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黙示録(エミリア)の警鐘  作者: 菖蒲士
起承転結編
5/7

愚直



10.



 ―――本日八時半頃、総武線内にて大規模な火災が発生し、両國〜新宿間での運転を見合わせています。尚、復旧の目処は立っておらず………。


 驛のコンコースに、無機質で残酷なアナウンスが繰り返し響いていた。


 改札前には行き場を失った乗客たちが溢れかえり、駅員に詰め寄る怒号や、携帯端末で連絡を取ろうとする人々の焦燥が、熱気となって渦巻いている。


 ホームを眼前にして、スマホに映る「運転見合わせ」の赤い文字を一瞥した髙島は、人混みの外れで足を止め、少し顔をしかめてつぶやく。

 「………弱ったな。営団で行くしかないかなぁ」

 だが、ここから最寄りの営団地下鉄の驛までは、優に一キロ以上はある。

 普段なら散歩程度の距離だが、この殺人的な猛暑の中では話が別だ。

 ふと見上げれば、帝都の空は抜けるように青く、それゆえに太陽は容赦がない。同時に、この帝都の鉄道網の異常な整備具合にも改めて気づかされる。

 

 ―――地上がダメなら地下がある。

 多少の時間ロスと、この炎天下を歩く労力さえ惜しまなければ、蜘蛛の巣のように張り巡らされた数多の路線が、目的地へ辿り着くことをほぼ確実に保証してくれるのだ。

 その重層的なインフラへの安心感と、迷路のような複雑さには、毎回驚かされる。



 「おーい、地下鉄驛まで歩くことになるけど、いいか?」 


 髙島は振り返り、人波を避けるように券売機の陰に立っていたエレナに声をかけた。


 「ここからだと、十五分……いや、信号待ちも含めれば二十分は歩くかもしれない」

 すると彼女は、左手に食べかけの黒糖饅頭を大事そうに抱えたまま、花が咲くようににっこりと微笑んだ。

 「はい♪ 大丈夫です、お散歩みたいで楽しいですし。………彼等も迂闊に手は出せませんでしょう」


 口の端に少しだけ黒糖の欠片をつけて笑うその表情には、電車の遅延も、肌を焦がすような日差しもどこ吹く風といった余裕がある。


 髙島たちはきびすを返し、遥か先の地下鉄入り口を目指して、驛前の大通りへと足を踏み出した。

 暑さを再び意識した瞬間、熱の壁が体にぶつかってきた。

 夏の光がビルのガラスに反射し、強烈な白さとなって降り注ぐ。アスファルトの熱気が靴底を通して足元に伝わり、遠くの景色は陽炎でゆらゆらと歪んでいた。頭上では蝉の声が飽和し、途切れることなく降り注いでいる。肌にまとわりつくような湿気が、一歩進むごとに体力を奪っていくようだ。

 信号待ちの間、髙島は首筋の汗を拭いながら、隣のエレナを見た。彼女は涼しい顔で、まだ饅頭をちびちびとかじっている。


 (……元気だな、ほんと)


 そんなことを考えていると、二人の少し前を軽やかに歩いていたマリヤが、不意に足を止めてくるりと振り返った。

 白いキトン? の裾と白髪を揺らし、小首をかしげて尋ねる。その問いかけは、蝉時雨を切り裂くように唐突で、あまりにも無邪気だった。

 「ねえねえ、お姉さんは純血? それとも混血?」

 時が、止まったようだった。

 エレナの動きが凍りつく。饅頭を口に運ぼうとしていた手が空中で停止し、みるみるうちに頬は熟したトマトのように赤く染まった。彼女は持っていた黒糖饅頭で必死に口元を隠すが、泳ぐ視線と落ち着きのない手つきは、何も隠せていなかった。

 「そ、そんなこと……き、聞かないでくだしゃい…!」

 裏返った声が漏れる。何か致命的な秘密を指摘された動揺が、痛いほど伝わってくる。

 

