
ミレイは静かに振り返った。
「あなた、本当に私たちの一員になるつもり? ヘラルドに」
「その可能性はあります」
ミレイの灰色の瞳が妖しく光る。
「堕落は、私の存在そのものを侵食しているの。私たちは、もうそれなしでは生きられない」
彼女は自分の胸に手を当てた。
「だから、十分なアビスの力に繋がれていないと、私は外を歩けない」
「じゃあ、俺に取り憑く前はどこにいたんです?」
「アビス・ダンジョン」
ミレイは答える。
「私たちの故郷」
その声に怒りが混じる。
「マスターが私たちを……私を見捨てて、何十年も腐らせた場所よ!」
灰色の力が弾け、一枚の壁が消し飛んだ。
ザンが片手を差し出す。
「落ち着け、我らがヘラルド」
「黙って。平気よ」
やがて三人は中央制御室のような場所へ辿り着いた。
ミレイは再び点滴を体へ差し込む。
ハンはその制御卓に、日本各地の監視映像が映っていることに気づく。
その中には福岡もあった。
「ハン、あなたに大事な任務を与えるわ」
ミレイが言う。
「私たちはアビスの力で強くなった。けれど、その本当の起源ではない」
「……どういう意味ですか?」
「私たちの真の可能性を解放するには、まだマスターが必要なの」
ミレイはモニターに映るオマリロを睨む。
「だから、あの人の生徒たちを全員始末してほしい。戻る場所を一つに絞るために」
ハンは黙って聞く。
ミレイはさらに続けた。
「女どもが問題になるわね。あの少年なら操れそうだけど」
彼女は言う。
「連れてこられる?」
「ソウシンですか。可能です」
「いい子ね」
ミレイは頷く。
「でもその前に、ザリアを処理して。あの子の力はうちにとって大きな脅威よ。何であれ、あれは異常だわ」
ハンは短く頷く。
「分かりました、ナース様」
福岡――
その頃、ザリアはモールの化粧室で、リカに髪を整えてもらっていた。
「リカ、それほんとに必要か?」
「ガラに出るなら可愛くしときたいでしょ?」
リカは当然のように言う。
「別に、そんなパーティーのために可愛くなる必要ないし」
リカは首を傾げた。
「じゃあ、先生のためなら?」
途端にザリアの顔つきが変わる。
「……分かった。時間かけていい。むしろじっくり頼む」
「ふふ。そう言うと思った」
少し後――
ザリアはガラ用の服を選んでいた。
「さてと。どんな女っぽいの着りゃいいんだ……?」
ノノカが一着の紫のドレスを持ち上げた。
「これとかどう? 殺傷力高そうじゃない?」
「殺傷力って表現はどうなんだよ……」
ソウシンは服の列の中を走り回りながら、あちこち覗き込んでいた。
「おおっ! これなに?」
リカは慌てて彼を引っ張る。
「それはダメ! ソウシンにはまだ早い!」
「あ、そっか!」
ソウシンが店を出た直後。
一本のワイヤーが彼の腕に絡みつき、そのまま角の向こうへ引きずっていった。
そこで待っていたのは、涙を浮かべたハンだった。
「ハン兄?」
「ソウシン、よく聞け」
「なんで泣いてるの?」
「これから俺、いろいろやる」
ハンは震える声で言う。
「たぶん、すごく悪く見える。あの子たちにも嫌われるかもしれない。でも、お前は話を合わせろ。いいな?」
「何言ってるの、ハン兄?」
「ナースがドッコウ団を使ってオマリロ先生を捕まえようとしてる」
ハンは早口で続けた。
「それを止めなきゃいけない。だから、みんなには気づかれないようにしてくれ」
「レイとシノは?」
店から出てくる女子たちの気配が近づく。
ハンは慌てて後ろへ下がった。
「とにかく時間を稼げ! 怪しまれるな!」
彼はそのまま姿を消した。
ちょうどその時、リカたちが追いつく。
「ソウシン、大丈夫?」
リカが肩に手を置く。
「うん!」
近くには、相変わらず静かな顔をしたオマリロが立っていた。
「あ、先生だ!」
リカが明るく言う。
「準備できたって言わなきゃ!」
子供たちはオマリロのもとへ集まる。
オマリロは一人ひとりを見る。
「子供、準備できた」
「うん!」
ザリアが頷く。
「で、このガラってどこでやるんだ?」
オマリロが杖を軽く鳴らす。
瞬間、一行は大勢の人が並ぶ会場前へ移動していた。
人々はオマリロに気づいた途端、押し寄せる。
「オマリロ・ニュガワだ!」
「本物だ!」
「サインをお願いします!」
オマリロは杖を鳴らし、群衆を強制的に下がらせた。
入口の案内係が彼に気づき、深く頭を下げる。
「ニュガワ様ですね。お待ちしておりました。もしお越しになった場合はVIP対応を、と伺っております」
彼は子供たちを見た。
「皆さまもご一緒ですね?」
オマリロは頷く。
「どうぞ、お入りください」
一行は中へ通される。
そこは大きな舞踏会場のような空間だった。
テーブル、バー、ダンスフロア、ミラーボール、中央のステージ、DJブース。
人々は笑い、踊り、シャンパンを傾けている。
「う、うわぁ……!」
リカが目を輝かせた。
「天国だ……!」
「落ち着きなさい、パーティー女」
ノノカが鼻で笑う。
「そこまででもないでしょ」
バーテンダーがオマリロに気づき、ワインボトルを掲げて近づく。
「なんと、ニュガワ様! ちょうど新作を作ったところなんです。ぜひ――」
オマリロはそのボトルを杖で弾き飛ばした。
ワインは壁にぶつかって砕け散る。
「一体、誰がこんなの仕切ってるんだ?」
ザリアが辺りを見回す。
「やたら金かかってそうだけど」
そのとき、DJが曲を止めてマイクを握った。
「みんな、少しだけ中断だ! 本日の主催者から挨拶がある!」
「主催者?」
リカが首を傾げる。
次の瞬間、ステージへ現れた人物を見て、子供たちは息を呑んだ。
「……うそでしょ」
ザリアが目を見開く。
紫髪の少女がマイクを受け取り、観客へ向けて微笑んだ。
「皆さま、本日はありがとうございます」
その正体はミズキだった。
「私の名は西園寺ミズキ。元カイダンチョウです」
彼女は静かに会場を見渡す。
「そして今日は、カイタンシャという組織は終わるべきだ――」
その視線がオマリロを捉える。
一瞬だけ目を見開きながらも、ミズキは言葉を続けた。
「――完全に終わるべきだと、ここに宣言します」
―――




