今度こそ溺愛してあげますね、私の不器用な旦那様。
攻め女子と、堅物そうに見えて中身がおぼこい男子を書きたかったと供述しており
エリシア・ベルモンド・シュトラーゼは天国にいた。
29歳、嫁いで10年目に死んでしまったのだ。
天国にたどり着いたエリシアは、雲の上の世界で行列に並んでいた。
老若男女、様々な人間達が自分の人生で一番幸福だった時の姿で転生を待つのだ。
行列の中で、エリシアは様々な人々の会話を聞いた。
人に愛された人生。ささやかな幸福に満たされた日々を噛みしめる人生。
みんな人生それなりに辛かっただろうに、終わってみれば辛いことより幸福なことばかりを思い出すようだ。
「私は……」
エリシアは呆然と考える。何も、自分の人生にはなかった。
子供の頃は小国ベルモンド公国の公女として厳しい教育を受けた。
父は美貌に生まれたエリシアを大国に嫁がせる貢ぎ物として育て上げたが、公国は数々の不運と失策に見舞われ、最終的に勝ち目のない諍いを起こし隣国アシュフォード王国に征服された。
公国の降伏とともにエリシアは、隣国アシュフォード王国の軍師、ガーランド・シュトラーゼ辺境伯に嫁いだ。父はエリシアを嫁がせた後に全責任を捨てて逃亡し、のちに捕らえられて処罰された。
夫ガーランドはアシュフォード王国の若き軍師、兄弟を差し置いて家督相続した若きシュトラーゼ辺境伯だった。仕事漬けの日々を送り、エリシアとの結婚式すら誓いのキスを済ませたら仕事に行く有様だった。
当然子供は生まれなかった。
夫ガーランド・シュトラーゼとは5年以上の白い結婚を過ぎたのち、義務的な夜を何度か交わしたものの子は成せないまま冷え切った関係だった。
エリシアはただ、周りに振り回されるだけの人生だった。
周りの人々の言うような、趣味も楽しみもなかった。
大国に嫁ぐために必要な貞淑な女になるよう育てられることが全てだった。
あまりになにもないために、貴婦人同士の付き合いの中では「つまらない」「自分がなさすぎる」「顔だけの空っぽ」と言われたけれど、遊びに詳しく賢しい女は不興を買う必要があるため、花嫁修行以外の一切を与えられなかった。
だからエリシアは生前、何も人生の楽しみがわからなかった。
人生は楽しむ物ではないと思っていた。
ただ人に『愛される』ことだけが自分の存在意義だと思っていた。
愛されることだけがエリシアにできること。
だからエリシアは夫ガーランドにも愛されようと思った。
だがエリシアが美貌を磨こうとも、ガーランドの意向に従っても、生意気を言わずに粛々としていても、ガーランドはちっともエリシアを見ることはなかった。
夜を共にしてもらえずに、一人で泣いた。
泣きすがることなんてできなかった。
五年目になり、唐突に恐ろしい顔をしたガーランドに床を共にされたときは、必死に歯を食いしばって天井を見て耐えた。それが貞淑な妻の夜の勤めだと学んでいたから。
涙も堪えたし悲鳴も堪えた。
けれどガーランドはつまらなそうに、事後はベッドを離れた。
そしてその夜以降また二度と、夜を共にすることはなかった。
お飾りとして年齢を重ね、容色が衰え飽きられることに怯えはじめた29歳の夜。
荊の棘に怪我をして、そこから病にかかり、たちまち苦しみ死んでしまったのだった。
――周りを見る。
皆楽しそうだ。
その会話は、自分で自分の人生を生きてきたからこそだ。
自由のない立場だった人も、怒りや悲しみは自分の物だった。
その立場の中で苦労した経験、つかみ取った何かが、大切な宝物になっていた。
(私はいいなりのままだった。自分で考えなかった。どうして自分があの人生だったのか)
自由のない身だと思い込んでいたけれど、人々の話を聞いていると悔しくなってきた。
できることはもっとあったはずだ。
このまま転生して、私はまた楽しい人生を送れるのかしら。
――送れない。
このままじゃ、同じ失敗を繰り返すだけだわ!
