――第80章・ジャスティス――
地下室――
オマリロが一歩前に出ると、部屋全体がしんと静まり返った。
その鋭い視線は、カナとカオルを真っ直ぐに射抜いている。
「ま、待ってください、先生!」
カオルが慌てて声を上げる。
「そうです!」
カナも続けた。
「どうか、まずは説明させてください!」
オマリロは立ち止まり、杖の先を床につけた。
「分かりやすく話せ、女」
カナとカオルは顔を見合わせ、やがてカオルが一歩前へ出た。
「……分かりました」
六年前――
幼いカオルは庭先で、枯れた花に触れていた。
すると花は少しずつ形を取り戻し、真っ直ぐに立ち直っていく。
「うーん……」
カオルは自分の手を見つめる。
「ジュゲンは前より上手くなってるけど……第二スキルが欲しいなあ!」
その時、一匹の蜂が近くを飛んだ。
カオルはぱっと手を伸ばす。
「ジュゲン回生者・神経封じ!」
蜂はその場でぴたりと止まり、そのまま地面へ落ちた。
カオルはしゃがみ込み、それを覗き込む。
「まだ生きてる……。今は神経を止めるだけ。もっとすごいのを覚えたい。カイダンチョウになるために!」
そこへカズキがやって来た。
長い前髪が目にかかっている。
「ああ、妹か。何してんだ?」
「お兄ちゃん!」
カオルは振り向く。
「ちゃんとジュゲン使えるように練習してるの。なんで?」
「カイタンシャになりたいんだな」
カオルは頷いた。
「だったら、俺が手伝ってやる」
「ほんとに?」
「ああ」
カズキは笑う。
「その代わり、俺の言うことを全部聞け」
カオルはすぐに立ち上がった。
「うん。信じる!」
そのまま彼について家の中へ入り、カズキの部屋までついていく。
けれど、カオルが何が起きるのか理解する前に、カズキは扉に鍵をかけた。
「……え?」
カオルは固まる。
「お兄ちゃん、なに――」
カズキは彼女の肩に手を置いた。
カオルの身体が小さく震える。
「大丈夫だ、妹。全部うまくいく」
その日の後――
カオルはリビングで泣いていた。
そこへカナがやって来る。片目には冷やした布が当てられていた。
「カオル、大丈夫……?」
「大丈夫なわけないよ……! カズキが……あいつが……」
カナはそのままカオルを抱きしめた。
カオルは堰を切ったように泣き崩れる。
「しー……分かってる」
カオルは涙目のまま、カナの顔を見る。
そこには泣いた痕が残っていた。
「まさか……お姉ちゃんも……?」
「もっとひどい」
カナは震える声で答えた。
「もう何週間も前から続いてる」
数か月後――
カオルはカズキを避けるようになっていた。
彼がキッチンにいれば這うように通り抜け、近くを通る気配がしただけで部屋に鍵をかける。
「お願いだから……」
カオルは布団の中で震える。
「もう終わってよ……!」
カズキがいない時を見計らって、カナと一緒に家を出ようとしたこともあった。
だが、そのたびに捕まり、二人は少しずつ、確実に追い詰められていった。
四年後――
十七歳になったカオルは、ニュースで流れるオマリロの過去映像を見つめていた。
画面には大きく見出しが映る。
『伝説は再び戻るのか?』
カオルはぬいぐるみを抱きしめながら涙を拭う。
「……オマリロ先生がいてくれたらな。こんなの、簡単に終わらせてくれるのに。私はまだ見習いのカイタンシャで……でも先生なら……」
その時、扉がノックされた。
カズキだ。
「何の用?」
「お前に客だ」
「嫌。どうせまた騙すつもりでしょ。私たちはもう家族じゃない」
すると、母の声がした。
「本当よ、カオル! ハヤテ局長さんが来てるの!」
カオルは少しためらった末に鍵を開け、部屋を出る。
そしてカズキから十分距離を取ったまま玄関へ向かった。
