――第71章・コハクとの決闘――
アスガルド――
オマリロ、ユカ、ヘル、そしてバルドルは、瓦礫の山と化したアスガルドへと降り立った。
その瓦礫の中には、血まみれになったオーディンが倒れていた。彼は一行の姿を見ると、ゆっくりと顔を上げる。
「父上!」
バルドルが駆け寄る。
「何が起きたのです?」
「彼女が……獣を放った……」
オーディンは咳き込みながら言う。
「あれらは……ニュガワを……探していた。だが代わりに……あの少年を……連れていった……」
オマリロは周囲を見渡す。
ソーシンの姿はどこにもない。
「坊主……」
そのとき、瓦礫の中からエメルが這い出し、人型へと変わった。
「がはっ! 生きてる! 私、生きてる!」
「スライムは置かれたままか。来い、少女。ハントレスを追う」
エメルは自分を指差す。
「えっ? あの怖い女を追うのに、私も連れていくの?」
「そうだ」
「他に選択肢もなさそうね」
ユカが鼻で笑う。
「オマリロ、本当にこの子を制御できるの?」
「できる」
「このままだと、あの女はダンジョン全体も、その中にいる全員も壊しかねません」
バルドルが警告する。
「必ず止めてください」
「女は止まる。女は愚かな選択をした」
オマリロはためらいなく手の中のシジルを握り潰した。
その瞬間、オマリロ、ユカ、エメルの姿が掻き消える。
「何もかも予定通りには進いていないな」
ヘルが呟く。
「ムジンシャを信じよ……」
オーディンが苦しげに言う。
「奴らが……この誤りを正す……」
フロア10000――
ザリア、リカ、シノは床に叩きつけられた身体を起こし、中央に立つコハクを睨み返した。
「ま、待って……」
リカが息を整えながら言う。
「ミスター・オマリロが来るまで時間を稼いだほうが――」
ザリアは槍を構える。
「そんな暇ない! ハンはここにいる! マスターを裏切って、あいつをこのまま奪われたら、あたしたちは何にもなれない!」
リカは深く息を吸う。
「……うん。そうだよね」
ザリアはシノへ顔を向けた。
「なあ、シノ! あんたの技、どういうのがある?」
「指を弾いて対象を消せる。でも、ちゃんとした隙が必要」
「なら、その隙を作る!」
コハクはただ首を傾けるだけだった。
その視線だけで、ザリアの身体が一瞬すくむ。
ザリアは槍を握り直す。
「大丈夫。いける。いけるって……」
次の瞬間、コハクはザリアの目の前に現れ、爪を振るった。
ザリアは槍で受け止めるが、爪は装甲を一部切り裂き、そのまま腕をかすめる。
ハンは動かず、その光景を見ていた。
コハクはザリアの首を掴み、そのまま持ち上げる。
「お前からは何の匂いがする? 恐怖か? それとももっと暗いものか?」
「自分の匂いしか嗅げてないんじゃないの!? 離せ、このクソ女!」
ザリアは脚で蹴りを放つが、コハクは腕で受け止める。
しかし次の瞬間、ザリアは逆足でコハクの頭を蹴りつけ、その隙に拘束から抜け出した。
「ジュゲン滅者:指先滅鍵!」
シノが指先を弾き、ベクトルを撃ち出す。
コハクはそれをかわしたが、代わりに指を一本失った。
リカは両手を合わせ、シジルを生成する。
〈シジル生成:ヘルスブースト〉
「これ、使って!」
リカはザリアへ投げた。
ザリアがそれを受け取るのを見て、コハクは面白そうに笑う。
「ただの女神もどき共よりは、少しはやるみたいね。三対一? どこまで持つか見せてもらおうじゃない」
ザリアは槍を投げつける。
だがコハクはそれを見もせず掴み、そのままへし折った。
そしてその身体がゆっくりと変貌していく。
「気をつけて!」
シノが叫ぶ。
「こいつ、ジュゲンも使える!」
「はぁ!?」
「ジュゲン変性者:狩猟道の災い!」
コハクの身体がキメラめいた姿へ変じる。
翼をはためかせると、炎がザリアとリカへ襲いかかった。
「っ、やば――!」
シノは指を弾いて炎を消し飛ばしたが、コハクは尾で彼女を弾き飛ばす。
「リカ、後ろ!」
ザリアが叫ぶ。
コハクはリカの腕を掴み、顔を近づける。
「お前もね。可哀想な子。あの過去を知ったときは、少しは期待していた。けれど――やっぱり甘いだけ」
「な……あなた……っ」
「がっかりね」
コハクはリカを壁へ叩きつけた。
「リカ!」
ザリアが叫ぶ。
彼女は再び槍を形成し、何度も何度も突きを繰り出す。
だがコハクは尾で全てを弾く。
ザリアが胸へ蹴りを放とうとすると、コハクは片手で止めた。
「無駄ね」
そのまま肘打ちがザリアの顔面に決まり、血が飛ぶ。
続けて裏拳で柱へ吹き飛ばされた。
