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72、俺の兄上。俺の敬愛する親友殿下

 配下が。友人が。婚約者が――いなくなった。

 

「英雄など、虚像だ」

「何を言うか。パーニス殿下は立派な英雄だ!」


 ――何を揉めてるんだ。

 

 ファンタジー世界の王都で、男は呆然としていた。


 男は、この国の第二王子だ。魔王討伐の英雄だ。

 国のため、秘密組織を率いて仲間たちや町の人々に慕われてもいた――と、思う。


 兄である第一王子イージスが王位継承争いから退き、自分が後を継ぐ。そう思っている。

 兄が魔王だと言ってもよかったが、そのカードを切らなくても兄は退いてくれるし、兄の中から切り分けた魔王の呪いの残滓が王都で暴れてくれたので、それを倒して兄は救ってやろうと思っていた。

 

 男は、兄への情があったのだ。

 だから生かす道を選んでいた。


「イージス殿下はご健在であらせられる! ゆえに、王太子の座をお譲りになる必要はない。なのに、第二王子殿下は最近になって急に王太子面をし始め、弟想いでお優しいイージス殿下は第二王子殿下に遠慮するようになられた……そして、凶事が相次ぐようになったのだ!」

「まるでパーニス殿下のせいで凶事が起きたように言うな!」

 

 臣下たちは派閥争いを起こし、二人の王子をそれぞれ旗頭に立てて争い出した。


「殿下。こちらに」


 騎士たちが「守る」という建前で王子を王城の奥に押し込めようとする。

 混乱を極める現場に、ドラゴンの飛来が報告され――あっという間に魔女家の娘が去って行ったと報告されたのである。


「俺は婚約者を追う。いいな」

「いいわけがありません。今、国がどんな情勢だとお思いですか!」


 次代の王としての資質と正統性を兄王子と争っている最中だ。

 災害で国が荒れており、君主としての裁量が問われている。

 派閥争いで、今にも内乱がはじまりそうだ。

 ――そんなタイミングで国を放置してドラゴンを追いかけるのか、と。

 

 臣下が説く内容は、王子として理解できる。


「俺は貴公の言い分を理解するぞ」


 男は神妙に頷き、一人前のマントを背から外した。

 そして、裾から上部までを綺麗に裂いた。

 半人前のマントに逆戻りしたそれを付け直すと、臣下は王子の心を察した様子で残念そうな顔をした。


 これがあの赤毛の変なメイド女だったら、どんなことを言ってくれただろう。

 セバスチャンだったら? クロヴィスだったら? ――イアンディールだったら?


 アルワースだったら。アークライトだったら……。


 ――全員、もう傍にはいないのだ。ひどい終わりの童話のように、マギライトとパーニスの友人たちは揃いも揃っていなくなる。

 

 そして、あの聖女はどこへ行ったのか。

 

 男は歩き出した。厩舎へ。

 

「殿下――」 

「人生が一回目の優等生なガキでもあるまいし、正解の読み合わせはつまらない。絹糸で紡ぐ言葉も悪くないが、一番大事なものははっきりしてる」


 厩舎の匂いは、時代を越えた安心感がある。

 自然で、生き物の匂い。

 飼い葉を漁っていた愛馬に近寄ると、人間たちの騒動など全く知らない気配で甘えてくる。

 盗賊でも魔法使いでも王子でも、馬にとっては同じ人間なのだ――男の名前も立場も馬が相手だと意味のない情報でしかない。

 男は、それが心地よいと思った。


「戻ったら虚像でもなんでも、好きなだけ演じるよ」


 人間も馬も、水の中で生きられたら誰も苦労しないのではないか。

 男はふとそんなことを考えた。

 世界は壊れて魂は記憶を残したまま転生できるようになったのに、水の中で息をすることもできない。

 壊れているのに、壊れ切れていない――解像度の悪い夢のようだ。

 

「まあ、壊れない部分があるのはいいことだよな」

  

