――第63章・禁忌の知識、禁忌の門――
???――
少し歳を重ねたオマリロ・ニュガワは、マグカップにコーヒーを注いでいた。
そこへ、紫髪の十代後半の少女が郵便物を抱えて近づく。
「マスター。カイタンシャから手紙が届いてます」
オマリロは振り返った。
「リン。全部燃やせ」
リンは中身をぱらぱらと確認し、頷く。
「承知しました、マスター」
立ち去ろうとしたリンが、ふと足を止めた。
「……そうだ。ひとつ聞いてもいいですか、マスター。結婚するつもりは――」
オマリロは手を上げた。
「ない」
「もし、私が――」
「ない」
「はぁ……」
リンは頬を膨らませる。
「マスター、いつまで壁つくってるんですか。せめて、自分の話くらいしてくれても――」
「話。ある日生まれた。カイタンシャになった。カイダンチョウになった。終わり」
オマリロはコーヒーを一口。
「稽古は後」
リンは苛立ったように腰へ手を当てた。
「はいはい。燃やしてきますよ、言われた通り」
リンは廊下へ向かい、角を曲がる。
そこには、成長したイチカとミレイが待っていた。
「また断られた?」ミレイが聞く。
リンは頷く。
「相変わらず。真面目すぎ。家に住んでるのに、他人みたい」
ミレイが腕を組む。
「どうにかして一緒に時間取れないの?」
イチカが控えめに提案した。
「……旅行とか、どう? マスター、ずっと働いてるし……少しくらい休んでも」
ミレイが笑う。
「無理無理。マスターが“休暇”なんて言葉に乗る前に、私たち全員処刑されるって」
リンが指を立てた。
「稽古に繋げればいいんだよ。“訓練のための遠征”とか。そう言えば動く」
「誰を動かすって、子どもたち」
「ぎゃっ!」
三人が飛び退いた。
背後に、オマリロが立っている。
「サー……!」
三人は反射で頭を下げた。
「廊下で噂話」オマリロが言う。「私が愚かだと?」
「い、いえ! そんな!」イチカが慌てる。
「ただの案出しです!」ミレイが言い訳する。
「そうです! 絶対に騙そうとかしてません!」リンが畳みかける。
オマリロは杖を手に取った。
「道場。全員」
⸻
道場――
オマリロが三人を道場へ導くと、すでに五人の男が稽古をしていた。
その中には、成長したイツキもいる。
「マスター!」イツキが気づく。「お会いできて嬉しいです。今日は何かご用件ですか?」
イツキは三人を見て、空気を読むように口を止めた。
「あ……すみません。悪いタイミングでしたか。何かありました?」
「ちょっと様子見」リンがぼそりと呟く。
オマリロは杖で床を叩く。
「整列」
全員が一列に並ぶ。イツキは中央。
オマリロは端の、緑髪で耳をほじっていた青年に視線を向けた。
「カイト」
カイトは慌てて手を引っ込める。
「はい、マスター!」
次。青髪で僧のように祈りの姿勢だった青年。
「ナオヤ」
ナオヤは丁寧に頭を下げる。
「はい、サー」
次。燃えるような赤髪で目が熱い青年。
「ダイゴ」
「いつでもいけます、サー!」
次。イツキ。
「イツキ」
「ここに、マスター」
次。ミレイ。
「ミレイ」
ミレイは胸に手を当てる。
「何でもどうぞ、サー!」
次。イチカ。
イチカの頬が赤くなる。
「は、はい……マスター」
次。リン。
リンは目を閉じた。
「私は……マスターのものです」
最後に、最年少の少年へ。
「シオン」
シオンは勢いよく頭を下げた。
「証明させてください、サー!」
オマリロは全員を見回した。
「お前たち。歳を取った。青年だ。飢えが鈍った。なぜ」
沈黙。
気まずい空気の中、イツキが一歩前へ出る。
「俺たちは今も“最強”を目指しています、マスター。ただ……」
イツキは言葉を選ぶ。
「あなたが憧れで、指標で……だからこそ、もっと“手を伸ばして”ほしいんです。もっと――直接」
オマリロは杖を床へ軽く鳴らした。
「説明」
イチカが恐る恐る立ち上がる。指をもじもじと絡めた。
「……家族、みたいに。私たち、あなたのカイダンに属してるのは分かってます。でも……“マスター”のことを、もっと知りたいんです。あなた自身を」
オマリロの視線が部屋を巡る。
「何人が同じ考え」
全員が手を上げた。
オマリロの声が低くなる。
「誰も、私の本質を知らない。背負えない」
