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昭和25年生まれ 木村悦子75歳  作者: 天田 れおぽん @初書籍発売中


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第2話 わたしは昭和25年生まれ

 わたしは昭和25年、西暦1950年の12月20日に生まれました。

 この年は、年齢の表記が満年齢に変わった年。

 それまでは数え年だったのよ。

 数え年というのは、生まれた時の年齢が数えで1歳、それ以降は元旦に1歳ずつ増えていく年齢の数え方です。

 この数え方だと満年齢よりも年が増えやすいから、12月31日に生まれた子も1歳、翌日の元旦には2歳ということになるわよね。

 わたしは生まれた時から満年齢だったから、よく分からないけど。

 上の世代の大人たちは、数え年と満年齢をごっちゃにして年齢を言うから、よく混乱していたわ。


 昭和25年は、聖徳太子の肖像を使った1000円札が発行された年でもあるの。

 それをなぜ覚えているかというと、わたしのためにピンピンのお札を両親がとっておいてくれたからよ。

 小さな時に何度も見せられたから覚えているわ。

 1000円なんて今の価値でいったらたいしたことはないけれど、当時は新卒の初任給が3000円ほどだったそうだから大金。

 ……そういえば、あの1000円札はどうなったのかしら?

 まぁいいわ。

 お金は使わないと価値がないですからね。


 わたしは師走の時期に生まれたからバタバタとしていて忙しくて、父が落ち着いて実感できたのはお正月だったみたい。

 父が「お前の誕生を祝うかのように、紅白歌合戦が始まった」と懐かしそうに話していたことが忘れられないわ。

 当時はテレビではなく、お正月のラジオの番組だったそうです。

 紅白歌合戦が年末でないのは不思議だけど、当時は同じ企画でお正月を迎えるのなんてダメって考えがあったみたい。

 お正月といっても、1月3日だったのにね。

 いま考えると笑ってしまうけど、今さら紅白歌合戦をお正月に放送されてもピンとこないから、このままでいいわ。


 テレビがオワコンと言われている現代では信じられないかもしれないけれど、わたしが子どもの頃はラジオが主流。

 テレビ放送が始まったのは1953年。

 わたしが生まれた頃には、テレビそのものがなかったのよ。信じられないでしょ?


 もっともわたしは子どもだったから、チャンネルを選ぶ権利もないし、さして興味もなかったわ。

 晩御飯のおかずが何なのか、そんな程度のことにワクワクするのも、ちょっと贅沢だった時代。

 いまにして思えば、まだまだ庶民は戦争の傷跡から立ち直るのに忙しかった時代ね。

 子どもには分からないことだから、わたしは理解していなかったけれど。


「食べ物を粗末にしない」

「贅沢言わない」

 

 こんな言葉はよく聞いた覚えがある。


「いまの子はいいわね」

「平和が一番」


 その辺の言葉もよく聞いたような気がするわ。


「あなたたちは幸せよ。だって戦争を知らないんだもの」


 こんな話もよくされたような気がする。

 

 でもわたしは子どもだったから、分かったような分からないような、そんな気分だったわね。

 そんなことよりも、どうやって道を歩けば泥だらけにならないで済むのか、とか、保育園のおやつってどんなものなのかしら? ということが気になっていた。


 当時の道はアスファルトで舗装なんてされていなかったから、土ぼこりか凄かったわ。

 歩けば、その辺に石がゴロゴロしていたし。

 穴ぼこだってあき放題。

 車がとっておいてくれたからよ。

 小さな時に何度も見せられたから覚えているわ。

 1000円なんて今の価値でいったらたいしたことはないけれど、当時は新卒の初任給が3000円ほどだったそうだから大金。

 ……そういえば、あの1000円札はどうなったのかしら?

 まぁいいわ。

 お金は使わないと価値がないですからね。


 わたしは師走の時期に生まれたからバタバタとしていて忙しくて、父が落ち着いて実感できたのはお正月だったみたい。

 父が「お前の誕生を祝うかのように、紅白歌合戦が始まった」と懐かしそうに話していたことが忘れられないわ。

 当時はテレビではなく、お正月のラジオの番組だったそうです。

 紅白歌合戦が年末でないのは不思議だけど、当時は同じ企画でお正月を迎えるのなんてダメって考えがあったみたい。

 お正月といっても、1月3日だったのにね。

 いま考えると笑ってしまうけど、今さら紅白歌合戦をお正月に放送されてもピンとこないから、このままでいいわ。


 テレビがオワコンと言われている現代では信じられないかもしれないけれど、わたしが子どもの頃はラジオが主流。

 テレビ放送が始まったのは1953年。

 わたしが生まれた頃には、テレビそのものがなかったのよ。信じられないでしょ?


 もっともわたしは子どもだったから、チャンネルを選ぶ権利もないし、さして興味もなかったわ。

 晩御飯のおかずが何なのか、そんな程度のことにワクワクするのも、ちょっと贅沢だった時代。

 いまにして思えば、まだまだ庶民は戦争の傷跡から立ち直るのに忙しかった時代ね。

 子どもには分からないことだから、わたしは理解していなかったけれど。


「食べ物を粗末にしない」

「贅沢言わない」

 

 こんな言葉はよく聞いた覚えがある。


「いまの子はいいわね」

「平和が一番」


 その辺の言葉もよく聞いたような気がするわ。


「あなたたちは幸せよ。だって戦争を知らないんだもの」


 こんな話もよくされたような気がする。

 

 でもわたしは子どもだったから、分かったような分からないような、そんな気分だったわね。

 そんなことよりも、どうやって道を歩けば泥だらけにならないで済むのか、とか、保育園のおやつってどんなものなのかしら? ということが気になっていた。


 当時の道はアスファルトで舗装なんてされていなかったから、土ぼこりか凄かったわ。

 歩けば、その辺に石がゴロゴロしていたし。

 穴ぼこだってあき放題。

 車だって主流はタクシーやバスだった。

 

 とはいえ、昭和20年代の記憶なんてほとんどありませんけどね。

 土の匂いと木の匂い。

 花の匂いと実っていく果物の匂い。

 新緑の匂いと、腐っていく葉っぱの匂い。

 ふと懐かしく思う匂いに出会うことはあるけれど。

 それが何時の、何の記憶と繋がっているとか分からない。


 だって子どもだったんですもの。

 子どもなんて、そんなものよね。



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