墜落
機体が、揺れた。
最初は、よくある乱気流だと思った。
窓の外は白く、雲の層が重なっている。
エンジン音は一定で、客室乗務員の声も落ち着いていた。
――大丈夫。
そう、自分に言い聞かせる。
けれど、次の瞬間。
床が、ずれた。
身体が、浮いた。
「……っ」
思わず息を吸い込んだ拍子に、胸が痛む。
シートベルトをしていなければ、確実に天井に叩きつけられていた。
機体が、傾いている。
明確に、下へ。
乱気流?
本当に、それだけ?
頭の中で言葉が空回りする。
理屈を探しているうちに、客室のあちこちから、音が落ちてきた。
ガシャーン。
ガタン。
ガラスが鳴り、金属がぶつかる。
通路を転がる荷物。
座席の隙間から滑り落ちる飲み物。
天井の収納棚が、軋む。
何もかもが、堕ちている。
視界が揺れる。
床が、壁になる。
壁が、天井になる。
――飛行機が、堕ちる。
その事実が、遅れて胸に突き刺さった。
こんなに、苦しいものだとは思わなかった。
恐怖は、痛みよりも先に来る。
喉が締め付けられ、息が浅くなる。
周囲では、声が上がっていた。
叫ぶ人。
泣く人。
祈る人。
スマートフォンを構え、必死に画面を見つめる人もいる。
震える指で、誰かの名前を呼びながら、動画を撮っている。
――遺書。
きっと、そうだ。
頭の中で、その言葉が形を持った。
遺書。
そうだ、遺書を……。
手を伸ばそうとして、気づく。
指が、思うように動かない。
身体が、重い。
怖い。
ただ、それだけが、はっきりしている。
長年、片思いしてきた。
届かないと思っていた。
それでも、諦めきれなかった。
それが、実は両想いだったと知ったのは、つい最近だ。
交際が始まって。
初めてのお泊まり旅行で。
浮かれて、少しだけ未来を想像して。
――この先も、こうして一緒にいられるのだと。
なのに。
隣から、温もりが伝わってきた。
指が、絡められる。
彼が、手を握ってくれていた。
震えているのが、わかる。
それでも、力はしっかりしていた。
「……君に出逢えたことが、いちばんの幸せだった」
掠れた声。
騒音の中でも、はっきりと耳に届く。
胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。
「……私を、想ってくれて……ありがとう」
それしか、言えなかった。
もっと、言いたいことはあったはずなのに。
愛している、とか。
一緒に生きたかった、とか。
けれど、言葉は形にならない。
機体が、大きく沈む。
浮遊感が、胃の奥を掴む。
視界が、白く滲んだ。
痛みは、なかった。
音も、感覚も、急に遠ざかる。
世界が、白に溶けていく。
私は、意識を手放した。
堕ちる感覚に、身を任せて。




