懐かしい気持ちと甘い香り
翌朝。
寮の前。
私はその場から一歩も動けずにいた。
「……いや……全身、筋肉痛なんだけど……本当に出掛ける?」
ふくらはぎも、太ももも、背中も主張が激しい。
人の身体は、こんなにも裏切るものだっただろうか。
「俺へのお礼が、筋肉痛以下?」
アデルが涼しい顔で言う。
「行きます!行かせて頂きます!」
即答だった。
条件反射である。
アデルが楽しそうに笑った。
学園の外に一歩出ると、空気が違う。
王都の街は、生活の匂いが濃かった。
老若男女。
買い物袋を抱えた人。
行商の声。
笑い声。
「やっぱり、戦闘民族に溢れてた辺境伯領と違うよね」
何気なく言うと、
「戦闘民族……くっ、はははは!」
アデルが腹を抱えて笑い出した。
「そんな笑う!?」
「いや……的確すぎて……」
失礼な。
通りには、学園の制服を着た生徒もちらほらいる。
その中に、やけに真剣な空気を纏った集団があった。
リュック。
装備。
資料。
アデルが目を向ける。
「あれは、1年の治癒魔術科だな。野外訓練の準備だ」
「えっ!?野外訓練!?」
思わず声が裏返った。
私たち魔術科は、ひたすら座学と魔力循環。
地味で、地道で、治療室と友達。
それに比べて。
「騎士科も、治癒魔術科も、変成科も……基本は野外訓練だ」
「え!?そうなの!?」
知らなかった。
よかった。
本当に、よかった。
私、魔術科で……。
あれに混ざっていたら、治療室どころじゃ済まない。
ふと、視界の端。
重そうなリュックを背負った学園の女子が、ふらふら歩いている。
その足元から、小さな袋が転がり落ちた。
「あっ!」
思わず声が出た。
拾わなきゃ、と動こうとした瞬間。
「俺が行く」
アデルが、すっと前に出た。
やっぱり優しい。
その時。
ドンッ。
「きゃっ」
前から、誰かとぶつかった。
「わっ!ごめん!前、見てなかった!」
すごい量の荷物を抱えた男性。
慌てた様子で頭を下げている。
「だ、大丈夫です!」
足元に散らばったドライフードのパックを拾い上げ、差し出す。
その瞬間。
瞳が、絡んだ。
ぶわっと。
胸の奥に、説明のつかない感覚が広がる。
懐かしい。
知らないはずなのに。
「……俺たち……会ったこと、ある?」
相手も、同じ顔をしていた。
「……私も……あったこと、ある気がして……」
不思議な間。
「俺、王立学園治癒魔術科1年。ルイス」
「魔術科1年。ソフィア」
名前を交わす。
知らない。
なのに、胸がざわつく。
「……ソフィア」
彼が、私の名前を口にした。
その響きが、なぜか優しかった。
「待たせた」
アデルの声。
「そちらは?」
我に返ったルイスが、深く頭を下げる。
「拾ってくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ、前を見てなくてごめんなさい」
ぎこちない笑顔。
別れて、歩き出したとき。
「……また!また学園で!」
後ろから声がした。
「うん!野外訓練?頑張って!」
「生き残ってくるよ!」
物騒な別れ方に、思わず笑ってしまった。
不思議な感覚を引きずったまま、
私とアデルは目当てのスイーツ屋へ。
扉を開けた瞬間、甘い香りが広がる。
ショーウィンドウ。
宝石みたいなケーキ。
「わっ!これ美味しそう!」
「木苺使ってるな。ソフィア好きだろ」
「まずはそれ!」
気付けば、私の好み全開の注文。
「……お礼に……なってない気が……」
「今からなる」
「へ?」
アデルが、口を開けた。
「……あーん?」
「もう。甘えん坊なのは変わらないよね」
少しずつ、分け合って食べる。
「……舌が死ぬ」
「もう限界?」
私は大笑いした。
「アデル。付き合ってくれてありがとう」
「別に……」
でも、嬉しそう。
結局、食べきれずに包んでもらって。
ふたりで手を繋いで、寮へ戻る。
懐かしい気持ちと、
甘い香り。
そんな幸せな帰り道だった。




