――第61章・ギリシャの試練――
フロア5,000――
ケルベロスの巣。
ガクトとミズキが獣へ猛攻を仕掛ける中、リカは扉のひとつのボタンへ手を伸ばした。
〈挑戦開始:怒りの扉〉
「おおっ、リカ、何したの?」葉山レイが目を丸くする。
「わ、わかんない!」
ケルベロスがガクトとミズキを弾き飛ばし――次の瞬間、リカとガクトの身体に赤い光がまとわりついた。
〈標的:2名〉
〈ケルベロスの《暴走》を耐え抜け。成功で怒りの扉が解錠される〉
ケルベロスは首をねじり、リカとテュポーンへ視線を据える。
テュポーンは即座にリカの背へ回った。
「え、えっと……何してるの?」リカの声が震える。
「お前に突っ込む準備だ!」テュポーンが叫ぶ。「守れ、人間!」
ケルベロスが突進。
リカは身を投げるように避け、テュポーンも転がる。だがケルベロスは口を開き、炎を吐いた。
「リカ、耐えて!」レイが叫ぶ。
レイは月光を撃つが、弾かれた。
「効かない!」
ケルベロスはさらに巨大化し、全身に火がまとわりつく。
咆哮が部屋を揺らした。
「危ねぇ!」ガクトが叫ぶ。
ガクトは灼熱の兜で突っ込み、ケルベロスにぶつかって壁へ叩きつける。
ドンッ!
土煙が晴れると、ケルベロスはガクトの兜を顎で噛み砕こうとしていた。バキ、バキ、と嫌な音がする。
「落ち着かねぇぞ、この犬!」ガクトが怒鳴る。
「み、みんな……!」
リカは両手を合わせた。焦りで指先が震える。
「お願い……お願い……! ジュゲン回生者:治癒の印!」
〈護符生成:吸収〉
「できた……! よかった!」
リカの掌の護符を、ケルベロスが赤い目で捉えた。
ガクトを放り投げ、リカへ向き直る。
「おい、女……!」テュポーンが喚く。「今だ! 何かしろ! 今すぐ!」
「グルルルル――!!」
三つの口が同時に開き、灼熱の奔流がリカの胸へ直撃した。
ドンッ!
リカは吹き飛び、レイが受け止める。
〈護符:発動〉
炎は反転し、ケルベロスの左の頭へ叩き返される。
左頭がぐらつき、硬直した。
「リカ! 大丈夫!?」レイが必死に覗き込む。
「だ……大丈夫……でも、想像より痛い……!」
リカは鎧を見て顔をしかめた。焼け焦げ、ひびも入っている。
「えぇ……これ、強い装備じゃなかったの……?」
その隙にガクトが突っ込み、兜で頭突き。ケルベロスが床へ倒れる。
起き上がろうとした瞬間、ケルベロスの体がわずかに縮む。
〈挑戦達成:怒りの扉 解錠〉
扉が開き、犬の形をしたトーテムが現れた。
ミズキが素早く掴むと、それは護符へと変わり、左頭へ刺さるように光が走る。
「グルル……!」
左頭は呻いて揺れ、そして崩れ落ちた。気絶したように動かない。
残った二つの頭がそれを一瞬見て――次の瞬間、無差別に炎を吐き散らした。
「一つ落とした!」リカが叫ぶ。
「よし! あと二つだ!」ガクトが吠える。
ケルベロスが尾でガクトを叩こうとするが、ガクトは兜で受け流す。
レイが月光の刃を振り、脇腹に小さな傷を入れた。
「私、また効く!」
レイがもう一撃の構えに入った瞬間、ケルベロスが月光の刃を噛み砕いた。
「……あっ。効いてないかも!」
リカは走って別の扉のボタンを押す。
〈挑戦開始:飢えの扉〉
部屋のあちこちに肉塊が浮かび上がる。
ケルベロスは肉と一行の間に割り込み、威嚇する。
〈肉を12個すべて食べさせろ〉
〈※食べさせられるのは《標的》メンバーのみ〉
ミズキの身体が赤く発光した。
「今度はミズキか!」ガクトが言う。
「そうみたいね」ミズキは静かに頷く。
ケルベロスがミズキへ火炎を撃つ。レイが月光で合わせ、赤いプラズマが生まれてケルベロスを怯ませた。
〈反応発生〉
ミズキは隙を突いて肉を掴み、開いた口へ投げ込む。
〈肉:1/12〉
「よし! あと十一個だ!」ガクトが拳を握る。
ミズキが二つ目を投げようとした瞬間、ケルベロスが前脚で叩き落とし、そのままミズキへ噛みつく勢いで跳ぶ。
「ジュゲン操運者:呪いの伝送!」
爪が壁を削った次の瞬間、ミズキは消え、背後へ出る。首元を掴んで引いた。
だがケルベロスは暴れ、ミズキを振り落とす。
ミズキはそれでも肉を二つ拾い上げた。
