――第69章・狼の牙――
フロア5,001――
洞窟のさらに奥深く。
オマリロ、ロキ、そしてソーシンは、空気の重くなる通路を進んでいた。
「どこに向かってるの、友達オマリロ?」
ソーシンが訊く。
「狼」
オマリロが短く答える。
「大きい狼」
「ただの狼じゃないわよ!」
ロキが愉快そうに言う。
「フェンリル。あたしの息子」
「おお! 友達になれる?」
「んー、あの子はあんまり……“友好的”ではないの。でも試してみるのは自由よ!」
三人は洞窟を進み続け、やがて巨大な川がさらに奥へ流れている大広間へと辿り着いた。
「さあ、さあ!」
ロキが手を叩く。
「うちの息子はすぐそこよ!」
水面には壊れた船がいくつも浮かんでいた。ロキはそのうちの一艘へ近づき、魔力を流し込む。
「はい、ちょっと直しましょうね」
船体はみるみる修復されていき、ロキはひょいと飛び乗って足を組んだ。
「二人とも、来る?」
ソーシンは嬉しそうに船へ飛び乗る。オマリロは転移で船上へ移った。
するとロキがあくびをしながら、彼の肩へ腕を回した。
「で、あんたって何者なの?」
オマリロは即座に杖でその手をはたき落とす。
「女、話を明確に」
ロキは腕をさすりながら肩をすくめた。
「つまり、ほんとは何者なのかってこと。こんなに色んな連中から目をつけられる人間、普通いないのよ。ムジンシャも、ダンジョンも、エンドレスでさえも。そんなボロボロの身体の中に、いったい何を隠してるの?」
「肉」
オマリロが答える。
「骨。臓器」
「はいはい、そういうのはいらないのよ」
ロキは鼻を鳴らす。
「ま、いいわ。着いたら嫌でも見えるでしょうし」
彼女はソーシンを指さした。
「この子はあんたとどういう関係?」
「弟子だ!」
ソーシンが胸を張る。
「へえ……面白い」
船はゆっくりと流れに乗り、洞窟の奥を進んでいく。空気はどんどん冷たくなり、やがて船は、切り立った崖の縁で止まった。
その先には、巨大な錠と鎖で封じられた扉があった。
「着いたわ」
ロキが言う。
「フェンリルの檻。アスモデウスが飼ってるあの犬小屋なんかより、ずっと厳重よ」
ロキは扉へ手を当てた。
「あたしの神性権限をもって命じる――この檻を開けなさい」
緑色の光が走り、扉がゆっくりと軋みながら開いていく。
ロキは満足げに中へ踏み込んだ。
「はい、どうぞ!」
三人が中へ入ると、そこには無数の鎖で拘束された巨大な狼が、地面に横たわって眠っていた。
「フェンリル!」
ロキが呼ぶ。
「起きなさーい!」
狼はゆっくりと頭を上げ、母を見つける。ロキは両腕を広げた。
「いい子ねー。ママに会いたかった?」
だが次の瞬間、彼女がオマリロとソーシンを指した途端、その表情は変わった。
「お客さんよ!」
フェンリルは牙を剥き、凄まじい唸り声を上げる。
〈規則:鎖から狼を解き放て〉
フェンリルは即座にオマリロへ飛びかかった。
オマリロは片手でそれを止める。
ロキは慌てて飛び退いた。
「あっ、ごめん。言い忘れてた。あの子、他人が大嫌いなの」
オマリロは無造作に平手を振り、狼を弾き飛ばす。
だがフェンリルはすぐに立ち直り、異様な速度で再び突進してきた。
「友達オマリロ! 狼、来る!」
ソーシンが叫ぶ。
「坊主、鎖へ」
オマリロが命じる。
「急げ」
ソーシンは素早くフェンリルの背へ飛び乗り、鎖を引っ張ろうとする。
「わっ、これ外れない!」
視界がぐらりと揺らいだ。
「う……なんか、ちょっと……クラクラする……!」
その隙を突き、フェンリルは壁へ身体を叩きつけるように動き、ソーシンを振り落とした。
振り向いた狼に対し、オマリロは手をかざす。
「ジュゲン後備者:禁獄」
ポータルが開く。
だがフェンリルはそれを丸ごと喰らった。
「言ったでしょ?」
ロキが横から言う。
「あの子、“ラグナロクを喰う者”って呼ばれてるのよ」
フェンリルは血の滴る牙を見せながらオマリロへ迫る。
巨大な前脚を振り下ろし、オマリロは前腕で受けた。
轟音が鳴り、部屋が揺れる。
その衝撃で一本の鎖がたわんだ。
「すご……」
ロキが目を見張る。
オマリロは両手を打ち合わせる。
「ジュゲン滅者:消滅」
衝撃波がフェンリルを押し返す。
だが鎖はまだ砕けていない。
「ん……」
ソーシンは立ち上がり、一本の鎖へ手を当てた。
「ジュゲン操運者:転送――第二ギア!」
