異変
部屋の窓から見える外の景色が、鮮明に見えるのだ。真夜中なのにも関わらず。太陽がもう1つ生まれたのではないかとさえ思ってしまうほど鮮明に浮かび上がるその姿はとても綺麗だと感じてしまった。人間である以上、真夜中という世闇には目が順応できず、何も見ることはできない。そんな未知の世界が男を刺激したのだろうか。この燃えている景色を見ても綺麗だと思ってしまったのは。
男の本能が炎に包まれる村を見て感動している間、まだ残っていた理性は大きく叫ぶ。
「火事だ!」
幸い事態に気がついたのは寝室だったため、即座に妻を叩き起こし共に家の外へ避難した。
自分たちが避難した頃にはすでに他の家は燃え始めていて、自分の家にも火の粉が降り掛かろうとしているときだった。「ああ…」という小さなため息は家屋が倒壊する音でかき消されてしまったが、その倒壊音により男は正気を取り戻した。辺りを見回すと、村民たちは困惑した様子ではあっても全員が無事に脱出できたようだ。村人たちは円となっているため各々の顔は簡単に確認できた。隣人さん、パン屋を営んでいるご夫婦、村一番の飲み屋の主人、最近越してきた2人組の冒険者たち、そして村長も無事に生きていた。
そうして一人一人の顔を思い出しながら無事を確認していったが、最後には1人だけ余った。男は首を傾げる。いくら小さな村だとはいえ、全員の顔と名前は覚えていなかったのだろうか。覚えていると思っていた自分が恥ずかしくなる。けれども、その余った1人に目を向けると、どうにも腑に落ちなかった。
黒色のローブを羽織っているが、そのローブの下には純白の鎧と見事なまでに鍛え上げられた剣があった。顔は兜をかぶっているため見えないが、このような小さな村ならば一度や二度は顔を合わせているはずだ。けれどもその誰とも身体的特徴が合わない。男は身震いした。どこからもなく強烈な悪寒が男を襲ったのだ。歯をガタガタと震わせ、一歩、また一歩とその人物から距離を取るように後ずさった。
それに対してその正体不明の人物は前へと出ていき、村人たちの成す円の中心に移動した。
黒のローブをサッと払い、その純白の鎧の全貌が明らかになる。完璧なまでに洗練された鎧とはやはり人を惹きつける物で、その鎧から目が離せなかった。頭頂部から脚部にかけて、じっくりとまじまじと観察してしまった。だが、同時に、この鎧がこの場において非常にミスマッチに思えた。こんな辺境の村に、このような素晴らしい鎧を持った人物などいるはずがない。仮に居たとしたら、とんだ大騒ぎになっているはずだ。
つまりそれが意味するのは、この鎧は『外部』から来たもの。村の外から来た未知。そして同時に、この火事を起こした首謀者であることだと察した。
「皆!武器を取れ!あの鎧の男が今回の火事の犯人だ!」
なぜそう思ったのかはわからないし、根拠なんてまるでない推理だ。けれども第六感とも呼べる男の勘が働いた。
男の号令に村人たちは大層戸惑ったものの、皆事態を察したのか急いで倉庫の方にあった武器を男たちに配っていった。このリチャッカ村ではときどき近くで魔獣が発生し、その討伐を任されることがある。なのである程度の武器と実践経験はあった。
「皆、かかれ!」
「「「オオッーー!」」」
男のよく通る声は村人たちを鼓舞し、その鎧の男へと飛び掛からせた。いや、飛び掛からせてしまった。
「…は?」
そう言葉を発したのは誰だっただろうか。いや、誰ではなくその場にいた者全員が発した声だったかもしれない。何が起こったのかさっぱり理解できなかった。
今さっき鎧の男へと飛ぶかかった数十人の村人たちは皆、上半身と下半身に分かれて地面にひれ伏していた。
…何が起こったのかさっぱりわからなかった。けれども、村人たちが、良き隣人たちが一瞬にして肉塊になったことだけは理解してしまった。
「あは………あはははは!!!君ら人間ってほんっとうに馬鹿だよねー、全く」
ここで初めて鎧の男が声を発した。いや、もしかしたら男ではないかもしれない。声の高さからして、女。しかも年端はいかぬ声だ。
「君らはなんでこんな夜中に火事が起きたと思っているのさ。そしてなぜ転移阻害の結界が張られていると思っているのさ」
見れば炎の壁の周りには、うっすらとした半透明の膜があった。この光景にはどこか聞き覚えがある。
『結界』と呼ばれるそれは、高度な技術を持った魔法使いのみが扱える強力な魔法のはずだ。そんなものがこの村を囲うようにしてあるのはなぜだろうか。
「今日、君らはここで死ぬ。炎に囲まれ、成す術なくボクに蹂躙されるのさ。この魔王軍幹部『神剣』のラミアにね」