閑話② 女狐と小さな悪魔
閑話だけのつもりが少し本編に掠る内容まで入れてしまいました。
年が変り一月半ほど経った。
郷が聖謝祭の喧騒から覚めていつもの長閑な田舎に戻った頃
シャローム家の中は少々重い空気になっていた。
その重い空気の中心に居るのは普段着用の
法衣服を身にまとう女性 エラ=シャローム、ヤーフェの母であった。
椅子に座り窓の外を見ながら溜息をつく彼女は
十二歳の娘が居るとは思えない程に若々しい容姿だった。
しかし十代後半から二十代中頃と言っても通りそうな童顔とは裏腹に
到底その若さでは醸し出せない困惑の色が滲み出ていた。
それはこの後に夫でありヤーフェの父である
シェクラ=シャロームに相談する内容に思いを巡らせているからであった。
エラは今、娘が居るであろう学院の方向を見ながら
また小さく溜息をつくと玄関の戸が開く音が聞こえた。
『すまないね、エラ 待たせたかな ? 』
部屋に入ってきたのはシェクラだった。
今日は仕事ではなく家の裏にある畑の手入れをしていた為
普段の法衣服とは違い平民と同じ服を着ている。
畑仕事で少し暑くなったのかシェクラは上着を脱ぎながら
エラの前に座る、その様子を見てエラは自分の翼で
シェクラを仰いでやった。
『それで…君が相談したい事って言うのは何かな ? 』
出会ってから結婚して今に至るまでこれほどエラが
困惑した表情を見せた事がなかったので
シェクラも訝しく思いながら尋ねた。
『先程、道でヨナ先生にお会いしてヤーフェの話しを少し聞いたんです… 』
『それが何か問題でも ? 』
歯切れの悪いエラに話しの続きを促すシェクラ。
『どうやら女の子達で意中の男の子のお話しをしていたそうなんです…』
表情が曇りだすシェクラ、それを見て申し訳なさそうにするエラ。
実はヤーフェには伝えていないがヤーフェの結婚相手の候補は
既にツァディク本国に候補が何人か居る。
シャローム家はツァディクでも有名な家柄であるが故に
シェクラ達は婿を取る事を考えていたのだった。
とはいえ愛する娘の人生だ、本人がどうしてもと
見初めた相手なら弟の家に家督を譲り
ヤーフェ自身の想いを尊重するのも吝かではないつもりだった。
ハベリームのある家を除いては。
シェクラはその神官とは思えない筋骨隆々の体を
少し震わせながらエラに話しの続きを促す。
『そこでヤーフェは断定はしなかったそうなんですが…
結婚相手に望む条件は"熊を一人で倒せる事”だと周りの子に言ったそうです』
エラは既に少し涙目になっていた。
シェクラは思わず天井を仰ぎ、顔を手で覆い深い溜息を吐いた。
熊を一人で倒すような十二歳、断定などしなくともこの郷ではすぐに分かる。
『ティクバ君か……』
思わず吐き捨てるように呟いてしまった愛娘の意中の相手の名前。
面識はあまり無いが娘からの話しや、噂でシェクラも知っていた。
『おそらくは……』
苦々しい夫の呟きに同意するエラ。
エラ個人的には悪くない話しだと思っていた、しかし夫のシェクラは
以前からシャムラール家がどういう理由かあまり好きではないようだった。
父のアーヴは最近でこそ交流はなかったものの旧知の仲だ
さらに長男のガドールも武人として、指導役として
素晴らしい人物だと聞いている、シェクラ自身も彼らの腕前は褒めていた。
しかし夫のこの様子だと相当な理由があるようだった。
『あなた……どうしてそんなにシャムラールの方を嫌うのですか ? 』
エラとしては理由が聞きたかった、
アーヴはは若い時に世話になり、当然シェクラもそれは知っている
それにハベリームで初めてできた友人ミトバフの家なのだ。
自分も娘も良くしてもらっている、そこの子供と娘が仲良くなって結ばれるのは
母親としても悪くはないとエラは思っている、だからもう一度尋ねた。
『……詳しくは言えない……教義に係る事だ…
それに私は彼らが嫌いなわけではないんだ… 』
呻くようにそう呟いてシェクラは、居住まいを正して続ける
『なぁ…エラ、まだヤーフェは十二歳だ……成人にはあと三、四年もある
きっとその頃には考えも変わっているだろうさ…… 』
そう言ってシェクラは部屋を出ていった。
エラは夫の現実を棚上げするような様子を見て溜息をまた一つ吐いた。
(あなた…ヤーフェはもう自分の考えを持ってるのよ……)
彼女は考える、一体シャムラール家の何が問題なのだろうと。
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――――――怪ノ物
大陸で度々、見かけられる凶暴な生物、
彼らが初めてヒト達に認識されたのは約三百八十年前。
文献では群れをなして町を襲い住民や家畜を食べ、
守護していた兵士たちにも多くの被害を出したと記されている
実際、近年でも小さな村落など怪ノ物に襲われる被害は多く
その凶暴性と見た目で普通の獣とは区分される。
一口に怪ノ物と括ってはいるがその種類は様々だ。
犬や狼のように四足で駆け、群れをなして襲うモノ
熊のように大きく、その爪や牙で襲うモノ
おそらく病か何かで通常の獣が変質したモノだろうと考えられているが
共通しているのは、その凶暴性と大きさや姿だ。
多くの報告によれば元となったであろう獣の二倍近い大きさを有し
本来無いはずの角など異形の部分が見て取れる。
三百八十年前経った今でも彼らの生態は解明されていない。
本当に彼らは変異種なのか? それともそのような種族なのか?
そのような種族なら繁殖はするのか ?