鎖は猛烈な速度で振動し始める。フェンリルは引き戻されるように身体を揺らし、鎖へ噛みつくが止められない。
「今だよ、友達オマリロ!」
「ジュゲン闘士:無限刃の黄金陣!」
巨大な円刃が出現し、振動する鎖へ一直線に飛ぶ。
一撃で鎖が砕け散った。
〈1本の鎖を破壊。残り23本〉
「トールでも壊せなかった鎖なのに!」
ロキが驚く。
「ちょっと、本当に何者なのよ!」
フェンリルは咆哮し、オマリロへ頭突きを叩き込む。
オマリロは数歩滑りながらも踏みとどまった。
「狼、悪い。従わせる」
「ねえ!」
ロキが声を荒げる。
「そんなに乱暴にしないでって言ってるでしょ!」
フェンリルは再び噛みつき、オマリロの腕へ牙を立てる。
だが牙は装甲で止まった。
ロキは目を細める。
「おかしい……うちの子の牙は、何でも裂けるはずなのに……」
オマリロは弓を形成した。
「ジュゲン魔法士:天翼弓」
矢が放たれ、フェンリルは後退する。
その隙にソーシンは二本の鎖へ同時に触れた。
「いける! 速くなる!」
フェンリルの身体が引っ張られるように揺れる。
しかし次の瞬間、狼の全身が淡い青に光った。
〈操運者を用いてフェンリルの致死技を過負荷にせよ〉
フェンリルは頭を上げ、口の上空に巨大な氷嵐を形成し始める。
「今だ、坊主!」
オマリロが命じる。
「狼にジュゲンを入れろ」
ソーシンはフェンリルの毛皮へ両手を当てた。
「ジュゲン操運者:転送――第二ギア!」
フェンリルの身体は異常な速度で動き始める。
氷嵐の制御は乱れ、室温は急激に下がっていった。
「もうちょっと……!」
狼の身体はさらに震え、氷嵐そのものが崩壊。
巻き添えで数本の鎖が弾け飛ぶ。
飛び散る氷をオマリロは払い落とした。
〈残り17本〉
「すごい!」
ロキが歓声を上げる。
「ねえ、かなりA+よこれ! でも本当に、うちの子には優しくしてよね!」
オマリロは返事をしない。
フェンリルはソーシンを踏み潰そうとしたが、オマリロが割って入り、その一撃を受け止める。
そして弓を構えた。
「ジュゲン魔法士:天翼弓」
矢が次々と飛ぶ。フェンリルは氷を吐き返し応戦するが、オマリロの矢がそれを貫いた。
狼は体当たりでオマリロを壁へ叩きつける。
ロキが息を呑む。
「完全に敵認定したわね。あの子、本気であんたを脅威だと思ってる」
フェンリルはさらに氷を吐く。
オマリロはそれに対し、再び両手を打った。
「消滅」
衝撃波で狼の動きが一瞬止まる。
その隙にソーシンはさらに鎖へ触れて加速させた。
フェンリルはソーシンを踏み潰そうとするが外れる。
その瞬間、オマリロは分身を展開した。
「ジュゲン魔法士:天上の黄金分身」
黄金の分身たちが一斉に鎖へ跳びかかり、次々と切断していく。
〈残り7本〉
フェンリルとオマリロは激突し続ける。
狼の一撃でオマリロの足元の地面が沈み込む。
「力がさらに増してる!」
ロキが警告する。
「怒らせれば怒らせるほど、強くなるのよ!」
それでもオマリロは正面から受け止めた。
「狼、悪い。従え」
彼は拳を引き、鋭いアッパーを狼の顎へ叩き込んだ。
フェンリルは尻もちをつく。
その隙にソーシンは残る六本の鎖へ手を触れる。
「今だよ!」
オマリロは分身へ視線を送る。
分身たちは一斉に刃を振るい、鎖を砕き散らした。
〈残り1本〉
フェンリルはなおもオマリロへ噛みつこうとし、オマリロは前腕で受ける。
続けざまに首筋へ鋭い一撃を打ち込んだ。
「だから乱暴にしないでって!」
ロキが叫ぶ。
フェンリルは頭を振ってオマリロを弾き飛ばす。
その瞬間、ソーシンは最後の鎖へ滑り込み、手を当てた。
鎖が激しく振動する。
オマリロは狼の前脚を肘で受け止め、力任せに押し返した。
そのまま無数の刃を最後の鎖へ叩き込む。
鎖はついに粉砕された。
〈残り0本〉
〈試練達成〉
フェンリルは一歩前へ出て、母を見た。
ロキはそっとその頭を撫でる。
「いい子よ」
ロキが囁く。
「もう自由」
それから彼女はオマリロとソーシンへ振り向いた。
「うちの家族にもできなかったことを、やってのけたわね。感謝するわ!」
ソーシンは拍手したが、オマリロは何も言わない。
「じゃ、戻りましょうか」
ロキが言う。
「みんな待ってるでしょうし」
彼女はフェンリルの背をぽんと叩いた。
「一緒に来る? 乗り心地は悪くないと思うけど」
フェンリルは低く鳴き、頭を下げる。
三人はその背へ乗った。
「行くわよ、フェンリル! 前へ!」
