58、生存ルートがなくなりました!?
「えっ、私が人柱になるんですか?」
雨が降りそそぐ、夏の朝の出来事である。
カラクリ魔法仕掛けの王国マギア・ウィンブルムの王都で、魔法学校の生徒を集めたパーティが開かれた。
豪奢なシャンデリアが眩い光を上から注いでいて、暖かみのある木の色彩を見せる壁には赤い布やオーナメントが飾られている。
華麗なパーティ会場は、ダンスフロアと飲食スペースが分けられていて、ドレスアップした生徒たちが自由に飲食と歓談を楽しんでいた。
私に声をかけてきたイージス殿下は「まだ決まっていないのですが」と言いながら、ここ何日か王城で続いている会議の情報を教えてくれた。
「高官たちは聖女に国土を修復してもらうための具体的な計画を練っていたのですが、困難だと言う意見が強いのです。占星術師として高名なアルメリク先生が『先日の流星群は天からの警告だ。浮かれてはいけない』と言ったのも不安を煽っていまして」
「ええ……?」
「神学者も『古代の魔女が原凶で世界は滅びの危機に瀕する』という預言を持ち出してきて、魔王は女性だったか、そうでなければ他に原凶の魔女がいるのではないか、と議論しているくらいで」
アルメリク先生は、魔法学校で占星術師の先生もしている。年齢が近くて家柄のいいミディー先生をライバル視している平民出身の先生だ。生徒も、貴族は基本あまり好きではなくて評価点が辛いという噂がある。
『古代の魔女が原凶で世界は滅びの危機に瀕する』の部分は、水没期のマリンが世界を壊したことを言ってるんじゃないかな……?
「えっと、イージス殿下? 聖女の治癒魔法で国土に巡らされていた守護大樹の根を癒す予定だったんですよね? あと、錬金術を使うとか聞いていましたが……それじゃダメなのでしょうか?」
「ええ。カラクリ神学者たちを中心に、新たな守護大樹創造計画と元凶の追求を唱える声が出ています。聖女に任命された魔女家のマリンベリー嬢に人柱になってもらうのはどうでしょうか? と……」
「ひ、人柱ですかっ?」
それは、悪役令嬢の破滅エンドの一つだ。
あれっ? 私の生存ルートがなくなってる!?
あと、元凶を追求してもたぶん意味がないと思います……?
「ええ。賢者家の秘術で、精神を他の器に移す魔法があるでしょう? あれと錬金術を活用し、聖女であるマリンベリーさんに新たな守護大樹になってもらおうという過激派が誕生しているようなのです」
なんと、私が守護大樹に?
いや絶対に無理です! なんでそんな発想になっちゃうの。
「お可哀想に。さぞ怖いでしょうマリンベリーさんっ……しかも、アルメリク先生はパーニスにも『真実を秘匿している』という占いを突き付けまして、弟も気にしていると思うのですよね」
「へっ……」
パーニス殿下は普段通りに思えたけど、そんなことがあったとは。
「イージス殿下。私、思うんですけど、嘘くらい誰でもついてますよ。アルメリク先生、単に意地悪している気がします。だって、授業でも、ええと、確か……」
占星術の授業中に聞いた教えを思い出す。確か、アルメリク先生は言っていた。
『誰にでも当てはまる内容。自分にとって都合のいい情報。人はそれを『自分のことだ』と信じやすい。
占い師は占いを告げることで、相手に影響を及ぼすことができる。
何かをしないようにする、何かに気を付ける、何かに努める……そういった忠告を聞いた結果、人生が変わるのである。
多くの人生を見てきた占い師は、霊感や霊視ではなくその人生経験と観察眼、分析能力により、相手のためになる助言ができる。それは技術であり、感性である』
「……絶対、意地悪ですよー」
そうですかね、と探るような眼でイージス殿下が私の顔を見つめてくる。
なんだろう?
「マリン」
「えっ。は、はい?」
唐突に普段と違う呼び方をされるので、どきりとする。まるで前世みたい。
「……な、なんでしょうか、イージス殿下?」
イージス殿下の美しい瞳がじっと見つめてくるので、そわそわとしてしまう。
反応を試されているみたい? なんだろう?
私が困惑していると、イージス殿下は右手の人差し指を自分の唇に当てて囁いた。
「……あなたのお兄様はちゃんとあなたの近くにいますよ、と伝えておきましょう」
「えっ」
どういう意味?
