――第41章・スタンアタック――
砂原ノノカは、雨が降り出した頃に身を起こした。だが振り向いても、背後には誰もいない。
「……ん?」
服が濡れていくのを感じ、ノノカはスマホを取り出して砂原アツシに発信した。
「ねえ。ちょっとの間ここで寝泊まりするわ。じゃ。」
電話越しに、アツシの声が響く。
『目的を見失うな。お前は学びに行っている。成長のためだ。怠けに行ってるんじゃない』
「はいはい。分かった分かった。」
ノノカは通話を切り、屋上から降り始めた。地面に降りると、雨に打たれながら玄関を叩く。
「ねえ? 外、凍えるんだけど。入っていい? っていうか――」
しばらくして、オマリロがコーヒーを啜りながら扉を開けた。
「今日は食料品なし。後で来い。」
「は? ……え、食料品が欲しかったの?」
オマリロはまた一口飲み、ノノカは咳払いして体勢を整える。
「とにかくさ。中に入れて。外マジ寒いし、アツシの家まで何キロも歩く気ない。」
オマリロは背を向け、ソファの方へ戻っていく。
「カーペット避けろ。」
「助かった。ありがとう。踏まないように……歩く。」
ノノカは廊下へ進みながら尋ねる。
「あと、風呂……てか着替えたい。濡れた服のまま無理。トイレどこ?」
オマリロはテレビを見たまま、特に反応しない。ノノカは小さく頷いた。
「……自力で探すか。」
いくつも部屋を覗き、ようやく大きなバスルームに辿り着く。
(でっか……。部屋三つ分あるだろこれ。どんだけ金持ちなんだよ。)
バッグを置き、私服を取り出したところで、棚に置かれたトロフィーが目に入った。ノノカは手に取り、プレートを読む。
『伝説のカイダンチョウへ。ダンジョン成功率99.9%の功績を称え、引退後の幸運を祈る。』
ノノカの目が見開かれる。
「……成功率、99.9? 異常なのは分かってたけど……バケモンじゃん。」
ふいに、昔聞いた言葉が脳裏に響く。
――強い男がいる。いつか会えるといい。会えたら、何としてでも自分を証明しろ。それが、お前にとって一番大きなものになる。
ノノカは瞬きをして、トロフィーを元の位置へ戻した。
(99.9……この人から少しでも吸収できたら、伸び方が桁違いになる。)
そして、シャワーの準備を始めた。
◇
一方――
白いフード付きのローブに白いブーツ。ハン・ジスは、灰色の部屋で落ち着かずに歩き回っていた。壁にはベンチが備え付けられている。
「教師はどこだよ……。俺、暇じゃねえんだけど。」
扉が開く。ハンは振り向いた――が、立っていたのは竹野ザリアだった。長袖の白いドレスに、白いヒール。
「は? 何で――」
ザリアが手を振る。
「よ、ハン。ここ、戦ってない時は“それっぽい服”着ろって言われたからさ。これ。どう? 似合う?」
「……ん。まあ。いいんじゃね。」
「よし。」
ザリアはスマホを取り出して自撮りする。
「ニュガワ先生に送ろ。タグ何にしよ――」
そこへシコウキ・セイヤが入ってきた。
「おい、ガキ。次はお前だ。」
ハンが背筋を伸ばす。
「やっとかよ。」
ザリアは、セイヤに連れられて出ていくハンの背に声を投げた。
「頑張れハン! 応援してる!」
セイヤは大きなシミュレーションルームに戻ると、距離を取り、ボタンを押した。
「お前はジュゲン後備者。訓練はあの女とは別物だ。」
「そりゃそうだろ。」
空間が渦巻き、ハンの部屋に変わる。そこには――両親がいた。
「母さん……父さん?」ハンは眉をひそめる。「……違う。罠だ。」
「罠じゃないわ、ハニー。」母が言う。「あなたのダンジョン訓練を応援しに来ただけ。」
「へえ。そういう設定ね。」
「見せてやるよ、息子。」父が微笑む。「下に来い。」
〈目標:訓練を完了せよ。〉
〈目的 #1:両親についていけ。〉
ハンは立ち上がり、二人の後を追って階段を下りた。するとソファに、キヨシにそっくりな男が座っている。ハンを見るなり立ち上がった。
「ハン! いたいた、相棒!」
「キヨシ……?」ハンが吐き捨てる。「俺の過去の“嫌な記憶”を、どれだけ見せる気だよ。」
「おいおい。“嫌な”って言うなよ。」
「別に。……で、何だよ。」
キヨシがハンの手元――キューブを指差した。
「それ、俺の道具だろ。使い方、教えてやる。今から。」
「は? 待――」
床が崩れ、二人は落下した。
次の瞬間、ダンジョンの床に叩きつけられる。ハンは起き上がり、息を呑んだ。
「……ここか。」
