――第66章・悪魔――
フロア10,000――
ハンとシノは、普段の姿に戻ったコハクを睨みつけた。ハンは右腕を押さえ、歯を食いしばる。
「お前……結局、何者なんだよ」
コハクは腰に手を当て、満面の笑みを浮かべた。
「わたし? ただのハントレスよ。あなたたちと同じ“人間”」
「嘘つけ。さっきの変化、ジュゲンですらなかった。人間にできるわけねぇ!」
「ジュゲン?」コハクは肩をすくめた。「あんな原始的な術」
シノがハンの肩に手を置く。
「その虎女と会話してる場合? 刺して消して逃げる方が先でしょ」
「正体を知るのは必要だ」ハンは低く言った。「こいつが何で、何を狙ってるか」
ハンはコハクに向き直る。
「お前はダンジョンの化け物か? 取り巻きが崇拝してるけど、お前はただの病んだ毛皮の塊だろ」
コハクの爪が伸びる。
「今、なんて?」
「聞こえたろ」
「興味があるなら教えてあげる、坊や。わたしは“半分”人間」
「半分? どういう意味だ」
「父は普通の人間。弱くて、愚かで、わたしの父親になる資格がなかった」
コハクは笑ったまま言う。
「だから殺した。わたしを捨てようとしたからね」
「……母親は?」ハンが問う。
コハクは唇に指を当てた。
「秘密。でも“ジョウイ”って言葉を聞いたことがあるなら――答えはそこよ」
「ジョウイ? ジョウイって何だよ」
次の瞬間、コハクが目の前にいた。鼻先がぶつかる距離。
「エンドレスに次ぐ力を持つ存在。ムジンシャじゃ到底及ばない。でも……あの害虫どもは、わたしでも面倒なの」
シノが眉をひそめる。
「つまり半分人間、半分ダンジョンの怪物ってこと?」
「そう呼びたいなら、好きに呼べばいい」
コハクは肩越しに笑う。
「母がいない今、わたしの目標はダンジョンを支配し、母の“遺産”を超えること。それが最大の親孝行」
「そのために人を殺して、俺の師匠を無理やり結婚させようとしてんのか?」ハンが吐き捨てた。
「弱者は淘汰されるべき。強者は価値を証明する」コハクは頷いた。
「あなたたちの“ルーキー”は弱い。あなたの“マスター”は強い。だから彼はわたしに相応しい」
「絶対に結婚なんかしねぇよ、このクソ野郎!」
コハクがハンの首を掴む。
「その話はもういい。今はあなたよ、ハン・ジス。あなたは“わたしのもの”になる。わたしが母になってあげる。良い子なら――この子も仲間として残してあげる」
「私が?」シノが息を呑む。「冗談じゃ――」
「黙れ、娘」
「離せ……!」ハンが足掻く。
コハクは嬉しそうに笑った。
「いい考えがある。どれだけ生き残れるか見せて」
次の瞬間、ハンが壁を突き破って吹き飛ばされた。
ドンッ!
「ハン!」シノが叫ぶ。
シノも同じように投げ飛ばされる。
二人が起き上がると、コハクが壁を蹴破って追ってきた。虎の女王の姿へと変わり、部屋に踏み込む。
「……来るぞ」ハンが息を呑む。
そこは豪奢な広間だった。像、戦利品、トロフィー。
コハクが両腕を広げる。
「見なさい。前の主から“奪った”わたしの棲み処。ここはあなたたちの新しい家――もしくは墓よ!」
ハンが周囲を見回す。
「シノ……今だ」
「了解」
コハクが爪を振る。空気の裂け目が刃となって飛び、二人は跳び退いた。
「遅い」コハクが呟く。
瞬間移動のようにハンの上へ――
彼女の足が落ち、ハンは床へ叩きつけられた。
「どけ!」シノが指を向ける。
「ジュゲン滅者:指先滅鍵!」
ベクトルが放たれる――が、コハクは前腕で受け止め、消し飛ばす。
シノが二発目を構える前に、コハクが背後へ回り込み、片腕でシノを持ち上げた。
「シノ・サミャク」コハクが嘲る。「氷のカイダンチョウは何も教えてないのね」
シノをトロフィー棚へ投げつける。
同時に、ハンのワイヤーを掴み、コマのように回して放り投げた。
コハクの体がさらに巨大化し、蛇の尾と獣の気配が濃くなる。
足踏み一つで広間が揺れ、瓦礫が飛ぶ。
ハンは腕輪を展開する。
「ジュゲン後備者:手首装着キューブ――鎖!」
鎖が一斉に伸びる。
だがコハクは全てを切り裂き、ハンへ突進。
「電撃ゲート!」
ゲートが一瞬だけ足止めする。
ハンは柱にワイヤーを二本撃ち込む。
「天井落下!」
柱が落ちる――コハクは片腕で支え、もう片方は再生していた。
「ふざけて――!」
「小手先じゃ救えない」コハクが吠える。「わたしは“力”が欲しい!」
蛇の尾が高速回転し、ゲートも柱も粉砕。
ハンはダーツを連射するが、尾で弾かれる。
煙幕――も、耳を動かしたコハクが背後を切り裂き、肩口が抉れた。
「原始的」
シノが再び撃つが、コハクは軽やかに躱す。
ハンはワイヤーで二人を引き戻した。
「効かねぇ……!」シノが歯噛みする。「方向転換しないと!」
「考えさせろ!」ハンが叫ぶ。「師匠なら――この状況で何を――」
