――第56章・壁に手――
〈侵入検知――フロアレベル:1,444〉
葉山レイと天川リカは、ガラス張りの床に思いきり叩きつけられ、頭を押さえて身を起こした。
「リカ、大丈夫?」レイが覗き込む。
「うん……レイは?」
レイは自分の体をぺたぺた確認して、にこっと笑う。
「平気!」
二人が立ち上がると、リカは周囲を見回した。
「他のみんなは? それと、他のカイダンチョウはどこ……?」
「分断されたんだ!」レイがハッとする。「分けられちゃった!」
その直後、深山ガクトと西園寺ミズキが上から降ってきて、見事に着地した。二人が顔を上げ、少女たちと視線がぶつかる。
「おっ、ニュガワの子らだな?」ガクトが気づく。「ミズキ、これって運命じゃね?」
「運命というほど確率は低くないわ」ミズキが冷静に言う。「人数が限られているもの」
レイが元気よく手を振った。
「こんにちは! 私レイ! こっちが友だちのリカ! カイタンシャです!」
リカがレイの腕を軽く引っ張る。
「たぶん、もう分かってると思う……」
ガクトが腹の底から笑った。音量がでかすぎて、二人は耳を塞ぐ。
「よし! 俺と一緒なら安全だ! あのジジイ……いや、あの伝説を怒らせたくねぇだろ?」
「怒ったらどうなるんですか?」リカが恐る恐る聞く。
「知りたくねぇぞ、嬢ちゃん! マジで地獄だ!」
「私も体験したくない」ミズキが頷く。「できるだけ近くに。致命傷は避けて」
リカが引きつった笑いを浮かべる。
「が、頑張ります……」
ガクトが周囲を見回した。
「このフロア、規則が出るはずだよな?」
返事をするようにUIが浮かぶ。
〈規則:壁に手を当て続けろ〉
「早く!」ガクトが叫ぶ。「聞こえたな!」
四人は左手を通路の壁に当てた。UIが消える。
「分岐が多いわね」ミズキが言う。「正解の通路を選ぶのに時間がかかる可能性がある」
「真ん中行こうぜ!」ガクトが提案する。「真ん中ってだいたい当たりだ!」
「左がいい!」レイが言った。
「私も左!」リカが即答する。「手を離さず進めるから!」
ガクトが顎に手を当てて頷く。
「いい頭してるな、お前ら! 左だ!」
四人は壁に手を這わせながら左通路へ入った。
「ガクトさん」リカが小声で聞く。「ミスター・ニュガワのこと、どれくらい知ってますか?」
ガクトが肩を揺らして笑う。
「師匠だろ? お前らの」
「はい。でも、すごく秘密主義で……助けてくれるのに、過去は何も教えてくれません。誕生日すら言わないんです」
「らしいわね」ミズキが淡々と補足する。「ミスター・ニュガワの情報は極端に少ない」
「過去を忘れてるの?」レイが首を傾げる。「私みたいに」
「違う違う」ガクトが即否定。「隠してるだけだ。あんな化け物が“老いたから引退”なんてありえねぇ。急にカイダンチョウを辞めたのも、何かあったんだろ」
「昔はどんな人だったんだろ」リカが呟く。
「触れられねぇ。無駄がねぇ。あと、基本一人だな」ガクトが笑う。「でも今よりは弟子を取ってた。お前らをあんなに抱えたの、正直驚きだ」
「ガクトさんも弟子?」レイが身を乗り出す。
「いや、俺は友だち」ガクトが言う。「昔、あいつの“ペット”の世話をしてた。闘士じゃないと扱えねぇからな」
「ペット?」
「あいつ言ってねぇのか?」ガクトが目を丸くする。「戦場で使ってた怪獣みたいなやつらだよ。……一体は暴走して封印、もう二体は休眠したって聞いた」
「どれだけ隠してるの……」リカが息を呑む。
「たぶんな」ガクトが肩をすくめる。「今でも、あの人は“抑える”のが癖だ」
「力は確かに桁外れ」ミズキが言う。「だからこそ、私たちは皆、欲しがってしまう」
「つまり嫉妬だな!」ガクトが笑う。