「そう。」キヨシが肩を叩く。「今度は変えてみろ、相棒。」
〈目標:キヨシを救え。〉
闇の奥から、巨大なキメラが現れた。
〈ボス:魔境のキメラ――メタル。レベル:71,000〉
メタルは首をしならせ、キヨシを掴み上げる。キヨシは親指を立てた。
「頑張れよ!」
メタルが目を細める。
「矮小な人間。理解もせぬ道具を握りし者よ。」
「喋る鳥かよ。」ハンが冷たく返す。「死んだ友達の身体を掴んでるくせに、名前すら覚えない怪物が、今さら“当たり前”語ってんじゃねえ。」
ハンの目が鋭くなる。キューブを構えた。
「ぶっ壊してやるよ、化け物。」
〈目的1:攻撃を3回中断せよ。〉
〈目的2:攻撃を3回封印せよ。〉
〈目的3:スタンアタックを3回使用せよ。〉
遠くからセイヤの声が降ってくる。
『お前は支援と拘束だ。罠、スタン、封印――それが飯の種。キューブを使え!』
「……分かってる。」
〈ドメイン効果:メタルクロー。激昂時、爪が金属化し、ATKダメージが増加する。〉
(本当にこのレベルかは怪しいけど……集中だ。)
メタルの爪が走る。ハンは跳んで避けた。
『逃げるな。お前は罠師だ。戦場を制御しろ、神代コウイチみたいに。無理やり引き出してやる。』
〈訓練歪曲 #1:5秒ごとに暗闇が視界を遮る。〉
景色が一気に暗転し、獣の唸りだけが近づく。
「最悪だな。」
その時、頭の奥で声がした。
〈感覚を使え……ハン……〉
「黙れ。話しかけんな。……俺は――」
金属の爪が背中を裂き、ハンは地面に転がった。
(掠った……集中切れた!)
〈息をして。上だ、ハン。〉
上からの一撃。ハンは反射でキューブを掲げる。
「キューブ――行け!」
[トリップワイヤーを展開。]
ワイヤーが爪を絡め取り、壁へ叩きつけた。暗闇が晴れる。
〈中断:1/3〉
(今の声……助けた?)
メタルが再び襲い、今度は足の爪を弾丸のように射出する。キヨシが叫んだ。
「背中! 気をつけろ!」
「キューブ――ケージ!」
飛来する爪を、大きな檻がまとめて閉じ込めた。
〈封印:1/3〉
ハンが後退すると、メタルが踏み鳴らして近づく。
『獲物に流れを変えさせるな。狩れ。狩られるな。次。』
ハンの下半身が、分厚いコンクリートに包まれた。
〈訓練歪曲 #2:その場から動くな。〉
踏み出そうとしても、びくともしない。
「ビビるなよ!」キヨシが叫ぶ。「お前なら――」
『逃げることを考えるな。戦場を支配しろ。』
キューブに関連している。
「うるせえ……うるせえ、全員……黙れ!!」
メタルの爪が顔面を裂き、深い傷が走る。同時に、キューブが砕け散った。
「矮小な人間。」
〈……失望だよ、ハン。〉
動けないまま、ハンの視界が揺らぐ。断崖の上に立つオマリロの幻影――背に龍の翼。
〈どうやって役に立つつもり? 臆病者が。リカ、ザリア、レイ――彼女たちは前へ進んでるのに。〉
「やめろ……ニュガワ先生……」
〈本当に弟子? それとも“足手まとい”?〉
「……違う。俺は……支えるって……あの人は……俺の親じゃない……俺の――唯一……」
〈くだらない。なら置いて死なせた方がマシか。お前は獅子じゃない。猫だ。選べ、ハン。道を。慎重にな。〉
二つのUIが浮かぶ。
〈道A:昇る。〉
〈道B:堕ちる。〉
次の瞬間、メタルの掌が叩きつけられ、ハンは地面へ潰される。
「おっと。」セイヤが呟く。「これはまずいな。」
ザリアが騒ぎを聞いてシミュレーションルームへ飛び込んだ。
「何!? 今の音――」
だが映像を見て、足が止まる。
〈2nd 後備者スキル解放:手首装着キューブ。〉
〈使用者は手首から、多様な攻撃・戦術ツールを展開できるようになる。〉
メタルの掌の下から、何かがワイヤーで引き抜けるように逃げた。ザリアの目に映ったハン――目の下に、黒い線が浮いている。
「……ハン?」
ハンの両手首に、腕時計のような装置。そこから浮く、小さなキューブ。
「試してみるか。」
メタルが再び金属の爪を撃つ。ハンはその顔へ指を向けた。
「ジュゲン後備者:手首装着キューブ!」
[以下から1つ選択:ワイヤー/ダート/チェーン/ケージ/スモークボム/ネット/電撃ゲート]
「ワイヤー。」
メタルが身構えた瞬間、ハンは天井を見上げ、口角を上げた。
「物理の授業だ。これは――」
両腕のワイヤーを天井に撃ち込み、全力で引き下ろす。
「天井落下!」
天井が崩落し、怪物を押し潰すように叩きつけた。
ドォンッ!
