君の手に堕ちた夜
部屋の灯りは落としていない。
暗くしなかったのは、怖かったからだと思う。
アデルの肩が震えているのが分かる。
抱き締められた胸元で、かすかな嗚咽が伝わってきた。
「……俺だけを愛してくれ」
掠れた声。
縋るようで、祈るようで、それでもどこか決めつける響き。
私は、その背中にそっと腕を回した。
「私は……アデルを選んでる」
それは嘘ではなかった。
強制的に始まった関係だったとしても、
この幼馴染と、これからも一緒に生きていくのだろうと、
そう思っていたのは事実だった。
私の知るアデルは、不器用で、少し面倒で、
でも、ずっと隣にいた人だ。
唇に、触れる。
何度も、確かめるように。
「俺に集中してほしい」
囁きは低く、熱を帯びていた。
その言葉に、私は小さく頷く。
「……うん」
呼吸が近づく。
触れ合うたび、体温が上がっていく。
ベッドに倒される。
上から覆いかぶさる影。
視界いっぱいに、アデルの顔。
必死で、真剣で、壊れそうなほど切羽詰まっている。
重なる呼吸。
触れられる感覚。
意識が熱に溶けていく。
その奥で、確かな痛みが走った。
息を詰める。
身体が強張る。
でも、その痛みの中で、
私は必死に、別の感覚を拾おうとした。
汗の匂い。
震える動き。
力が抜けないほどの必死さ。
――ああ、この人は、怖いくらい必死なんだ。
それが分かってしまったから、
私は、拒めなかった。
「……好きだ」
何度も、何度も。
「ずっと……ずっと……」
その声が、震える。
「……前世から……」
一瞬、時間が止まった。
前世。
その言葉が、頭の中で反響する。
心臓が跳ねる。
ドクン、と大きな音を立てて。
肌が、粟立つ。
――前世。
それは、私が、
確かに命を終えた世界。
そして。
私の生命を、
刈り取った人。
息が詰まる。
視界が、わずかに歪む。
でも、アデルは気づかない。
いや、気づかないふりをしているのかもしれない。
ただ、必死に、私に縋りつく。
「離れないで……」
「俺だけを見て……」
その腕は強く、逃げ道を塞ぐ。
私は、天井を見つめた。
逃げ場のない部屋。
逃げ場のない夜。
それでも、私は選んだ。
この人の手の中に、身を置くことを。
たとえそれが、
堕ちる選択だったとしても。
息を吸って、吐く。
重なったままの体温が、
じわじわと、私の境界を溶かしていく。
――今夜だけは。
そう思った。
今夜だけは、
考えない。
私の過去も。
この人の狂気も。
ただ、この夜に、堕ちる。
そうして、
私は――
彼の手に、堕ちた。




