第44話 虎狩り
『アーヴくん…ほんまにええんか…?』
『あぁ…これで構わぬ…』
アーヴの格好を見ながら
呆れ顔をしながら歩くリエル、
その言葉の意図はアーヴの服だ。
アーヴ達三人はニルス公へ報告を済ませた後
討伐隊全体で森に入る前に仮眠や休憩を取る事にした
その際、リエルやシェクラは
服や体を汚れを落としたのだが
アーヴは返り血を全身に浴びたまま
仮眠をとり再び森に入ったのだ。
『シャムラール殿…
せめて上着だけでも替えないか?…
血の臭いがここまで臭ってくるのだが…』
アーヴの後ろを歩くニルス公が
顔をしかめながら言う。
周りを歩くニルス公の私兵達も同意見なのか
苦笑いを浮かべていた。
『いえ…某はこのままで結構…』
正直アーヴも着替えたい気持ちはある
ニルス公が用意した荷物の中には
替えの服の一着ぐらいはあるだろう
しかしこれでいいのだ…
陣を出発して二刻ほど
左翼の前からアーヴ、シェクラ、リエル
そして右翼には私兵の三人
中心にニルス公と護衛の私兵と荷物持ち
空から見たら三角形に見えるであろう
隊列を組み討伐隊は森を進む
途中、野ウサギやキツネを見かけるが
それといって危険な獣とは遭遇していない
もちろん猛虎の気配も感じられなかった
やがて一行は昨晩の
襲撃にあった場所にたどり着く。
『まさか…これ程の大きさとは……』
嘆息を漏らすニルス公
その目の前には昨晩アーヴ達が仕留めた
虎の亡骸があった。
私兵達もその大きさに少したじろいでいる
しかしアーヴはその様子に構う事なく言い放った
『今夜はここで野営といたしましょう』
─────っ!?
一同はアーヴの正気を疑った
今だ血の臭いが立ち込め、
周囲は岩山に囲まれ
いたるところが死角だらけ、
そんな場所での野営など
自殺行為だと考えたのだ
『シャムラール殿…
我らは兵法には詳しくはないが
いくらなんでもこれは下策過ぎるのでは…?』
周囲の意見を代弁するかのように
ニルス公が尋ねる
しかしアーヴは躊躇うこと無く答える
『だから良いのです……』
アーヴの理解できない言葉に訝しむ
ニルス公、他の面々も同様の顔をするが
気にすること無くアーヴは続ける
『猛虎共は思ったよりも賢い…
現に血の臭いを漂わせ歩き回った
我らをここまで放置しております……』
『ならば貴殿はあえて血まみれの着物を着て
自らを囮としていたと!?』
『いくら何でも無謀ではありませぬか!?』
『領主様の身をなんとお考えか!』
アーヴの言葉に私兵達が
次々と非難の声をあげる
だがアーヴは静かにそれらに答える
『皆様方の言い分は尤もでありましょう…
しかしこの森は奴らの庭……
時をかければかける程我らは疲れ
奴らが有利になるばかり
我らが打ち勝つには猛虎共を釣り出し
短期決戦に持ち込むしか道はないのです……』
アーヴの口から出た
常軌を逸した策に押し黙る私兵達
それを確認するかのように問うニルス公
『つまりはあえて不利な場所で
野営をして奴らを釣り出す策であると…?』
アーヴはそれに黙って頷く
一瞬、間を空けて小さい溜息と共に
再びニルス公は口を開く
『判った…シャムラール殿の案に従おう…
私もそれ相応の覚悟で出てきているのだ
囮ぐらいなってみせよう』
『有難うございますニルス公……
では野営をする前に皆様方にお願いしたき事が……』
そう言ってアーヴは私兵達を集め
声をひそめて話し出す
それは圧倒的強者である森の王者達に
対抗する為の秘策であった
『アーヴ…本当にそれで良いのか?』
『あぁ…これで構わぬ…』
アーヴが頬張る肉を見て
呆れ顔をしながら嘆息するシェクラ
アーヴが頬張っているのは
昨日彼らが仕留めた虎の肉だった。
一行が虎を迎え撃つ準備を終えて
そろそろ夕餉の支度をしようかと言う頃に
アーヴは虎を解体しはじめて今に至る
今回の遠征は一週間近くかかるのではと
予想していた為、食料や水はそれなりに
準備していたニルス公達
確かにすべてが保存食なので
決して味が良いものではない……
しかしあえて虎を口にするのは
いかがなものかとシェクラは考えていたのだ。
『シェクラも一つどうだ?
少し筋張ってはいるが
なかなか美味だぞ?』
『いや…俺はこっちで良い』
そう言ってニルス公が用意した
塩漬け肉や干し果物を口にするシェクラ
横を見るとアーヴ同様に虎の肉を
頬張っているリエルと目が合う
『何や?…ボンは狩り初めてかいな?』
『いや…そうではないが…
虎の肉を食すのはどうかと思ってな』
リエルの問いに率直な意見を口にするシェクラ
実際、シェクラは狩りを何度も経験していた
虎狩りも二度ほど同伴した事がある
しかし同伴した狩人は毛皮を剥いだりはしたが
虎の肉など食そうとは言わなかった。
シェクラの違和感を察したのか
リエルはポツリと口にする
『狩ったモンは責任もって食す…
血の一滴すら無駄にしたらアカン…
それがウチ等の方での常識なんやけどな…』
『すまんな……
俺は狩人ではないのだ……』
シェクラの言葉に
暫く考える素振りを見せたリエルは再び口を開く
『う〜ん……ボンに判りやすい例えなら……
獲物は四神様の恵みで
血の一滴、肉の一欠片も
無駄にしたらアカンって事かなぁ?