被害報告が出る度に彼らに対しての謎が深まる。
しかし、国の兵士達の仕事の一つが怪ノ物からの都市や村の防衛だ、
それ故に彼らの生態を知る事は重要な国策の一つとなっている。
だが未だ謎に対する答えを得られておらず、学士達の間で議論が絶えない。
『――――と、まぁ…怪ノ物に関しては残念ながら多くは判ってはいないんです』
残念そうに語る生物と理気学担当の先生。
すると話しが一区切りすのを待っていたかのうように時鐘が鳴る。
『……では本日の講義はここまでとします』
そう言って開いていた教本をパタリと閉じて、
講義室を出ていく先生、学生達は出ていく先生の背中を見送る。
ヤーフェは本日最後の講義を終えて、
教本をしまい帰る支度をはじめる、だいたい終わったところで
後ろから声がルアハの声が掛かった。
『ヤーフェちゃん一緒に帰ろっ!』
ルアハに返事しつつ何となく視線でティクバを探すヤーフェ。
ルアハはそれを目ざとく見ていた様子で言葉を追加する
『もちろんティクバ君も一緒だよ〜』
視線でティクバを追っていた事に気づかれ
少し恥ずかしくなるヤーフェ、そのまま二人は
ティクバに誘おうと思い、既に扉の近くに居る
ティクバとヤレアハに声をかけようとした。
しかしそれは扉の向こうからの声で阻まれた。
『兄様 ! 一緒に帰りましょっ ! 』
扉の向こうには親愛なるお兄様を見上げる
太陽のように輝く笑顔のアデナが居た、
アデナはティクバの近くに居たヤーフェ達にも気づいたようで
ヤーフェを見るなり先程まで輝く笑顔から一変して表情を曇らせた
『チッ… またヤーフェも居るですか… 』
ヤーフェを見ながら毒づくアデナ
とても八歳の少女がする表情ではない。
『あ…アデナちゃん、皆で帰った方がきっと楽しいよ〜』
アデナの機嫌を直そうするルアハ、
それに(うんうん)と苦笑いしながら頷くヤレアハ。
渋々、納得するアデナは答える。
『わかりました…ルアハちゃんとヤレアハ君が言うなら
ヤーフェとも一緒に帰ってやるです』
――――上から!?
アデナの暴言の一個や二個には慣れているヤーフェ。
もはやこの程度では驚かないし表情も変えない、
むしろ「来るな」と言われなかった事に嬉しささえ覚える。
しかしルアハとヤレアハはそこまで慣れているわけではないので
アデナの物言いにたじろく。
『アデナちゃん…言い方が… 』
『そうだぞアディ…ヤーフェは年上だぞ 』
常識人ヤレアハはアデナを窘めようとするが
ティクバの言葉にも心の中で突っ込む。
どうやらシャムラール家ではヤーフェが
貴人であるという事実はなくなっているのかも知れない。
そんな三人を宥めるヤーフェとルアハ
それを見ていたアデナは場の空気を変える言葉を呟く
『まぁ…調度いいです、ヤーフェが
兄様にオカシな事しないか見張るのです… 』
『ちょっとアデナちゃん、オカシな事って…そんな…ねぇ? 』
周りの空気が少し変わった事を察したヤーフェ。
嫌な予感がして話題を変えようとするがアデナは止まらない。
『だって…昨日の夜なんて、兄様が入浴中だったのに
ヤーフェ風呂に入っていったです !
きっとあれは兄様を籠絡する為に決まっているのですっ !! 』
――――籠絡!? それも入浴中 !?
『そんな言葉…どこで……それよりもヤーフェちゃん…なんて積極的な… 』
口元を抑え頬を染めながらヤーフェを見るルアハ、たじろぐヤレアハ
アデナの声は周囲の学生達の耳にも入ったようで周囲は騒然とする。
確かにそういう事実はあった。
訓練を終えシャムラール家から自宅へ帰ろうとした時、
髪留めを忘れた事に気づいたヤーフェは帰り道を引き返した。
シャムラール家に戻った後に髪留めについてミトバフに聞くも
覚えがないと言われ諦めかけたが、
外周訓練の後に入った風呂の事を思い出し風呂場を探しに入ったのだ。
するとそこには入浴中のティクバが居た、生まれたままの姿で。
あれはあくまで事故だった、だがアデナはそう見なかったらしい。
赤面するヤーフェとティクバ
思い出して目線も合わせられなくなり、ヤーフェは両手で顔を覆う。
そんなヤーフェにルアハや他の女子学生が鼻息は荒く詰め寄ってくる
『っで…ど…どうだった… ? 』
主語も何もないルアハの質問、
だがその一言にすべてが詰まっているのだろう
女子達はヤーフェの答えに聞き耳を立てる。
さぁ、さぁと迫る女子達
ヤーフェは耳まで真っ赤に染めて、その時思った言葉を呟く。
『うぅ………逞し…かった……です… 』
その主語ない言葉を聞いた女子達はで騒ぎだす。
未だヤーフェは耳まで赤くなった顔を両手で覆っていた。
逆にティクバの近くに居た男子学生達は
憐憫の眼差しをティクバ送る、ヤーフェとティクバの反応で
そんなに艶っぽい話しではないのだろうと察したようだった。
中には「大変だな…」と声をかけてくる者も居た。
この状況を作ったアデナは
未だ囲まれているヤーフェを横目に兄の腕を引っ張り
「フン」と鼻を鳴らしてティクバとヤレアハに言う。
『さて…兄様 ! あんな女狐は放っておいて、私と一緒に帰るのですっ !! 』
もしこの状況を予想してあの爆弾発言をしたのなら……
妹の言うがままに引きづられていく兄、
兄の腕を引っ張りながら満面の笑みを浮かべている妹。
ヤレアハはこの小さな悪魔に恐怖を覚えたのだった。
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