――第46章・クラーケン――
カイタンシャ本部――
葉山ハヤテは書類の山をめくりながら唸り、綾瀬マリンは目の前を落ち着きなく行ったり来たりしていた。
「……うん。オマリロ・ニュガワのファイルが全部消えてる。だが、なぜだ? なぜ“彼の”資料を狙う?」
「ニュガワは強すぎます。しかも、今は任意で全盛期に戻れる。捕獲したい敵も、消したい敵も、山ほどいます」マリンが答える。
「奪った奴の見た目は?」
「平均身長。若い。白髪。目つきが……張り詰めてて、狂気もあった。名は“シオン”って名乗りました」
ハヤテが顎に手を当てる。
「シオン……聞き覚えがある」
「知ってるんですか?」
ハヤテはキーボードを叩き、フィードを呼び出した。
「ああ。数年前、カイタンシャに所属していた。だが――ある事件で、シオンと“彼の部隊”が丸ごと消えた」
「事件って?」
「分からない。知ってるのはオマリロと一部だけだ。情報は固く秘匿されてる。だが、シオンは元から危険なワイルドカードだった。今さら“戻ってきた”なら、何かがおかしい」
マリンが舌打ちする。
「つまり……シオンと、あのクソ狩猟姫の両方を警戒しろってわけですね」
「そうだ。厄介だが――この件を任せるならニュガワ以上はいない」
「……はいはい」
ハヤテがマリンを見る。
「ついでに、彼に状況を伝えてくれないか。……久しぶりに話すのも悪くないだろう」
「私が?」
「頼む」
マリンは踵を返した。
「分かりました。報告してきます」
扉が閉まり、ハヤテはシオンのファイルだけを見つめる。
「シオン……何があった。……そして、どうやって戻った?」
――
シンカイダン邸――
オマリロはコーヒーを一口ずつ挟みながら、ノノカの動きを無言で観察していた。
ノノカが突風のような一撃を放ったあと、膝から崩れ落ちる。
「す、すみません……ちょっと……キツい……休憩、ください……」
オマリロが立ち上がる。
「女、上手い」
「えへ……父に鍛えられたんです」
「……ふむ」
ノノカは咳払いして言い足す。
「砂原アツシです。力任せなのに、妙に身軽で」
オマリロは少し長めに見つめ、またコーヒーを飲んだ。
ノノカは居心地悪そうに視線を泳がせる。
「……それで、まだ何かやります? それとも……私、チーム入れます?」
――コンコン。
玄関が叩かれる。
オマリロが杖先を扉へ向ける。
「税金屋なら帰れ。まだ期限じゃない」
「わ、分かりました。行ってきます!」
ノノカが廊下を走り、玄関を開ける。そこにいたのはマリンと数名のカイタンシャ隊員。
マリンが素っ気なく手を振る。
「どうも。オマリロはいる?」
「え、はい! 呼びます?」
「呼んで。短くでいいから話したい」
「わ、分かりました!」
ほどなくして、オマリロが杖をつきながら現れる。マリンは横を向いたまま。
「……アヤセ」オマリロが言う。
マリンの目が鋭く戻る。
「他人みたいに呼ばないで。名前で呼べるでしょ」
「女、何の用」
「……いい。まずこれ。影みたいな侵入者が、うちの本部から“あなた関連”のファイルを盗んだ」
オマリロは平然とコーヒーを飲む。
「女、無駄話」
「は? 無駄って……気にしないわけ?」
「ファイル、無意味」
「相変わらずムカつく」マリンが鼻で笑う。「昔からそう。……あんたらしい」
ノノカが二人を見比べた。
「えっと……お二人、知り合いなんですか?」
マリンの耳が赤くなる。オマリロは淡々と答えた。
「女、元パートナー」
ノノカの顔も赤くなる。
「え、パートナーって……付き合って――?」
「女、まだ惚れてる。今、拗ねてる」
「惚れてない!」マリンが睨みつける。「私は副局長! あんたに構ってる暇なんて――! ただの“過去”よ!」
オマリロは会話を切り上げるように踵を返し、キッチンへ向かった。ノノカは玄関で固まる。
(最強の男と付き合う条件……スーツ着て、ちょい態度強め……? え、マジ……?)
