――第67章・ヘラクレス戦――
フロア5,000――
〈規則:力そのものを上回れ〉
ヘラクレスは一行を見渡し、アスモデウスと視線を合わせた。
「何のつもりだ?」
ヘラクレスが眉をひそめる。
「最強をぶつけると言っただろうが」
「まあ」アスモデウスは肩をすくめた。
「少し予定が変わってな」
ヘラクレスはリカたちを順に眺めた。
「ひょろい娘が三人に、脳筋が一人か。まあ……そっちのデカいのは多少見どころがある」
「ちょっと!」リカが食ってかかる。
「私、“純真”じゃないし! いや、そういう意味ではなくて!」
「何の話?」レイが首を傾げる。
ヘラクレスはティフォンを見る。
「で、その猫は何だ?」
「ティフォンだ、この脳筋野郎」ティフォンが吐き捨てた。
「ダンジョンを支配していた強大なレイドボスのティフォンが?」
ヘラクレスは鼻で笑う。
「そんなものに成り下がったのか」
ティフォンは毛を逆立てた。
「黙れ」
「猫はさておき」アスモデウスが言う。
「このフロアから逃げたいなら、今が好機だ。勝てれば、の話だが」
彼は一行へ向き直る。
「試練は単純だ。三つの課題を用意した。それぞれ私が判定する。三本勝負で二つ先に取った側が勝者。先へ進める」
「神を相手に三本勝負か」ガクトが肩を鳴らす。
「きつそうだが、俺たちにはやるべきことがある! 行けるな、みんな!」
全員が頷く。
「最初の試験は?」とリカ。
「簡単だ」アスモデウスが空を指した。
「この場の“空”を運んでもらう」
リカが見上げると、上空には夜空のような巨大な幻影が広がっていた。
「え、待って……あのデカいの?」
アスモデウスは頷く。
「壊さず目的地まで運んだ方の勝ちだ。負担は半分ずつだな」
ガクトが拳を合わせる。
「来いよ!」
「威勢だけはいいな」ヘラクレスが嘲る。
「だが私は“力の神”だ」
その瞬間、アスモデウスが手を振り下ろした。
“空”が両陣営の上へと落ちてきて、全員を膝から崩れ落ちさせる。
〈規則:空を目的地まで運べ〉
〈制限時間:5:00〉
遥か先、一本の木のそばにウェイポイントが浮かび上がった。
「ぐっ……!」
ガクトが頭で重さを支えながら唸る。
「これはマジでヤバいな……! お嬢さん方、大丈夫か!」
振り返ると、リカ、ミズキ、レイは地面に這いつくばり、起き上がるのもやっとだった。
「うわ、最悪だ……」
「……助けて……ガクトさん……」
リカが苦しそうに呻く。
一方その頃、ヘラクレスはすでに立ち上がっていた。
悠然と目的地へ向かい、他を置き去りにしていく。
「立て、嬢ちゃんたち!」ガクトが叫ぶ。
「あいつ、もう先に行ってるぞ!」
ミズキが片腕で持ち上げようとするが、すぐ片膝をついた。
「申し訳ありません……私たちの身体能力では……到底、勝負になりません……」
レイも両手で押し上げるが、背が反り返る。
「うわっ、重っ!」
リカは背中で支えながら必死に踏ん張っていた。
「よし」ガクトが言う。
「俺に合わせろ。一歩ずつだ!」
ガクトが前へ押し出し、その後ろを娘たちが這うように追う。
アスモデウスとティフォンは、その鈍い前進を眺めていた。
「相変わらず、無茶な課題を出すな」
ティフォンが鼻を鳴らす。
「不可能ではない」アスモデウスが答える。
「“起こりにくい”だけだ。あの三人を石のカイダンチョウにでも替えれば、結果は全く違っただろう」
ガクトたちは少しずつ距離を詰めていたが、その一方でヘラクレスはかなり先に進んでいる。
「肉体が保たん」アスモデウスは淡々と言う。
「ジュゲンを持つ人間の悲しい現実だ。相性と限界は覆せない」
リカがさらに遅れそうになる。
しかしレイがその腕を掴み、引き上げた。
「ありがと、レイ……」
「どういたしまして、リカ……!」
ミズキは転送を使おうとしたが、その場で崩れ落ちた。
「この状態では……休憩は現実的ではありません……」
「大丈夫だ!」ガクトが叫ぶ。
「足を止めんな!」
その時、地面から火柱が噴き上がり、四人のすぐそばを焼いた。
レイが危うく肩を焼かれそうになる。
「うわっ、火!?」
「なんで火まで追加されるのよ!」リカが悲鳴を上げる。
「この試練、もう十分キツいんだけど!」
空中に火線が走り、横薙ぎに飛んでくる。
