第1話 変化はいつも突然に
わたしは木村悦子と申します。
昭和25年生まれで75歳になりました。
ちなみに旧姓は阿部です。
同級生の夫、健太郎と共に、子どもたちの巣立った我が家で、快適で穏やかな生活を送っています。
ちなみに我が家はローン支払い済みです。
築40年を超えた家でもローンが終わっていると気楽ですよね。
ちなみに夫の退職金で老人向きにリフォームを済ませたので、安心して暮らすことができます。
結婚して家を出た長男の健太は、近所に家を建てました。
同居こそしていませんが、息子家族との関係は良好です。
息子の健太は55歳。
現在は単身赴任中です。
ひと昔前なら定年間際で、単身赴任から戻ってくる年頃ですけど。
最近は定年というものがあるのか微妙な世の中になってきましたからね。
55歳くらいでは落ち着かないのも無理がないのかもしれません。
せっかく近所に家を建てたのに気楽に息子の顔を見られないのは寂しいですが、お嫁さんや孫たちもちょくちょく顔を見せに来てくれるのでありがたいです。
その点では、娘のほうが冷たいものですね。
でも今日は久しぶりに、娘の順子が孫の玲子と一緒に顔を見せにくれるそうです。
52歳になっても、娘は可愛いですからね。
楽しみすぎて、夫は朝からソワソワしています。
窓の外を何度見ても新しい景色は見られないと思うのですが、じっとしていられないようです。
「えーと、約束の時間は何時だったかな?」
「ふふ。お昼に来るって言ってたわ。でもあの子のことだから、1時近くになるかもしれない。まだ午前十時にもなっていないうちから早々と待っていたら疲れちゃうわよ」
「んー、そうか?」
夫は背中を丸めてショボンとしています。
しょんぼりした大型犬のようで可愛いですが、健太郎も75歳。
健康のためにはメンタル管理もしっかりして欲しいものです。
「そんなに楽しみなら、ご自慢の料理を準備していたらいいじゃないですか」
「んー。でも仕込みは大体終わっているから、あとは仕上げるだけだ」
定年後、夫の趣味は料理になりました。
夫は片付けもしっかりしてくれるし、予算のことも考えて料理を作ってくれる優秀な料理人です。
掃除と洗濯はちょっと苦手ですが、台所周りは大体お任せしています。
わたしは夫に落ち着きを取り戻してもらうための提案をしました。
「ならデザートでも作ってあげたら? 玲子はあなたの作った杏仁豆腐が好きだったでしょ?」
「あぁ、そうだな。デザート! あの子は杏仁豆腐が好きだったな。杏仁豆腐なら材料もあるし、今から作っても間に合う。うん、作ろう」
夫はいそいそと台所へと向かっていきます。
その背中を見送りながら、わたしはフフフと笑いました。
なんだかんだいったところで、わたしも夫と同じように浮かれているのです。
わたしは庭に出て、花の手入れをすることにしました。
「草取りなんて今日することはないだろう? 汚れてしまうよ」
「大丈夫よ、あなた。まだ時間はありますから。草取りをして着替えて身支度を整えるくらいの時間はありますよ」
「そうか? ならいいけど……」
何かブツブツ言っているようですが、来るのは娘ですよ?
多少汚れていても問題はないと思います。
とはいえ、久しぶりに会うのだから、ちょっとはお洒落もしたいですね。
庭に出ると春の暖かな日差しが降り注いでいました。
初夏に近い気温に、花たちは浮かれてポンポン咲いています。
水をあげればキラキラと虹がかかりそうな日ですけれど、水のあげすぎはよくないですからね。
もっと早い時間に水やりは済ませてありますから、気になるところをちょっとだけ整えつつ、草取りです。
春に浮かれるのは雑草も同じですからね。伸びるのが早いこと、早いこと。
「おい、もう11時を回ったぞ? 支度しなくていいのか?」
ささっと気になるところの草を取っていただけですが、あっという間に11時を回ってしまったようです。
わたしは慌てて室内に戻ると急いで着替え、軽くお化粧をしました。
娘と孫娘が来るだけですけどね。身だしなみは大切です。
そうこうしているうちに12時を回り、午後1時近くになって娘たちは到着しました。
「ただいまー」
「おばーちゃん、こんにちは」
嫁に出したはずなのに、娘の挨拶は「ただいま」と「行ってきます」のままです。
戻ってきても困るので直させたいところですが、夫が何も言わないので放置しています。
「おかえり」
夫はニコニコしながら迎えます。
「いらっしゃい、2人ともよく来たね」
わたしの顔も笑みで緩んでいるでしょうけれど、仕方ないですよね。久しぶりですから。
「ウフフ。お正月ぶり」
「そうね。お正月ぶりね」
娘が笑いながら言うのに、笑顔をわたしは答えました。
お正月には娘の夫も一緒でしたが、今日は違います。
でも娘はニコニコとご機嫌のようですから、悪い話があるわけではなさそうです。
「いい匂い~。お父さんのご飯?」
娘が鼻をうごめかせて聞いてきました。
ワクワクしている表情が、子どもの頃と同じです。
「そうよ。あの人、昨日から張り切ってたから」
「おお、そうだぞ。父さんはな、昨日から色々と頑張って作ったんだぞ。冷めないうちに食べてくれ」
わたしが笑いながら答えれば、夫が大袈裟に身振り手振りを加えて説明しています。
「やったー」
娘は両手を上げて喜びを表しています。
娘、52歳なのですけどね。
いくつになっても娘は可愛いですが、これはいかがなものなのかとちょっとだけ悩みます。
「たくさんあるからお替りも遠慮はいらん。デザートの杏仁豆腐もあるぞ」
「わーい。やったー」
孫娘も両手を上げて喜んでいます。
孫娘といっても27歳なのですけどね。
まぁ可愛いのでわたしたちは気になりませんが、ちょっとだけ悩みます。
皆でダイニングに向かうと、テーブルの上には夫が張り切って作った料理の数々が綺麗に並んでいました。
サーモンのカルパッチョに菜の花とホタテの昆布締め、チキンのトマトクリーム煮の隣にはトマトとモッツァレラのカプレーゼ、ローストビーフにハンバーグステーキといった感じです。
山盛りのポテトフライに、鶏の唐揚げもあります。
菜の花のキッシュにオムレツ、だし巻き卵にゆで卵。卵料理だけでも何種類もありますね。
ご馳走といえば卵、という妙なのこだわりがあるのです。
山のようなご馳走を前に娘は爆笑しています。
「ハハハッ。こんなに? 食べきれないでしょう?」
「ウフフ、いいじゃない。余ったら持って帰れば。哲也さんはお留守番でしょ?」
「あー、うちの人? あの人はあの人で用事があるって……まぁ、逃げたんだけど」
わたしの提案に、娘はもごもごと口ごもっています。
何か大変なことでもあったのでしょうか?
気にしつつ、ダイニングテーブル前の椅子に腰を下ろします。
ですが、その謎は簡単に解けました。
孫娘が、ちょっとだけ改まった調子で話しだしたからです。
「おばあちゃん、おじいちゃん。報告があります。私ね、結婚が決まったの」
「ええっ!」
「まぁ! おめでとう玲子ちゃん」
まぁまぁ、あらあら。どうしましょう。
あの小さかった孫が結婚ですって。
嬉しいですけど、変化はいつも突然やってきますね。
楽しくワイワイやりながら、気付けばわたしは自分の人生を振り返っていました。




