――第64章・混沌の門――
「ザリア……ザリア……起きて……ハニー」
闇しか見えない。
「起きて」
ザリアは跳ね起きた。
目の前は――荒れ狂う砂嵐。見渡す限り砂漠。空気そのものが刃みたいに荒い。
「え……? さっきまでピラミッドの中じゃ――」
「それ、俺も聞いた」神代コウイチが肩をすくめた。
「“神”が環境を変えたんだろ」砂原アツシが舌打ちする。「面倒だな」
砂原ノノカが上を指さした。
「パパ、上!」
砂の槍が雨みたいに落ちてきた。アツシは石の腕を形成して受け止める。
「砂でも殺せる。全員、気を抜くな!」
壊れた遺跡の断片が地面からせり上がる。だが、見えたと思った瞬間、霧散して消える。
遠く、妙な影がいくつも揺れていた。
「あれ……人?」月島カオルが眉を寄せる。
砂が盛り上がり、巨大な“砂の顔”が現れる。
そこから聞こえた声は――嫌になるほど馴染み深い。
『助言してやろう、定命の者ども』
〈規則:混沌を支配させるな〉
次の瞬間。
砂がうねって全員を飲み込み、空が血のように赤く染まった。
⸻
???――
アツシが砂の中から起き上がる。咳き込みながら鎧を叩いた。
「クソ砂漠……鎧の隙間に入った砂を取るのに何年かかるんだ」
隣でコウイチが顔を出し、髪から砂を払う。
「最悪。パンツに入った」
コウイチがアツシを見る。
「……分断されたな。やっぱり」
「神代」アツシが鼻で笑う。「お前と組まされるのが罰だな」
「言い方。悲しくなるだろ」
砂嵐が少し弱まった。視界が開け、赤く脈打つ遺跡の破片が点々と見える。
アツシは低く言った。
「他を探す。嵐が少し晴れたのは好都合――」
「慣れるなよ」コウイチが肩をすくめる。「俺らカイダンチョウに休みなんてない」
赤い遺跡片が、脈動するように揺れた。
「気をつけろ、神代」
「はいはい」
次の瞬間。
二人とも頭を押さえてうめいた。
「――っ、ぐ……!」
視界が赤く滲み、世界が“反転”する。砂漠がねじれて裏返る感覚。
その中で、低い声が響いた。
『ああ……お前たちの中に“偏り”がある。では、不和を引きずり出そうか』
遺跡片から、人の手が突き出た。もう一本。
瓦礫の中から、美しい女が這い出し、砂を払って立ち上がる。
「……嘘だろ」アツシが息を呑む。
コウイチも顔を引きつらせた。
「あー……最悪」
女はふらついて前へ出た。
そして、アツシに向けて真っ直ぐ歩く。アツシは目を逸らせない。
「……アヤ?」
コウイチが咄嗟に構える。
「引っかかるな砂原! それは“彼女”じゃない!」
コウイチが歯を食いしばる。
「ジュゲン後備者:呪いの封印!」
吸い込む門が開く。――が、門が女を飲む前に、女が手を上げた。
蛇が地面から噴き出し、コウイチを縛り上げる。門は閉じた。
「離せ、この蛇野郎が!」
女は答えず、次はアツシへ。
蛇がアツシの腕と脚を絡め取り、顎を掬い上げる。
「おかえりなさい、あなた」
赤い竜巻が地面から立ち上がり、二人のカイダンチョウを飲み込んだ。
⸻
一方――
ザリア、ノノカ、カオルが目を覚ます。
場所は川辺。水の匂いがする。
「はぁ……やっと水!」カオルが安堵しかけた。
「待って、カオルさん!」ザリアが止める。「それ、飲まないほうが――」
カオルが水面に近づいた瞬間、川が“赤”に染まった。
カオルは悲鳴を上げ、ザリアの腕に飛び込む。
「きゃっ!」
『……ほう』
声が、川底から響く。『お前たち三人の中の闇を見せてもらおう』
赤い雲のようなものがザリアを包んだ。
『壊れた少女。トラウマ。師に執着。無謀――』
「知らねぇよ!」
次の雲がカオルへ。
『名声。尊敬。自称カイダンチョウ……だが優しさは仮面』
「ちょ、ちょっと! やめてよ!」
最後の雲がノノカへ滑る。
『誇り。虚勢。だがその下は――』
