第5話 「どんな高級料理だよ」
しがない男子高校生の部屋に、タイプの違う美人が2人座っている。
ちょこんと神奈月楓怜さん。
凛として浅井薫さん。
どうしてこうなったなどということは、考えるだけ無駄である。
「……」
「……」
「……」
小さな丸い座卓を囲んで、俺を含めた3人が座り沈黙する。
人類史上、これほどまでに気まずい円卓会議があっただろうか。
ほとんど何の関係性も築けていない男女の円卓会議とか、ただの地獄でしかない。
敵対関係にあるもの同士の方が、まだマシとすら思えてしまう。
「コホン。お嬢様」
咳払いで沈黙を破った浅井さんが、神奈月さんに何かを促す。
今、お嬢様って言ったよな……?
「分かってる」
神奈月さんは、一応のもてなしとして俺が出したコーヒーを一口飲むと、おもむろに話し始めた。
「というわけで、隣の部屋に引っ越してきました。今日からはお隣さんです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします……いやいや、というわけってどういうわけだよ」
「話せば長くなるよ?」
「逆にこの状況を一言で言い表せる方が怖い」
「じゃあお話しします」
俺の目の前に、紙が数枚束ねられた資料らしきものが置かれる。
まるで、本物の企業会議で使われるプレゼン資料みたいだ。
表紙には、真面目な明朝体で『平坂啓斗様とのパートナー関係締結&半同棲計画について』。
まともな字でまともな言葉が書かれているはずなのに、なぜか頭が痛くなってくる。
「これは……?」
「お父様に提出して、了承を得たプレゼン資料です。順を追って説明するね?」
「頼む」
「始まりは江戸時代。あるところに権兵衛という男がいました」
「カップ麺かよ。順を追うにしたって、遡りすぎだろ」
神奈月さんは、どことなくきょとんとした顔をしている。
これはもしかして、代表的なうどんのカップ麺「ど●兵衛」をご存知ない?
お嬢様なら知らなくてもおかしくない……のか?
「コホン、お嬢様。神奈月家の歴史も大切ですが、今は現代スタートでよろしいかと」
軌道を修正しつつ、浅井さんが話を再開するように促す。
そして俺の方にもチラリと視線を送った。
余計なちゃちゃを入れるなという圧を感じる。
怖い怖い。
「そう? じゃあ現代の話。あるところに、それはそれは優しい心の男の子がいました」
「昔話風にしないと話せないのか?」
「コホン、平坂さん」
浅井さんの冷たい視線。
はい。お口チャックですね。
「男の子は、お弁当を忘れて困っていた女の子に、とても美味しいお昼ご飯をご馳走してあげました」
……なるほど、この男の子ってのが俺だな。
それで女の子が神奈月さんと。
要はこの間の屋上での出来事を言っているのだろう。
たかがコロッケパンだし、大げさな気もするけど。
「女の子は何か恩返しをしたいと言いました。すると男の子は、『住んでいる家を追い出されそうになっていて困っている。このままでは雨も、夏の暑さも、冬の寒さもしのげず死んでしまう』と」
そこまでは言ってないな? というツッコミは、浅井さんの視線を警戒して心の中にしまっておく。
それにしても、目の前にいる圧倒的美少女は人の部屋で何の話をしているんだろうか。
これ、本当に神奈月さんか? ていうか夢か?
いやいや、神奈月さんが家にいるとか普通に考えて夢だよな?
「平坂くん聞いてる?」
「あ、ああ。うん。聞いてる」
神奈月さんの声が、俺を現実に引き戻す。
彼女はなおも話を続けた。
「女の子は思いました。その困りごと、お礼に何とかしてあげようと。調べてみると、男の子を追い出そうとしていたのは女の子のお父さんでした」
「何だって?」
びっくらぽんの急展開。
このアパートを取り壊そうとしていたのが、神奈月さんのお父さん?
俺は思わず、声を出してしまう。
「簡単に言うと、私のお父さんが社長をしてる神奈月グループの系列会社がここを買い取ってたんだよね。平坂くんとの話をしたら、お父さんから指示が行って取り壊しが中止になったの」
昔話スタイル、急に終わるんだなという話はさておき。
「つまり俺が引っ越さなくていいように、アパートの取り壊しを中止させてくれたってことか?」
「そうだよ」
「マジかよ……」
神奈月楓怜、おそるべし。
正直、そこまでのお嬢様だとは思っていなかった。
アパートを買い取った挙句、お嬢の一声によって、ものの数日で全計画を白紙に戻す。
そんなことが出来るとは。
それもたかがコロッケパンひとつの恩で、だ。
「割に合わないだろ」
「そんなことないよ。私にとってあのコロッケパンは、アパート一棟分の価値があったの」
「どんな高級料理だよ」
「いいの! これが私からのお礼だから、これからも安心して住んでいいからね?」
超お嬢様たる神奈月さんからすれば、金銭面から見てつり合いが取れているかなどどうでもいいことなのだろう。
だがしかし。
ありがとうという言葉で片付けるには、あまりに大きすぎる恩返しのような気がする。
されど、俺はありがとう以外に今ここでいうべき言葉を知らなかった。
「……ありがとう。引っ越さなくてよくなったのは、めちゃくちゃありがたいし嬉しいよ」
「うん!」
神奈月さんが心底嬉しそうに笑う。
かわいい。
考えてみれば、何か悪いことが起きたわけじゃない。
彼女の気持ちが晴れ、俺としてもありがたい結果になった。
ならばこれでいいかと、俺は唐突に訪れた混乱に整理をつけた。
ただし、はっきりさせておかなければいけないこともある。
「別に神奈月さんが引っ越してくる必要はなかったよね?」
「そうなんだけどね。私もひとり暮らしを経験しておきたかったし、他にも大事な理由があって」
「なるほど」
神奈月さんは、冷め始めたコーヒーを飲んで言った。
「ひとり暮らし初めてだから、助けてもらっちゃうこともあるかもだけど……。お隣さん、ひとり暮らしパートナーとして、これからよろしくお願いします」
ひとり暮らしパートナーという言葉の、何とめちゃくちゃに矛盾していることか。
そもそも、この話は最初っからめちゃくちゃだ。
何せコロッケパンのお礼がアパートなのだから。
そこに学校一の美少女とお隣生活とまで来た。
もうどうにでもなれと思えてきてしまう。
ただ、神奈月さんと接する機会が増えることは、素直に嬉しい俺だった。
「よろしくお願いします」
俺はそう言って、軽く頭を下げる。
顔を上げたそこでは、神奈月楓怜という天使が微笑んでいた。
かわいい。
こうして俺と神奈月さんの、コロッケパンをきっかけとした半同棲生活が始まったのだった。