狼は檻の壁を突き破り、そのまま全力で走り出した。
ついに自由になったのだ。
――その頃。
フロア10,000――
ザリアは開いた檻の中で目を覚ました。
前方にはジャングルへ続く道。道の両脇にはハンターたちが立ち並び、無言で彼女を森の奥へ促していた。
「え、ちょっと。ここどこ? あのサイコ女、どこに私を放り込んだの?」
誰一人答えない。
仕方なくザリアは道を進み、門をくぐった。
その先で待っていたのは、カイタンシャたちの死体。
そして、獣から逃げ惑う生存者たちだった。
「……嘘でしょ……」
その時、どこかから自分を呼ぶ声が響く。
「ザリア!」
振り向くと、リカが駆け寄ってきて抱きついた。
「ザリア! 無事だった!?」
「リカ!」
ザリアも抱き返す。
「私は大丈夫。そっちは!?」
リカは頷いた。
「レイたちとははぐれたの……それにハンも、あの女に何かされて……!」
「分かってる!」
ザリアは歯を食いしばる。
「見た! あいつ、どこに――」
その時、血だらけの人影が茂みを割って現れた。
オレンジ色の髪の少女だ。
彼女は三人の装備を見て、足を止める。
「その格好……ハンのチームの奴ら、だよね?」
「誰?」
リカが問う。
「シノ」
少女は答えた。
「ハンとは一時的に組んでた。でもあのハントレスが、あいつを壊した」
「何ですって!?」
ザリアが叫ぶ。
「ハンはどこ!?」
シノはジャングルの中央を指した。
そこには煙を上げる大きな屋敷が見える。
「そこ。あいつら、オマリロ・ニュガワを待ってる」
「ハン……」
ザリアの声が低くなる。
「シノ、お願い」
リカが言う。
「そこまで案内してくれる?」
「いいけど……」
シノは眉をひそめた。
「援軍待たなくていいの? あの女、本当に強いよ」
「待ってる暇なんかない!」
ザリアが言い切る。
「友達が捕まってんの!」
「分かった」
シノが頷く。
「じゃ、行こう」
三人は茂みを掻き分けて進んだ。
その間にも、動物に食われるカイタンシャたちの姿が目に入る。
一人の少年が慌てて飛び出し、リカの肩を掴んだ。
「お願いだ! 助けてくれ! あいつらが来る、あい――」
その瞬間。
矢が飛び、少年の頭を貫いた。
彼はその場で崩れ落ちる。
シノは二人の手を掴み、さらに奥へ引っ張った。
「ひどい……」
シノが呟く。
「新入りのほとんど、もう殺されてる。ハンも、あいつは“自分の子供”にしようとしてた」
「あいつ……絶対に許さない」
ザリアが唸る。
リカは屋敷を見据える。
「今はそれより、ハンを助けること。そこだけ集中しないと」
「うん」
ザリアが頷く。
「今は、やれることをやる」
三人は木々を抜け、茂みを越え、ついに屋敷の前へ辿り着いた。
扉は開いていて、しかも無人だ。
「……誘ってる?」
ザリアが眉をひそめる。
「私が逃げた時も、妙にあっさりしてた」
シノが言う。
「あいつなら、あり得る」
「ハン……無事でいて」
リカが祈るように呟いた。
三人は中へ入る。
基地――
屋敷の奥。
コハクは獣の死骸でできた玉座に腰掛け、肘掛けを指で叩いていた。
彼女は三人を見ると、ゆっくり顔を上げる。
「ふーん?」
コハクが言う。
「小娘たちが、わざわざ私の縄張りに? 可愛いじゃない」
ザリアは彼女を指差した。
「ハンはどこ!?」
「ハン?」
コハクはくすりと笑う。
「ああ、私の完璧な子。……そこよ」
彼女が手を叩く。
すると天井からハンがゆっくりと降りてきて、コハクの傍らへ立った。
「ハン!」
リカが叫ぶ。
「お願い、こっち見て!」
「私たちのこと、覚えてるでしょ!?」
ザリアも訴える。
だがハンは無反応だった。
「無駄よ」
シノが低く言う。
「あいつの支配が深すぎる……」
コハクは立ち上がり、首を鳴らした。
「愚かな子供たち」
彼女は階段を降りながら言う。
「外で震えていればよかったのに」
三人は同時に構えた。
コハクは一歩、また一歩と近づく。
その指先から、鋭い爪が伸びていく。
「シノ」
コハクが笑う。
「本気で、これだけで私に勝てると思ってるの?」
「いいや」
シノは認める。
「でも、やるしかない」
ハンは無表情のまま、それを見ていた。
「それなら――」
コハクはくすりと笑う。
次の瞬間。
彼女は跳躍し、三人の足元へ叩きつけるように着地した。
轟音とともに地面が爆ぜ、三人はまとめて吹き飛ばされる。
「やってみなさい」
―――