エリシアは立ち上がった。
失敗だらけの悲しい人生のまま、終わらせたくない! と。
「やり直させていただきます! 私、もっと自分の人生とちゃんと向き合いたいんです」
背中に羽が生えた係員は慌てふためいた。
「待ってください、もう人生終わっていますので列に戻って」
「そうですよ、肉体ももう入るにはちょっと差し支えが」
「私今人生で初めてやりたいことが見つかったんです! 行かせて!」
「みんな転生先でほら、前世の思い残しはなんとかしてますし」
「次の人生にいけるほど、ちゃんと生きなかったのよ私は~~!」
「その我の強さをもっと生きてるときにちゃんと出しとけばよかったじゃないですか~!」
背中に羽が生えた係員ともみ合っているうちに。
「あっ」
暴れた結果、エリシアは天国から落下した。
係員の人々が慌てているのが遠くなる。
すると、神様らしき人の声が聞こえてきた。
「あー、しょうがないな。つじつま合わせの処理、やっといて」
◇◇◇
伊達にあの世は見ていない。というわけで私は戻った。
よりによって、結婚式の直後に。
誓いとキスを済ませた後、夫ガーランドは私を見下ろして言った。
「では、また」
マントを翻し、颯爽と去って行く。
戦後処理が長引いていて、彼はゆっくり式をする暇も無いのだ。
私は颯爽と去って行く夫の姿を、呆然と見送った。
そうだ。前世はこれに絶望したのだ。
結婚こそが幸せの絶頂。女として生まれた意味。
全てのハッピーエンドだと思っていたから。
まさか、こんなあっさりと行ってしまうなんて。
しかし今の私は、伊達にあの世を見ていない。
(今なら分かる。結婚式の隙を突いて各地で反乱が起きそうになっていたのよね。私を心配させまいと、彼は詳細を言わないまま去って行った……)
ここでうっかり詳細を明かせば、私の親類に聞かれるかもしれない。
彼の冷たく見える行動は、当然の行動だったのだ。
(でも、周りの人はそうは見てくれないのよね)
嫌でも、周りからの嘲笑が耳に入った。
城の大広間で花嫁衣装のまま取り残された私の前で、周りの人々がこれ見よがしにひそひそ言う。
「かわいそう。花嫁を置いていくなんて、愛されていないのね」
そう。以前の私はその言葉を鵜呑みにし、侮辱されたと思い悲しんでいた。
アラサーの人格が入った今なら思う。
(事情も慮らず十代の花嫁の前でそんなこと言う人なんて、たかが知れているわ)
私は落ち着き払って席へと戻る。
すると一人の侍女が、聞こえよがしに言った。
「ふふ……無様すぎ」
私は彼女の顔をはっきりと見た。
10歳精神年齢を重ねた結果、彼女は幼く見えた。
私の目を見て、少し小馬鹿にするように目をそらしたけど。私を舐めている。
(せっかく死に戻ったのだもの。夢かもしれないし、ちょっと強くでてもいいわよね)
私は夫の堂々たる佇まいをトレースするように胸を張る。
それだけで侍女が、身をこわばらせる。
(まねっこだけでも効果があるのね。なるほど……)
考えながら、私は彼女を、堂々と指さした。
「お前。名は? 今何を、この晴れがましい席で言ったの?」
「私は……」
女主人の私に指さされても、彼女はにやにやと笑いながら、目をそらす。
(これは……強い後ろ盾がいるわね? )
もしかして私が病死したのも、侍女たちの嫌がらせがあったのかも?
