絶望した日。
夏季休暇。
大好きな姉様が、屋敷へ帰ってきた。
「ねーさまー!!」
声を上げて駆け寄り、抱き締めようとした、その瞬間。
横から、すっと腕が差し出された。
遮られる。
視線を上げると、そこにいたのはアデルだった。
……あれ?
一歩も触れていないのに、距離だけが、はっきりと隔てられた。
姉様は微笑んでいる。
いつもと同じ、優しい顔で。
でも、何かが違う。
隣に立つ位置。
視線の高さ。
間に入れない空気。
アデルはそのまま、両親のもとへ向かい、何かを報告していた。
内容までは聞こえなかった。
ただ、その夜の晩餐は、やけに豪華で。
誰もが笑顔で、祝っているようだった。
母様が、にこにこと言った。
「アデルが、クリスの“本当のお兄さん”になったみたいね」
……意味がわからなかった。
夜。
久しぶりに姉様と一緒に眠ろうと、こっそり寝室へ向かった。
子供の頃から、そうしてきた。
何もおかしなことじゃない。
けれど。
扉は、固く閉ざされていた。
鍵が、掛かっている。
嫌な予感がして、扉に耳を当てた。
――聞こえた。
息を詰めたような声。
抑えた吐息。
激しく、繰り返し、打ち付けるような水音。
混じる声。
アデルの低い声と、
姉様の、微かに震える声。
……理解してしまった。
一瞬で。
姉様は、
あの悪魔のような男の手に――
堕ちてしまったのだ、と。
頭が、真っ白になった。
どうしたらいい。
どうすれば、姉様を救える。
翌日、母様に相談した。
返ってきた答えは、あまりにも普通で、優しかった。
「お姉様が、幸せかどうかを聞いてみなさい」
……それだけだった。
姉様を呼び止める。
「姉様!」
「なぁに? 可愛いクリス」
変わらない声。
変わらない笑顔。
「姉様は……今、幸せですか?」
一瞬、驚いたように目を見開いてから、姉様は笑った。
「えっ? それはもちろんよ」
「……とっても?」
「そうね。幸せよ」
喉が詰まる。
「……アデルを、愛したのですか?」
姉様は少し首を傾げて、困ったように言った。
「もとから愛してなきゃ、私たち、今頃天に召されてたわよ?」
――意味が、わからなかった。
けれど。
姉様は、確かに“幸せ”そうだった。
疑いようもなく。
打倒アデル、その気持ちは変わらない。
けれど。
姉様が自分で選び、
幸せだと笑っている限り。
……今は。
今だけは。
大人しく、見守ることにした。
そう決めた、その日が。
俺にとっての、
絶望した日だった。
クリス