一筋がリカの腕に当たり、防具の一部が砕け落ちた。
「最悪! この装備、全然あてにならない!」
「試練は甘えさせるためにあるわけではない」
アスモデウスが冷たく言う。
「焼かれたくなければ、もっと速く動け」
ガクトが足を止める。
見ると、ヘラクレスは大きく跳んで木の近くまで到達していた。
「まずい……あいつ、本気で決めに来てる。なら、追いつく方法は一つだ!」
「どうするの?」と三人。
「しっかり掴まれ! 一気に行くぞ!」
全員が顔を見合わせたあと、ミズキがガクトの足首を掴み、レイがミズキを、リカがレイを掴んだ。
ガクトが首を鳴らす。
「ジュゲン闘士:灼熱疾走!」
燃える兜が形成される。
次の瞬間、爆発的な加速で前へと弾け、三人を引きずりながら空ごと突っ走った。
「きゃああああ!」
「行くぞおおお!」
だがそこへ火炎弾が直撃し、四人まとめて横へ弾かれる。
ガクトの速度が落ちた。
「くそ、食らった!」
彼は顔を上げた。ヘラクレスはもう木の目前だ。
「ミズキ! 何か使えるか!」
ミズキは腕を上げようとするが、重みに押し返された。
「無理です!」
「じゃあ俺たちで開く! リカ、レイ、準備しろ!」
「え、私!?」
リカが目を剥く。
「わーい! 必殺技っぽい!」
レイはやる気満々だ。
「二人ともミズキに寄れ! 俺が頭で空を支える!」
レイがミズキのそばへ這い寄り、リカもしぶしぶ続く。
重さで三人は地面へ押し潰される。
ガクトがその上で首をしならせながら支えた。
「ミズキ、今だ!」
ミズキは両腕両脚で仲間に触れる。
「ジュゲン操運者:呪転送!」
四人の姿が一瞬で消え――次の瞬間、ヘラクレスのすぐ隣へ再出現した。
「どうやって追いついた!?」
ヘラクレスが吠える。
「卑怯者め!」
「卑怯じゃねぇ!」ガクトが叫ぶ。
「ここから勝つ!」
三人は這うように前進し、ガクトも押し進む。だがヘラクレスがなお一歩リード。
「無駄だ。お前は三人と空を同時に支えられん。さよならだ」
ヘラクレスは歩幅を大きくし、木へ迫る。
「待てっての!」ガクトが叫ぶ。
「ジュゲン闘士:灼熱疾走!」
再び炎の突進。
ガクトは木へ飛び込み、ヘラクレスと同時に幹へ触れた。
「引き分けだ!」ガクトが叫ぶ。
「いや、私の勝ちだ」ヘラクレスは冷たく言う。
「は? 同時に触っただろ!」
「そうだな、“俺たちは”な」
ヘラクレスは顎で後ろを示す。
「だが、お前のチームは届いていない」
ガクトが振り返る。
三人は木の手前で、まだ必死に這っていた。
「あっ……やべ」
「力ばかりで頭が回らん」
ヘラクレスが嘲る。
「これで私は解放される」
アスモデウスが上空から降りてくる。
「判定は出たな」
〈試験1 勝者:ヘラクレス〉
ティフォンが額を押さえた。
「無能どもめ」
アスモデウスが指を鳴らすと、“空”は再び上へ戻った。
「次の試験へ移る。回復したらついてこい」
ガクトは娘たちを起こしてやる。
「ごめん、ガクトさん……」
レイがしょんぼりと謝る。
「さっき、私たちが足引っ張ったよね……」
リカも俯く。
「その通りです」ミズキが頷く。
「完全にお荷物でした」
ガクトは三人の肩を順に叩いた。
「気にすんな! まだ取り返せる! 次も力勝負ならキツいが……そうじゃないことを祈ろうぜ!」
「もっと頑張ります!」
リカが言う。
「よし、それでいい! んじゃ、行くぞ!」
一行はアスモデウスたちのもとへ向かった。
その先には小さな納屋があり、その両脇に巨大な厩舎が二列ずつ並んでいる。中は糞尿と泥でひどい有様だった。
「うっ……」
リカが顔をしかめる。
「くさい!」
レイが叫ぶ。
「その通り」アスモデウスが頷く。
「今度の仕事は、それを綺麗に掃除することだ」
「待て待て待て」ガクトが目を剥く。
「つまり馬糞掃除しろってことか?」
「そうだ」
アスモデウスは当然のように言う。
「制限時間は二十分。お前たちは左側、ヘラクレスは右側。バケツは用意してある」
彼は近くの黒い川を指した。
「有効活用するといい」
〈規則:厩舎を掃除せよ〉
〈制限時間:20:00〉
ヘラクレスは跳び上がり、自分の持ち場へ着地してバケツを手に取る。
ガクトたちも左の厩舎へ走った。
リカがバケツを持ち上げる。
