――第73章・友達のハン――
フロア10000――
コハクはオマリロを見つめ、口の端を大きく吊り上げた。
「やっと来たわね、私の旦那様! ようやくその力を見せてくれるのね!」
「少年を返せ」
オマリロが静かに告げると、コハクは狂気じみた笑い声を上げた。
「へえ? 言いたいことはそれだけ? いいことを教えてあげる、オマリロ。あなたは私と戦うの。そして、全力でね。分かる?」
「ふむ」
「頭上を見なさい」
オマリロが視線を上げると、UIが浮かんでいた。
〈規則:この部屋の《捕食者》は倒せない。〉
リカの目が見開かれる。
「だから勝てないんだ……! この部屋の“捕食者”があいつってこと……!」
そのとき、コハクの肉体がいったん人型へ戻り、瞳が妖しく輝いた。
「さあ、始めましょうか」
「女は処理する」
次の瞬間、コハクの身体がふわりと浮かび上がり、全身が緑色の光に包まれる。
「ジュゲン変性者――捕食者の母!」
長い髪は波のようにうねり、そこから不気味な気配があふれ出す。
コハクが手をかざすと、無数の獅子が一斉に飛び出し、オマリロへ襲いかかった。
「ジュゲン滅者――オブリテレイト」
オマリロが手を打ち鳴らした瞬間、獅子たちはすべて消し飛んだ。
ついでにコハクの両腕も吹き飛ぶ。
「……今の一撃、本気なら私は消し飛んでた」
コハクは目を細める。
「それでも手加減するのね。なら、もう遠慮はいらないわ!」
コハクは一瞬でオマリロの目前へ移動し、腕をガードする彼を高速で打ち続ける。
オマリロは冷静に後退しながら受け流した。
コハクの髪から緑の蛇が何本も飛び出し、オマリロへ噛みつこうとする。
だがオマリロは剣を一閃し、それらをまとめて断ち切った。
「立ちなさい、私のペットたち! 立ちなさい!」
床を突き破って、三体の巨大な虎が現れる。
コハクがオマリロを蹴り飛ばすと、虎たちが一斉に突進した。
「ジュゲン闘士――聖刃乱撃!」
無数の刃が虎の頭部へ叩き込まれる。
だが虎たちはそれを弾き返し、上空のコハクが指を向ける。
「行きなさい!」
一体の虎が恐ろしい速度で駆け、オマリロを壁ごと突き破った。
コハクと残りの虎も、迷いなくその後を追う。
ザリアはふらつきながら立ち上がった。
「行くぞ! 助けなきゃ!」
だが全員が動き出そうとした瞬間、ワイヤーが絡みつき、彼女たちを宙吊りにした。
「ハン!」とリカが叫ぶ。
「お願い、離して!」
返事はない。
ザリアは拘束を引きちぎろうとするが、びくともしない。
「ハン、何してんだよ! ミスター・オマリロが来たんだぞ! みんないるんだ! 目を覚ませ!」
ハンは一瞬だけ彼女を見た。
そして――
全員を天井から落とし、そのままコハクたちのいる方へ引きずっていった。
「ちょ、ちょっと待って!」とシノが叫ぶ。
彼らが引きずられた先は、壁の向こうに広がる巨大な闘技場のような空間だった。
中央では、コハクとオマリロが激しくぶつかり合っている。
オマリロはコハクの猛攻をすべてかわし、虎たちも紙一重で外していく。
するとコハクは残りの虎を自分の身体へ吸収し、全身を巨大な虎のアバターが覆った。
「もっと! もっとよ! 私はもっと欲しいの! 私の隣に立つ資格が欲しいなら、証明しなさい! でなきゃ殺すわ!」
彼女が腕を振るうと、巨大な爪撃が部屋中を乱れ飛ぶ。
そのうちの一つが、オマリロの肩をかすめた。
さらに爪撃が襲いかかるが、オマリロは足元を鳴らし、一瞬で消えてコハクの背後へ回る。
「遅い」
コハクは振り向きざまに拳を振るう。
オマリロは肘でそれを受け、地面へ着地した。
コハクが身を翻した直後、オマリロは剣で斬りかかる。
だがコハクの胸から虎の上半身が突き出し、そのまま剣を噛み砕いた。
「あなたのこと、すごく買ってたのに。まさか見込み違いだったなんて言わないでよ?」
虎がそのまま食らいつこうとするが、オマリロは手を打ち鳴らして消し飛ばす。
コハクが再び手を上げると、今度は鷲が生まれ、そのまま彼女の身体へ融合した。
巨大な翼と鋭い爪が現れる。
「ハン、我が子よ」
コハクが命じる。
「もうそいつらは離していいわ」
「はい、ハントレス」
ハンはルーキーたちを闘技場の中央へ放り投げ、自分はコハクの隣へ立つ。
コハクはハンの頭を撫でた。
「よし。じゃあ次は、お前の力を借りるわ。お前の師匠が本気を見せないなら、無理やり引きずり出してあげる」
コハクの視線がオマリロとルーキーたちの間を行き来する。