「背負えます!」ミレイが食い下がる。「私たち、マスターが好きです! 愛してます! 誓います!」
「無理だ」
オマリロは静かに問う。
「なぜこのカイダンが“ジュカイダン”と呼ばれるか、知っているか」
全員が首を振る。
「見せる」
オマリロが手を差し出す。
「ジュゲン堕落:万能苦痛の呪い」
空気が、重く沈んだ。
黒い稲妻のような気配が走り、オマリロの身体を黒い鎧が覆う。
面の奥で、瞳が不気味に光る。
「ジュゲン……堕落……?」イツキが息を呑む。「それ、何ですか……?」
「魂に刻む呪い」オマリロの声が響く。「力は無料ではない。代価が要る」
手を振るう。黒い衝撃が走り、傍の訓練用ダミーが粉砕された。
生徒たちが凍りつく中、オマリロは鎧を解いた。
「深く覗くな。学べるものを学べ。触れられぬものは避けろ」
「マスター……」イチカが震える声で聞く。「どうして……呪われているんですか」
「歴史は複雑だ」オマリロは淡々と言う。「お前は耐えられない」
シオンが前に出る。
「お願いします、サー! 俺たちを信じてください!」
「そうだ!」ダイゴも頷く。「変な呪いでも、ジュゲンでも! あなたは俺たちのマスターだ!」
オマリロは小さく息を吐いた。
「子どもだ。お前たちは」
踵を返す。
「今日は各自で鍛えろ。明日、戻る」
オマリロが去り、道場には取り残された沈黙だけが残った。
「……俺たち、思ってた以上に何も知らない」ナオヤが呟く。
「さっきの、めちゃくちゃカッコよかった!」カイトが興奮する。「俺もやりたい!」
「馬鹿」ナオヤが吐き捨てる。「お前はマスターじゃない」
リンは玄関の方角を見つめた。
「みんな、ズレてる。マスターは何かを背負ってる。だから距離を取ってる。……私たちが、それを軽くしないと」
「リンの言う通り」イチカが頷く。「マスターは私たちを助けてくれた。今度は私たちが助ける番」
イツキが拳を握る。
「決まりだ。呪いの源を探す。そして、壊す。恩返しだ」
――その会話を、少し離れた場所でオマリロは聞いていた。
険しい顔で。
「……子ども」
〈エラー……エラー……樹、安定せず〉
⸻
ミッドガルド――
枯れ始めた樹が、激しく震える。
その幹から、オマリロの上半身が飛び出した。
トールとエメルが目を見開く。
「そんな反応、見たことないぞ!」トールが叫ぶ。「何を見た!?」
「過去」オマリロが答える。
「その過去、最悪だ!」トールが吐き捨てる。
衝撃波が連続して走り、大地が裂ける。
トールがエメルを指した。
「スライム! お前が掴め!」
「え、私!? なんであんたがやらないの!」
「近づいたら俺の身体が裂ける! お前なら衝撃を吸える!」
「神のくせに情けない!」
エメルは両手でオマリロの肩を掴み、全力で引っ張った。
オマリロの身体が樹から剥がれ、樹はさらに不安定になる。
「引けた!」
オマリロが雪の上へ落ち、樹を見た。
「樹。面倒」
「言ってる場合か!」トールが叫ぶ。「走れ!」
三人は雪原を駆けた。
衝撃波が背後を裂き、危うくオマリロを掠める。
やがて、光の筋が現れる。
トールが二人の腕を掴んだ。
「掴まれ、凡人!」
三人は光へ飛び込み、遥か彼方へ運ばれた。
⸻
アースガルド――
待ち受けていたオーディンの横には、兜を被った長身の男が立っていた。
「やっと戻ったか」オーディンが言う。
「ヘイムダル」トールが息を吐く。「間に合った」
「見れば分かる」ヘイムダルが頷く。「樹が想定外の反応をしたようだな」
「想定外どころじゃない」
オーディンは槍先をオマリロへ向けた。
「ユグドラシルを耐えたか。禁忌の秘密を抱える樹を越えるのは容易ではない」
「耐えた、だけじゃない」トールが口を挟む。「樹が……奴の知識を“奪おうとした”みたいだった」
「馬鹿な」オーディンが眉をひそめる。「我らの樹が持たぬ禁忌など、何がある」
オーディンはオマリロを見る。
だがオマリロはその横を通り過ぎた。
「次」
毛布に包まれた名取ユカと、同じく毛布のソウシンの前へ。
「さっきは……よくやった」ユカが言う。「で、何を見た? 答える気は?」
「色々」オマリロが短く返す。「絶望の前で止まった」
