第28話 父親
ティクバが目覚めた報告を聞き、
その夜、再び警ら隊隊舎では会議が開かれていた
しかし以前とは違い、会議は紛糾していた。
『―――ですから先程も申し上げた通り
今すぐにでも息子を牢から出すべきです!!』
怒声に近い声をあげているのはアーヴだった。
会議の争点となっているのは投獄しているティクバを
牢から出すか否かだった。
『だがね…隊長…
いくら正気に戻ったとは言え、熊を繋ぐ想定で作った鎖を
いとも簡単に引きちぎったらしいではないか?』
アーヴの意見に否定的なのはハベリーム領主、ケレックだった。
ティクバが目覚めた際の出来事は牢番の隊員とガドールから
郷の重鎮達につぶさに報告が回っている
その内容を聞いたケレックは驚異的な膂力を持った
今のティクバを牢から出す事は到底認めれれる事ではないと考えていた。
『そんな力を持ったモノが万一にでも
郷内で暴れたりしたら、どうする ?
警邏隊も狩人も森の巡回までして郷内の人員は普段よりも少ない…
そんな状況で熊にも匹敵する力の持ち主が暴れたらどうなると思うのかね ?』
『―――っ!! 』
ケレックの郷の現状を考えた言葉、郷を預かる者として当然だった
だがアーヴは自分の息子が”モノ”と呼ばれた事に対して激昂しそうになる
しかしそれを止めたのはトゥルファーだった。
『領主殿……
いくら容姿が変り、驚異的な膂力を持ってるとしても
隊長のご子息を"モノ”扱いはいささか失礼なのでは ? 』
アーヴは自分の気持ちを代弁したトゥルファーの言葉で
若干、溜飲が下がるがケレックの言葉に今だ怒りが収まらない
その様子を見てトゥルファーは溜息を一つ吐き
現状を整理するように語る
『よろしいですか…
牢番の報告やティクバ君の容姿がかなり変わってしまっている事から
彼は”怪物憑き”に類する力を持っているのではと推測されます
まぁ…私が今まで私が怪物憑き自体見た事ないので推測の域を出ませんがね…』
そう言ってトゥルファーは
部屋の入り口近くに座っているガドールに視線を流し尋ねる。
『ガドール殿はどう思われますか?
貴方なら国の仕事で怪ノ物討伐に出向いた事もあるのでしょう
その際、怪物憑きに遭遇した事もあるでは ?
このような郷の大事では国家機密だから
教えられないなんて事は無しでお願いしますよ…?』
部屋に居る一同の視線がガドールに集まる。
まさか自分に意見が求められるとは思っていなかったガドールは
一瞬驚きつつも少し考えて答え始めた。
『確かに以前、遭遇した彼らと今の弟の見た目の特徴は
一致する箇所があります……』
ガドールは以前の怪ノ物討伐作戦を思い出す。
近衛と辺境防衛軍の合同の作戦、そこで見たのだ、
まるで怪ノ物に指示を出すかのように動いているヒトを。
その容姿は今のティクバの様に土気色の肌だった。
そして歴戦の兵と名高い防衛軍の兵士をまるで
子供の相手をするかのようになぎ倒していたのだ。
しかしガドールは彼らとティクバは明らかに違うと思っていた。
彼らの発していたのは動物の鳴き声のように聞こえ、
到底意思の疎通など出来るようには思えなかった。
故にはっきりとガドールは答える。
『……しかしその際に遭遇した連中と弟が同じだとは思いません』
ガドールの答えにケレックやタヤは表情を強張らせる。
そしてその二人の疑問を代弁するかのように
トゥルファーが再度尋ねる
『その根拠は…?』
『彼らはまるで本能のみで暴れる獣のようでした…
確かに仲間に指示を出すような素振りはありましたが
到底我々と意思の疎通ができるようには思えませんでした
ですから今日、自分と言葉を交わした弟は彼らとは違うと思います』
ガドールの答えにケレックやタヤは不満そうな表情だった。
やはり根拠としては弱いのだ、しかし実際に遭遇した者の意見を
無視するのは憚られたのか二人共何も言わない。
トゥルファーは未だ一言も発していないエムナとシェクラにも尋ねた。
『教会としてはどうお考えですかな?』
するとゆっくりとエムナが答える。
『ティクバ君が危険かどうか自体はおそらく問題ないでしょう…
鎖を千切る程の力なら牢から出ようと思えば出られるはず……
それよりも何故、彼が怪物憑きの様になってしまったかを
考えるべきではないでしょうか… 』
エムナの言葉にケレック達も納得する。