「来なさい、犬」小さく囁く。「空腹でしょう」
ケルベロスは肉とミズキを見比べ、低く唸る。
「食えよ、化け物」
噛みつき。ミズキの腕に牙が刺さる。
ミズキは歯を食いしばり、もう片方の口へ肉を押し込んだ。
〈肉:3/12〉
ケルベロスが離れ、壁へぶつかる。
リカが駆け寄る。
「ミズキさん! 治癒できます!」
ミズキは手を上げて止めた。
「やめて。力は温存――」
その瞬間、ケルベロスが突進してくる。ミズキはリカを引き、すれ違いざまに回避した。
ミズキは血のにじむ腕を見る。
「まだ動く。耐えられる」
「ほんとに?」
ミズキは頷く。
「もっとひどいのを経験してる」
ケルベロスが壁へ跳び、爪で滑り降りながら襲ってくる。
ミズキは肉を五つまとめて掬い上げ、後退した。
「隙が要る……」
「作る!」ガクトが叫ぶ。「二人、手ぇ貸してくれ!」
「何を?」リカが身構える。
「やる!」レイが頷く。
「動きを止めてくれ! そしたら俺が、顔面にぶち込む!」
「了解!」
リカは肉を投げて注意を引く。
「こっち!」
ケルベロスが怒りを膨らませ、リカへ向き直る。頭が伸びる。
「レイ! お願い、レイ!」
ケルベロスが噛みつき、リカが悲鳴を飲み込んで跳ぶ。
その瞬間、ケルベロスの周囲に結界が展開された。
「ジュゲン魔法士:月光の護光!」
リカは息を吐く。
「遅いよ!」
レイは無邪気に手を背に回した。
「リカまで閉じ込めたくなかったの!」
ガクトが踏み込み、身体を沈める。
「よし、落とせ!」
結界が消えた瞬間――ガクトの頭突きが叩き込まれ、ケルベロスは床へめり込む。
「今だ、ミズキ!」
ミズキは宙返りで背を取り、肉を口へ押し込む。
〈肉:8/12〉
肉塊がまた空中を舞い、ケルベロスは壁へ跳びついて遠距離火炎を連射し始めた。
「段階が上がるたびにキツくなるな……」ガクトが苦笑する。「よし、残りだ!」
レイは一行を覆う盾を展開し、炎弾を受けながら肉塊へ近づいていく。
「速すぎる……!」
「遅くすればいい」ミズキが言った。「全員、下がって」
ミズキは膝をつき、目を閉じる。
「ジュゲン操運者:動力吸収!」
パチパチとしたエネルギーが周囲から立ち上がり、世界の動きが鈍る。
「今。盾を落として」
レイが解除すると、ミズキは“遅い世界”の中で肉を拾い、投げ、押し込む。
「夕食の時間」
ミズキは壁を駆け、遅くなった攻撃をすり抜け、ケルベロスの背に張り付く。
「食べ……なさい……!」
肉を空へ放り、蹴りで口へ叩き込んだ。
〈肉:12/12〉
〈挑戦達成:飢えの扉 解錠〉
ミズキとケルベロスが床へ落ちる。
リカは扉へ駆け、トーテムを掴んだ。
「急いで……!」
トーテムは護符に変わり、右頭へ突き刺さるように光が走る。
右頭が沈み、気絶した。
ガクトはミズキを引きずって距離を取る。
「今のは凄ぇぞ! もっと喋ればトップ狙えるのに!」
「遠慮する」ミズキは即答した。
「へいへい!」
残る中央の頭がこちらを凝視する。
リカは最後の扉のボタンへ手を伸ばした。
〈挑戦開始:沈黙の扉〉
鎖が飛び出し、リカ、ガクト、ミズキの身体を拘束した。
「ん?」レイが目を瞬く。
ケルベロスの首に鍵が出現する。
〈《標的》メンバーが、音を立てずに鍵を奪え〉
「……っ」レイは息を呑み、口を押さえた。
リカは鎖に揺られながら必死に言う。
「レイ、できる! でも――ゆっくりでいい!」
レイはつま先で近づく。ケルベロスは警戒の目で見返してくる。
(いい子……噛まない……はず……)
だが鍵へ手を伸ばした瞬間、ケルベロスが前脚で弾き飛ばした。
レイは床を転がり、痛みで声が出かけ――慌てて口を閉じる。
ケルベロスは炎を射ち、レイは腹ばいでビームの下を潜る。
(集中……集中……!)リカが歯を食いしばる。
レイは息を殺し、口の動きだけで唱える。
「ジュゲン魔法士:月光の護光……!」
結界が犬を包む。ケルベロスが暴れ、結界はひび割れていく。
レイは這って近づいた。
結界が割れた瞬間、ケルベロスがレイの肩へ噛みついた。
レイは顔を歪めながらも声を出さず、鍵へ指を伸ばす。
(あと少し……!)