マリンは隊員たちを手で下がらせる。
「あなたたちは戻って。私はすぐ行く」
オマリロが冷蔵庫から追加のコーヒーを取り出すのを見て、マリンがため息をつく。
「……入っていい? 話がある」
オマリロは手を叩くと、次の瞬間にはソファに座っていた。
「女、好きにしろ」
マリンは中へ入り、扉を閉める。
「……はぁ。後悔しないといいけど」
椅子に座り、腕を擦る。
「寒いから助かった。……オマリロ」
「女、心拍上がってる」
「上がってない!」
ノノカがオマリロの隣へ座る。
「そ、それで……二人って、どれくらいの付き合いなんですか?」
オマリロはテレビを見たまま。マリンは渋々答える。
「……二十五年くらい」
「そんなに!?」
「彼、九十七歳だもの。彼にとっては短いんでしょ」
マリンがオマリロを睨むが、オマリロは番組から目を離さない。
「……で、本題」マリンは息を整えた。「狩猟姫。対処のプランは? あいつ、あなたを狙ってる」
言ってしまったことに自分で舌を噛む。
オマリロは背を鳴らす。
「獅子女、無意味」
「無意味!?」マリンが声を荒げる。「あいつ、うちのディビジョン襲撃トーナメントを乗っ取って、カイダンチョウをほぼ殺しかけて、あなたとアツシをぶつけたのよ! どんなジュゲン持ってるかすら不明! それで“無意味”!?」
「無意味」オマリロは同じ温度で言い切る。
ノノカが手を挙げた。
「……私、狩猟姫を追えます」
マリンの視線がノノカへ滑る。
「追える?」
「はい。追跡系のバフがあります。都内にいるなら、見つけられると思う。で、見つけたら……終わりです。狩猟姫」
「それは有用ね」マリンが頷く。「どこで使えば精度が出る?」
「高い所がいいです。東京の中心みたいな」
「用意できる」マリンは即答した。「一度外に出て、ハヤテ局長に連絡する」
踵を鳴らして扉へ向かい、振り返る。
「……ねえ。せめてドアくらい開けてくれない?」
オマリロが指を鳴らす。クローンが現れて無言で扉を開けた。
マリンは頭を振る。
「……ほんと、ありえない」
マリンが出ていくと、ノノカがオマリロへ小声で聞く。
「……副局長さん、長居しませんよね?」
「しない」
――
シコーキ島――
ハン、ソウシン、ハクリュウは、船がさらに深く引きずり込まれる中で必死に踏ん張っていた。
「またかよ!」ハンが叫ぶ。「今度は何だ!」
「クラーケンだ」ハクリュウが冷静に言う。「巨大な海棲生物。知能が高い。……そして致命的に危険」
「やったー!」ソウシンがはしゃぐ。「バトルだ!」
「やったーじゃない」ハンが即座に潰す。「これはレースだ。ガキ、動かせ! このポンコツ!」
ソウシンが手を突き出す――が、反応がない。
「できない!」
「じゃあこっちは的だ――!」
――ドンッ!
ブリッジに海水が流れ込み、そこへザリア、レイ、リカが滑り込んできた。全員ずぶ濡れだ。
「私の髪……」リカが泣きそうに呟く。
「髪どころじゃねえよ」ザリアが歯を剥く。「私ら、食われるぞ!」
「じゃあ作戦は? 隊長さん」リカが睨む。
「う、うるせ! ……まずソフトかどうか確認――」
窓の向こうに、クラーケンの全身が現れた。声は男。
「……ふむ。人間が、私の海で泳いでいる」
「しゃべる!?」ザリアが目を丸くする。
「かわいい!」レイが目を輝かせた。「しゃべるイカさん!」
リカは立ち上がって手を振る。
「あの、お願いですから放してくれませんか……?」
「黙れ、人間」
「ひっ! はい、すみません!」
クラーケンは船を巻いた触手を緩めず、ゆっくり周回する。
「この船の騒音が耐え難い。……破壊するか」
「このクラーケンに船を壊させたら、−40点だ」ハクリュウが淡々と告げる。
「マジかよ!」ザリアが呻く。「ちょ、待って。今だけ猶予くれ!」
ハンが前へ出る。
「放せ。そんで日常に戻れ」
ザリアとリカとレイが、ハンに向かって腕で大きく×を作るが、ハンは気づかない。