「うわっ、気をつけろ……!」キヨシが転がって避け、ゆっくり立ち上がる。メタルも瓦礫を押しのけて起き上がった。
〈スタンアタック:1/3〉
〈……いいぞ。見せろ。〉
ハンは壁へグラップルし、スモークボムを怪物の顔へ叩き込む。
〈スタンアタック:2/3〉
メタルが爪を振るう。ハンはネットを展開し、爪の軌道を逸らして壁へ当てさせた。
〈中断:2/3〉
ザリアは息を呑む。ハンはワイヤーで怪物の頭上へ移動し、空中で回転しながらケージを落とした。突進しようとしたメタルが檻にぶつかる。
〈封印:2/3〉
キメラが檻を何度も叩き、ついに破壊。後列の爪を連続で撃ってくる。ハンは深く息を吸った。
「狙って……」
もう一枚、ネット。前列の爪を丸ごと封じた。
〈封印:達成〉
だが後ろの爪が迫る。一本が額へ――ハンは仰向けに滑り込み、ワイヤーを撃つ。
「戻れ!」
身体を捻り、その爪を引き戻して投げ返した。金属の棘がメタルの頭へ刺さり、怪物がふらつき、片膝をつき――倒れた。
〈スタンアタック:達成〉
〈中断:達成〉
シミュレーションが消え、灰色の部屋に戻る。呆然とするザリア。感心したセイヤ。
「新スキルまで引き当てるとは思わなかった。」セイヤが言う。「訓練、想像以上に効くな。」
ハンは血で濡れた顔を指した。
「顔見ろよ。」
「お前の友達は顎が折れてる。」セイヤが肩をすくめる。「文句は言ってないぞ。」
ザリアは駆け寄り、ハンの肩を揺さぶる。
「ねえ! 今の何!? てか大丈夫!?」
「平気。」ハンは短く言う。「完璧。」
「……完璧に見えないんだけど。」
「終わらせた。だろ? さっさと残りの訓練して、帰るぞ。」
ハンは壁にぶつかり、低く唸って部屋を出ていった。
「友達、だいぶ機嫌悪いな。」セイヤが呟く。
ザリアは眉を寄せる。
「長い付き合いだけど、ここまでじゃなかった。……何なんだよ、これ。」
「トーナメントでの失態が効いてるんだろ。」セイヤが言う。「お前らが強くなれば、あいつも上向くさ。」
「……だといいけど。」
◇
壁の向こうで、ハンは崩れ落ち、胸を押さえた。
「くそ……何が起きてんだ……」
〈……私の力で、あなたに第二スキルを与えた。もちろん、その代償として……生命力を少し抜いたけれど。〉
「……は?」ハンの目が鋭くなる。「てめえ。誰だよ」
ハンの身体から、黒い雲のようなものが剥がれる。ほんの一瞬、女のシルエットが見えた。
「口の利き方、気をつけなさい。」影が囁く。「私はあなたを“救った”。」
シルエットは、ハンの目の前に膝をついた。
「そして――私が誰か, ですって?」
声が歪む。
「私は、あなたのナース。」
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