扉を開けると、ハヤテが立っていた。
「局長……?」
「ああ、カオル」
ハヤテは静かに言う。
「最近はどうしてる?」
カオルは無理に明るい笑顔を作った。
「元気です! 局長こそどうしたんですか?」
「……悲しい知らせがある」
ハヤテは続ける。
「君のカイダンチョウ、ミミが前回のダンジョン攻略で命を落とした」
カオルは息を呑んだ。
「……え?」
「そうだ。仲間たちは君を次のカイダンチョウに推したがっている。そして、彼女は君にこれを残していた」
ハヤテは一通の手紙を差し出した。
カオルは震える手でそれを開く。
『カオルへ。これを直接渡せないことを心から詫びます。もし私に何かあったなら、コウカイダンをあなたに託したい。あなたの才能と優しさは、この組織の未来に必要です。どうか受け取ってください』
読み終えた瞬間、カオルの目から涙がこぼれた。
「本当に……死んじゃったの……?」
ハヤテは黙って頷く。
「すまない。考える時間は与えよう」
そう言って彼は去っていった。
残されたカオルは、母の方を向く。
「お母さん、話がある」
「もちろんよ」
二人はソファに座る。
カオルは声を潜めた。
「……私、受ける」
「本当に?」
母は驚く。
「でもカイダンチョウなんて危険すぎるわ!」
「それでも」
カオルは唇を噛んだ。
「もうここにはいられない。もう耐えられないの」
「どういうこと?」
母が首をかしげる。
「カズキだよ」
カオルは絞り出すように言った。
「お姉ちゃんと私に、何年も、毎日、あんなことして……ひどいことばっかりして……。ここにいたくない」
母の目が大きく見開かれる。
「まさか……あの子……」
「そうだよ。あいつは怪物だよ、お母さん」
母は立ち上がった。
「今すぐあの子を家から追い出す! 大丈夫、カオル! もう続けさせない!」
「無理だよ、お母さん」
カオルは首を振る。
「あいつ、絶対にまた何かする」
その後、カオルは自室へ戻り、再びオマリロの映像を見つめていた。
「でも、あなたなら……。あなたなら止められる。伝説で……世界最強のヒーローなんだから」
画面の中のオマリロを見つめるうちに、彼女の頬が少し赤くなる。
その時、不意にカズキが肩へ手を置いた。
「なあ、妹。今日はテレビもう終わりにしようぜ」
「触るな!」
「落ち着けよ。別に痛いことはしねえ。ただ今日は仕事で疲れててさ……」
カズキは背中をなでる。
「今夜、お前とゆっくりしたいんだよ」
カオルの目が光った。
「……だから触るなって言ったでしょ!」
彼女はカズキを蹴り飛ばした。
「もうあんたにはうんざりなの! 今日で終わり!」
カズキは指を鳴らし、笑った。
体が膨れ上がり、全身筋肉だるまのような姿へ変わる。
「バカな妹だ。家の中で一番強いジュゲン使いが誰か、忘れたのか?」
「もう違う」
「ジュゲン変性者・セイスミックシフト!」
完全に変身を終えると、カズキは突進し、カオルを壁へ叩きつけた。
「どうやって俺を止めるつもりだ? 手で触れなきゃ麻痺させられねえだろ?」
「私、もう一つあるんだよ、このクソ野郎!」
カオルは叫ぶ。
「ジュゲン回生者・無力化調整!」
カズキの身体が激しく揺れ始めた。
彼は目を押さえる。
「な、何しやがった――」
カオルはその隙に身体を回し込み、脚でカズキを壁へ叩きつける。
そして、倒れた彼へ手を伸ばした。
「ジュゲン回生者・神経封じ!」
カズキの身体が崩れ落ちる。
なおも目を押さえながら、苦しそうに呻いた。
「何をした……?」
「第二スキルだよ。身体機能を狂わせるの。今回は目。それから神経を止めた。もう二度と誰も傷つけられないようにする」
そこへカナが入ってきた。