クラーケンは沈黙し、目を近づけた。
「……取引をしよう」
「取引?」ハンが眉を寄せる。「何を寄こせって?」
「侵入を見逃す代わりに、価値あるものを寄越せ。……有用なものだ」
一同が顔を見合わせる。
「金?」ザリアが言う。
「貴様らの通貨に興味はない」
「じゃあ何が“有用”なんだよ……」リカが唸る。
「ギフト!」レイが手を上げる。「ジュゲンで作るの!」
「それだ!」ザリアが頷く。「槍とかどう――」
「要らねえだろ」ハンが切る。
「シジルなら?」リカが言った。「クラーケンって使えるの?」
「使えるよ!」ソウシンが頷く。「だいたい誰でも!」
「よし!」リカはクラーケンへ向かって声を張る。「あります! 渡せます!」
ソウシンが大きく手を振る。
「クラーケンさん! プレゼントある!」
「……何だ」
「魔法アイテム!」ソウシンが元気に言う。「リカお姉ちゃん、お願い!」
リカが手を差し出す。
「ジュゲン回生者:治癒の印!」
シジルが掌に生まれ、浮かぶ。
〈シジル生成:吸収――受ける攻撃ダメージを100%吸収し、10秒間“再生”として変換〉
「それ、欲しい……」ザリアが小声で言う。
「私も」リカが小声で返す。
クラーケンは興味深そうに触手を伸ばし、シジルを摘まみ上げた。じっと眺め――そして、投げ捨てた。
「……無用」
「えっ……?」
クラーケンの視線が船内を“探る”ように動く。
「ならば、貴様らのうち一人を寄越せ。具体的には――」
触手の先がザリアを指した。
「短気な女」
「はぁ!? 無理!」ザリアが即拒否する。「絶対イヤ!」
「条件は提示した」ハンが冷たく言う。「投げて進むか、ザリア」
「ハン! 私、海鮮嫌いなんだよ!!」
ハンは淡々と続けた。
「別案がある」
「あるなら早く言え!」
「ソウシン、起動。レイ、あれを撃て。合図で」
二人が頷く。
「了解!」
船内の圧が増し、壁が軋む。ハンが指を鳴らした。
「今だ」
「ジュゲン操運者:電送――第二ギア!」
船が強引に前へ跳ねた瞬間、クラーケンが反射的に触手を引く。そこへレイが月光の一撃を叩き込む。
クラーケンが一瞬だけ拘束を緩めた。
「今!」ザリアが叫ぶ。「上がれ! 走れ!」
船は水面へ浮上し、一気に加速。だが背後から触手が伸び、側面を叩く。
ハクリュウが書き込む。
「揺れが大きい。−3点。73/100。ギリギリB−」
「今それ言う!?」ザリアが怒鳴る。
「口答え。−1点。72/100」
「お前ぇぇ……!」
ソウシンが遠くを指差す。
「みんな、めっちゃ先だよ! これ、ほんとの勝負になってきた!」
「クラーケンで時間食った!」ザリアが歯噛みする。「よし聞け! 一気にスピード出す! 頭使え!」
「私、もう限界かも……」リカが青ざめる。「消耗してる」
「私も……速度は得意じゃない……」レイも苦しそうに言う。
「ハン?」ザリアが振り返る。
「ブーストはできる」ハンが答える。「だが、気に入らない方法だ」
「何?」
「スリングショット。ワイヤーで飛ばす。早すぎれば外す。遅ければ――クラーケンと再会だ」
ザリアは水面を見て、ハンへ目を戻す。
「やる。勝つためなら何でも」
「……よし。来い」
二人は上甲板、さらに船尾へ。
ハンが腕のデバイスを出し、左右へワイヤーを撃ち込む。
「で、私何すんの?」ザリアが聞く。
「脚力で外へ跳べ。戻りの勢いで、船を蹴り抜け。……落ちるな。落ちたら波に消える」
「……“あれ”の海でな」
ハンが目を細める。
「準備は?」
「できてる」
「なら跳べ、女」
ザリアが跳んだ。強い脚で宙へ。ワイヤーに掴まり、戻りの加速が乗る。
「――蹴る!!」
ザリアの踵が船尾を叩き抜いた。
ドン――!
衝撃波。船が弾丸みたいに前へ飛ぶ。
「うわあああ! 速すぎ! 速すぎ!」
船が視界から消えたあと、クラーケンは少しだけ見送るように目を細めた。
「……哀れな女だ」
そして、ゆっくり波の下へ沈んでいく。
「……父は喜ばぬぞ」
―――