『なるほど彼やサウル君が襲撃者に噛まれていた事を考えれば
病の類のように唾液などの体液から伝染るものなのかも知れませんな…
やはりティクバ君を出すのは皇都からの研究者を待ってから
再度考えた方がいいかも知れませんね…』
事実ティクバだけでは無くサウルにも噛み跡は見つかっていた。
他の者は傷を負いはしたが噛まれた者はいない。
噛まれたのはティクバとサウルの二人、
そしてその二人が容姿が怪物憑きの様に変貌しているのだ
怪ノ物の発生条件が病の一種と予測される以上妥当な判断だった。
だがアーヴは引き下がろうとはしない
『ですが―――っ 』
その様子を見てトゥルファーはアーヴを諌めるように言う。
『隊長殿……これは郷の皆の為です…
それにあと三日も経てば皇都からの研究者も来ます…
おそらく来るであろう者はその道の一番の者ですから
きっと悪いようには致しませんよ…』
『あとはサウル君の容態も気になるところですが、
会議はここまでですな…』
そう言ってトゥルファーは会議を締めた。
他の面々も異論はないようで一人また一人と部屋を出ていく
そして最後に残ったのはエムナ神官長だった。
『……何か言いたい事があるようですね…』
眉をひそめながらエムナはアーヴに問う
アーヴはエムナを見据え詰め寄るように尋ねる。
『何故ですか………
貴方だったらあの場でティクを出すように進言できたはずなのに…
ご存知のはずでしょう! あの状態なら何の問題もない事を!! 』
思わず怒声に近い声をあげるアーヴ
エムナは眉をしかめつつ口元に人差し指を当てる
それはまるで子供に静かにせよ諌めるようだった。
『シャムラール隊長…
私とてここでは教会の代表に過ぎません…
それが郷の方針に口出しするなど…』
エムナの物言いにアーヴの苛立ちは沸点を超え怒りに変わる
『アンタは何を考えているんだ!
今回の襲撃も何か知ってるんじゃないのか!?
アンタが本国から戻ってきた夜、
ティクバの怪我が良くなるよう祈るとアンタは言った…
でもな……俺は一言もティクバが怪我をしたとは言ってないぞ…』
最早アーヴはエムナの胸ぐらを掴み
鼻息がかかるほど近くで睨んでいた。
しかしたじろぐ様子もなくエムナは溜息を吐く
『……確かに我が主はティクバ君に関心を寄せておいでです…
ですが今回の件は私個人としては預かり知らぬ事でした…』
エムナは両手を軽く挙げ、
まるで降参するかのような姿勢を取って答えた。
『……まさか…神使にするつもりなのか…? 』
その言葉と共にアーヴの腕から力が抜けていく
『…… 全ては我が主たる神々の御心次第ですよ…… 』
そう言ってエムナはゆっくりとアーヴの腕をどかすと会釈を一つして
一歩、二歩と後ずさる、そして向きを変え部屋から出ていった。
アーヴはまるでエムナが部屋から出ていった事に気づかないかのように
その場で立ち尽くしていた、そして近くにある
椅子を勢いよく蹴飛ばして誰に対してでもない悪態を垂れたのであった。
==================================
ティクバが意識を取り戻した翌朝、
シャローム家では朝から怒声が飛び交っている。
怒声の主はヤーフェとシェクラだった。
『何故私の言う事が聞けないんだ―――っ 』
ひときわ大きな声でシェクラはヤーフェに問う。
傍らにいるヤーフェの母、エラは夫の怒る様にたじろぐばかりだった
エラはこの親子喧嘩が始まる前を少し思い出す。
それは三人で朝食を食べようとしていた時、
はじめは娘が父親におねだりをするようなやりとりで始まった
その内容はせめてティクバを牢から出してほしいとの事だった。
ヤーフェとしては高位神官であるシェクラなら
ティクバを牢から出す事も可能なのではと考えたのだろう
だがいくら辺境の田舎とは言え、郷の決定事項を高位とは言え
神官ひとりの意見で変えるのは難しい、
その答えに至らないのはヤーフェが子供だからか…
それともそれだけ必死なのか…
どちらにせよシェクラはヤーフェの懇願を突っぱねる。
そして金輪際ティクバに会うなと言い放った。
その一言が親子喧嘩の開始の合図となり今に至る。
エラは目の前の夫と娘の不毛な言い争いをどう仲裁しようか考える
しかし一層激しくヤーフェはシェクラを非難する
『私は父様の持ち物じゃない!
