序幕
夕暮れ時、遠くで鴉の声が聞こえる…
床の間で大好きな祖母と並んでいた、
祖母は着物のほつれを直している
その横で何度も読んだであろう絵本を眺めながら、
ふと気になったので聞いてみた
『ねぇ…ねぇ…お婆ちゃん?
このご本に書いてある絵なんだけどね……』
『なぁーにティクバ どうしたの?』
横で針仕事をしていた祖母が手を止め
優しい眼差しでこちらにゆっくりと向く
祖母がこちらを正面にしたところで話しを続けた……
『そこに飾ってあるお面とおんなじだよね?』
壁に掛かっている四つのお面を指差し祖母に尋ねる。
ティクバが生まれる前からあるらしく、
5歳になった今でも夜中に暗がりで見てしまうと、
一人では厠に行けなくなってしまう…
この四つのお面を見て直感的に出る言葉は
「恐怖」「不気味」はこの二つだ。
●一つ目:目が八つそして口の部分に
虫の様な大顎がある面…「恐怖」そのものだ。
ティクバは何度その大顎に迫られ
噛まれる悪夢を見た事か。
●二つ目:他の物より少し装飾があり
ヒトの何かの表情を形どってるようだが
泣いているようにも
笑っている様にも見える...不気味だ。
●三つ目:面全体に鳥のクチバシのようなものが付いている…
少し怖いがこれが一番まともに見える気がする、
トサカをつけたら可愛いかも知れない
●四つ目:これは最早お面ではないのではと思う、
面の中心に縦長の溝、
そして覗き穴が見えないのだ、
とても面として機能しない。
ある意味もっとも恐怖を感じるかも知れない。
改めてまじまじと見てると首の後ろがゾワリとする。
孫の気持ちを察してかどうかは解らないが
飄々とした雰囲気で祖母は答える。
『おや…気づいたかい?..
あれが“四神様”のお面だよ…
ティクバは“四神様”のお噺は好きみたいだけど…
お面は小さい頃から
怖がっていたからねぇ〜…フフフッ』
祖母が悪戯めいた...でもとても優しい笑みを浮かべる。
祖母の悪戯めいた表情に
馬鹿にされた気がしたティクバは
ムキになって答える。
『別に好きなわけじゃないよッ!
何か気になるだけッ! 』
そんな強めの語気のティクバを
あしらうかの様に祖母は滔々と語る。
『でもね…怖いだけじゃぁない…
私達の事を考えくれてる優しさもある神様達なんだよ?』
『でも…でもね…
ご本の中じゃヒトをお化けに変えてるよッ!
なのに優しい神様なの??』
魔除けならともかく
祖母が言う"優しい"の意味がわからず
ティクバは食い下がる
少なくとも絵本には偉大さを感じさせる部分はあったが
優しさを感じる描写はなかった。
すると祖母はまるで「あらあら…」というような様子で小首を傾けた。
そして手に持っていた着物と針を片付けながら続ける。
『そうねぇ…確かにその絵本だけでは分かりづらいわねぇ…』
祖母はそう言うと床の間の隅にある小さな箪笥から小さな本、教典を出した。
『ティクバの絵本はね……子供が良い子になるように悪い事をしたら
“四神様”のお仕置きが大変だぞって言うことを教えるものなの』
そう言うと祖母はスッと教典を前に出した。
『でもこの教典には“四神様”の怖いところも書いてあるけど
優しいところも一杯書いてあるのよ…? 難しい言葉で書いてあるけど
お婆ちゃんが教えてあげるわ‥‥‥さぁ‥‥‥ご本を開いて‥‥‥』
祖母の暖かい手がティクバの手に重なり教典を表紙をめくる
そして子守唄の様な優しい声が聞こえる
『では.....むか〜し、むか〜し.....』
そしてまた遠くで鴉が家路につく声が聞こえた。
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(ビクンッ)…体が雷に打たれたように跳ねる。今、遠い過去の記憶が蘇ってきた。
微睡みから起き上がる様にティクバは今の自分の状況を理解しようと努める
顔面右側に伝わる冷たい泥の感触…背中に伝わる雨粒…火箸を押し付けられたように痛む左上腕…
肋も痛む…血は出てない...足は…大丈夫そうだ…折れてはない……これなら立てる。
意識を集中して全身の状態を確認する。そして目を少し目を開け、全身を触って確認する。
ザラザラと全身浅黒い肌、左腕は肘から下が硬い殻のようなものに覆われている。
手や指の関節はちゃんと動く、右手は普通だが爪が獣のように鋭くなっている。
――なるほど、人外に為るってのはこういう事か。
ティクバは未だ記憶が混濁しつつ片膝立ちになり泥の抱擁から頭と体を引き起こす
(タラリ)と血が目に染みる…どうやら額かどこかは切ってしまっているらしい。
とは言え左上腕や肋に比べたら痛みはほぼ無い、おそらく大した事はないだろう
そう思い未だ開ききってない目を開け、顔を上げた。
そして目にしたのは…
生まれ育った故郷の変わり果てた姿だった。
焼け崩れた家々、瓦礫の隙間から乞う様に出る腕や手、時々聞こえる呻き声。
そして焔の音と肉の灼ける臭い。
この光景…まさにこれがゲエンナ(地獄)だ。
幼い頃に本で読んだ…誰しもが恐れる場所。
あまりの光景にティクバは思考も意識も一瞬止まった…だが
現実離れした眼の前の状況に逆に冷静さを取り戻した。
『.....探さないと....』
そう呟き、足元に転がっていた四神面を手に取り顔に押し付ける。
(ピキッ…ピキッ)面からほんの少し音がして
顔の皮膚に吸い付くような感覚を覚えた。
アイツの力を借りるのは癪だがこれで少しマシになるだろう
本当は今すぐ走り出したいが....足に力を入れた瞬間に電流が走る
『ッツ!.......助けないと....』
誰に伝えるわけでもなくただ呟く、
落ちている刀を拾いそれを支えにする、そして右足を引き摺りながら
ゲエンナ(地獄)の奥へと進む。この状況に陥った記憶の整理をつけながら。
そして先程思い出した祖母の教えを心の中で一つ訂正した。
(ばっちゃん.........“四神様”はさ.......ばっちゃんが言うような優しい神様なんかじゃなかったよ.....)
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