「ふふ。全員を守りながら戦えるかしら?」
「ふむ」
「試してみましょう。ハン!」
ハンがワイヤーを壁へ打ち込み、壁そのものを引き倒した。
オマリロは片手でそれを砕き、生徒たちを守る。
ザリアがオマリロのもとへ駆け寄った。
「先生、どうする!?」
「少年は壊れている。女から引き離す」
オマリロはハンへ手を向ける。
「ジュゲン操運者――念動転送!」
ハンの身体が前へ引かれ始める。
だがその瞬間、コハクの爪撃が割り込み、オマリロの集中を乱した。
ハンはその場へ落ちる。
「だーめ。あの子は私のもの!」
コハクはオマリロへ飛びかかる。
オマリロは片手で彼女を吹き飛ばした。
「少年を拘束しろ」
オマリロが命じる。
「女は私が処理する」
コハクはすぐに立て直し、オマリロへ激しい連撃を浴びせ始める。
一方で、ザリアはハンと正面から向き合った。
「ハン、あたしを見ろ。覚えてるよな?」
ハンはじっと彼女を見つめた。
「ザリア……ザリア……」
リカも駆け寄る。
「私も分かるよね!? ハン、私だよ!」
「リカ……」
「やっぱり覚えてる! そのまま、ハン! 落ち着いて、呼吸して!」
ハンの視線は全員を順になぞる。
だが次の瞬間、手首の装置を向けた。
「全員……死ね」
電撃のゲートが飛来し、全員を感電させたうえで床へ押さえつける。
「最悪! 今の流れで戻らないの!?」とノノカが唸る。
「フレンド・ハン、どうしちゃったの?」とソーシンが首を傾げる。
「ハンはもう自分じゃない」
ザリアが歯を食いしばる。
「アビスの何かが入り込んでる!」
ノノカがぴたりと止まる。
「アビス?」
「そうだよ……! あの島で話してた感じとか、最近の様子とか、変だと思ってたけど……ここまでとは思わなかった!」
「それは後だ!」
リカが叫ぶ。
「友達を助けるのが先! 触れれば、何とかできるかもしれない!」
ザリアはゲートを蹴り飛ばした。
「危ないって分かんないのか!? まずは落ち着かせないと!」
ソーシンが手を挙げる。
「それなら僕、できるかも!」
彼は一気にハンへ近づいた。
「フレンド・ハン! 僕だよ、ソーシン! ゲームする?」
「そうだな」
ハンは答える。
「お前ら全員を殺すゲームだ」
レイは即座にソーシンを月光の盾で包む。
だがハンはワイヤーの一撃でその盾を砕き、レイごと吹き飛ばした。
「……もういい」
ノノカが吐き捨てる。
「作戦B。捕まえる」
「うわ、最終手段だ……」
ザリアはため息をつく。
「ごめんな、ハン。でも好きなのは変わんねえから!」
ザリアが刃を投げる。
ハンはワイヤーで絡め取り、そのまま投げ返した。
ザリアは飛びのいて避ける。
「何だよこれ……! ハン、こんな戦い方じゃなかっただろ!」
「多分、あの黒い力のせい」
ノノカが分析する。
「人格ごと作り変えられてるみたいなもんね」
レイが月光弾を放つ。
「ごめんね、ハン! でもなるべく優しくやるから!」
ハンは自分の周囲へ檻を形成し、月光弾を弾き返した。
弾は別の壁へ激突する。
シノがベクトルで檻を消し飛ばす。
するとハンは即座にダーツを放ち、ザリアが二刀でそれを防いだ。
リカはライフスティールのシジルを握り締める。
「これなら黒いエネルギーを引き剥がせるかも……。でも、ハンを傷つけたら……」
ハンはスモークボムを地面へ撃ち込み、煙の中から鎖を伸ばしてリカを引き寄せた。
「リカ……」
ハンがつぶやく。
「死ね……」
リカは手を伸ばして彼に触れようとする。
だが何も起きない。
「どうして……? なんで効かないの……?」
鎖がリカの首へ巻きつき、締め上げていく。
「お前の時間は終わりだ」
リカは必死にシジルを掲げた。
「……ハンを傷つけたくない……でも……絶対に助ける……!」
彼女はシジルを握り潰す。
〈シジル発動〉
シジルの光がハンから黒いエネルギーを吸い上げ始めた。
ハンは苦しげに咆哮し、リカを投げ飛ばす。
煙が晴れる。
その隙にザリアがハンの背後へ飛び乗り、膝で押さえ込んだ。
「ハン! お願い、止まって!」
ノノカとシノが両腕を押さえる。
ハンは唸り声を上げながら暴れた。
「いやだ! やめろ!」
レイとリカが頭を支える。
「私たちだよ、ハン!」
リカが必死に訴える。
「戻ってきて!」
「いやだァッ!」
もがくうちに、ハンの意識は暗く沈んでいった。
二年前――
ハンは東京の街を歩き、ファストフード店へ入った。
「クソ親……クソ医者……クソ弁護士……」
カウンターへ金を置く。