「へへ、私も嫉妬するかも!」レイが無邪気に笑った。「でもミスター・オマリロはすごい先生だから、強すぎても平気!」
そのとき、ガクトが前方を指した。
「おい、なんかいるぞ!」
ミズキが目を細める。
「……猫。に見えるわね」
猫は大きくあくびをし、前脚をひらひら振った。リカの目が輝く。
「かわいい……!」
リカは壁に手を当てたまま、もう片手でそっと撫でようと近づく。
「触るな!」ガクトが止めるが――
猫はリカの手をパシッと弾き、シャーッと威嚇した。
「痛っ! なにそれ、失礼な猫!」
猫が後ろ脚で立ち上がり、ふんっと鼻を鳴らす。
「失礼だと? 私は猫ではない、無知な女よ。私はこのダンジョンのレイドボスだ!」
「……レイドボス?」リカが固まる。「レイドボスが、ちっちゃい猫……?」
猫は毛づくろいしながら言った。
「違う。あの尊大な女と寄せ集めの手下どもが、私を“囮”にするため猫に変えたのだ。罪を押し付けてな」
「ハントレスが猫にしたのか!」ガクトが理解した。「でもなんで――」
「オマリロ・ニュガワを誘導するためだ。だが私は人間の規則には従わん。特に、無作法で野蛮なあの女にはな」
リカが真剣な目で猫を見る。
「じゃあ、彼女のところまで案内して。助けたい友だちがいるの」
「なぜ私が貴様らを助けねばならん?」
レイが手を挙げる。
「お家あげる! 私もそうやって拾ってもらったから!」
猫が鼻で笑う。
「家など要らぬ。ここが私の家だ。……だが、あのハントレスに一矢報いるためなら手を貸そう。ついて来い」
猫は踵を返し、通路を先導する。四人は顔を見合わせ、追いかけた。
――
長い移動の末、下り坂に出た。数秒おきに振り子の刃が横切っている。
「首を落とされたくなければ注意しろ」猫が言う。「不快な最期だ」
猫は軽やかに駆け下り、下の通路へ到達する。
「ずるい猫だな……」ガクトがぼやく。「規則効いてねぇだろ、あいつ」
「女猫かもしれないよ?」リカが小声で言う。
「声が男だ」ミズキが即答。
ガクトが咳払いする。
「性別は置いとけ! この坂は難関だ。壁に手を当てたまま刃の下を抜けるぞ。腕が飛ぶかもしれん!」
レイとリカが青ざめる。
ガクトは豪快に笑った。
「だが策がある! 俺の後ろにいろ、嬢ちゃんたち!」
ガクトの頭部に黒い熱気が渦巻く。
「ジュゲン闘士:灼熱兜!」
燃え盛る兜が形成され、眩しさに二人は目を細めた。
「下がれ!」ガクトが叫ぶ。「――頭突き!」
ガクトが刃の進路へ頭を突き出す。
ドンッ!
刃が兜に激突し、火花が散った。押し合いになり、ガクトの足が坂でじりじり滑る。
「今だ! 通れ! 時間がねぇ!」
レイとリカは身を低くしてガクトの脇をすり抜ける。ミズキも続いた。全員が抜けた瞬間、ガクトが頭を引き、刃が通り過ぎる。
「一本目クリア!」ガクトが胸を張る。「あと五本だ!」
同じ手順を繰り返し、ようやく出口へ辿り着く。
猫が鼻を鳴らす。
「ふん。遅い」
「こっちは“規則免除”じゃないの!」リカが言い返す。「ほら、次のフロアに案内してよ!」
「猫と呼ぶな!」
猫は毛玉を吐き出すように咳払いする。
「……先は比較的単純だ」
――
次の部屋は巨大なドーム。中央に、座した女性の祭壇像があった。
「誰?」リカが息を呑む。
「上位原型の一柱だ」猫が言う。「ジ・エンドレスがジュゲン管理のため作った存在。だが数十年前に消えた。今は無尽者エリートが代行している」
レイが像を見た瞬間、頭を押さえた。
「うぅ……早くクリアしよ……」
猫が前脚を上げる。
「待て。動いている……」
像が震え、立ち上がった。足を踏み下ろすたび床が砕ける。
〈ドメインボス:上位原型のオペレーター――神々の運動 レベル:???〉
「生きてるの!?」リカが叫ぶ。
〈ドメイン効果:神々の運動は“動いている標的”を見ている時だけ動ける〉