リカは肩を押さえながら、近くで立ち尽くすハンへ視線を向けた。
「ハン! 私だよ! リカだよ! 分からないの?」
ハンは見向きもしない。
「呼びかけは無意味よ」
コハクが告げる。
「あの子はもうお前たちの友達じゃない。私の子よ。そして、その力がもっと育てば、私と彼のマスターが築く帝国の後継者になる」
「ならない!」
リカは立ち上がる。
「ハンは、絶対に私たちと一緒に帰る!」
コハクはリカへ飛びかかる。
その巨躯は、リカを見下ろすようだった。
「小さな子の割には、大口を叩くのね」
コハクが手を振り下ろす寸前、リカは両手を合わせる。
「ジュゲン回生者:治癒の印!」
〈シジル生成:サイフォン 残り回数:4〉
「えっ、回数が増えてる……!」
リカは目を見張る。
「レベルが上がったから……?」
コハクがリカを殴る。
リカは両腕を上げて受け止めると、その衝撃は跳ね返り、コハクの腕を吹き飛ばした。
〈残り回数:3〉
「このシジル、鬱陶しいわね」
コハクが呟く。
「でも、狩人には関係ない」
リカはコハクへ拳を突き出すが、びくともしない。
逆にコハクが爪を振るうと、それが跳ね返って自らの目を抉った。
〈残り回数:2〉
ザリアとシノが立ち上がり、その間に傷がふさがっていく。
「ナイス、リカ! 今、押してる!」
ザリアが叫ぶ。
「面白い」
コハクは笑った。
失った目も腕も、瞬く間に再生する。
「まだ使い道はありそうね。でも残念。お前の弱点、もう見抜いたわ」
爪が伸びる。
コハクはリカへ超高速の連撃を浴びせ、自らの両腕を次々と失っていった。
〈残り回数:0〉
「いつまでも私の攻撃を吸収できると思わないことね!」
腕が再生する。
リカは転がって回避するが、今度は蹴り飛ばされた。
シノはさらにベクトルを放つが、コハクはひらりとかわす。
「真の狩人に弱点なんてない」
コハクは嘲る。
「でも残念、お前たちは違う」
ザリアは折れた槍を再形成し、ヘルスブーストのシジルを砕いて突撃した。
槍を繰り出すが、コハクは微動だにしない。
その一撃はあっさり弾かれる。
「本気技はそれ?」
「いや、こっち!」
ザリアは跳び上がった。
「天回蹴り!」
宙返りの蹴りを叩き込む。
だがコハクは翼で受け、衝撃をいなした。
「なんで――!?」
コハクの目が光る。
翼から放たれた炎がザリアの視界を焼き、彼女はよろめいた。
「ザリア! 大丈夫!?」
リカが叫ぶ。
「シノ、お願い! カバーして!」
「分かった!」
シノはコハクへベクトルを乱射する。
コハクは空へ飛び上がり、それらをすべて回避した。
その間にリカはザリアのもとへ駆け寄り、彼女を支え起こす。
「目が……!」
リカの顔が青ざめる。
「焼けてる!」
「どれくらい……?」
「かなりひどい! すぐ治すから!」
「でも……」
「今やらなかったら、一生見えなくなるよ!」
ザリアは息を呑む。
リカは彼女の顔へ手を当てた。
「ジュゲン回生者:禁断回復!」
次の瞬間、ザリアの視界が戻る。
「見える……!」
「寿命、かなり削ったかな……」
リカが息を荒くする。
「でも、この女に対して無茶はダメ。今までの相手とは格が違う!」
そのとき、シノが吹き飛ばされて壁に激突した。
コハクが炎を纏って地に降り立つ。
尾が伸び、三人へ襲いかかる。
ザリアは槍を投げるが、尾に弾かれ、そのまま肩を貫かれた。
「ぐっ……!」
彼女は歯を食いしばり、その尾を蹴り返して引かせる。
そして視線を、棒立ちのハンへ向けた。
「ハン! 聞いて! あたしが家族のこと話したの、覚えてる!?」
「それに!」
リカも続ける。
「私が捨てられたこと、ザリアと一緒にボロ家を転々としてたこと、食べ物も水もなくて――あんたに全部話したじゃん!」
「そう! それであんた、ずっとあたしたちについてきた! 面倒ごとにも、家にも、あのダンジョンにも! そこでミスター・オマリロに会ったんだよ!」
ザリアが叫ぶ。
ハンは微動だにしない。
「つまり何が言いたいかっていうと!」
ザリアは声を荒げる。
「リカはあたしの親友だけど、あんたも大事な親友なんだよ! その親友が殺されそうになってるのに、何もしないの!? あんたにとって、あたしたちってその程度だったの!?」
「それにミスター・オマリロのことは!?」
リカも必死に訴える。
「あんたの憧れでしょ!? こんなの見たら、あの人がどう思うと思うの!? お願い、ハン! 聞いてよ!」
ハンの指先が、ほんのわずかに動いた。
だが次の瞬間、彼はワイヤーを柱へ撃ち込み、それを三人の頭上へ引き倒した。
