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庭の大穴

作者: 鍋島五尺

自立を志し一人生きていくことを決めた私であったが、その理想はあっけなく崩れ去った。

心に大きな傷を負い生きる希望を見失った私は、自死することもできず、ただ毎日を絶望しながら生きていた。

何もやる気が起きない。


目を覚ますと時計は13時を示している。外はひどく明るい。

カーテンを開ける気にはならない。

この薄暗い部屋にいつまでも閉じこもっていたい。


人の目が、声が怖い。皆が自分を嘲笑っているような気がした。後ろ指を刺されているような気がした。

ベッドの上でいつまでもいじけている自分は、この世の中の何よりも価値がないように思った。

今日も何もせず、また夜が来るのが怖かった。すんなりと眠りに落ちることができた頃のことが懐かしく、恨めしく感じた。


自分の心も、体も、何も思い通りにならない。早くこの心臓を止めてしまいたい。

毎日そんなことを考えていた。苦しかった。

青い空も、分厚い雲も、星も、どれもこれも自分には遠く感じた。

全てが他人事のようでありながら、自分のことであることを誰よりも自分が理解していた。



いつも、自分のことを誇りに思っていた。

勉強も、運動も、仕事も、これといって不得意なことはなかった。強いて言えば人付き合いが苦手だっただろうか。だが、持ち前の弁舌でどうにかやってきたつもりだった。

何をしても平均以上の結果を残し、人から敬われ、褒められた。

自分を産み育ててくれた両親には感謝しかない。

生活環境も、教育も、何もかも素晴らしいものを用意しようと努めてくれていた。

そして自分は何不自由なく生きることができていた。

自分に自信があった。

だからこそ、今の自分が許せない。


何もせず、だたうずくまる。

挫けて、いじけて、悔やんで、何もできない。


「しばらくゆっくり休めばいい。」


そんな両親の言葉に甘え、はるばる地元へ帰ってきた。

すぐに元に戻る。自分は優秀なはずだ。

だが現実はそこまで楽ではなかった。

どこにいても、何をしてもここから逃れられない。

何もやる気が起きず、満足に食事も睡眠もできない。

死ぬことも生きることもできない自分が嫌だ。



一度、死んでしまおうと思い立って、実行してみたことがある。

ドアの取っ手にタオルを結び、その中に頭を突っ込んだ。

できるだけ迷惑をかけまいと風呂場で行動に及んだ。

しゃがんだ状態から、ゆっくりと脚を伸ばした。

喉仏のあたりに力がかかっていくのがわかった。


はじめのうちはよかった。息がしづらくなり、意識が朦朧としてくる。

少しの苦しさはあったが、まるで潜水している時のような心地の良い苦しさで、生きているよりもよっぽどいいと思った。

だが、ある瞬間急に苦しみが襲ってくる。それまでとは全く違う、耐え難い苦しみ。

それが起こると体が勝手に拒否してしまうのだ。

一度失敗し、何度か試してみたが、それからはその記憶が脳裏にちらつき、全く脚が動かなくなってしまった。

きっともう一度やっても結果は変わらない。どんな方法であれ。あの苦しみこそ死なのだとわかった。

生きることも苦しく、死ぬこともまた苦しい。どうしようもない。

だから私はこうやって何もせず、死んだように生きることにした。

そして、どこにも救いはなかった。



家の裏庭には、父が家庭菜園を作る予定だと聞いていた。

というのも家を建てたときに資金が足りず、タイルを貼れなかったそうで、それを有効活用するとのことだった。

だが父は一家の大黒柱であり、毎日とても忙しそうにしていた。

土を耕す時間もなく、何も植えられない。だからお前が代わりに耕してくれないかと頼まれた。

今の時間は誰も家にいない。人通りも少ない。

だから、少し手伝ってみようと私は部屋を出た。


初夏とはいえ、日差しはかなり強かった。

まだ大型連休も来てはいないというのに。

だが、他にやることもなく、閉じこもっていても鬱屈な気分は増していくだけだと思ったのでやることにした。


鋤を持ち、私は見よう見まねで指定された場所を耕してみた。

こんな風に身体を動かすのはいつぶりだろうか。

案外、思い切り鋤を振るのは楽しかった。

そこから私はしばらくの間、無心で鋤を振り続けた。


1時間ほど経った頃だろうか。

ふと自分が耕した跡を見てみると、大きな変化があることに気がついた。

土が増えているのだ。


というのも、後で調べてわかったことだが、土を耕すことの目的は土の中に空気を取り込むことなのだそうだ。

大気成分のうち大部分は窒素が占めている。

つまり、土の中に空気を取り込むというのは、土の中に窒素を取り込むことである。

