第36話 アーヴとシェクラ
検非違使=治安維持組織・基本的な裁判など司法も司る
その日の夜、アーヴは一人シャローム家の邸宅に向かっていた
丘を登り警護の近衛兵に目で挨拶をする
そして扉の前でひとつ深呼吸をしてからゆっくりと三回叩く
『は〜い どちら様ですか〜』
扉の向こうから声がして
言うが早いかエラ=シャロームが扉を開けた。
『久しいな エラ殿』
『あら? アーヴ君! お久しぶりですねぇ
いつも娘がお世話になってます〜』
少し驚きつつも旧友が訪ねてきた事が嬉しいのか
「入って入って」と言い家の中へ勧める。
『いや…某まだ要件も言ってないんだが…?』
エラの行動に思わず苦笑いをするアーヴ
エラの昔と同じ屈託のない笑顔と少し間の抜けたところを
懐かしみつつも勧められたまま家の中へ入る
『用はうちのヒトでしょ?
別に私には用なんてありませんものね〜?
ここに来てから三年半も経つのに
一度も訪ねて来てくれませんでしたものね〜?』
その言葉に思わず顏が引きつるアーヴ。
警邏隊隊長とは言え、成り上がり者のアーヴは所詮は平民、
いくら旧知の仲でも名家の貴人であるシャローム家に対して
彼らが郷に来たと判った時点で出向いて挨拶しないのは
一般的にはそれなりに失礼に値する。
『それは…エラ殿達にも都合がありましょう?
ましてやシェクラ殿の奥方である貴方を訪ねるなど……』
満面の笑みを湛えながらアーヴの話しを聞くエラ。
だがその笑みが何か別の感情を隠す為の
作られた笑みだと言うのは今のアーヴには判る。
『なるほど、確かに一理ありますね
ところで……アーヴ君? いつまでその喋り方なんですか?
うちのヒトからもヤーフェからも聞いてますよぉ?』
エラから感じる圧が強くなったのを察知して
アーヴは観念するように笑いながら答える。
『……すまん エラ殿、隠すつもりは無かったんだが
昔は今と違って…ほら?…何も持ってなかったから
貴族の君と話す時はせめて言葉使いぐらいはと思ってな……』
アーヴが纏う空気が柔らかくなり
口調が少しくだけたモノに変わった事が嬉しいのか
エラの表情は作り笑いではない本当の笑顔になっていた
『別に気にしませんでしたよ?
貴族と言っても家が古いだけでしたから…
うちのヒトから少し聞いてはいましたけど…
ヤーフェから聞くまではアーヴ君は
てっきり堅苦しいヒトだと思っていましたよ?』
エラの言葉にアーヴは若かりし時の自分を思い出す。
それは栄達を目指しつつも無知で傲慢で
虚栄心にまみれていた若造だった頃。
アーヴは今思い出してもそんな自分の姿に恥ずかしくなる。
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それは二十数年前、当時のアーヴは
師の屋敷から飛び出し栄達を夢見ながら皇都を目指していた。
そしてその年の聖謝祭もほど近い時期
ツァディクの辺境であるニルス領のある町を訪れた時に
シェクラやエラと出会った。
アーヴはその日の宿を取ろうと町を歩いていると
広場にヒトだかりが見えた、皆一様に同じ方を見ている
どうやら掲示板を眺めているようだったが
残念ながらアーヴは文字が読めなかった。
『もし…そこの方、この集まりは何なのですか?』
アーヴは隣に居る、身なりの良い青年に声をかける。
『む?…これは?…これは皆、
猛虎の討伐募集を見てるのだよ』
『モーコ…? の討伐……つまりは狩りですか…
ちなみになんと書いてあるのですかな?』
『それは…ご自分で見た方が早いのではない…――』
そう言いながら今まで掲示板を見ていた青年はアーヴの方を向く
彼の眼の前に居たのはおせじにも身なりのいいとは言えない男が居た
泥で汚れた靴に、風雨でくたびれた外套
顔立ちから判断して若いのであろうが所々見える無精髭。
腰の膨らみから剣か何かを帯びているのだろうが
到底その姿は兵には見ない。
(旅の武芸者か何かか…? それとも狩人か…?)
アーヴの風体を見て文字が読めないのであろう事を
察した青年は再び掲示板を見ながら内容を要約して読み上げる。
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ニルス領、北西部の森に生息している
猛虎討伐隊に参加する兵を募集
対象は近隣住民及び斥候を既に十数名
殺害したと思われ非常に危険。
参加する者は前金で銀 一枚
討伐し生還した勇士には
報奨として金 三枚
さらに狩人協会からも金 三枚
出発は五日後の早朝を予定
詳細及び参加申し込みは
ニルス公 従者 ディエコ=メシャレートまで
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『――…と要約するとこんな感じです…』
『なるほど…かたじけない……』
(虎か…熊や狼を狩った事はあるが
猛虎とはどんな生き物なのだ…?)
