29、薔薇のアーチ、鐘鳴らし
『五果の二十二枝』……5月22日の夜。
宿泊施設では、エリナとアルティナが同じ部屋だ。
大浴場があって、夕食は大会場でブッフェをいただくか、部屋にコース料理を運んでもらうかの2択となっていた。
表彰式は明日らしい。
「冷えた体にお湯があったか~い!」
「お湯がぬるぬるしていますわね。いい匂い」
ずぶ濡れになって冷えた体を大浴場の湯舟に漬かって暖めていると、エリナが「こっちの班はこんな雰囲気だったんですよ」と教えてくれた。
「楽しそうね。ちなみに、こっちの班はアルティナが魔物をいっぱい釣っていたわ」
「おほほほっ、わたくしの勇姿を見せてあげたかったですわ! それに、マリンベリーの炎の魔法が大活躍でしたのよー!」
身体を暖めたあとは、イージス殿下やパーニス殿下とブッフェを一緒にする約束がある。
「先に行っていてくれる? 私、イアンディールの様子を見てからいくから」
2人に先に行ってもらって、医務室に向かう。
外務大臣令息だからか、イアンディールには個室が与えられていた。
中に入ってみると、脚に包帯を巻いたイアンディールがベッドで手を振って迎えてくれる。元気そうだ。
「お見舞いに来てくれたんだ。嬉しいな。この部屋、1人部屋だから淋しいと思ってたんだ」
貴族の家には、「異性と二人きりになってはいけません」という教えがある。
私は扉に手をかけたまま扉の位置で「お元気そうで安心しました」と言って退室しようとした。
すると、イアンディールは残念そうに呼び止めた。
「僕、今『淋しい』って言ったんだけど、顔見てすぐ帰っちゃうの?」
「安否をこの目で確認したくて来たものですから……」
「仕方ないね」
くすくすと笑うイアンディールの笑顔には、微妙に陰がある。
この人は、自分でも言ってたけど「寂しい人」なんだよね。居場所がほしい人で、自分が愛情を他人に注ぎたいし、注がれたい人なんだ。
幼少期からずっと「実は家庭内で孤独」だった人でもある。
アクシデントで怪我をした境遇でこの殺風景な個室でひとりぼっちって、辛いんじゃないかな。
「あの、お部屋、もしよかったら他の生徒と一緒にしてくれるようお願いしてみましょうか?」
「それいいね。なんか気を使われちゃったみたいなんだ」
「では、お願いしてみます……」
私はちょっと迷ってから部屋の中に入り、ベッドに近寄ってサイドテーブルに置かれていたお皿から林檎とフルーツナイフを取った。
「異性と二人きりになってはいけません」はわかるけど、同じ班の仲間だ。
かたくなに距離を取るのも「あなたは信用できない」と言っているようなもので、冷たいんじゃないかな――日本人だった自分の感性が、私にそう思わせたのだ。
「林檎を向いてくれるの? ありがとう」
「せっかく来たので」
林檎の皮は、ちょっと厚めに剥いてしまった。表面がごつごつした多角形になった林檎を食べやすいサイズにカットしてお皿に置くと、イアンディールは花が咲いたように微笑んでくれた。
「嬉しいな」
ベッドに身を起こすのが見えて、「フォークをどうぞ」と差し出そうとしたとき、ぐいっと身体が引き寄せられた。
「それに、湯上りのいい匂いがする。役得だね……アイタッ」
「せっかく信用して近づいたのに、そういうことをするからです」
獣のように匂いを嗅ぐフリをして首筋に唇を寄せてくるので、咄嗟にフォークで手をチクリとしてやった。これは正当防衛です。
「失礼しました、お姫様。ついイタズラ心が湧いちゃった。あぶない、あぶない。2人の殿下に殺されちゃうね」
懲りない様子で笑うイアンディールは、そういえば女好きだった。
「では、私はこれで。部屋替えの件は手配しますからね」
「ありがとう、マリンベリー。来てくれて嬉しかった。実は本当に気鬱になっていたところだったから、気が紛れたよ」
「……それなら、なによりです」
部屋替えについてミディー先生に頼んでからブッフェ会場に向かうと、イアンディールを除いたイージス班とパーニス班が勢ぞろいしていた。
「おつかれさま!」
「あとでイアン先輩の見舞いにいくかー!」
合同での「おつかれさま会」が終わった後、何人かが徒党を組んでイアンディールの部屋に向かったので、きっとこの後は淋しい思いはしないだろう。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
ブッフェ会場から出るときに、イージス殿下がそっと声をかけてきた。
「いい思い出になりました。ありがとう」
イージス殿下は、満足そうだった。
これから国王陛下に真実を打ち明けるのかな。
今夜はもう遅いし、明日かな。
ちょっと気になってしまう……。
くるりと背を向けて部屋に戻っていくイージス殿下に後ろ髪を引かれて、後を追おうか迷っていると、パーニス殿下が私を誘った。
「マリンベリー。ちょっと付き合ってくれないか? 庭に鐘があるのだ」
「鐘?」
「恋人同士で鳴らすと幸せになれるらしい」
「鳴らしたいというわけですね。なるほど。殿下は意外とロマンチスト……」
ところで私たちは「恋人同士」なんだ?
そういえば前も「政略意図ではない」と言っていたような。
ときめく言葉を気にしつつ、確認して「言葉のあやだ」と言われても複雑な気分になるので黙っていると、パーニス殿下は私を庭へと引っ張って行った。
連れていかれた庭には、薔薇のアーチがあった。
アーチには鐘がぶら下がっていて、ロープを揺らして鐘を鳴らすようだ。
アーチまでは飛び石の道がつづいていて、左右は紫色の妖艶な花木が風に揺れてかぐわしい香りを放っている。
こういうの、見たことあるなー。
ちょっとワクワクする。
「可愛い鐘ですね」
「せーので揺らそう。せーの」
2人でロープを持って鳴らすと、カランカランと澄んだ音が鳴った。いい音!
「結婚式みたいだな」
「パーニス殿下はロマンチストですね、ふふっ……」
笑いかけた頬に、手が添えられる。
「ん?」と思ったときには顔が近づいていた。
「んっ……」
体が石のように固まって動けない。
柔らかな唇が重ねられて、言葉が口内に押し込められてしまう。
目を見開いて硬直していると、パーニス殿下は深く優しい声色でささやいた。
「約束のキスがまだだった」
キスをする約束なんてしていません……という言葉が、出てこない。
思考が溶けそうになりながら、私は熱い頬をおさえて俯くことしかできなかった。
「湯冷めさせてしまうから、部屋まで送ろう。ああ、そういえば……」
「?」
左手を持ち上げられる。
何かと思えば、落としたはずの婚約指輪がパーニス殿下の手にあった。
「えっ。指輪……」
「探しておいた。俺が見つけるから、何度でも落として構わないぞ」
指輪を指に填めてもらうと、心がふわりと温かくなって、高揚した。
触れられたところが、熱い。
指に感じる特別な存在感が、すごく嬉しい。
「ありがとうございます、パーニス殿下」
そっとお礼を告げる頭上は満天の星空で、視界の隅で星が流れていくのが見えた。
「これを見つけた褒美と言っちゃなんだが、もう一度キスしたい。いいか?」
空気が澄んでいて、星が近く感じる。
ロマンチックな夜――素敵だな。
私は恥じらいつつ、そっと頷いて彼のキスを受け入れた。