骨の棘が現れ、カズキの腕と脚を床に縫い付ける。
「私もやる」
カナは言った。
「カナ!? なんでここに――」
「妹を助けるため」
カナは睨み返す。
「怪物を閉じ込めるため」
カオルとカナは傷ついた男を見下ろし、それから視線を交わした。
「……でも、殺すのはダメだよね」
カオルが言う。
「それじゃ新しいカイダンチョウ就任が台無しになる」
「なら、誰にも見つからない場所へ閉じ込めよう」
カナは即座に答えた。
「お父さんとお母さんも事情は知ってる。死んだことにすればいい」
「……それでいこう」
その夜、二人はカズキを引きずって家を出た。
人目を避けて物置へ向かい、その地下へと運び込む。
数週間後――
カオルは壇上に立っていた。
ハヤテが大勢の前で彼女を紹介する。
そこにはアツシ、ユカ、コウイチ、ガクトの姿もあった。
「新たなカイダンチョウを紹介しよう。月島カオルだ!」
カオルは可愛らしく手を振る。
観衆は歓声を上げた。
「頼りなさそうだな」
アツシがぼそっと言う。
「脆そうに見える者ほど、伸びるものよ」
ユカが返した。
「オマリロも引退前はそう見えた。それでも、私たち全員に格の差を教えた」
「あの子、いいじゃねえか!」
ガクトが豪快に笑う。
「すげえ似合ってるぞ!」
「ふん」
コウイチはそっぽを向く。
カオルは歓声を浴びながら、群衆の中に兄によく似た顔を見た気がして、一瞬だけ硬直した。
「違う……」
彼女は心の中で言い聞かせる。
「ここにはいない。もう私を傷つけられない。ここからが新しい始まりなんだから……」
「……誰にも知られちゃいけない」
現在――
カオルとカナは、涙目のままオマリロを見つめていた。
「ほら、先生……!」
カオルが訴える。
「私たち、好きでこんなことしたわけじゃないんです!」
カナもカズキを指差す。
「全部こいつのせいなんです!」
「大げさなんだよ、お前らは」
カズキは鼻で笑う。
「何でも深刻にしすぎだ」
二人が飛びかかろうとした瞬間、オマリロが杖を軽く打ち鳴らした。
それだけで二人の動きが止まる。
「違う。正しい道ではない」
「……え?」
カオルが固まる。
「先生、まさか……こいつを逃がすんですか?」
「この男をここへ閉じ込め続けることはできない」
オマリロは淡々と言う。
「女たちは、一つの罪を別の罪と交換しただけだ」
「事情はまだ全部分かってないけど」
ハンが口を挟む。
「先生の言う通りだと思います。こういうのは法が扱うべきで――」
「ダメよ!」
カナが叫んだ。
「法なんて何もしてくれない! あいつの力が怖いからって、また野放しにするだけ!」
オマリロは二人を見た。
視線を受けたカナとカオルの肩が震える。
「男は私が処理する。女たちは止まれ」
カナはなおも食い下がろうとしたが、カオルがその袖を引いた。
「……もう、先生の言う通りにしよう」
「でも――」
「カナ」
カナは唇を噛み、俯いた。
「……分かった。先生に任せる」
オマリロはカズキを掴む。
当の本人は笑っていた。
「ははっ。伝説に直々に連行されるとか、むしろ勝ちじゃねえか。人生って最高だな」
オマリロとカズキはその場から消えた。
残されたカナとカオルは互いにしがみついて泣き出す。
ハン、ソウシン、エメルはその様子を見守っていた。
「お友達、助けた方がいい?」
ソウシンが首をかしげる。
「これは……たぶん、先生にしか片づけられないことだ」
ハンが答えた。
「まあ、こっちを誘拐したのは事実だしな」
「食べたい」
エメルがぶつぶつ言う。
「でもミスター・オマリロがダメって言うんだもん!」
その場でぴょんぴょん跳ねながら、頬を膨らませる。
やがてオマリロが戻ってきた。