窒素は植物が生育するために必要不可欠な成分だ。

だから良い土壌を作るためには、耕すことが必要なのだ。


空気が入った土というのは、当然のことだが少し膨らんで見える。

よって土が増えたように見え、それが私にとっては大きな達成感と紐づいた。

こんなことをしたとして一銭にもならない。

そんなことはわかっていたが、それでも自分がまだ何かを成し遂げられるという実感が何よりも素晴らしく思えた。


そこから私は取り憑かれたように土を耕した。

耕してはそれを眺め、また耕した。

そこら一帯を耕し終わった頃、気づけば太陽は傾き始めていた。


もう手を止めてもいいだろうと思ったが、農作業の愉しさに取り憑かれていた私はまだ続けたいと感じた。

だがもう耕す土は残っていない。また私は手持ち無沙汰になってしまった。

そしてそれが何より怖いことだと感じた。

またあの無気力な時間に戻らなくてはいけない。

それは私にとってとてつもなく恐ろしいことだった。

そんな時、庭先に大量の落ち葉が溜まっているのを見つけた。

家の裏側には住宅街の中にしては少し大きな道路があった。

少し行けば工場があるからだろう。

大型トラックがギリギリすれ違える幅くらいの道路だ。

そして少しカーブしており、その地点に我が家はある。

そこに北風が吹くと落ち葉が貯まるのであった。


私は、この落ち葉を貯めて堆肥にしようと考えた。

そのために大きな穴を掘ろう、そうすれば私はまだ土を触っていられる。

家の裏口付近から大きなシャベルを取り出し、そうしてまた私は土を掘り始めた。

最初は半径、深さ共に1メートルほどの穴でいいだろうと思った。

だが案外それはすぐに到達してしまったため、私は自分が入れるような大きさの穴を掘ろうと思いついた。

というのも、私は星が見たいと思ったからだった。

穴と星がどう関係しているのか。それは私の知識の中に埋まっていた。

その昔、天文学者たちは昼間の星を観測するために井戸に入ったという。

その真似事をすれば、この住宅街の墨汁のような夜空にも星が見えるのではないかと思ったのだ。


そこから穴を深くしていくには大きな苦労が必要だった。

穴を深く掘れば掘るほど、土を搔き出すのが難しくなるのだ。

また、粘土層にはシャベルでは歯が立たず、ほとほと苦労した。

シャベルの上に乗り、撥ねたり体重をかけたりなどして、穴を深くしていった。


加えて1時間ほど掘った頃だろうか。

やっと私がすっぽり入れる深さの穴が完成した。

穴の奥はもう既に大きく傾いた太陽では照らすことができず、暗かった。

その闇のせいで、穴はどこまでも深く、深く続いているように見えた。

私にはそれがまた、大層心地よく感じた。


いざ、と私は穴に入ってみることにした。

かなり掘ったのだ、穴に入るともう横を見ることはできない。

私の視界に入るものは高い、赤く焼けた空だけだった。

穴の底に尻を落とし、空を見上げた。

星は見えなかった。全くだ。

だが、土の冷たさがひんやりと足腰に伝い、またその暗さに包まれ、私は何よりもそれを心地よく感じた。

ああ、私はまだここにいていいのだ。

こここそが私の居場所なのだと感じた。

どんな悩み事も、この世界には入ってこれない。

ここには私しか入ることはできない。

この孤独こそが私の生きる意味なのだと、そう思った。



いつまでもここにいたいと思ったが、そうはいかない。

私は家族が帰ってくる前に自室へまた戻ることにした。

土まみれの靴をはたき、部屋着へ着替える。

作業着の背中には土が染み込み、焦げた茶色のようになっていた。

私はそれにどこか悲しさのようなものを覚えた。


部屋に戻ると日はもう沈んでおり、外は暗くなっていた。

遠くから車の音が聞こえる。

だがもう、あの目覚めた時のような絶望は私にはなかった。

私は生きている。そして死ぬ。

そうすれば私はまたあの穴ぐらに帰る。

私の世界はここにあるのだ。

そんな安心感が、心に差し込んでいた。

生きづらさを感じているあなたへ。


生きることはつらいことかもしれません。

生きることは楽しいことかもしれません。

半人前の私には、そのどちらなのかまだわかりません。


でも、あなたは独りだし、独りじゃないです。

誰もあなたに手を差し伸べてくれないかもしれないけど、誰かがあなたを助けてくれます。

それはあなた自身かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

誰かと話がしたいなら、この投稿にコメントしてください。

いつでも私が待っています。

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