ノノカが拳を握る。
「黙れよ」
『私は一人では折れぬ。なら、折れる“誰か”を連れてくる』
川が揺れ、空間が裂けた。
そこから――オマリロ・ニュガワが杖を手に現れる。
「……サー?」ザリアが声を震わせる。
「え、なんでここに」ノノカが警戒する。「助けに来たわけ?」
「おお! ニュガワさん!」カオルが手を振る。
オマリロが一歩前へ。
カオルがふと気づく。
「……あれ? なんか……おかしい」
オマリロはザリアの前に立った。
「少女」
「は、はい、サー……?」
「近く」
ザリアが身を屈める。
オマリロが耳元へ寄った。
「伝えることがある」
「聞いてます、サー!」
――次の声は、歪んだ唸り声だった。
『お前は私を失望させた、ザリア』
「……え?」
杖が振るわれ、ザリアは吹き飛んでカオルにぶつかった。
「ぐっ……!」
ノノカの顔が真っ青になる。
「サー!? 何して――」
『お前』
オマリロがノノカへ杖先を向ける。
『外部者。歓迎しない』
「え、待って! お願い! 約束――!」
杖がノノカの顔面を叩き、ノノカは地面に転がった。
空気がさらに重くなる。砂嵐が戻る。
空から“血”が滴り落ち、オマリロの目が紅と黒の間で揺れた。
「……カオル」オマリロが呟く。
「ひ、はい……?」
「見ろ」
「見ろって……何を――」
オマリロが手を伸ばすと、暗赤の雲状の触手が掌から伸び、カオルを絡めて引き寄せた。
ザリアは涙目で立ち上がる。
「サー……私……もう要らないんですか……?」
ノノカも膝をつく。
「私、何か……間違えた……?」
『間違えた』
オマリロの声が低く落ちる。
『二人とも、間違えた』
二人の表情が殴られたように歪む。
だがオマリロは、優しげに手を差し出した。
『償いはできる』
「どうやって……?」二人が同時に言った。
『一人だけ生き残れる。二人で殺し合え』
ザリアとノノカが、互いを見る。
カオルがオマリロを睨む。
「あなた……ニュガワさんじゃない! 本物がそんなこと言うわけない! 最低な――!」
触手がカオルの口を塞いだ。
ザリアとノノカは、呼吸だけが荒くなる。
そして――二人は向き合った。
電気のような緊張が走る。
「……ごめん」ノノカが言う。「でも、私は……負けられない。あの人を失うわけにいかない」
「違う」ザリアが震える声で返す。「失えないのは――私だ」
ノノカが首元に手をやる。
ザリアは槍を形成する。
オマリロは興味深そうに、それを見ている。
『開始』
二人は激突した。
ザリアの槍が閃き、ノノカの蹴りが空を裂く。
カオルは拘束されながら必死に身をよじる。
「止めて……! それ、部屋の思うツボ……!」
ノノカがザリアの顔面へ蹴り、ザリアも蹴り返す。
互いの肩が裂け、血が滲む。空の血雨がさらに濃くなる。
オマリロが二人の争いに夢中になった瞬間――拘束が緩んだ。
カオルが抜け出す。
「二人とも、やめて!! それ、違う!!」
オマリロが触手を伸ばすが、カオルは距離を取った。
ノノカの一撃がザリアの頭へ、ザリアの槍がノノカの胸へ――
その瞬間、カオルが割って入る。
「ジュゲン回生者:神経封じ!」
ザリアとノノカの身体が硬直し、二人とも地面に崩れた。
「なにした!?」ザリアが叫ぶ。
「黙ってろ!」ノノカが吐き捨てる。「邪魔すんな!」
「いい加減にしなさい!」カオルが怒鳴る。
「見れば分かるでしょ! あれ、本物のニュガワさんじゃない!」
カオルが指さす。
オマリロの形がさらに歪み、獣じみた影が濃くなる。
嵐と血で部屋が狂いきっていた。
「ほら! あなたたちが“部屋”を強くしてる! 他の人たちはどうなるの!?」
オマリロが手を伸ばす。
カオルはその腕に触れた。
「ジュゲン回生者:神経封じ!」
オマリロの動きが止まる。
