第2話 家族のカタチ
ミトバフの無限お小言もなんとか終わりを迎えて
ティクバは父と兄と一緒に食卓を囲もうと茶の間へ向かおうとする。
すると後ろからパタパタと足音が聞こえてくる、足音はこちらへ近づき
距離が二メテルを切ったと思った時……
ドンッとティクバの下半身に衝撃が走った。
しかし腐っても武官の家の息子、この程度の衝撃は何とか耐えられる
そして衝撃の元を確認する為に後ろを振りかえると着物の怪ノ者が居た。
『あっ! 兄様っ! お帰りなさいっ!! 』
着物の怪ノ者は元気よく挨拶してきた。
そう、この着物の怪モノ、もといこの美幼女は我が家の至宝。
シャムラール家の長女 アデナ・シャムラール 七歳だ。
『おっ アディお絵かきは終わったのか? 』
ティクバがアデナを抱き上げていると
奥の部屋から顔を出したガドールが声をかける。
ミトバフの着物を被ったままアデナは元気よく返事をする、
そして被っていたミトバフの着物を脱ぎティクバに手渡ししてきた。
『兄様っ それミトちゃんに返しておいて下さいね! 』
何の屈託もなく、純真な笑顔で自分の悪戯の罪を兄に擦り付けようとする
我が家の至宝、なんて恐ろしい子……ティクバが白目をむきながらそんな事を考えていると
我が家の近衛様も続ける。
『お前、本当にアディに甘いよなぁ…そういうの古語で”しすこん”って言うらしいよ 』
いつもなら聞いた事がない言葉を教えてもらえる時は嬉しいものだが
何故か今回はそんな気持ちは起きず、そして侮辱されているように感じたティクバ。
ミトバフの着物を片手に握りしめてガドールに対して抗議の構えをとろうとした時。
『ほーらぁ… 皆さん夕餉の時間ですよ〜 今日は奮発してますよ〜』
間が悪くミトバフが顔を出した。
ミトバフは三人の顔をふくれっ面で見ていたが、やがてティクバの手の中にある
しわくちゃでさらに墨が付いてしまっている自分の着物に気がついた、
そしてガドールはミトバフのその視線の動きを見逃さず、
アデナを抱きかかえた状態で父の渾身の一撃を回避した動きでこの場から消える。
残されたティクバとミトバフ………ミトバフの顔からスゥっと血の気が引く音が聞こえた。
そして俯いて何事が呟いている
(ソレ…旦那様からいただいたのに…旦那様からイタだいタノに……ダンナサマ…カラ…)
『ミトさん…これは…その…あの……アディが… 』
妹をかばいたいが気持もあるがこの状況を脱したい気持ちも大きい。
父の気概や戦いについての教えを思い出すが…答えはそこには無かった。
(父上、逃げる事もできず勝つこともできない戦いがあるのですね)
そんな事を思いながらティクバは思った。
そしてゆっくりとゆっくり顔を上げるミトバフ…
その光を失ったの瞳とティクバは対峙したのであった。
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ミトバフの荒ぶる魂を鎮めたシャムラール父子は何とか夕餉にありつく事ができた。
しかし夕餉に至るまでの道のりは厳しいものだった。
主犯のアデナは当然として着物の状態を悪化させたティクバ、
そしてアデナと一緒に逃亡を図ろうとしたガドールにもしっかり灸は据えられた。
最終的にはアーヴがもう一度、着物を選び与える事で落着した。
兄妹達がどんなに弁明や謝罪をしても収まらなかったミトバフの怒りは
父のサラッと放った言葉で一瞬にして静まった。
「そんなに気に入ってたなら、同じもんあるか一緒に見に行くか?