いやいや、今はそんなことはどうでもいい。
私は気持ちを切り替えて、彼女に端的に告げる。
「無礼を詫びなさい」
「そんな、戦利品の花嫁が生意気に……」
「わきまえなさい。今あなたが言ったことの重みを自覚して?」
ぴしゃりと言うと、彼女の顔がかっと赤くなる。
「申し訳……ございませんでした」
そこで私は微笑む。
「聞かなかったことにしてあげましょう。あなたも戦後の混乱で思い悩むことがあるのでしょうから、両国の友好のため今日は許しましょう。しかし二度目の無礼を、私は許しませんよ」
彼女は周りの目を見て、そして舌打ちして逃げるように去って行く。
私はだんだん思い出した。
不安だった死ぬ前の自分は、周りの言葉を鵜呑みにして自分の内に入れてしまっていたと。勝手に不安になって、勝手に傷ついて、勝手に疑心暗鬼になっていた。
(……夫ももしかしたら、ちゃんと話してみたら雰囲気が違うかもしれないわ!)
死に戻る前の私は白い結婚の初夜、夫の顔の怖さに負けて泣いてしまったのだ。
夜を楽しみに待ち詫びながら、結婚式は滞りなく終了した。
(どうせ最悪の人生は終わったっきりだもの! 今度こそ堂々と、落ち着いて自分の人生に向きあいましょう)
◇◇◇
そして迎えた初夜。
ベッドの上で、私はどくどくと高鳴る鼓動を抑えて夫を待った。
いくら一回目の経験があるとはいえ、緊張するし、怖い。
(どうしましょう。夫はやっぱり怖い人かしら? それに今夜、済ませるの? その勇気が私にあるの? うーん、あれってすっごく痛かったし……怖かったし……それをもう一度? いやだいやだ、もうやだ……逃げようかしら……でも、若い頃の夫は見て見たい……そうよ! 何も怖くないわ! だって私、伊達にあの世は見てないもの!)
一人で悶々としていると、足音が近づいてくる。
夜着を纏ったガーランドが、はたして私の待つ寝室へとやってきた。
夜でも黒髪を撫でつけ、眉間に皺を寄せたガーランドの厳しい顔。
以前は見下ろされただけで震えてしまい、そのまま不興を買って初夜が未遂に終わった相手。
しかし。
人生が終わったあとに改めて見てみると、夫は年相応の顔に見えて。
(あ……あら?)
私はその顰め面に、恐怖ではなく胸の高鳴りを感じたのだ。
(え?なに?一生懸命周りになめられないようにしててかわいい……
確かに旦那様、兄弟間で才能で家督を継いだ立場だし、舐められてはダメな立場だから厳しそうにする必要はあったのだろうけど……ああでもなんかすっごく)
「可愛い」
「は?」
デコにびきびきと血管。あ、地雷踏んじゃった。
私はうっかり言ってしまった言葉をごまかすため、口を塞ぐ。
「ごめんなさい。私、こんなに温かな目をした旦那様と結婚したんだなって改めて実感して」
「私を温かなだと?」
次の瞬間、視界が反転していた。
私が見上げるのは天井、シャンデリア、そして覆い被さった夫。
ガーランドは目を眇めて、唇の端で挑むように笑う。
「これでもそう言えるのか? ベルモンド公国の姫君よ」
「っ……」
ガーランドは酷く怖い顔をしていた。
そしてその表情が、とっても。
(可愛いわ……)
例えるならば、試し行動をする子供。わがままを言っても許してくれるのか、甘えてくる子供の行動そのままだ。
なんて可愛いのだろう。
必死に生きている夫ガーランドに、私はときめいて感動していた。
(思えば夫は血縁の隙を生まないために、関係を持つ女性は私だけだと決めていたと聞いていたわ。そう。だから前回の私は怖かったの。初めての相手が私で、失望させてしまうのではないかって。何も知らない私で夫に満足のいく初夜を捧げられるか不安で、私は…………あれ?)
私は改めて、ガーランドを見た。
私がずっと黙って顔をじろじろと見ているので、彼もだんだん困惑した顔になってきた。
(ということはこの目の前の夫は……今、もしかして初めて女性を押し倒したの? 私を? 今? こうして? 初めて?)
