48、魔女と魔女
私は死の直前の出来事を覚えている。
それに、死んだ後、魂が体から離れるまでの間の記憶も。
死んでからわかったのだけど、人間って死んだ後しばらく周囲が見れるんだ。
自分の上あたりに魂がふわふわ漂ってて――時間が経つとその場にとどまっているのが辛くなってきて、ふわふわと離れていくんだけど。
まず、死の直前の出来事だ。
薬は禁止された強化劇薬で間違いなかった。
しかも、適正用量の三倍濃度。暴走させる気満々だ。これは、サラの仕業だった。サラはアークライト様への愛憎を拗らせていて、あまり正気と言えない精神状態だった。
水没期って、基本的に人間たちは追い詰められていて、自分達がいつ死ぬかわからない、これからどうやって生きていけばいいのかわからないって状態なので、精神がどうにかなっちゃう人は多かった。
珍しいことではなかったのだけど、それだけに一連の事件を客観的に振り返るとドン引きするような泥沼事件だった。
医者が呼ばれたけど、サラが剣を持って乗り込んできて、殺した。
何も考えられない。この苦しみから解放されたい。助けて。
医者に縋るような想いだった私の目の前で医者の胸から剣が生え、大量の血を流して絶命したのだ。絶望感がすごかった。しかも、サラは私にも剣を振り下ろしてきたから、「これで死ぬんだ」と思った。
しかし、そこに乱入したのがアークライト様だった。
アークライト様は激しい怒りをあらわにしてサラをその場で殺すと言い放ったのだが、サラもそんなアークライト様に腹を立て、「彼を殺し、自分が女王になる」と言い出した。
双方ともに感情が大暴走で、その場で殺し合いにまで発展した。
医者も死に、殺し合いが起きて、とりあえず私は「事態を収拾せねば」と思ったものだ。
サラが勝てば絶対に自分が死ぬ。
アークライト様を守ろうと力を振り絞り――魔力はもともと暴走しようとしていたので、当然の結果だけど、派手に暴走した。
大惨事というしかない結末だった。
まず、サラは真っ二つになった。
私の魔力で生まれた隙を突き、アークライト様がバッサリと斬り捨てたのである。鮮やかなお手並みだった。
私の魔力暴走がそこで止まればよかったのだけど、止まらなかった。
生き残りの人々の大切な船は破壊され、作りかけの陸地もずたずたになった。
――それで終わらずに、私の魔力は空を引き裂き、海を割り、世界を根本から【壊した】――世界はその日、二つになった。
……それほどの魔力があったことが驚きだが、暴走が本格的に止まらなくなり、肉体も人間と呼べる形状ではなくなるくらいボロボロになって、私は死んだ。
怖かった。苦しかった。
「取り返しがつかない、これもうダメだ」って意識がすさまじかった。
死にたくなかった。でも、あんまり苦しくて辛いから「死んだ方が楽になれる」みたいに思ったりもした。
とりあえず、何をどう思っても死ぬことだけは確定で、死ぬまでの残り時間で何しても何を考えてても死ぬだけなんだってことだけは痛感した。
世界を破壊しているのに無力感がすごかった。
そんな私は、死んだ後しばらく遺体のそばに浮いていた。
そこから、奇妙な光景を見てしまったのだ。
なんと、アークライト様が操り人形の糸が切れたように倒れこんだ。
目を見開いて、呼吸したまま、指一本動かさないのだ。気味が悪すぎる光景だった。
そして、マギライトお兄様がやってきた。マギライトお兄様は私の遺体の前に膝をつき、目を潤ませてくれた。そして、アークライト様を足蹴にして、言ったのだ。
「魔力暴走して世界を破壊したのはマリンではなく、アークライトということにしよう。人形遊びにもうんざりしてたんだ。暴走して死んだことにしてしまえばいい」
マギライトお兄様の目には、殺意があった。
人形遊び……人形魔法だ。
アークライト様は、マギライトお兄様がずっと人形みたいに操っていたんだ。
私はその時、真実を知った。
ただ、死んだ後だったので、衝撃の真実を知っても何もできない――やはり、無力感がすごい。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
魔女令嬢が眠る【フクロウ】のアジトの1室に、ベッドの軋む音が響く。そこには、二人の魔女がいた。
静寂に支配された空間では、かすかな物音が異様に大きく聞こえるものだ。
眠る魔女と、彼女を見守る魔女。
見守る魔女には、眠る魔女の眠りを妨げてはいけないという想いと。
目を覚まして自分を見つけてほしいという希みとが、同居していた。
見守る魔女は紅色の唇から吐息を零し、柔らかに空気を震わせた。
「朝です、朝です、朝ですよ。目を覚ましたら、また笑ってくださいね」
見守る魔女は、とても退屈だったのだ。
時間の感覚が痺れてわからなくなるくらい長い間、生きてきたのだ。
魔王も英雄も伝説になる前の、昔。
魔女は、罪を犯した。誰にも言えない罪だった。
身近にいた存在ですら気づくことなく、罪は隠し通せてしまい、彼女は安泰に一生を過ごし――自分の時間が止まっていることに気付いて、家を離れた。
彼女の伴侶が亡くなり、子も孫も成長して死んでいった。
次の世代へ、次の世代へと血脈は続いて、現在まで続いた。
生まれた人間は死ぬ。
それは当たり前のことだったけれど、魔女だけは例外で、彼女はずっと生きてきた。魔女は、「死なない」ということが、むなしくて、寂しいことだと思った。
長く生きていると、面白いこともあるけれど。
例えば……時折生まれる、異世界の記憶を持った存在。
それは人間だったり、火竜だったりした。
そんな存在は、水没期の後から見られるようになった。
どうしてそんな存在が生まれるようになったのだろう?
――探求心、好奇心は、退屈な永い魔女の人生にほんのちょっぴりの刺激を足してくれた。
長く生きていれば、世の中の全てを識り、新鮮なことは何もないように思えたが、そんなことはないのだと思うと嬉しかった。
未知の感覚は、救いだった。
わからないこと。それについて調べて、探って、考えること。
そんな時間に、魔女は喜びを感じた。永遠に謎が解けなければいいと思った。
でも、知りたいとも思う。
そして、知った後に死にたい。
誰もが謎を抱くことすらなく、調べたり追いかけたりもしない、そんな深い謎があって。
たったひとり、自分だけが世界の真実を突き留めて。知って。
そして、その秘密を自分だけの宝物として、死ぬ。自分しか知らないから、誰もその後は「秘密」を知り得ない。教えてあげない。
それって、なんて贅沢なことだろう?
なんて楽しい遊びだろう?
――そんな風に、私は死にたい。
「ああ、王子様が魔王と戦っていますよ」
起きて。起きないで。
希みを抱いて、甘やかに囁く。
自分の心を他人がわからないように、他人の心も私にはわからない。眠る彼女の気持ちがわからない。
……だから、いい。
「愛しています。マリンベリーお嬢様」
魔女はあえかな花のように笑み、その部屋から出て行った。