「有名なユグドラシルでも、あなたからは引き出せない。……なら私にできるはずないわね」
「できない」オマリロは言う。「お前は」
トールとヘイムダルが小声で何か話す。
オーディンが咳払いした。
「よし。第一試練は合格だ。次は第二。ロキ、お前の番」
ロキが腰を揺らしながら近づく。
「んふ。楽しそう」
「始めろ」オマリロが言う。「私は少年を連れる」
「やったー!」ソウシンが跳ねる。
「まだだよ」ロキが指を振った。「他の連中の進行待ち。タイミング合わせ」
「……ふむ」
「それにさ」ロキが笑う。「エジプトのやつ、引いた人は可哀想。地獄だよ、あれ」
⸻
その頃――
〈侵入を検知――フロアレベル:5,002〉
ザリア、ノノカ、そして同行していたカイダンチョウたちが、広大な砂漠へ降り立った。
目の前には巨大なピラミッド。周囲には家々が点在する。
「デジャヴ」ザリアが眉をしかめる。「てか、なんでこんな深さまで一気に落ちんのよ」
「非線形だ」砂原アツシが吐く。「分割戦と同じ。直線じゃない」
月島カオルが手を叩いた。
「ピラミッド! 好き!」
「落ち着け」神代コウイチが呆れる。
〈規則:試練を完了せよ〉
「試練……」アツシが目を細める。「今度は何だ」
「パパ、嫌な予感しかしない」砂原ノノカが言う。
「平気だ。進め。砂に飲まれるな」
先頭のアツシに続き、ピラミッドへ向かう。
入り口にはミイラが立っていた。
「止まれ、定命の者よ」ミイラが告げる。「なぜ我がフロアにいる」
「歓迎されてない感じ?」カオルが首を傾げる。
「歓迎などない。私は“ダンジョンの破壊者”を待っている」
ミイラの瞳が光る。
「お前たちは彼を――オマリロ・ニュガワと呼ぶのだろう」
全員が一瞬、息を止めた。
「ニュガワに何の用だ」アツシが低く問う。
「説明しろ!」ザリアが食ってかかる。「うちのマスターに罠張ってんのはお前らだろ!」
「……あいつ、私のマスターでもあるけど」ノノカが小さく呟く。
「今は黙れ」アツシが咎める。
ミイラは骨を鳴らし、布がうねった。
そして――全員の身体を一瞬で拘束する。
「っ――!」
ミイラは頭部を晒す。そこには、ジャッカルの顔。
「マスター? 愉快だ。あれはマスターではない。征服者だ」
布が締まる。
「我が名はアヌビス。全てのミイラの神」
「神?」コウイチが目を丸くする。「童話かよ」
「信じぬならそれでいい」アヌビスは淡々と続けた。
「だが、お前たちは“神”の近くに長くいた。気づかなかっただけだ」
背後の扉が開き、埃まみれの部屋が現れる。
その中には十二の扉が円形に並んでいた。
〈規則:正しい門を見つけよ〉
〈残り時間:45:00〉
「砂漠が幸運を与えるといいな」アヌビスが言う。「次の間で待つ」
アヌビスの身体が砂となり、消えた。
「親切な“案内役”だな」ノノカが舌打ちする。「パパ、どうすんの」
「試練を進む」アツシが答える。「仲間が待っている」
全員が中へ入ると、入口は閉じた。
コウイチが部屋を睨む。
「最悪。パズルか。触るなよ、誰も」
カオルが扉の一つへ近づく。
その瞬間、ファラオ装束の蛇が現れた。
「きゃっ! ヘビ!」
「失礼だな、人間」蛇が嘶く。「私は蛇の神格。ヘビではない」
アツシが前へ出る。
「この扉の番か」
「全ての扉に番がいる」蛇が答える。
「正しい門を選べ。そうすれば鍵が得られ、次へ進める」
「この門の先は」
「見せてやろう」
〈混沌の門:解放〉
「我が名はセト」蛇が言う。「混沌の支配者。幸運を祈る」
扉の先は、殺風景な部屋。中央に一つの箱。
「触るなよ」ノノカが即座に言う。
「触るつもりはない」アツシが返す。「全員、鍵を探せ」
散開し、探索。
数分後、入口に集合。
「ない」ノノカが肩をすくめる。
「ゼロだな」ザリアも言う。
「無価値な石しかない」コウイチが悪態。
「じゃあ、箱?」カオルが提案する。
「当然ダメだ」アツシが遮る。「それは明らかに――」
アツシが箱へ目を向けた瞬間。
箱は、開いていた。
犬の身体と大きな吻を持つアバターが立ち上がる。
「愚かな定命の者ども。別の扉を選ぶべきだったな」
笑い声が響き、部屋が激しく揺れる。
雷鳴が満ち、嵐が覆い――
全員の意識が、暗転した。
———