童貞なのだ。こんなに、顔が怖いのに。
「うそ……かわいい……」
「まだ言うか」
びきびき。
夫のこめかみにますます血管が浮く。
「申し訳ございません。罰は受け入れます」
「必要ない」
私は表情をなるべくきりっとしてガーランドを観察した。
顔は本当に美しい。
彫刻が動いているように彫りが深くて、射貫くような眼差しが強い。雄々しい。
男性的な鼻筋も唇も、顎のラインも喉仏も、しっかりとしたがっしりとした腕も、何から何まで、美術館に飾れるほどに美しい。
そんな彼も今は緊張しているのだ。
怖い顔をして、私という初対面に近い花嫁に対し、背伸びをして振る舞っている。
私は、彼の意図に気付いた。
(……受け入れてほしいのね、私に)
私を支配したいのなら、適当に手込めにすればいいのだ(痛いから逃げるけど!)。
本来、私は敗戦国の花嫁。だから何をやっても問題ない。
抱いてやったとふんぞり返っていいのだ。
それでも彼は、失言を何度も繰り返した私に対して、ただ我慢強く振る舞っている。
彼だって緊張しているのに。
(……もしかしてあの時とんでもなく痛かったのも、彼が慣れてなかったから?)
次々と謎が解けていく。
(私が泣いて我慢したから、失敗したのかと思って……抱くのが怖くなったの?やだ! かわいい! あー、なんて可愛いのかしら! えっめっちゃ可愛い、だめ、かわいいわ……)
じっと見つめたまま微笑む私に、彼はたじろいだ顔をする。
頭の中で前回の酷い初夜のありさまを思い出して笑っているなんて、彼も思わないだろう。
「……無理を言うつもりはない。ただ、お前に翻意がないか確かめただけだ」
彼はたじろぐままに、私の上からそっと退く。
もったいなくて、私はその手首を掴んだ(指がちっとも回らないわ! 太い! 素敵!)
「……なんだ」
ギリッと睨んでくるガーランド。
私は彼を引き寄せ、腕の中に抱きしめた。
「っ……!」
転がるように私の胸に顔を埋める夫。私ごときの細腕に負けるわけないのに。
強く振り払わない彼が、とても愛しく感じた。
私はガーランドを抱きしめた。分厚い彼の体躯がこわばる。
鍛えられた体躯。人々に怖がられる強い人。
そんな人が、私に抱きしめられて固まっている。
「そうすごまないでくださいませ、私はただの弱い女です」
「……信じられるか」
また、可愛いことを言ってくるガーランド。
私はゾクゾクとした。
「心配なさらないでください、私は旦那様の味方です。同じ褥で秘密を曝け出しあう関係になるのだから、腹の探り合いなんて詮無いことではございませんか」
「……お前は、初婚と聞いているが」
「はい」
「なぜ、そう落ち着いているんだ」
身を少し離した、彼の顔は真っ赤だった。
私の落ち着き払った様子に、彼の強がりのヴェールが剝がれていく。
最初には疑念。そして警戒。そして、耳まで赤くなった顔。
(可愛すぎる……)
私は彼の手を取った。
そして、前回言えなかった本当の気持ちを彼に告げた。
「だって一生涯を共にする旦那様ですもの。最初の夜は、楽しいものにしたくて」
綺麗な薄藍色の瞳に、私は微笑んで見せる。
「ずっと楽しみでした。あなた様にお会いするのが」
そう。本当は前回だって楽しみだったのだ。
私は結婚のためだけに育てられてきたから。
私は誰からも「政略結婚の道具」としか扱われなかった。
誰にも本当の気持ちを言えなかった。本当の自分を、自分でさえ見失っていた。
だから初めて、大切な人と新しい人生を迎えられるのが楽しみだったのだ。
(でも失敗してしまった)
前世、私は自分のことしか考えられなかった。
私は自分の不安や恐怖ばかりに飲まれていた。
見ていなかったのだ。夫だって不安で、緊張していたという事実を。