『貴方も参加するのですか?』
未知の生き物の姿を想像していた所で
声がかかりアーヴは我に返る答える
『いや…某は旅の者……
あくまでヒトだかりが気になっただけですので…
内容を読んでいただき感謝いたす…では…』
そう言って青年を背にアーヴはその場を後にした。
腹も少し空いてきたアーヴは一軒の酒場に入る
『女将っ 火酒を頼む…』
『はいよっ! 兄さん食事はどうなさるね?』
そう言って女将は献立の書かれた紙を渡してくるが
文字の読めないアーヴとしていつも答えは一択だった。
『ぁぁ――…一番安い定食で頼む…』
暫くして、女将が酒を持ってくる。
そのまますぐ戻ろうとする女将を呼び止めアーヴは尋ねた。
『女将、ここでは泊まれるのか?』
女将はアーヴの風体を見て理解したようで答える
『二階に部屋があるよ、一泊で小銀五枚だね
相部屋でよければ一泊、小銀三枚。
まぁ…今時期は旅のヒトは多くないから
ほとんど個室みたいなものだけどね
あとは……一食付けて銅銭七だけど…
そうだね兄さん男前だから五枚でいいよ?』
『それはかたじけない……
それなら相部屋で一泊お願いしよう』
『はいよ! 後で部屋の鍵を持ってくるからね
食事は明日の朝でいいのかい?』
『あぁ…それで宜しく頼む…』
その後出てきた食事を食べながら
アーヴは財布の中身を確認する。
この町からクンバヤーワ皇国までまだまだ遠い
途中で野宿や狩りなどで節約しても
路銀としてはかなり心許ない
この辺りで少し稼いでおく必要がありそうだった。
幸いこの町はそれなりに賑わっている
ここなら仕事の一つや二つあるだろう。
『女将…すまぬがこの辺りで何かいい仕事はあるか?』
店内のヒトがまばらになり、
少し手が空き始めた女将に再び訪ねる
女将は少し考え逆に尋ねてくる。
『兄さん旅のヒトだろ……字は読めるかい?』
『すまぬ…数しか判らぬのだ』
『そうなると結構限られるくるねぇ……』
(やはり師匠の所で読み書きはやっとくべきだったか…)
師は何度か読み書きや他の学問を教えようとしたが
幼いアーヴは腕っぷしと剣だけでなんとかなると考え
ひたすらに剣だけの修練に励んだ。
一応、数と食せる植物の話しだけは聞いたが
それ以外は必要ないと啖呵をきり今に至る。
実際、師の元を飛び出してから既に何度か
このような事態に直面しており
幼い頃の自分の浅はかさに後悔するアーヴ。
そんなアーヴの後悔をよそに女将は考える
そしてアーヴの腰のものを見ると閃いた様子で聞いてきた
『兄さん…アンタ腕っぷしはどうなんだい?』
翌日、アーヴは宿の女将が教えてくれた場所に来ていた。
ニルス領主 、トダ=ラルバ=ニルスの邸宅
女将曰く、ツァディクの民でもなく、文字も読めない
しかし腕っぷしだけなら自信があるアーヴに打って付けの仕事
――――それは猛虎討伐である。
女将が言うには掲示板で大々的に募集され
被害者十数名と告知されていたが
領主が調査に乗り出す前から狩人の間では噂になっており
実際に餌食になったのは百名はいるのではと言われているそうだ
さらに猛虎以外にも獣は居るため北西部の森は非常に危険らしい
結果、いくら報奨が良くても狩人が尻込みをして
討伐にヒトは集まらないのではというのが女将の予想だった。
素朴な疑問を持ったアーヴは兵は何をしているのだと問うと
ニルスには兵と言うのは検非違使しかおらず
町の外の問題の多くは狩人協会に依頼しているらしい。
◯兵の手が足りないから狩人協会に依頼
◯しかし脅威度を知ってる狩人は別の仕事をする
◯討伐されないから領主自ら討伐隊を募集
◯だが怯えた狩人は参加しない為、猛虎は討伐されない
もはや負の連鎖である。
たかだか野生動物を一匹討伐するのに
金六枚と銀一枚、そんな破格の報奨を訝しんだアーヴだったが
女将から経緯を聞いた今なら納得できた。
(猛虎…トラか……あまり気乗りはしないが
路銀の為だからしかたねぇな……まぁオレなら何とかなるだろ)
アーヴはそんな事を思いつつもニルス邸の門をくぐろうとすると
すぐ後ろから声がかかる
『入らないなら私が先に行かせてもらうが…?』
『ぁぁ…これは失礼した…』
そう言って道を開けようとするアーヴの横を一人の男が過ぎようとする。
ちょうど男が真横を通ろうとした時、
男とアーヴの視線が合う
『貴殿は…?―――』『貴方は…?―――』
互いの顏を見た瞬間まるで示し合わせかのように
二人の男の口から言葉が漏れるのであった。