相変わらず表情は変わらない。
「……どこへやったんですか?」
カオルが震える声で尋ねる。
「男はハントレスと同じ牢へ入れた」
オマリロは答える。
「法の裁きを受ける。女たちは……」
二人はさらにぎゅっと抱き合った。
「待ってください、先生!」
カナが叫ぶ。
「私たちも同じようにされるんですか?」
「怖くて、怒ってて、どうしようもなかったんです!」
カオルも必死に言う。
「間違えました、すみません! もう二度と嘘はつきません!」
オマリロはしばらく二人を見つめ、それから杖を床に打った。
「立て」
二人はおそるおそる立ち上がる。
「女たちは過ちを犯した。償わねばならない。だが、今日は罰しない」
二人は目を見開いた。
「……本当ですか?」
オマリロはカナへ杖先を向けた。
「姉を手伝え。カイタンシャになれ。人を救え」
それからカオルへ視線を移す。
「お前。街はお前を必要としている。辞めるのは弱さだ」
オマリロはカオルの肩に手を置いた。
「女は弱くない。罪の償いは、価値を示すことで果たせ」
二人は互いの顔を見、それから勢いよくオマリロへ抱きついた。
「ありがとうございます、先生!」
カオルは涙を拭いながら一歩下がる。
「戻るつもりはなかったです。でも、先生がそう言うなら戻ります。だけど……あれだけの死を出した私に、どうやって街と向き合えって言うんですか?」
「死の責任はお前ではない」
オマリロは言う。
「コハクの罪だ。カオルの罪ではない。お前は、自分にできることをやれ」
そして軽く頭に手を置いた。
「できぬことではなく」
カオルはしばらくその顔を見つめる。
目にはきらきらとした光が宿っていた。
「……はい、先生。信じます」
その頃――
ザリアたちはゼクに案内され、地下鉄へ足を踏み入れていた。
そこでは複数のモンスターたちが人間の死体をむさぼっている。
「うっ……」
ノノカが顔をしかめる。
「吐きそう」
「こんなに……」
ザリアは歯を食いしばった。
「こいつら、絶対に許さない」
その中央では、一体の巨大なスライムが死体の山を食っていた。
「もっとだ! もっと持ってこい!」
そいつは吠える。
「ニュガワを倒して妹を救うには、もっと力が要る!」
「ミスター・オマリロを狙ってるの!?」
レイが不安そうに言う。
「止めないと!」
「そのために来たんだろ」
ザリアが前へ出た。
「行くぞ!」
ゼクはその様子を見て肩を揺らし、笑った。
「相変わらず無鉄砲だな。まあ、そうでなくちゃ面白くねえか」
スライムはさらに死体を飲み込み終えると、近づいてくる少女たちに気づく。
やがてより人型に近い姿へ変わった。
「カイタンシャか。どこから湧いた?」
「そんなの答える義理ないわね」
ノノカが鼻で笑う。
「ていうか、お前誰だよ」
ザリアが問いかける。
スライムは死体の山を踏み越え、彼女たちの前に立つ。
「俺か?」
首を鳴らしながら答えた。
「エメラルド。ムジンシャ・エリートの上位だ」
少女たちの顔色が変わる。
エメラルドは身体のまわりに濃い緑の粘液装甲を形成した。
「ニュガワの居場所を言え。そうすれば命だけは見逃してやる」
「断る!」
ザリアが即答する。
エメラルドは視線を巡らせた。
「全員、同じ意見か?」
四人は揃って頷いた。
エメラルドはゆっくり首を傾ける。
「そうか。勇気はある」
その手に、粘液でできた巨大なメイスが形成される。
「だが、愚かだ」
次の瞬間、メイスが床を叩きつける。
地下鉄全体が崩れ始め、ゼクは素早く退避した。
轟音が地下を満たす。
BOOM.
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