虎達も生きるか死ぬかの覚悟を持って
ウチ等に挑んできたんや…
勝ったウチ等がその覚悟に報いるのは
無駄なくその亡骸を使わせてもらうって事が
ウチの実家の教えかな……』
『なるほど…わかり易い例えだ……
ならば教会の末席に連なる者としては
やむおえないな…』
そう言ってリエルの言葉に納得したシェクラは
アーヴの手から焼かれた虎の肉を受け取り齧り付き
筋張った虎肉を咀嚼する、そしてリエルやニルス公が
口にした”覚悟”と言う言葉の意味を
考えながら飲み込むのであった。
夕餉を終えた一行は思い思いの時間を過ごす
武具の手入れをする者、歩哨に立つもの
虎の解体を続ける者
既に日は沈み、
辺りは暗闇が支配する時間となっていた
一行の視界は篝火だより、しかし相対する獣達には
この暗闇など些事に過ぎないのだろう
そんな中、暗闇の中で乾いた
カラカラと言う音が鳴り響く
それは一行が辺りに仕掛けた
虎の骨や枝で作った鳴子の音だった。
一瞬にして緊張が走る、
辺りの様子を一望できる様に
岩山の上で陣取っていたアーヴとシェクラは
鳴子の鳴った方へ視界を向けた
すると岩の隙間の闇に輝く二対の光……
やがてそれは輪郭を得て虎の顔となる
闇から這い出てきたのは二匹の虎だった。
虎達は一歩、二歩と進み出て
野営地の中に居る私兵に狙いを定めている
そして地を蹴って野営地の中へ侵入しようとする……が
次の瞬間、虎達の姿は視界から消えた。
虎達が消えた理由
それは単純だが効果は絶大……
ヒトが古来より用いる罠
落とし穴だった。
一辺以外は岩山に囲まれ
奇襲されたら逃げ場が無いこの野営地
しかし裏を返せば侵入経路は限られている
岩山の上からの奇襲はアーヴ達が岩山を陣取る事で
それを防ぎ、残る経路は目の前の林からだった。
そこで唯一の侵入経路になるであろう林に
穴を掘り、その上に天幕の布を敷き
その上に土や枯れ葉で偽装した
落とし穴を作ったのである
穴に落ちた虎達は鳴き声をあげながら
這い上がろうともがく
しかし半日と言う短い時間では
大して深くもなく、落ちた先の仕掛けも
なにもない
虎達が這い上がってくるのも時間の問題だ
だがアーヴの策はそこでは終わらなかった
三人の私兵達がもがく虎に対して
樽の中身をぶじまけた
『シャスエール殿、今だ!!』
中身の液体が虎の全身を濡らした事を
確認してアーヴは合図を送る
合図を受けてリエルともう一人の私兵が
火矢を虎達に放った
そして矢が刺さった瞬間に
二匹の虎は一気に炎に包まれる
アーヴのもう一つの策
それは油を用いた火計だった。
何が起こったのか判らず
ただただ鳴き声を上げながら悶える虎達
しかしリエル達は手を緩める事無く
さらに火矢を放つ
辺りには肉の焼ける臭いが立ち込め
火だるまとなっていく虎達の様子を
アーヴの隣で眺めている
ニルス公とシェクラ
やがて虎達は徐々に
動きが鈍くなり、あれだけ響いていた
鳴き声も少なくなってきた
息絶えるのは間もなくであろう
『やったのか…?』
その様子にニルス公が
まるで独り言のように呟く
『いえ…まだです
最低でもあと一匹は居ります…
ご油断召されるな……』
アーヴの言葉に無言で頷き
剣を強く握るニルス公
とは言え虎の出現からまたたく間に
仕留める事が出来たのだ
残り一匹居るとは言っても
この面子なら難なく倒す事ができるだろうと
ニルス公は少し楽観的に考えていた。
だがアーヴは違った。
楽観的視しているニルス公とは逆に
アーヴは内心焦っていた。
何故ならこれ以上効果的な策を
アーヴは用意していなかったからだ。
今倒した二匹の姿に
恐れをなしているならまぁ良い
問題は二匹を様子見として送ってきた場合だった。
既に落とし穴の仕掛けは露見し
油の残りもほとんど無い
発破の竹筒も昨晩使った分が最後だった。
この状態で仕掛けて来られたら
ほぼ正面からの戦いになるのだ
私兵達の練度がどの程度かは解らないが
今火だるまと化している虎達は
全長が二メテル半はあるのだ
そんな生物と正面からやりあえば
自分も含め怪我人の一人や二人は出るだろう
いや…むしろ怪我人で済めば良い方だ
アーヴは焦りつつも
声を張り上げて周囲に指示を飛ばす
『まだ一匹は居る!!
警戒を厳とせよっ!!』
怒号のようなアーヴの声に
緩んでいた私兵達の気引き締まる
しかし激を飛ばした本人は
内心では「来ないでくれ」と祈っていた。
だがアーヴの祈りとは裏腹に
再び鳴子は鳴った。
今だ燃える虎達の向こう側に
揺らめく大きな影
ゆっくりとこちらへ近づいてくる
それはアーヴ達が昨日見た虎の中で
一際大きかった虎だった。