「動くな」猫が低く言う。「見られなければ潰されない」
像の視線が四人をなぞる。全員が石像みたいに静止する。
「……」
像が反対側を向いた。
「今! 行け!」ガクトが囁く。
四人は出口へ急いだが――像がこちらを捉え、足を踏み出す。
「止まれ! 見られた!」ガクトが叫ぶ。
全員がピタリと止まる。像は数歩進んでから首を傾け、視線を逸らした。
「危なかった」猫が小さく安堵する。「次は騒ぐな」
「お前が言うな!」リカが歯噛みする。
再び進み、見られたら止まる――を繰り返す。
「……」
像が別方向をスキャンした、その瞬間。
猫が床の割れたガラスを踏んだ。
「おっと。うっかり」
像が即座に振り向き、進行を始める。
「はぁ!? 猫!」リカが怒鳴る。「何してんの!」
「罰してる暇はない!」ガクトが即断する。「手は壁に! 足は動かせ! 走れ!」
全員が出口へ駆ける。猫も跳びはねて追う。
「待て、私も――!」
像は速度を上げ、巨体が迫る。踏み鳴らしで上からガラス片が降り、出口がガラスの瓦礫で塞がれた。
「行き止まりだね」ミズキが冷静に言う。
「行き止まりは嫌いだ!」ガクトが吠える。「俺がぶっ壊す! 誰か、動く像の足止めできるか!?」
レイが手を挙げた。
「私、やる!」
ガクトとレイが位置を入れ替え、ガクトが灼熱兜で瓦礫へ突っ込む。
同時にレイが手をかざす。
「ジュゲン魔法士:月の明幻化!」
月光のビームが像の肩を撃ち、ガラス片が弾け飛んだ。
「効いてる!」リカが叫ぶ。「レイ、ナイス!」
だが像は無言で足を振り、レイの顔面を蹴り飛ばした。
レイが壁に叩きつけられる。
「レイ!」
〈パーティメンバー1名が違反。ペナルティ執行〉
リカが駆け寄ろうとした瞬間、猫が遮る。
「何をしている愚か者! 手を離せば貴様も同罪だ!」
「関係ない!」リカが叫ぶ。「友だちを置いていけない!」
リカは壁から手を離し、レイの元へ走って抱き起こす。像の足がギリギリで二人を外した。
〈パーティメンバー2名が違反。ペナルティ執行〉
「馬鹿者ども!」猫が怒鳴る。
ガクトとミズキは目を合わせ、同時に走った。
「待て、嬢ちゃん!」ガクトが叫ぶ。「俺らも行く!」
リカはレイの頬を叩く。
「レイ、大丈夫!? ねえ、返事して!」
レイがゆっくり目を開ける。
「……リカ……?」
その瞬間、床が軋み、ひび割れが走った。
〈ペナルティ:火の試練〉
地面が大きく揺れ――
次の瞬間、床が丸ごと崩落した。
全員が、暗い“何か”へ落ちていく。
――
――フロア10,000――
ハン・ジスがゆっくり目を開ける。そこは鍵のかかっていない檻の中だった。
「ミスター・ニュガワ……? ザリア……? リカ……? 誰かいないのか……?」
ハンは立ち上がり、扉を押し開ける。
「ハントレス……どこだ」
外はジャングルのような地形だった。濃い葉、巨木、湿った空気。遠くから悲鳴が聞こえる。
「……抜けないと」
だが道の両脇には、待ち構える狩人たちの列。獣のような節回しで唸り、武器を打ち鳴らしている。
「……何だよ、これ」
狩人が二人、ハンの前方のゲートを指し示した。奥へ続く門だ。
ハンは警戒しながら進み、ゲートを押し開ける。
その先には――命からがら逃げるルーキーたち。背後から巨大な獅子、虎、蛇が追い立てる。
そして中央。
「やっと来たわね。私のペット」
白い大虎の背に、黒月コハクが座っていた。虎の女王の鎧を纏い、片手に大剣、もう片手に盾。血まみれのルーキーの身体を掴み、見下ろして笑う。
「期待してるのよ、ハン。……裏切らないでね」
ハンの喉が鳴った。
「……」
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