コハクが咆哮する。衝撃が二人の鼓膜を叩き、膝が落ちる。
「ハン!」シノが叫ぶ。「上――!」
コハクの爪がさらに伸び、檻を作るように迫る。
ハンはケージを展開するが――紙のように切り裂かれた。
「期待してたのに」コハクが笑う。「ハン。あなた、案外弱いのね」
次の一撃。
ハンは反射で右腕を突き出した。
――止まった。
コハクの爪が、黒い“影”に弾かれた。
三人とも息を呑む。
「……なんで?」ハンが呟く。
〈ハン。ハン。ハン。いつも私に救わせるのね。……ちっ、ちっ、ちっ〉
「またお前か。黙れ……!」
〈ハン……まだ死なせない。まだ、ね〉
⸻
???――
ハンは荒れ地に立っていた。
積み上がる影の死体の山。その上に“ナース”が座っている。
「ふざけんな! ここから出せ!」
ナースは優雅に降りてきた。
「静かに、器。これだけ尽くしても抵抗するのね」
ハンが殴ろうとするが、腕を掴まれて止まる。
「無駄。助けてあげるの。マスターが言ってたわ――“弱い者に男は耳を貸さない”」
「マスター……?」
ナースがハンの額に触れる。
「ジュゲン堕落:逆活性」
「やめ――!」
〈あなたは私のもの、ハン。安心して。……“彼”への愛があるから、今は生かしてあげる〉
ハンの意識が落ちた。
⸻
フロア10,000――
コハクは瓦礫の前へ歩み寄る。
そして、地面から伸びたワイヤーが彼女の腕を引き落とし、関節が外れるほど捻れた。
「……ほう?」
煙の中からハンが出てきた。
全身を黒い影が覆い、顔へも広がっていく。
コハクは恍惚の笑みを浮かべる。
「素敵……」
ハンの拳がコハクの頬を殴り、血が飛ぶ。
コハクは指で血をすくって眺めた。
「いいわ。とても、いい」
シノが起き上がり、異様なハンの姿に固まる。
「ハン……?」
「下がれ、シノ!」
コハクが拳を握る。
「ジュゲン変性者――」
ハンの目が見開かれる。
「嘘だろ。お前、ジュゲン使えんのかよ!」
「使えないなんて言ってない」コハクが笑う。
「少しだけ、“原始的な力”を見せてあげる」
「ジュゲン変性者:火龍道の災い!」
光が爆ぜた。
不死鳥の翼、狼の胴、獅子の頭、リヴァイアサンの尾。
声が三重に重なって響く。
「止めたい? なら止めてみなさい」
コハクが突進。翼が火を撒き、衝撃が連続で床を叩く。
ドン、ドン、ドン。
ハンは転がって避け、腕で受け、尾に押し返される。
だが食らいつき、頭突きで一瞬だけ怯ませた。
「いい、いい、いい!」コハクが笑う。「憎しみがあるなら、奪い取れ!」
次の一撃でハンが柱へ叩きつけられる。
ハンはワイヤーで柱を引き抜き投げる――コハクは腕で粉砕し、空へ舞い上がって火を降らせる。
ハンは電撃ゲートで耐える。
「お前はただの狂った女だ! 俺の大事な奴らに近づくな!」
コハクは柱を投げ返した。
「はは! なら殺せ!」
ハンはダーツを撃ち込み、殴り上げる。だが再生。
シノが放つ。
「ジュゲン滅者:指先滅鍵!」
ベクトルが迫る――コハクは上へ躱し、尾でシノを叩き落とした。
「残念」コハクが吐息を洩らす。「技は凄い。でも、殺しが足りない」
「シノォォ!」
ハンがタックルするが、蹴り飛ばされ天井へ。
影が顔を完全に覆い、歪な口と灰色の光る目が浮かぶ。
コハクがうっとり見つめる。
「……出た。悪魔」
ハンの腕輪が籠手へ変わり、棘鎖が飛ぶ。コハクを壁へ叩きつける。
「死ね!」
だがコハクは無傷で解ける。
煙幕、ワイヤー、腕の切断――再生。
コハクはハンの拳を掴み、嬉しそうに囁いた。
「完璧。あなたはわたしのもの。わたしのペット、わたしの戦士、わたしの子……」
「黙れ……!」
ハンが振りほどこうとした瞬間――
尾の一撃で吹き飛び、床に転がった。
コハクは満足げに笑う。
「よくやった、わたしの子……よくやった」
⸻
同時刻――
アスモデウスは、リカたちを冥府の奥へ導いていた。
「他の仲間が試練を進めた。よって再開だ」
「次は何の試練?」リカが訊く。
「“力”そのものの試験だ」アスモデウスは告げる。
「死から逃れるため、お前たちはどこまで必死になれる?」
「かなり必死」リカは息を呑む。
「まさか地獄から逃走とかじゃねぇだろうな」ガクトがうんざりする。
「いいや」アスモデウスが笑う。「ここが地獄だ。だが――長くここに囚われ、狂った者と相対してもらう」
「誰?」レイが首を傾げる。
荒野の中央。畑のような場所で、筋骨隆々の男が鎌で草を刈っていた。
男がこちらを見て、鎌を落とす。
「……まさか」ティフォンの目が見開く。
アスモデウスが淡々と言う。
「ヘラクレス。力の神」
〈規則:力そのものを上回れ〉
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