堕ちついた
あの、人生二度目にして最大級の恐怖の日から、一年が経った。
……正確には、
「堕ちて、押し出されて、泣き叫んで、吸って、むせて、意識を失った日」から。
私は今。
排泄されたものを処理され。
体の隅々まで洗われ。
着替えさせられ。
抱き上げられ。
下ろされ。
また抱き上げられ。
完全に、人頼りである。
立派な成人女性だったはずの私は、
どうしてここまで堕ちたのだろう。
いや、堕ちたのは飛行機だけじゃなかった。
尊厳も、一緒に落ちていった。
……品格は、どこへ行ったのかしら。
思い当たる節は、山ほどある。
まず、排泄だ。
自分の意思とは無関係に出る。
しかも、それを人に報告する術すらない。
「おやおや」
なんて声とともに、
当たり前のように処理される。
いや、ありがたい。
ありがたいのだけれど。
……心の準備というものがあるでしょう?
だが、一年も経つと、人は慣れる。
落ち着いた。
私は、どうやら転生したらしい。
それも、前世の記憶を持ったまま。
この事実に気づいたのは、
泣き叫ぶ日々が少し減り、
世界が「音」ではなく「意味」を帯び始めた頃だった。
ここは、前の世界じゃない。
空の色が違う。
窓の形も違う。
聞こえてくる言葉も、知らない。
なのに、不思議と恐怖はなかった。
むしろ。
……ファンタジーだ。
魔術があるらしい。
それを知ったとき、
内心、かなりテンションが上がった。
魔術。
魔法。
詠唱とかするやつ。
え、私も使えるの?
使えるよね?
転生ものだし。
期待に胸を膨らませたのも束の間。
……この身体。
手、短い。
脚、ぐらぐら。
声、あーうー。
無理だ。
まず立つところからだった。
日々、あんよで鍛える生活。
床に置かれ、
よいしょ、と気合を入れ、
一歩。
ぐらり。
転ぶ。
また抱き上げられる。
……屈辱。
だが、諦めない。
私は、もう一度人生を生きているのだ。
歩けないままでは話にならない。
少しずつ。
本当に、少しずつ。
視界が高くなり。
部屋の広さが分かり。
人の動きが追えるようになる。
そして、言葉。
両親が話している言語を、
必死に聞いた。
音を、分解して。
意味を、結びつけて。
前世の知識があるからこそ、
吸収は早かった。
やがて、意思表示ができるようになる。
指を差す。
声を出す。
首を振る。
それだけで、周囲は大騒ぎだ。
「我が娘は天才だ!」
……いえ、違います。
前世もちです。
「本当に良い子!」
……いえ、それも違います。
中身が大人なだけです。
だが、訂正する術はない。
私は、にこにこ笑っておいた。
この世界には、魔術がある。
大人たちの会話の端々に、
それは当たり前のように出てくる。
魔術師団。
魔術の適性。
魔力。
聞くたびに、胸が躍った。
使いたい。
ぜひ、使いたい。
空を飛んだり、
火を出したり、
光らせたり。
夢は広がる。
……けれど。
こんな乳児に、何ができるというのか。
手を見つめる。
小さい。
ぷにぷにしている。
魔術どころか、
スプーンを持つのも一苦労だ。
ため息が出そうになるのを、ぐっと堪えた。
焦る必要はない。
私は、堕ちてきた。
けれど、生きている。
この世界で、
もう一度。
ゆっくりと、足場を固めていこう。
堕ちきった先で、
私は、ちゃんと立ち上がるのだから。




