前世と現世の愛しい君
夜は静かだった。
野営地の外れ、火の落ちた焚き火跡のそばに腰を下ろす。
眠れるはずがない。
昼間、彼女が叫んだ名前。
俺の名前ではないそれ。
それでも、
俺の中で確かに結びついた感覚が、否定できなかった。
ソフィア。
前世の君。
――覚えている。
手を繋いだ日のことを。
最初はぎこちなくて、
指先が触れるたびに、互いに一瞬ためらった。
それでも、離さなかった。
長年の想いが、ようやく通じ合った夜。
初めて口付けを交わしたとき、
君は目を閉じて、少し震えていた。
「……息、できてる?」
そんなふうに聞いてきて、
俺が笑ったら、安心したみたいに肩の力を抜いた。
並木道を歩いた。
ただ、それだけの時間が、やけに特別だった。
恋人になる前には出来なかったことを、
ひとつずつ、確かめるみたいに。
カフェで、隣に座って本を読んだ。
同じページを追っているわけじゃないのに、
同じ時間を共有している感覚があった。
君は時々、肩に頭を預けてきて、
そのまま眠ってしまった。
重みが、あった。
確かな体温が。
笑う声。
泣く声。
怒る声。
呆れた声。
感情が変わるたび、
声音も、表情も、ちゃんと違っていた。
深い口付けを交わした日は、
君が本気とも冗談ともつかない顔で言った。
「これ……窒息死するかもしれない」
互いの指先は、いつも熱を持っていた。
頬が触れたときの、柔らかさ。
全部、覚えている。
だからこそ。
踏み出せなかった時間も、
はっきりと残っている。
想いを抱えたまま、
壊したくなくて、動けなかった日々。
――そして。
初めてのお泊まり旅行。
浮き立つ気持ちを、今でも思い出せる。
それで終わった。
飛行機事故。
俺は、救えなかった。
だから、決めた。
次に巡り会えたなら。
距離を、守ろうと。
触れられなくてもいい。
想いを告げられなくてもいい。
生きていてくれれば、それでいい。
現世でのソフィアは、
誰かの恋人だと言われている。
……それでも。
彼女が笑うと、
胸の奥が、静かに震える。
守りたい。
欲しい、とは違う。
奪いたい、でもない。
ただ。
この手で、もう一度失うことだけは、
絶対にしたくない。
焚き火跡に、風が吹いた。
俺は立ち上がる。
治癒師としての手を、見下ろす。
この手は、
命を引き上げるためにある。
彼女を、守るためにある。
たとえ――
選ばれなくても。
ルイス