ガーランドも、生まれた時から身内に誰も心を許せない立場だった。
夫にとっても、味方は私ただ一人なのに。
(気づけてよかった。あの世を見てきて、本当に良かった)
私はぎゅっと、ガーランドの手を握る。
私は彼をひとりぼっちにしたくない。だから転生なんていらない。
私の思い残しも未練も、夫を幸せにできなければ意味がないのだから。
ガーランドのこわばった顔が、だんだん落ち着いていくのが分かる。
「……君は、不思議な人だ。全部が見えているような……」
「見えません。緊張しています。ほら、こんなにドキドキしていますし」
私が手を胸に当てると、夫は突然飛びすさり、部屋のドアまで逃げた。
「あの……!?」
わけがわからない。
前回のガーランドは、私の胸に触れても全く表情を変えなかったから、女の肉体自体にはあまり興味がないと分かっていたのだけれど(だから下手だったのかと合点しちゃったりして)、
私が首を傾げ困惑していると、ガーランドはゴホンゴホンと咳払いをする。
「部屋に戻る」
「えっあっ!? ご、ごめんなさい、何か間違えちゃいました!? 私頑張りますから、何か別のことをお望みなら……ええっと、あっ、初夜! 初夜しちゃいますか!? どうぞ!」
私が思いっきりベッドに寝そべると、彼は大慌てで近づいてきて、私を布団でぐるぐる巻きにする。
「俺は君がわからない」
「は、はい」
「だからわからないまま、君に無体を働くわけにはいかない」
「そ、そうですか……えっと、でも、じゃあどうしましょう」
「……そうだな。…………ここで部屋の外に出ても、色々君の立場が悪くなるな。…………分かった、一晩ここで過ごす」
「!!」
「近づくな、それ以上近づくな。君はこっちで寝ろ。俺はこっちで寝る。いいな」
「でもそれはベッドではなくソファでは……余ってますしこの辺りならご就寝できるのでは、それに私とあなたでしたら、私がソファで」
「いい、淑女がソファで寝るもんじゃない、……とにかくこの線からこっちに入ってくるな、いいな」
「はい」
ガーランドはベッドの真ん中に蝋燭の蝋で線を引き、そして私とは逆側に寝た。
(これ、蝋を初夜に使ったと思われないかしら)
ちょっと気になったけれど、まあ気にしないでおく。
死に戻る前の私だったら、初夜を遂げられなくて悲しいと打ちひしがれていただろう。
でも今の私は違う。
私は無理に彼に初夜を願わない。
代わりに彼の広い背中に、そっと愛おしさを込めて挨拶をした。
「おやすみなさいませ」
「……ああ。おやすみ」
私たちはそうして眠りについた。
私は目を閉じ、微笑む。
私は気づいてしまった。
ガーランドが私に触れる手が、がちがちに固まっていたことも。
彼が本当に怒っているときは、あんな優しい言葉をかけはしないことも。
夫ガーランドがあまりにも可愛い。
彼とこれからどんな人生を過ごすことになるのか、楽しみだ。
虚勢も背伸びもなにもかも、前回の私には見えなかったものがよく見える。
私の人生の使命は見つかった。
背伸びをして一生懸命生きている、この人をたくさん愛してあげよう。
私の胸は高鳴っていた。
人生で初めての、全身から立ち上る恋のときめきに震えていた。
頬を撫で、吐息を漏らせば息が熱い。
生きていた。私はまさに今、楽しく全力で生きていた。
(……ああ、可愛くて愛しい旦那様。必ず、あなたを愛してさしあげます)
◇◇◇
翌朝。
ガーランドは鍛錬に行くと告げ、日が昇る前にベッドを抜け出した。
それからしばらくしてすっかり太陽が昇った頃、
あの生意気な侍女が支度の手伝いにやってきた。
多分サボっていたのだろう。
「必要無いとおもいますけどね、初夜もろくに遂げられなかった花嫁に身支度なんて」