「黙れ」
シノがすぐさまベクトルで柱を消し飛ばす。
「ハン! 何してんのよ!?」
コハクはくすくすと笑った。
「いい子よ、私の子。いい子。お前を友と呼ぶ者たちは捨てなさい。お前に必要なのは母だけ」
コハクが爪を振り上げる。
リカは残る二人を引っ張って回避した。
ザリアはハンとコハクを見比べる。
「何も届かない……どうすればいい?」
そのとき、頭の中にあの声が蘇る。
『それは、お前の中にある力を引き出すだけだ』
『少しリスクがあるだけで、一気に強くなれるんだぞ?』
『使うなら、ちゃんと覚悟しろ』
ザリアは頭を押さえた。
「ダメだ……あれは最後の最後……」
コハクがじりじりと近づいてくる。
ハンはただ見ている。
「でも、勝てない……このままじゃ絶対に……。ミスター・オマリロは、大丈夫だって言った。あたしを見てるって言った。だから信じる……あたしは……」
ザリアはゆっくりと立ち上がった。
身体が震え、重くなる。
〈ロードアウト変更:闇護離剣杖〉
灰色の光がザリアを包み込む。
彼女は腕を握りしめた。
「……っしゃあ」
〈竹野ザリア レベル:67,900〉
コハクの目がわずかに見開かれる。
「獅子の鬣よ……」
「ザリア……?」
リカが息を呑む。
ザリアは拳を鳴らした。
「やるぞ、クソ女」
コハクが突進する。
ザリアは両手を広げる。
「闇護離剣杖――双刃斬!」
両手に刀のような刃が形成される。
コハクの爪を受け流し、そのまま腕へ深い一閃を刻んだ。
「うおっ……!」
ザリアは目を輝かせる。
「やっば……!」
コハクは彼女を蹴り飛ばすが、ザリアは刃で衝撃をいなす。
「見事」
コハクが称える。
「本当に見事。才能がある。なら、その才能が壊れるか見せてもらいましょう」
炎を纏い、コハクが再び突撃する。
灼熱がザリアへ押し寄せるが、ザリアは刃を構え、その周囲に闇の力が走った。
炎は裂け、消えた。
コハクとザリアは部屋中を駆けながら激突を繰り返す。
その隙にリカとシノが追いつこうとする。
「互角にやってる!」
シノが叫ぶ。
「でも長くは無理!」
リカが焦る。
「コハクの攻撃、どんどん重くなってる! 何かしないと!」
二人の衝突で柱が崩れる。
着地した瞬間、シノがベクトルを放ち、コハクの翼を消し飛ばした。
「今よ、ザリア!」
ザリアはコハクの腕へ刃を走らせ、血を散らせる。
しかし翼はすぐに再生し、コハクは空へ舞い上がった。
「面白い実験だった」
コハクが見下ろす。
「でも、そろそろ終わりにしましょうか。ハン、そろそろ――」
「ジュゲン魔法士:月の明幻火!」
月光の一撃がコハクを打ち抜き、地上へ叩き落とす。
見ると、そこにはソーシンが走り込み、その背にはレイとノノカが乗っていた。
「来たよ、みんな!」
ソーシンが叫ぶ。
「うん!」
レイも頷く。
「リカ、ノノカ、ソーシン!」
リカが安堵の声を漏らす。
「どうしてここに!?」
「意地悪ハントレスが、みんなまとめてここへ引っ張ったの!」
ソーシンが言う。
「だから今度は、みんなでハンを助ける!」
ハンはその光景を見て、わずかに不快そうに目を細めた。
「大丈夫、ハン!」
レイが明るく言う。
「ちゃんと元に戻すから!」
「普段ならどうでもいいけど」
ノノカが肩をすくめる。
「あいつは一応、うちのマスターのグループの一員だから。仕方ない」
「やっと援軍ね」
シノが息を吐く。
コハクは集結した面々を眺め、口元を吊り上げた。
「六対一? いい準備運動になりそうね。さあ、おいで、子供たち」
その翼がさらに大きく広がる。
「おいで!」
両陣営が睨み合う、その瞬間。
ハンの視界が揺らぎ、意識が分裂していく。
〈ハン……哀れなハン……〉
戦いが始まる寸前、ハンの視界は完全に闇へ沈み、頭の中であの声がより鮮明に響き始めた。
???――
ハンは気づくと、診察室のような場所にいた。
そこでは奇妙な灰髪の女が、優しい手つきで彼を診ている。
「気分はどう、ハン?」
「ハン……?」
彼は呟く。
「それ、誰のことだ……?」
女は聴診器を彼の胸へ当てた。
「どうでもいい名前よ。あなたが覚えるべきことは一つだけ。手放しなさい。抵抗も、執着も。あなたは“贈り物”なの」
「贈り物……? 誰への?」
「私への、可愛い器」
女は囁く。
「でもその前に、あなたは友達をみんな倒さなきゃいけない」
「友達……?」
「そう、ハン。友達よ」
彼女はハンの手に棒付きキャンディを握らせた。
「一人残らず」
―――