ツァディクでは小さかったから父様の言う通りにしていたけど
今は私にだって自分の意思があるわっ!
やっと出来た友達に会うな? そんな事言うなんて親としてどうかしてるっ! 』
『私は友達は選べと言ってるんだ!
お前はシャローム家の娘… 本来だったらこんな田舎で
剣を振っているような者ではないんだ!
それに私がお前とティクバ君の関係を知らないとでも思ってるのか?
私は認めないぞ… 一武官の…それもあのシャムラール家の息子なんて…
お前に相応しい相手を既に本国で何人か考えているんだからな……』
売り言葉に買い言葉だった。
シェクラの言葉を聞いてヤーフェの顔は
恥ずかしさかそれとも怒気なのかはわからないが朱みを帯びる。
『どうせ私の事を家を守る為の道具だと思ってるのでしょ?
そんなヒトの娘だなんて……
シャローム家なんてまっぴら―――っ 』
ヤーフェは今まで一番大きな声で父を非難する
しかしその言葉を言い言い放つ事はできなかった
――――――パァァンッ!
父を非難する言葉、それは母の平手打ちで止められた。
『なんで……?』
ヤーフェの口から状況が理解できない事を表す言葉が漏れた。
今までエラは最終的にはヤーフェの味方だった。
小さい頃、父のお気に入りの壺を割ってしまった時や
ハベリームに来て剣術を習うと言う時もシェクラを一緒に説得してくれた。
母様はいつも私の味方だと思っていたのに……
そんな事を思いながらヤーフェはエラをの顔見る
母のその目はしっかりヤーフェを見据えつつも涙に滲んでいた。
『……ヤーフェ…言い過ぎよ…父様に謝りなさい…』
それを聞き終わる前にヤーフェは肩を震わせながら
逃げるようにその場を後にし、勢いよく自室の扉を閉めた。
残ったのは手付かずの朝食と何とも言えない空気だった。
エラとシェクラは思わず二人揃って溜息を吐く。
『すまない…エラ… 』
何に対してと言うわけでもないがポツリとシェクラは言葉を溢した。
『……良いんです……
あなたがどれだけヤーフェの事を考えているかは
私が誰よりも一番知ってますから…』
エラは知っていた、
本国にいるヤーフェの結婚相手の候補達を
シェクラがどれだけの労力を使って厳選していたかを。
それもこれも全ては娘の幸せを願っての事であり、
家の事など二の次、三の次、あくまで娘の幸福の副産物と思っている事を。
故にヤーフェの言葉をエラは母として妻として
どうしても許せず、手を挙げてしまった。
『駄目な母親ですね…手を挙げてしまうなんて…』
エラの言葉にそんな事ないと言うように、
シェクラは首を振り、そっと妻の肩に手を乗せる
『解ってくれるさ…でもあんなヤーフェは初めて見たよ…
子供はあっという間に大きくなるものなんだな………… 』
『とは言っても私達にとってはいつまでも大切な子供ですよ…』
シェクラの言葉に苦笑いを浮かべながら答えるエラ、
手に取った湯呑はすっかり冷めている。
二人はそんな湯呑を揃って啜りながら
ヘソを曲げてしまった娘とどう和解しようかと考えるのだった。
見に来ていただいている方ありがとうございます!
筆も遅く不定期更新ですが今後ともお願いします




