狂気に堕ちた朝
夢を、見ていた。
それは前世よりも、さらに前。
もっと古い、もっと暗い、生の終わり。
喉にかかる圧。
息が、できなくなる感覚。
抵抗しようとして、力が入らない。
視界が白く滲んで、音が遠ざかっていく。
――殺される瞬間。
はっきりと、覚えている。
顔は、見えなかった。
でも、分かる。
間違えようがない。
彼だ。
私は、息を詰めたまま、夢の中で理解した。
もう、後戻りはできない。
私が「生涯を共に歩むだろう」と思っていた幼馴染。
その内側に、ずっと棲んでいたもの。
それを、私は昨夜、選んでしまった。
場面が変わる。
夢の中で、弟の声がした。
「アデルは、やっぱり危ないヤツです!
僕が姉様を守ります!」
必死で、幼い声。
胸が締めつけられる。
――あの子は、気づいていた。
私よりも、ずっと前から。
「また、姉様を失った……」
泣きそうな声。
私は夢の中で、弟を抱き締めた。
何度も、何度も。
大丈夫だと、言いたかった。
でも、言葉が出ない。
次の瞬間、景色が切り替わる。
並木道。
差し込む光。
手を重ねて、微笑む人。
懐かしい温度。
静かな呼吸。
――ああ。
ルイスは、私を追いかけてきてくれたんだ。
世界が違っても。
生が変わっても。
それだけが、救いのように胸に落ちた。
けれど。
また、夢は変わる。
背後から抱き着く腕。
離れない力。
「ソフィアは、俺だけのものだ!」
笑顔なのに、声が歪んでいる。
私は、夢の中で――
笑ってしまった。
可笑しくて。
悲しくて。
涙が、溢れた。
そのまま、意識が浮上する。
触れる気配。
揺れる瞼。
朝日が、目に染みる。
「おはよう。ソフィア」
低く、穏やかな声。
すぐ隣。
「……おはよう、アデル」
答えた自分の声は、思ったより落ち着いていた。
ぎゅっと、抱き締められる。
唇に、迷いのない口付け。
「愛してる。もう、逃がさない」
断言する声。
私は、視線を逸らさずに言った。
「……執念深すぎない?」
冗談の形をした、本音。
アデルは一瞬、きょとんとして――
そして、にやりと笑った。
その笑み。
背筋が、ぞくりと粟立つ。
――ああ。
もう、ここまで堕ちたんだ。
逃げ道は、ない。
それを、私ははっきり理解した。
狂気に堕ちた朝。
それでも、目を逸らさずに生きると決めた朝だった。