「えっと……これ、そんなに大きくないけど……」
「工夫すりゃいける!」
ガクトが言う。
「ミズキ、そのバケツ持って全速で水汲んできてくれ!」
「承知」
ミズキは瞬時に川へ飛び、バケツを満たして戻ってきた。
ガクトはそれを受け取り、一気に糞へぶちまける。
確かに一部は流れた――が、すぐ同じ場所に再生した。
「……待て」
ガクトが目を細める。
「今の、ちょっとおかしいぞ」
「水が足りないんじゃない?」
リカが言う。
ミズキが再びバケツを持つ。
「もう一度試します」
再び満たして流す。
だが、やはり同じように元へ戻った。
「妙ですね……」
一方その頃、ヘラクレスは川の水を素手で掬い、拳で圧縮して高圧の水流に変えていた。
それを糞へ撃ち込み、再生前に削り取っていく。
「うお、すげえ!」
ガクトが感心する。
「感心してる場合じゃないです!」
リカが指差す。
「負けてます!」
「分かってる!」
ガクトも川へ駆け込み、水を圧縮しようと試みる。
だが腕の隙間からぼたぼたと零れるだけだった。
「くそ! 腕じゃなくて頭特化なの忘れてた!」
「私がやる!」
レイが名乗り出る。
彼女は月光を水面へ撃ち込む。
すると水が泡立ち、青白く輝き始めた。
〈反応発生〉
水が光となって炸裂し、ガクトは目を押さえた。
「うおっ!?」
「ご、ごめん!」
レイが慌てる。
「だ、大丈夫……ちょっと眩しかっただけだ……」
「レイ、シールドですくえない?」
リカが提案する。
レイはシールドを形成し、水を半分ほど掬い上げた。
だが持ち上げた瞬間、シールド全体が発光する。
「え、また反応してる!」
「早く糞にかけて!」
レイが動くより先に、シールドがきらきらと爆発した。
その隙にも、ヘラクレスは着々と自分の厩舎を片づけていく。
「こんな雑用、私の格ではない」
ヘラクレスは内心で吐き捨てる。
「ニュガワと戦うはずが、無能の集まりの相手とはな」
ミズキがガクトの傍へ戻る。
「大半の方法は効率が悪いです。別案を提案します」
「お、頼む!」
「あなたの頭を何度も水面へ叩きつければ水圧が生まれます。そこへレイさんがジュゲンを撃てば、蒸気反応で爆発を起こせるかもしれません」
「それだ!」
ガクトが拳を鳴らす。
「やってみよう!」
ガクトは兜を形成し、頭を川へ近づけた。
「いつでも来い!」
ミズキが頭へ手を置く。
「ジュゲン操運者:呪転送!」
彼女は左右へ高速移動しながら、ガクトの頭を何度も水面へ叩きつける。
そのたびに強烈な水流が前方へ噴き出した。
「レイ、今!」
リカが叫ぶ。
「ジュゲン魔法士:月の明現化!」
レイが水流へ月光を撃ち込む。
糞の山に大爆発が起こり、大きく吹き飛んだ。
ヘラクレス、ティフォン、アスモデウスの視線が集まる。
「ほう……」
アスモデウスが目を細める。
ミズキはさらにガクトの頭を叩きつける。
レイが続けて砲撃し、反応が連鎖する。
〈反応発生〉
糞の山は大きく消し飛び、ついに再生前に削り切れる量へ到達した。
ヘラクレスも苛立ったようにさらに水を圧縮する。
「ふざけるな! こんなので負けるか!」
両陣営は水を飛ばし合い、残り時間は急速に消えていく。
糞は少しずつ、しかし確実に減っていった。
やがてアスモデウスが手を上げる。
「時間切れだ」
〈制限時間:0:00〉
彼はまずヘラクレス側を確認する。
「ふむ。大部分は片づけたな、ヘラクレス」
ヘラクレスは自信ありげに頷いた。
次にアスモデウスはガクトたちの厩舎へ向かい――目を見開いた。
「何だと……? 全部消えている。どうやった?」
ガクトが胸を張る。
「完璧なチームワークだ!」
「システムの穴を突いただけだろう」
ティフォンが不機嫌そうに言う。
「四対一だぞ」
「手段はどうあれ」アスモデウスが宣言する。
「この課題はカイタンシャ側の勝利だ。よって、これで一点ずつ」
〈試験2 勝者:カイタンシャ〉
ヘラクレスが拳を地面へ叩きつける。
「ふざけるな!」
「残る試験は一つ」
アスモデウスが告げる。
「最後にして最も過酷な、肉体への負荷が最大の試験だ」
「何をやるんだ?」
リカが問う。
「狩りだ」
アスモデウスは答える。
「ただの狩りではない――ケリュネイアの鹿を追う」
――




