煙の形
「……お、おお」
夜、喫煙所でタバコを吸っていると、一人の男が入ってきた。軽く会釈を交わし、それぞれ無言で煙をくゆらせる。だが、何とはなしに男のほうへ目を向けた瞬間、思わず声を上げた。
男が見事な煙の輪を吐き出していたのだ。
「すごいですね」
「ははは、どうも。ふーっ」
おれが褒めると、男は気を良くしたのか、次々と変わった形の煙を吐き出してみせた。三角や四角、さらにはウサギの形まで、煙が自在に変形していく。まるで意思を持っているかのように、宙を舞い、流れ、踊っていた。
「いやあ、本当にすごい。これはもう立派な芸ですよ!」
おれは興奮して、男を褒めちぎった。だが、すぐに後悔することになった。
男は調子に乗ったのか、挑発的な態度を取り始めたのだ。
「簡単ですよ」
「やってみてください」
「できないんですか?」
「ほらほら、もう一度やってみて」
「ああ、ダメだな」
「まーた失敗だ」
煽られて、だんだんと腹が立ってきた。だが、いい大人が喧嘩するのも馬鹿馬鹿しい。おれはタバコを捨て、喫煙所を出ようとした。
すると、男が一本のタバコを差し出してきた。
「すみません。実はすごいのは私じゃなくて、このタバコなんですよ。お詫びにぜひ試してみてください」
「というと、このタバコを吸えば煙を自由に操れると?」
男は頷いたが、口元にはニヤつきが浮かんでいる。どうせ嘘なんだろう。またからかわれるのも癪だ。しかし、見たことのない銘柄だし、一本もらう分には損はない。おれはタバコを受け取り、火をつけた。
「いいですよ。その調子です」
「いや、何も変わらないじゃないですか。まあ、味はいいですけど……いや、ちょっと強いかな。なんか……ぼんやりしてきた……」
「もっとイメージしてください。もっと強く! 全身全霊を込めて! さあ、吐いて!」
促されるまま、おれは深く吸い込んで煙を吐き出した。すると、煙がゆらめきながら形を成していく。それは徐々に人の姿に――いや、おれそっくりだった。
煙の『おれ』は、ふわりと空中に浮かび、無表情で見下ろしている。
やがて、その顔に穏やかな笑みが浮かび始めた。そして、おれは徐々にふわふわとした浮遊感に包まれながら、タバコを吸う自分を見下ろしているような感覚がしてきた。まるで自分がそちら側へ引き寄せられているかのように。
「今だ」
男が低い声で呟いた。次の瞬間、おれそっくりの煙を、男が一気に吸い込んだ。
すると視界が真っ白に染まり、すべての音が遠のいていった。
やがて、どこかから男のくぐもった笑い声が響いてきた。
――ああ、そうか。あの男は悪魔だったのだ。
すべてを悟ったあとも、おれは満ち足りていた。
なぜなら、悪魔の胃の中は煙で満たされていたのだ。