「……二人は何の話をしているんだ? 脈絡がなさすぎるだろう」

 髙島が呆れを含んだ声で割って入る。

 しかしマリヤは悪びれる様子もなく、ただ不思議そうに瞬きをして、あどけない声で答えた。

 「え? だから、お姉さんは混血か純血か、どっちの吸血鬼なの?って話」


 ――吸血鬼。その非現実的な単語が耳に届いた瞬間、髙島の中で何かが弾けた。


 いつもなら、冗談だと笑い飛ばすべき言葉だ。


 しかし、脳内では先程の戦闘の映像が鮮烈に蘇り、否定の言葉を封じ込めた。


 男の攻撃を紙一重で躱す、人間離れした鋭敏な反応速度。重力を無視して壁を蹴り、天井近くまで舞い上がった跳躍。魔術を使った不可解な攻撃、そして、常人なら竦むような場面で見せた人外じみた咄嗟の判断力。

 ――すべてが、目の前の少女が「普通の人間」ではないことを示していた。


 「ああ、なるほど――」

 髙島は、すとんと腑に落ちた。パズルのピースが音を立てて嵌っていくような感覚だった。

 記憶の蓋が開く。

 小学校の掃除の時間、ふざけてぶつかったわけでもないのに、華奢な彼女が手に持った花瓶を「あっ」と言って素手で粉々に握りつぶしてしまったこと。

 高校の体力測定。握力計を握った彼女が、何かを恐れるように震えながら測定し、結果が片手七〇キロだったこともあれば、次は加減をしすぎて一五キロになっていたこと。

 あの時の、困ったような、泣き出しそうな笑顔。機会は多かった。

 その度に「器具の故障かな」「火事場の馬鹿力ってやつか」と無理やり自分を納得させてきたが。


 ―――そういうことだったのだろう。

 だからこそ、いまマリヤが口にした「エレナが吸血鬼である」という事実は、彼女の存在に違和感を抱かせるどころか、長年の疑問に対する唯一の解となり、すべてを腑に落ち着かせる要素になっていた。


 (……そういうことか。なら、全部辻褄が合うな)

 髙島は心の中で静かにつぶやき、エレナに合わせて歩調を緩める。


 マリヤはいたって無邪気だ。髙島の反応を見ても肩をすくめて笑うだけで、そこに悪意はまったくない。

 ただ、道端で珍しい蝶を見つけた子供のような、純粋で残酷な好奇心があるだけだ。


「うぅ……」

 エレナはまだ赤い顔をして、饅頭越しに上目遣いでこちらの様子を窺っている。

 その必死さが、吸血鬼という畏怖すべき存在であるはずの彼女を、むしろ守ってあげたいほど愛らしく見せていた。


 二人の間に、沈黙が落ちる。周囲の蝉の声や車の走行音だけが大きく聞こえる。

 だがその沈黙は重苦しいものではなく、互いの秘密を共有し、境界線をまた一つ越えたあとの、微妙だが温かい距離感を感じさせる静けさだった。


 「……髙島さん?」

 「ん?」

 「その……なんでも、ないです」


 驛までの道のりはまだ半分以上残っている。うだるような暑さの中、巨大なビルの影が歩道に落ちていた。

 髙島は無理に追求しなかった。

 今はまだ、この曖昧な共有だけで十分だと思ったからだ。


 「……ほら、あそこの交差点を曲がれば、驛の入り口が見えてくるはずだ。あと十分くらいかな」

 そう言って、足元の濃い影や、熱風に揺れる街路樹に目を向けながら、ゆっくりと流れる時間を受け止めていた。


 エレナはほっとしたように息を吐き、また一口、黒糖饅頭をかじる。じりじりと焼けるような帝都の午後。三人の影は長く伸び、溶け出しそうなアスファルトの上で、一つに重なるように並んでいた。

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