「バーガーとポテトとソーダ。以上」
「はーい、少々お待ちくださーい!」
しばらくしてトレーを受け取り、ハンはボックス席へ座った。
テーブルの下でこっそりキューブを形成する。
「キヨシ……こんなもん俺に押しつけて死ぬなよ。まだ準備なんかできてねえっての……」
飲み物を口にしたとき、背後から少女たちの声が聞こえた。
「ねえ、あいつ私たちと同じくらいじゃない? 食べ物買ってもらえるかな」
「どうだろ。頼むか、あいつの飯奪うか」
「奪うのは危ないって! お願いしようよ! 二人も困ってたら断れないでしょ、普通!」
ハンはため息をついた。
「何だよ」
少女二人はぎょっとして、すぐハンの席まで来た。
一人は青髪の日本人の少女。
もう一人はロックスのアフリカ系日本人の少女だった。
「あー……私、リカ。この子は親友のザリア」
青髪の少女が名乗る。
「その……今、ホームレスで。何か食べるもの、分けてもらえないかなって……」
「できれば寝床も」とザリアがぼそっと付け足す。
「俺も金ねえ」
リカはテーブルを揺らさんばかりに両手を合わせる。
「お願い! ほんとにお腹すいてるの!」
ハンはしばらく二人を見た。
汚れた服。疲れきった顔。
「……分かった。ほら」
金を差し出すと、二人の目が輝く。
「え、ほんとに!?」
リカが息を呑む。
「ありがとう!」
「何週間ぶりだよ、こういうまともな人」
ザリアも驚く。
「もっとこういう人増えてくんないかな」
彼女はハンをじっと見る。
「あんた、名前は?」
「ハン。……何だよ、まだ何かいるのか」
リカはもじもじした。
「その……泊まる場所とか……」
ハンは額を押さえる。
「それは無理。俺もねえよ」
二人は顔を見合わせる。
「マジで?」
ザリアが聞く。
「じゃあその金どっから出てんの?」
「ホテル転々としてる。医者にさせようとしてくる完璧主義の親から逃げるために」
「あー……」
リカが小さく相槌を打つ。
「じゃあ、本当は何になりたいの?」
ハンは周囲を確認してから、テーブルの下で六角キューブを見せた。
「カイタンシャ。ダチがそれだった。死ぬ前に、これを俺に託してった」
リカとザリアの目が見開かれる。
「うそだろ!?」
ザリアがハンを揺さぶる。
「あたしもだよ! それ、あたしの夢職! ずっとダンジョン探してんだよ!」
「は?」
リカは頭を抱えた。
「この子、そういうの大好きなの」
「あんたもだろ」
「私は伝説のカイタンシャにしか興味ないの! あの人考えると胸がきゅーってするし」
「あたしも!」
二人が言い合う横で、ハンは立ち上がった。
「二人ともジュゲン使えるのか?」
ザリアは頷く。
「適性は20%以上。ダンジョン探してる間だけでも、寝床ほしいけどな」
にやりと笑う。
「一緒に来る?」
ハンは少し黙っていたが、やがて肩をすくめた。
「……まあいい。初ダンジョン探しの途中で、女二人とつるむくらいなら別に損はない」
「よっしゃ!」
ザリアが拳を上げる。
「今日から仲間な!」
「テンション高いのは覚悟してね」
リカが言う。
「うるさいから」
「平気」
ハンは答えた。
「俺の兄弟も似たようなもんだし」
三人が店を出ようとした、そのとき。
暗い力がハンの足を止めた。
ナースが現れ、その背後には闇に包まれた背の高い影が立っていた。
「ハン、ハン、ハン……」
ナースが囁く。
「お前……?」
ハンが目を見開く。
「誰だ……なんで……?」
「紹介したくてね。私の“新しい”主人を」
ナースは笑う。
「追放王よ」
アビスの王は、ハンの頭へ手を置いた。
「流されるな、ハン。アビスへ来い……アビスへ。お前の師はお前を捨てる。あいつらも、みんなお前を捨てる」
ハンの目が紫に染まり始める。
「アビス……?」
「来い、若きハン。お前の総和を超える存在になれ。ヘラルドとなれ」
その瞬間、記憶の風景が黒く溶け出し、ハンの身体もどろどろの黒い液体へ変わっていく。
現在――
人間のものとは思えない絶叫とともに、ハンが立ち上がった。
ザリアを振り落とし、身体そのものから生えたワイヤーが周囲を薙ぎ払う。
ただ一人、ソーシンだけがそれをかわした。
「フレンド・ハン?」
ハンの髪が伸び、全身を重厚な装甲が包む。
手首のウォッチは大型化し、腕装着式のダートガンへ変形した。
リカが口元を押さえる。
「な……に、これ……?」
ハンは自分の手を見下ろした。
「殺せ……」
そして、頭の奥から声が続きを告げる。
〈一人残らず。〉
——