だが触手で身体を引き戻し、川へ沈むように退く。
ザリアとノノカの拘束が解け、二人の身体が元に戻る。
「長くは持たない」カオルが息を吐く。「行くよ。……その前に」
カオルは二人の襟首を掴んだ。
「何やってんの? 殺し合いとか……本気で?」
二人の顔が赤くなる。
「……ごめん」ザリアが小さく言う。「マスターに失望されるのが一番怖い」
「私だって」ノノカが視線を逸らす。「あの人は……人生で一番の機会。だから――」
ノノカが周囲の不安定さを見る。
「まず、直す。これ以上壊したら、他も死ぬ」
カオルは唸った。
「アツシさんとコウイチさん探す。これ以上ひどくなる前に!」
「うん」ザリアが頷く。「あと……あの“神”にも一言言わせてもらう。サーを使いやがって」
⸻
別地点――
砂嵐の中。
アツシとコウイチは瓦礫に貼り付けられ、雷が走る空中で揺さぶられていた。
中心には、アヤの姿が浮かぶ。
「アヤ、頼む!」アツシが叫ぶ。「妻が……いるんだろ!? どこかに!」
「妻?」アヤが首を傾げる。「つ・ま? あなたに妻なんていない。あなたは彼女をダンジョンに置き去りにした」
「謝る……! やり直させてくれ!」
「会話すんな、砂原!!」コウイチが怒鳴る。
雷が二人の脚を打つ。
アヤがアツシの前に現れ、手を差し出した。
「もう遊びは終わり。帰りましょう、あなた」
アツシの視界が赤に染まる。
アヤの横に、幼い二人の子が現れた。
「……パパ……」
アツシの呼吸が止まる。
「アキラ……アミナ……」
二人の子とアヤがアツシに抱きつき、身体が歪み始める。
「目を覚ませ砂原!」コウイチが叫ぶ。「変なモノにされるぞ!」
砂嵐の中、複数の“目”が光る。
アツシの身体はさらに捻れていく。
(まずい)コウイチは歯を噛む。
(ここで砂原が折れたら、砂に埋められて終わりだ)
拘束が緩み、アツシがゆっくり浮かび上がる。
「家族……俺の、家族……」
コウイチが叫ぶ。
「おい! 今のお前には“家族”がいるだろ! 娘だ! この部屋にいる! それを捨てるのか、石頭!」
アツシが止まった。瞳が大きく開く。
アヤが肩を掴む。
「彼女は血ではない」アヤが囁く。「私たちが“血”よ」
「……ノノカ……娘……」
嵐が少し弱まる。
アヤの姿が歪み、さらに悪魔じみた形に変わった。
「愚か者。愛しているの? なら永遠にここに――貧しい“他人”を捨てて!」
アツシの視線が揺れる。
コウイチ、砂、そして“家族”。
アツシはアヤの腕を強く握った。
「アヤ……子どもたち……」
頬を伝う涙が一粒。
「……すまない」
次の瞬間、アツシの身体が黒曜石のように変質する。
「ジュゲン変性者:黒曜石ゴーレム!」
巨大なゴーレムとなったアツシが咆哮し、幻は悲鳴のように霧散した。
嵐が鎮まり、アツシはコウイチを掴んで突っ切る。
嵐の外。
アツシはコウイチを下ろし、元の姿に戻って膝をついた。
「危なかったな」コウイチが鼻で笑う。「握力足りねぇんだよ、お前」
アツシは荒い息で答える。
「家族を武器にされた……俺が一番欲しいものを」
「……でも、まだいるじゃん」コウイチが顎で示す。
数歩先。
ザリア、ノノカ、カオルが駆けてくる。
「ノノカ!」アツシが叫ぶ。
「パパ!」ノノカが返す。
――再会の一歩前。
地面が割れ、巨大な砂の塊が立ち上がった。
セトの砂の巨体が、腕を広げる。
「部屋を越えたか」セトが唸る。「だが、出る前に死ねるか?」
遠くに、門が浮かび上がる。
〈規則:脱出せよ〉
「走れ!」アツシが怒鳴る。「全員、走れ!!」
砂でできた巨大な牛が地面を砕いて突進してくる。
アツシが拳で叩き飛ばした。
「ゲートが閉まる!」カオルが叫ぶ。
全員が一斉に駆ける。
背後で砂の獣がうねり、赤い空が崩れ始めた。
――“混沌”が、追ってくる。
——




