第二章「もうひとつの地球」
風の通路を抜けた先には、静寂が広がっていた。
さっきまでの公園のざわめきは、跡形もなく消えている。
目の前に広がるのは、見知らぬ街だった。
街の中に、見たことがない花が咲いていた。
誰かが花を贈ってくれているかのように思えた。
空の青も、植物の緑も、頬を撫でる風も、すべてがほんの少しだけ異なっていた。
けれど、その“少しの違い”が、この世界が“ここではないどこか”だという確信を強く抱かせた。
人々は穏やかな顔をして歩いていた。
誰もがどこか、「何かを知っている」ような表情だった。
──安心しきっているようでいて、何かを見つめている。
通りかかった小さな図書館の前で、わたしは足を止めた。
木の看板には、こう書かれていた。
『忘れられたものたちの記録室』
中に入ると、古びた木の棚にびっしりと本が並んでいた。
その一冊一冊が、誰かの“忘れられた記憶”だった。
受付にいた女性が、わたしを見るなり穏やかに微笑んだ。
「ようこそ。きみは……“感じ続けている人”ね」
「……わたし、誰かを探していて……。でも、もう誰も覚えていないんです」
「そうでしょうね。この世界に来たということは、世界の方がその人を“なかったことにした”のよ」
「世界が?」
「ええ。でも、それは悪いことじゃないのよ。記憶や存在は、“なくなる”ことで守られることもあるから」
彼女は本棚の奥から一冊のノートを取り出した。
表紙には何の文字もない。
それを開くと、最初のページにこう書かれていた。
> 『存在とは、目に見えることではなく、感じ続けられること』
「わたしは、あの人の声も、姿も、思い出せないんです」
「でも、まだ“いた”と感じている。どうしてでしょうか?」
受付の女性は、ゆっくりと首を振った。
「それはね、“あなたがその人を選んでいた”からよ。
世界が忘れても、あなたが選んだ時間は、本物だったの。
ここではね、選ばれた時間は消えないのよ。姿を変えて、残り続ける」
「姿を変えて?」
「たとえば──風になったり。音になったり。あるいは、言葉や夢や、別の誰かの瞳に宿ったり」
彼女の言葉を聞いたとき、胸の奥に何かがゆっくりと広がっていくのを感じた。
──わたしは、まだ終わっていない。
「ここで、その人に会えるんですか?」
彼女は、そっと微笑んだ。
「会えるかもしれない。けれど、あなたが探しているのは“その人”ではなく、“その人といた自分”なのかもしれないわ」
わたしはハッとした。
たしかに、思い出すのは、その人の姿ではなく、その人と一緒にいたときの自分だった。
温かくて、笑っていて、何かを信じられていたわたし。
「……わたし、その自分に、もう一度会いたいです」
彼女は頷いた。
「では、準備はできたわね。次に行く場所は、“反転の夜”。
そこで、あなたはこの世界と向こうの世界をつなぐ役目を知ることになる」
図書館の扉が、ふたたび風に揺れた。
光の粒が舞う空の下で、わたしは一歩、また一歩と歩き始めた。
──失ったものは、終わりではない。
感じ続ける限り、それはここにある。