同じじゃなくても気に入ったものあるなら買ってやるからよっ!」
これを聞いたとたんに機嫌が直るどころか逆に良くなってしまった。
今は鼻歌まじりでアーヴに酌をしている。顔もニッコニコだ
そんなミトバフを見ているとガドールが小声で声をかけてきた。
『なんとか無事に飯にはありつけたな…』
『今回はあぶなかったですけどね…ほらアディなんてまだベソかいてますよ』
囲炉裏に向かい座るアデナが(ヒンヒン)と鼻を鳴らし涙目になりながら煮物をつついている。
可愛そうな気持ちにもなるが、今は心を鬼にしてベソかき妹を見守る事にする。
『ここ最近はこっちに居ても食事時には任務で居ないことが殆どだったからねぇ…
すっかり忘れてたよ。ミトさんにヘソ曲げられたらウチは終わりだって事を』
少し溜息まじりにガドールがぼやいた。
そう事実、シャムラール家の生活用品の場所を完全把握しているのはミトバフだけだ。
料理に関してはティクバやアーヴも多少できなくはないがしっかり三食、そして
美味しいものを作れるかと言われると怪しい。また買物や衣類の修繕、
アデナの世話など細々した事もすべてミトバフまかせだった。。
あれはいつだったか、以前に郷の雑貨店にてヤレアハと会話をした事を思い出す。
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「珍しいなヤレアハ…お前が買物に来るなんて」
「やぁ…ティクバ君か」
返事が心なしか暗いので聞いてみると地頭の家ならではの返答がかえってきた
「一人お手伝いさんが急遽来れなくなってね なんとか別のヒトや兄達が
まかなってたんだけど、父の仕事で今すぐ必要な物が出てきたみたいでね…
でもちょうど今手が空いるヒトがいなくて、僕が買物をしに来てるって訳さ」
うちでは起こりえない事だとティクバは思いながら適当に相槌を打つ
シャムラール家のお手伝いのミトバフは一緒に住んでいるから”来れない”なんて事はない。
仮に自分が動けない状態でも何かしらの対策を打ちそうな気がする。
「…ゥゥン?……あぁ…そうかっ 君の家のお手伝いさんは住み込みだったね」
ヤレアハは今の自分の大変さが理解できてない顔するティクバの家庭環境を思い出していた。
そしてティクバにも想像しやすいであろう例えを出した。
「そうだねぇ〜解りやすく言うと聖謝祭の時とかだよ、
あの期間は家族や故郷で過ごすから、君のお家のお手伝いさんも帰ってしまうだろう?」
聖謝祭、一年が替わる前の一週間程の期間、その年を無事で過ごせた事を
家族や親しい者達で祝ったり、一年間を振り返ったりする行事だ。集落や郷・街単位で祝ったりもする。
由来は古の聖なる方が誕生して一週間祝ったとか、亡くなった事を一週間悲しんだとか…
各地方で違いがあって、あまりはっきりとした事は伝わってないらしい。
ティクバ自身は美味しい物がたくさん食べれる期間、程度の
認識しかもってないがヒトの出入りが多い期間という事は知識として知っている。
『どうだ! 解りやすいだろ?』とう言うような顔をするヤレアハを見て
ティクバはますます分からなくなった、ミトバフは聖謝祭の期間もずっと郷にいるし家にいる。
遠出をする事はあるようだが家を空けたりした事はティクバの記憶の中では一度もない。
ヤレアハの家と自分の家が違うと言うことティクバは伝えた。
ミトバフは住むところは一緒だし、食事も一緒、妹に関してはお風呂も寝る時も一緒だ
そうするとヤレアハはだんだん目を丸くして最後にはこう言った。
『……ティクバ君、それはもう”家族だよ”…"お手伝いさん"じゃない、まるで”お母さん”だ』
ティクバの母はアデナを産んだ後に亡くなった。その後は祖母とミトバフが面倒を見てくれたが
その祖母ももう居ない。ティクバにはほんの少しだけ母の記憶が残っているが
アデナにはまったくと言って無いだろう。
そうか……母も祖母も居なくなってしまってからはミトバフは自分達の”母親”になってくれていたのか…
そう言えば母が居ない事について不便や、寂しさの様なものは感じた事が無かった。
たまに学院の友人達と会話をしている際に母親の話題になった際に
すでに故人であることを伝える際に彼らの顔が少し曇り、こちらが少し反応に困るくらいだ。
友人達の言う”母”というのは、褒め、叱り、世話を焼き、
一緒に笑い合ってくれるヒトらしい、うちではそれはミトバフの事だ。
そう気付くと言葉に出来ない暖かい気持ちがこみ上げてくる。
でも……父と兄はどう思うのだろう。二人は”母”をよく知っている、でも”母”は今おらず
”母”がする事はミトバフがやっている。でもミトバフは”母”ではない…
きっと日頃の感謝とかは父も思っているだろう…
でもティクバが感じた気持ちを父達は同じように感じるのだろうか?
