娘
とある男視点です。
とある男は…夢を見ているようだった。熱に浮かされるように飛び起き、あたりを見回すも、最初は何も異常はなかったかのように思えた。そう、最初は。
異常がないことを確認すると、そのまま寝ようとまたベッドに体重を預け、眠りへと入ろうとした。けれどどうも寝心地が悪い。何か胸に込み上がってくる不安感に駆られ、まだ春だというのに掛け布団を跳ね除けた。けれども体温は一向に下がらず、不安感はまだ胸中にあった。
一度落ち着こうと思い、リビングへと水を飲みに行った。隣には妻が小さく寝息を立てて眠っているため、なるべく大きな音を出さぬよう忍足で移動する。
この家には今、男とその妻の2人しか居ない。つい3年ほど前まではまだ娘が1人おり、5年ほど前にはもう1人娘がいて、4人家族で住んでいた。けれど2人とも王都へ行き、どちらも武芸の道へと進んでいった。今や2人とも成長し、魔族と戦う最精鋭部隊、と王都から漏れ出る噂では聞き及んでいる。しかし、噂など常に本気で信じない方が良い。何にしろ、あの気味の悪かった長女などが魔族と戦うなんていう夢物語は信じ難かったからだ。
昔からそうだった。長女は忌み嫌われるというのがこの世界での理。男と妻はそう迷信を信じる柄ではなかったものの、生まれてきた娘を見るとどうしても言い伝えは本当だと信じてしまうほどの謎の確信があった。
生まれながらにして魔力量や筋力に秀でていた。それも気持ち悪いほどに。普通の子供ならば1歳時のステータスはせいぜい50ほど。にも関わらずその娘は500を軽く超え、筋力に関しては1000を超えていた。それに加え、知能も高いとくる。大人でも解けないようなパズルを最も簡単に数秒で解いて見せたのだ。それもたまたまではなく、何問も連続で。恐ろしくて仕方がなかった。どうしたらそれほどまでの力を持った子が生まれてくるのだろうか。
そんなもの、答えは1つ。呪われているからだ。おそらくは背後に悪魔が取り憑き、その発育に関わっている。そう思ってしまうほどの不思議な力が、男たちの焦燥感を駆り立てた。ならばこの娘は将来、自分に刃を向けるかもしれない。力があり、知能もある娘だ。何か物を与えればすぐに吸収してしまう。
そうして将来の不安に押し潰されるようになった。何か娘が行動をするたびに気を遣った。最初のうちはもちろん、我が子ということもありある程度の接し方をしていた。けれども段々と段々と、心が荒んでいくのがわかった。娘が皿を割ってその破片が刺さったとき、ついには心配という感情が湧かず、果てには死んでしまえばとさえ思った。故に、男とその妻は1つの結論に至った。
この娘を放棄する。
文字通りの意味だ。なるべく家には上がらせず、森の中でなるべく過ごさせるようにした。飢え死にしても、凍え死んでも、川に流されようが、クマに食われようが、男たちは何も知らないふりをする。それが心の中で決めたことだった。そうでなければ親である自分たちが崩壊する。そう、謎の確信があったのだ。
その後はどうなったのかあまり覚えていない。男たちの眼中には正しく育った可愛い娘しかなかったからだ。この家族では次女にあたる娘ではあっても、実質1人娘のように可愛がった。そうしていると、ひと時ひと時が愛しく思えて、心が癒やされるのだ。まるで長女なんていなかったように思えた。けれども心のどこか奥底では、自分がまだ長女を気にかけていることに勘付いていた。それは心配ということではなく、生死という意味だったかもしれないが。
恵まれた時間を過ごすも、どこかで不安が残っていた矢先。転機が訪れた。王国十二騎士が家に来て、長女を欲しがったのだ。男と妻は歓喜に満ちた様子だった。
厄介者が消える。
そう思うと素晴らしいことだった。これで重荷から解放される。これがどれほど喜ばしいことか、長年苦しんできた者でないときっとわからないだろう。男たちは喜んで長女を譲り、その代価として大量の金貨を貰った。なんと幸運だっただろうか。長女を譲り飛ばすだけで、一生金には困らないほどの金貨が手に入った。男たちは、このために長女を産んだのではないかとさえ思った。
そして数年後、男たちの心は随分と軽くなっていた。そして、人生で最もめでたい瞬間が訪れる。
娘の十二騎士抜擢。
まるで夢のようだった。この国に12人しかいない最上級の地位に、愛情を込めて育てた娘が抜擢されたなど。一生自慢できる事柄だ。
しかしこの華々しい抜擢の裏には、長女がいた。長女を売り飛ばした金で娘は良い学校に通え、教養を養い武芸を習うことができた。そう考えると、やはり一抹の虚しさが残る。長女を売り飛ばした判断は何も間違っていない。けれどもどこかで、まだ長女と繋がりを感じるのだ。
男がリビングにて水を飲み終わると、自らの内で渦巻いていた熱が一気に冷めたように感じた。深呼吸して、一息つくと、そこにはいつもの平常心があった。しかし心が落ち着いたことで再度寝室へと戻ろうとした瞬間、その『地獄』は始まった。