 馬を慈しむように囁く耳に、柔らかな青年の声がかけられた。


「パーニス」


 自分の名を呼ぶのは、兄イージスだった。


 ラベンダー色の長い髪を微風になびかせて、たくさんの臣下に囲まれて、平穏の象徴みたいに穏やかな表情で立っている。

 パーニスを護衛していた騎士たちは「すわ、この場で乱闘になるか」と警戒の色を濃くして身構えたが。


「兄さんが支持者への説明を怠っていたせいで、面倒なことになってしまってすみません。お詫びに、留守の間に現王太子として私が責任をもって混乱をおさめておきましょう。帰ってくる頃には落ち着かせて、全員を納得させてお前を迎えるから、遊んでおいで」


 兄の声には、愛情があった。


「事情がわからないという顔の臣下たちに、今この場で伝えておきましょう。このイージスが魔王に取り憑かれていたことを。そして、弟パーニスはそんな私を長年にわたり兄として王太子として支えてくれて、私から魔王を祓ってくれて――」


 兄は、そっと友人の名を唱えた。


「セバスチャン。弟、パーニスが紹介してくれた獣人の友人は、元暗殺者でした。そのため、彼は過去にたくさんの人を殺めたと告白し、私を励ましてくれたのです。自分と違い、殿下は自分の意思で手を汚したわけではない。自分の意思で手を汚していた自分ですら生きていいと言うのだから、殿下はそんなに罪の意識を持たなくてもいいのでは、と」


 パーニスは意表を突かれた思いがした。


 あのペット兼学友のような黒狼の青年が、自分の過去の罪を気にしていたとは気づかなかった。

 パーニスは、全く彼の心のうちを気にしていなかった。


 いつも尻尾を振ってワンワンと鳴いて、犬のようにのんきなやつ。

 ルビィと一緒になって普通の動物のようで、和むやつ。


 人間とは価値観が違っていて、感性がずれているところがある。


 それくらいにしか、思っていなかったのだ。


「私は、弟と友人たちのおかげで自分の人生を続けてもいいのだと思えるようになりました。過去に弟が私を支えて、国を継ぐ者として引き立ててくれたように、今度は私が弟を支えて、彼の統治をサポートしていきたい。そう考えているのです。はっはっは」


 笑い方が少し、マギライトの旧友に似ている。


 そんな感想がふっと湧いて、パーニスは口の端を持ち上げた。


「俺が思うに、兄上は本当に英雄の生まれ変わりでいらっしゃる」


 きっと、そうなのだ。

 だって――マギライトだった頃に感じたのと同じ、「この相手は自分と違う」という感覚が肌に感じられる。


 眩しくて、頼もしくて、安心できて、心地いい。

 それが幼い頃からパーニスにとっての兄で、マギライトの友人だった。


「兄上。俺は、兄上が王でも構わないんだ。ずっとそう思って育ってきたから。大袈裟じゃなく言うなら、前世からそうだぜ――」


 マギライトは、別に王様になりたいと思ったことなんて、なかった。


 ただ、流されるまま魔法使いになって、アルワースと一緒に人形ごっこをして、魔王の謗りを受けて――思えば、凄く濃厚で果てしない旅をしてきたように思う。


「パーニス。マギライト……帰って来てから、そのあたりを話そうか。マリンも交えて」


 兄がそよ風のように爽やかに彼を呼ぶ。

 記憶があるのだ。

 それに気付いて、パーニスは笑った。


「ああ。俺の兄上。俺の敬愛する親友殿下……いつぞやは、知らぬ間に身罷っておられて、俺は悲しかった。腹立たしかった。俺は臣下で、君主である殿下をお守りしなければならなかったのにと思って、悔しかった」


 はるか昔の自分の心情を、当時はもやもやとしていた想いを、今になって理解できた。

 

 パーニスはそんな自分に泣き笑いのような顔になり、兄であり親友であるイージスに見送られながら旅立った。


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