第26話 「ミルクヌードルではねえよ」
土曜日の朝。
目を覚まして朝のシャワーを済ませ、お茶を飲んでいるとスマホに着信があった。
神奈月さんだ。
「もしもし?」
「あ、もしもし。けほっ……こほっ……。平坂くんおはよう」
スマホ越しに伝わってくる神奈月さんの様子。
明らかに咳き込んでるし、明らかに鼻声だし、明らかに息が苦しそうだ。
「大丈夫? って、どう考えても大丈夫じゃないよね?」
「風邪を引いちゃったみたい……」
「熱は?」
「37.8℃……」
「まあまあ高いね。他には咳かな?」
「うん……。あとは世界がぐらぐら……すりゅ……」
昨日の寒いなかで自転車をこいで帰ったからなぁ。
それで風邪を引いてしまったのだろう。
「ゆっくり寝てて。風邪薬とか持っていくから」
「ありがとぉ……」
どうやら神奈月さん、相当弱っているらしい。
これはかわいいとか言ってる場合じゃないな。
俺は通話を終えると、風邪薬と額に貼る冷却シート、そしてペットボトルのスポーツドリンクを手に取った。
それを抱えて、神奈月さんの部屋の前に立つ。
合鍵を取り出し、ガチャリと開けて中に入った。
合鍵って究極に信頼されてる証拠だよな……。
「神奈月さ~ん。来たよ~」
「平坂くん……ごめんね……」
神奈月さんがよろよろと寝室から出てくる。
きれいな黒髪は少しばかりぼさぼさに乱れ、ほっぺたは今まで見たなかで一番赤い。
どうやら体調はかなり悪そうだ。
「いいよ~。ほら、ベッドで寝てな。この風邪薬、空腹でも大丈夫だから。これはスポドリより水の方がいいな……」
食器棚からコップを取り出し、水を注いで薬を取り出す。
神奈月さんをベッドに座らせ、コップと風邪薬を手渡した。
神奈月さんはそれを飲むと、すぐさまベッドに横になる。
「けほっ……けほっ……。うぅ……久しぶりに風邪なんて引いちゃったよ……」
「確かに、神奈月さんが学校休んでるイメージないよね」
おそらく、いろいろと環境が変化して疲れは溜まっていたのだろう。
そこに寒さや明日は休みという安心感が重なって、熱が出てしまったんだな。
「薬を飲んで寝れば治るはずだから。まあ治らなければ明日も日曜日だし」
「でもバイト……」
「熱あるのに来いなんて、そんなブラックバイトじゃないから。でも今日のうちに治るに越したことはないし、ゆっくり休も」
「は~い。けほっ……」
この風邪薬、人によっては眠くなるらしい。
神奈月さんはそのタイプだったようで、すやすやと眠り始めた。
ずっと見ていられるくらい美しい寝顔だけど、ここでずっと眺めていて変質者になるわけにもいかない。
スポーツドリンクに『何かあったら遠慮なく言って』というメモを貼り付けて、俺はそーっと寝室を後にする。
そして自分の部屋で家事やゲームをして過ごすこと数時間。
お昼を少し過ぎたところで、再び神奈月さんから電話がかかってくる。
「もしもし?」
「もしもし。平坂くんが持ってきてくれたお薬のおかげでだいぶ楽になったよ」
「本当? 熱はどう?」
「えーっと、37.4℃」
「まあ下がったかな。何か食べられそうだったら作るけど、どうする? 無理はしなくていいけど」
「お腹は空いてる」
「じゃあ作るよ。まだ熱はあるんだから転がってな」
「はーい」
「じゃあね」
「うん」
電話が切れる。
声の感じからしても少しは元気になったようだ。
あとはしっかり栄養をつけて、ゆっくり休めば治るだろう。
「シンプルに雑炊かな……。あ、素麵もある」
素麺といえば、普通は冷水で締めて冷たいつゆで食べる。
でも温かい素麺も美味しいんだよな。
卵を入れれば栄養も取れるし、体も温まる。
よし、今日の病人食は温かい素麺、いわゆる煮麺にしよう。
「さーてと」
鍋に湯を沸かし、麺を茹でつつ温かいつゆを作る。
水気を切った麺を丼に入れ、つゆに加えた溶き卵が固まったところで上からかける。
最後に青ネギを散らせば、とっても簡単に煮麺の完成だ。
「入るよ~」
丼を慎重に運んで神奈月さんの部屋に入ると、神奈月さんはリビングで座っていた。
彼女の下にあるのは、人をダメにするタイプのビーズクッションだ。
体にフィットして起き上がれなくするやつね。
「本当にありがとう……」
「大丈夫だよ。はい、煮麺」
「にゅーめん……? 乳麺……?」
「ミルクヌードルではねえよ。温かい素麺ね」
「わ~、ふわふわ卵入りだ」
「うん。食べて食べて」
「いただきます」
神奈月さんは麺をふーふー冷まして、ひとくちすする。
そしてほんわかした笑顔を炸裂させた。
かわいい。
気に入ってもらえたようだ。
「もし平坂くんが風邪を引いたら、私が看病してあげるから」
「あ、ありがと」
「うん」
神奈月さんはまだ少しとろんとした顔で、少しずつ煮麺を食べ進める。
そして全てをを食べ終え、丁寧に手を合わせた。
「ごちそうさまでした。平坂くん、ありがとう」
「はい。どういたしまして。今日はもうゆっくり寝てな」
「はーい」
神奈月さんは立ちあがり、寝室へと向かう。
足取りもしっかりしてるな。
このまましっかり休めば、明日には回復するな。
ほっとした俺は、丼を持って部屋を後にするのだった。