彼女は私が一人で寝ているから、勝手に夫は来なかったのだと思い込んでいる。
(……こうして彼女は、どんどん私の自尊心を削ってくれていたわ)
前世は怖くてしかたなかった彼女なのに、不思議とまったく怖くない。
平然としている私にイラッとしたのか、彼女はさらにたたみかける。
「情けなくならないんですか? 子供を産むことだけが役目なのに、その役目も果たせないお荷物でいて。それでも平気だなんて厚かましいって、この国の貴族令嬢なら皆さん思いますけどね。命さえあればそれでいいって怠慢ですか? あくせく働くこともせず、ずっと温かな布団で寝てればいいって、親が罪人でも良いご身分ですね」
言い返すことも面倒で、私は彼女を真顔でじっと見た。
捲し立てる彼女は申し訳ないけれどあまりに滑稽だった。
前世の私ならば、深く傷つき悲しみ、己の立場や身の振り方を考えたかもしれない。
けれど一度あの世を見て思うことは、立場がどうであれ、人に暴言をぶつけるのは情けないことだ。自分より立場が上だったり、命を握っている相手にはこんなことは言えない。
私が彼女にどうともできないと分かっているから。
だから誰もいない場所で、こうして唾を飛ばしているのだ。
「ベッドにあなたの唾が散るわ。旦那様のためのベッドを穢すわけにはいかないから、出て行ってちょうだい」
「なっ……どうせ来ないわよ、この敵国女!」
彼女が私に向かって枕を投げつけようとしたその時。
彼女の手首を、手袋をしたガーランドの手が掴んだ。
「使用人風情が、貴族の代弁とは偉くなったものだな」
「えっ……あっ……」
ガーランドが手を離すと女は床にへたりこむ。
手袋を歯で噛んで脱ぎ、ガーランドは手袋を女へと放った。
「城門の外へ捨ててこい。報告は不要だ」
そう言うとすぐに別の使用人がやってきて、彼女を部屋から追い出した。彼女を引きずり出す足音が廊下に遠ざかり、扉が閉まると、嵐が去ったような空気だ。
――先ほどの言葉は、使用人に暇を与える慣用句だ。
私は呆然とガーランドを見上げた。
「君をかばったのではない。政略結婚で嫁いだ妻への愚弄は王政に対する逆心だ」
「ありがとうございます」
私は深く頭を下げた。
顔をあげると、彼は顔をおもいっきりそらしていた。
「迂闊に前屈みになるな。慎め」
「え? ええと……」
「昨日も思ったが、なんだその寝間着は。体を冷やすし、よくない。……隠せ、色々」
「見苦しいものを失礼しました」
もしかして胸が気になるのだろうかと、ネグリジェの胸元の布地を引き上げる私。
癒やす前に好みを調べる必要があるわね、と思っていたところで、素手で手首を掴まれる。
「違う」
「見苦しくなんかない。……その、…………政略結婚で嫁いだ身なのだから、相応の価値を王家は評価している。己に対する卑下は許さぬ。……ぎゃ、逆心扱いとするぞ」
「ええと」
どうしたほうがいいだろうか。思っていると、彼は小さな声で呟いた。
「今日の午後、庭園で待っている」
「え」
「……落ち着いてもっと話がしたい。君がどんな人間か知りたい。嫌か」
「夜以外にも仲良くしていただけるのですか!」
「そ、そう身を揺らすな、やめてくれ」
「失礼しました」
彼はひどく険しい顔で目を逸らしているけれど、耳は相変わらず赤い。
どんどん、彼が愛おしくなるのを感じた。
私はこんな可愛い人と向き合わないまま、死んで輪廻するところだったのだ。
とんでもない。ちゃんとこの人を愛して、この人が幸せになれるようにしてあげないと。
(そして、私が将来死んだあとも、この人の幸せが続くようにしてあげなくちゃ)
私はきっと同じときに死ぬ。
そう思っておいたほうがいいだろう、だって元々の寿命は29歳なのだから。