おそらく自分で考えても答えなどまったく出ない問いを思いつき、
そして父と兄に”母”の記憶が多く残っているからこそ聞きづらい問い。
あの二人の記憶の”母”をミトバフというヒトが塗り替えてしまうこと。
いったいどんな気持ちなのだろう…
そしてまたティクバの心の中に黒いモヤが滲み出る。
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以前の聞けない問いを考えた時の気持ちを思い出し、ほんの少しの溜息をついた。
それを知ってか知らずかアドールはニヤニヤしながら呟く、
囲炉裏の向こう側で酌をし合い談笑する父とミトバフ、
そしてたまに間に入ろうとするアデナを眺めながら。
『これはもうすぐ落城だね……』
『……? 何の事ですか兄上?』
兄の呟きの意味が理解できず聞き返す。
それを聞くとガドールはぽカンとした顔でこちらを見る
そして次の瞬間「ア〜……」と呆れ顔してカンの鈍い弟に憐れみとも見える視線を投げて返答する
『我が家に”母上様”が誕生するってことさ…』
一瞬、理解ができなかったティクバ、ガドールの言葉を反芻して
意味を理解し「えぇっっ!?」と反応する、再度、父達の方を見る。
アーヴもミトバフもほろ酔いなのか顔がだいぶ赤い、そしてミトバフはアーヴの腕に自分の腕を絡ませて
もたれかかりながら片手酌をしている、アーヴの顔の赤みは酒だけではないのかも知れない。
(何をそんなに驚いている?)という顔でガドールはこちらを向く、ガドールと視線が合ったが
ティクバはきっと自分たち子供が見て良いものじゃない気がして俯いた。
それを見たガドールは(フフッ)と小さく鼻を鳴らし、
わざとらしく(ゴホッ…ゴッホンッ!)と大きな咳(?)をしてみせた。
さすがにガドールの咳(?)で"お手伝い”としての距離感を間違えていると正気に戻ったミトバフは
(ハッと)した顔し、居住まいを正した。だが居づらくなったようで…
『…ゥン…さて…私は明日の朝の支度などしてきますねぇ〜…ハハ…』
苦しまぎれのような言葉を残してミトバフは土間へ音もなく姿を消した
そしてそれを(わたしもお片付けしますっ!)とアデナもついて行く。
そして残ったシャムラールの男三人、
アーヴは赤ら顔でなんともバツの悪そうな顔しながら盃をあおっている。
ガドールはまるで無表情で手酌している、
ティクバはこの謎の空気にいたたまれずいまだ俯いている。
一瞬の間が空いた、そしてガドールは優しい笑みになって
アーヴの盃にゆっくりと酌をしながらボソッと呟く。
『父上……もう良いのでは……?』
『………………………かもな…』
注がれた酒を見ながら答えるアーヴ、そして一気に酒を飲み込んだ。
そしてアーヴもガドールに無言で盃に酒を注いだ。
父と兄、二人のやり取りを見ていたティクバは
以前に浮かんだ"母”に関しての聞けなかった問いの答えが
何となくではあるが出た気がした。きっと”塗り替える”とか”忘れる”とか
そういう事ではないのだろう。
心の中のモヤが晴れた気がする、そして少し嬉しい気持ちになった。
ティクバ思う、今日はとてもいい気持ちでと床につけるだろうと。