レイは月光を一閃、ケルベロスの視界を奪う。
そして最後の力で鍵を引きちぎった。
〈挑戦達成:沈黙の扉 解錠〉
レイは跳ね起き、トーテムを掴む。握り潰すと護符が形成され、中央の頭へ刺さった。
最後の頭が沈み、ケルベロスは巨体ごと床へ崩れ落ちる。
〈残り時間:0:12〉
〈試練達成〉
鎖が解け、三人が床へ崩れた。
「はぁ……」リカはふらつきながら笑った。「レイ、最高だった……!」
「よくやった!」ガクトが豪快に褒める。
「十分」ミズキも短く言う。
「えへへ」レイは頭をかいた。「ありがと!」
影からテュポーンが這い出てくる。
「はいはい、生き残った、生き残った。めでたいね」
「犬が手懐けられて助かった。次に食われるの、俺はごめんだ」
全員が猫を睨む。
リカは腰に手を当てた。
「あなた、元ボスなんでしょ!? 全然助けてないじゃん!」
「……いや? 気づいてない? 俺、動物なんだけど」
「もういい。次は?」
アスモデウスが拍手しながら現れた。
「生きている。悪くない。入口の試験としては合格だ」
「次は楽になるのか?」ガクトが聞く。「もう犬殴りは勘弁だぞ」
「待て」アスモデウスは淡々と言う。「次の試練は――北欧が始まっている」
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フロア5,001――
門を抜けたオマリロ・ニュガワは、名取ユカとソウシンの身体を宙に浮かせたまま現れた。
「……おかしい」
エメルがぷるん、とスライムのまま跳ねて入ってくるなり、顔色を変える。
「うわっ……やばっ! 何したの!? あなた達!」
オマリロが視線を向けると、エメルはびくっとすくむ。
「ご、ごめん! あなたじゃなくて……その、状況が! ここ……三つある“炎の試練”のうちの一つ、北欧の試練だよ! よっぽどヤバい規則違反がないと出ないのに、私たち何もしてない!」
眼前には、凍てついた鋭い山肌。そこに食い込むように村があり、さらに遠くに王国が見えた。
翼を持つ女兵士がこちらを見つけ、剣を突きつける。
「止まれ。――お前。特別招待客」
「女、はっきり言え」
「待っていた。フロア5,001――ここは“アスガルド”と呼ぶ」
女兵士は空へ舞い上がり、オマリロへ合図する。
「来い。アース神族が待つ」
オマリロは少しだけ目を細め、杖をついて歩き出す。
「置いてかないで!」エメルが泣きつく。
「来い、スライム」
エメルはぷるぷる跳ねて後を追う。
橋を渡り王国へ向かうと、筋肉質で刺青のある男女が並び、奇妙な礼で頭を下げた。
「……ふむ」
城門に着くと、女兵士が扉を開ける。
中には、片目に眼帯をした禿頭の老人が待っていた。
「素晴らしい」老人は拍手した。「来たな」
老人はゆっくり降り、槍を構える。
「私はオーディン。アース神族の王だ。――そして、お前」
槍先がオマリロへ向く。
「伝説のカイタンシャよ。人が知りうる最も危険な試練を与える。生き残れるか、見せてもらおう」
扉が閉まり、オーディンが槍を床へ打ち鳴らす。
光が広がり、空気が切り替わった。
「始めよう」
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