私が目を点にしていると、肩に手が置かれた。
「彼女は俺の婚約者ですが? 兄上?」
低く威嚇するように言うのは、パーニス殿下だ。
刃のような声で牽制しつつ、表情は爽やかな笑顔という器用な社交スキルを見せている。
「おや、パーニス。婚約は白紙になるという噂ですが……ふふっ、冗談だ。そんなに殺気立たないでください」
イージス殿下はイタズラっぽく微笑み、離れていった。
周囲の学生たちが「また三角関係……」「きゃー!」と楽しそうにしている。
「イージス殿下のイタズラですー」
言っても効果が薄そうだけど、一応誤解を解く努力はしておこうとアピールしていると、パーニス殿下が片手を差し伸べてきた。
「……踊るか」
ダンスのお誘いだ。
ちなみに、私はダンスが苦手である。
「えっ。やめといた方がよくないですか。私、ダンスのテストで赤点を取りましたよ」
「俺がリードするから問題ない」
私は知っている。パーニス殿下もダンスは苦手であらせられる……。
「殿下も赤点ですよね」
「お前、俺の成績を把握しているのか。最新のテストでは赤点を脱したぞ」
「さすが努力家でいらっしゃる……」
ダンスのリードに身を任せてみると、ぎこちなくも間違うことはないリードが、どことなく人柄がにじみ出ている感じがする。
私は生まれたての小鹿みたいに危ういステップを踏んで何度か転びかけ、何度も彼の足を踏み、「さすがにもっと練習するべき」という危機意識を持った。いや、危機意識というなら「人柱になるかも」の方がよりピンチなんだけど……。
「マリンベリー。婚約の件だが」
「あっ、はい」
ダンス中に会話する余裕もあるらしい。私にはないけど。
「キルケの機嫌を損ねたが、俺がうまく機嫌を取り直すから心配はしなくていいぞ」
パーニス殿下はキルケ様のご機嫌取りをするらしい。元々、キルケ様はパーニス殿下の味方だ。関係は簡単に修復できるんじゃないかな。
それにしても、普通にステップを踏むだけでも大変なのに、会話したり考え事をしたりするとグダグダになっちゃう。
「……何度もおみ足を踏んでしまってすみません、殿下」
「足を踏まれるのはパートナーの特権だから悪い気分はしない。心地よさすら感じる」
「悪い気分がした方が健全な気がします。心地よくならないでください」
パーニス殿下のためにも、ダンスは練習しよう。
私はそう心に誓ったのだった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
パーティの後、クロヴィスの実家、ロクフォール準男爵家では家族団らんの時間が持たれていた。
「魔女家のキルケは親バカを極めすぎて、ついに令嬢を嫁にやらないと言い出したらしいぞ。吾輩はその場に居合わせたが『守護大樹にはさせない』『王子に不満があるから婚約は白紙にする』『嫁にやらずにボクの嫁にする』と段々主張が変な方向に行くのが実に面白かった」
騎士団長でもあるクロヴィスの父親、ロクフォール準男爵がワイングラスを傾け、夫人はおっとりとした風情で「魔法使いは常識を気にせず我が道を行く変態が多いと言いますからねえ」と相槌を打つ。
クロヴィスの二人の弟は「令嬢にはクロヴィスも惚れてるんだぜ」と楽しく話題にしていた。
「うちの堅物な兄貴が部屋に姿絵を飾ってるんだ!」
「兄貴は令嬢にいいとこ見せたくて毎朝張り切ってんだよなー!」
ロクフォール準男爵夫人は「あらあら、まあまあ」と息子の春に困ったような微笑みを浮かべた。
「婚約は白紙になりそうなの? うちのクロヴィスが縁談を申し込んでもいいかしら?」
果たして魔女家当主キルケはクロヴィスを気に入るだろうか。
「『ボクの嫁にする』とまで仰ったからなあ。難しいかもしれんな……しかし、騎士団を背負う漢たるもの、過酷な試練に挑むもよし!」
ロクフォール準男爵は早速その夜、婚約申し込み書をしたためて魔女家に届けさせた。
書簡を届けた時、魔女家の門の外で騒ぎがあった。
地面が陥落し、海水湖に一帯が変化する現象だ。また被害が出たらしい。
今回出た哀れな被害者は、魔女家に仕える赤毛のメイド。名をアンナといい、令嬢マリンベリーの専属メイドのような立ち位置だったという。