残り10年。長いようでとても短い。
そして私は気付いてしまった。10年後、私が死んだのは長年にわたる呪いのせい。前世では気づかなかったけれど、死の間際に体調不良の原因が呪詛だと分かったのだ。
あの使用人の女は単独犯ではないはず。必ず誰か、私を陥れようとしている人がいる。
もしかして最後まで私と彼との結婚に反対していたという義母様かしら。
◇◇◇
数日後、
私は実家から連れてきた女騎士たちの中で、一番信頼出来る人間を選び命令した。
「使用人の女性について後を追って」
「承知いたしました」
前回は思えば彼女もいわれのない罪で投獄されていた。
きっと私の力を削ぐためだろう。
――彼女も、今回は絶対助けてあげないと。
「やることいっぱいあったんじゃない。なんで私、全部気付かないまま死んでいたのかしら。……ふふふ」
私はにやけてしまそうになる頬を押さえた。
死ぬまで残り10年。やれることはなんでもやって、自信を持って天国の列に並ぼう。
わがままを通してしまったから、転生もさせてもらえないかもしれない。
それでもいい。
生きてるうちが華。1000回の輪廻より濃密な10年を過ごせばいいのだ。
そうこうしているうちに、今宵も同衾の夜が来る。
ガーランドは前世とは違い毎晩通ってくれるようになった。
もちろんまだ、本当の夫婦にはなれていない。
――あの痛い思いをするのは、まだ当分勇気が出ないので、ずるずるでいてくれると私も助かる。
「待たせたな」
ガーランドが今宵もベッドに来た。
顰め面で黒髪を撫でつけ。実年齢より大人びた顔をした、けれどあどけない青年の顔で。
困惑と警戒と緊張と、ほんのちょっとの期待を滲ませた顔に、胸が高鳴る。
「良い夜ですね、愛しのあなた」
私は嬉しさを素直に出し、両腕をいっぱいに伸ばす。
ガーランドははねつけるでもなく、静かに私の手を取り、むすっとしたまま私の膝の上に置く。
「そういうのは必要無い。……聞きたいことがある」
「はい、何でしょう」
「君の国の社交についてだが……」
彼は距離を取ったまま、ベッドに並んで座り、淡々と仕事の内容について話してくる。本当にこの人は奥手な人だ。前世は不興を買ったと思っていたけれど、違うのだ。彼はちゃんと順序を踏みたい人なのだ。
焦ったいけれど、この時間も楽しもうと思う。だって2度目の人生。焦っても仕方ない。
(最悪、私が襲ったっていいんだから)
「……なんだか、今ゾクッとしたのだが」
「ふふ、気のせいですよ♡」
「……また今日も、そんな薄着で……ほら、これを着なさい」
「もっと近かったら温かいですけど」
「話がしたいのだと言ってるだろう」
二度目のガーランドとの夫婦生活。
あの世を一度見てきて良かった。
色んな人生を俯瞰で見たことで、こんなに視野が開けるとは思わなかった。
失う物はなにもない。
むしろ一度全部失った人生を送ったのだから、すくなくともあれより最悪にならないのなら怖い物はない。
一度目には見られなかった楽しい人生が、これからたっぷり待ち受けていそうだ。
◇◇◇
エリシア・ベルモンド
亜麻色の髪のふわふわ乙女。体もふわふわグッドプロポーション。
貞淑で慎み深い淑女であろうと無理をしすぎた結果早死。だがあの世で奇蹟の大逆転。
伊達にあの世は見ていない。探偵よろしくガーランドの恥ずかしい性癖を暴き続ける性癖探偵。
ガーランド・シュトラーゼ
黒髪オールバック(少し前髪降りてる)インテリ眼鏡の強面男。
本当は甘やかすより甘やかされたいタイプだが、そんな自分がはずかしい。
トイプードルが好き。
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