9 動き出す欲望
「お祖父さま! お久しぶりです!」
「おお、リーナ。結婚式以来か。もう子爵夫人になったというのに、どうにもまだ娘臭いのう?」
「まあ、乙女に臭いだなんて!」
「乙女ではなく人妻だろうて……」
あれ? なんか、会話が噛み合わないわ……。
あ、お祖父さまは、結婚の契約、知らなかったわね……。気を付けないと。
今日は、お祖父さまの商会を訪ねてきました!
カーライル商会といいます。王都でもトップ5に入る大商会ですわ。
お祖父さまが曾祖父さまと一緒に立ち上げて、育てた商会と聞いてます。
お祖父さま――ウィルスミス・ダドリー前子爵は、商才豊かで有能な人。うちのお父さまとは大違いですわね。
既に、伯父さま――ユーリッヒ・ダドリー子爵に爵位を譲って、隠居……ではなく、カーライル商会の会頭としてご活躍ですわ! ええ! 私の実家に大金を貸し付け、みっちり利子を巻き上げ、孫たちに辛い思いさせるくらいにはご活躍ですわ!
別に恨みなど……ちょっとくらいしかありません。ちょっとですわよ?
まあ、利子は、親族設定でかなり抑えてくださいましたし、さまざまなところにしていた借金を一本化してくださったのですものね……。
「それで、5日も前から先触れを出して、面会予約までして、何の話だ?」
話が早いです! 無駄な時間はいらないと? できる男っぽくてかっこいいですが、祖父と孫娘という関係としてはどうなのでしょうか?
まあ、孫娘がおじいちゃんに会いに行く、という感じではなく、侯爵家に嫁いだ子爵夫人っぽく面会を求めたのは私の方ですけれど。
「新しく商会を立ち上げたいの。商会をうまく動かせて、信頼できる人、紹介して、お祖父さま」
「リーナ、それは……かなり贅沢な我が儘だな。そんな都合のいい人間を簡単に紹介できるとでも?」
「お祖父さまならできるでしょう? お父さまには無理でしょうけれど……」
「あいつにできる訳がなかろう?」
「存じておりますわ。誰よりも……」
「ふん。リーナはわしの血が濃く出たのかのう? さて。商会をうまく動かせて、信頼できる人、か。そうだな、タイラーはどうだ?」
「タイラーって、タイラントおにいさま?」
「おう。従兄妹同士なら、ある程度、信頼はあるだろうし、タイラーはこれがなかなか、できる男だぞ?」
タイラントおにいさま――タイラント・ダドリー子爵令息は、私の4つ年上の従兄。ダドリー子爵の三男。
私の実家のケンブリッジ伯爵家が借金を整理するために、お母さまがお祖父さまを訪ねて子爵家を訪問する時、私も一緒に連れて行かれて……お母さまがお祖父さまと話している間、子爵家で放置されていたところ、よく遊んでくれた人です。
確かに、赤の他人よりもはるかに信頼できる人ではありますわね……。
「3日後、予定はあるか? なければフォレスター子爵家の屋敷へ行かせる」
「予定はございません。お待ちしております」
「紹介して、行かせるだけだ。タイラーが働くかどうかは、わからんぞ?」
「……そうだと思っていましたわ」
「話はこれで終わりか?」
「いえ」
「次はなんだ?」
「お祖父さま、私の商会に、出資してくださいませ」
「融資ではなく、出資か?」
「はい」
「……いくらだ?」
「1万ドラクマ」
「ほう……。それで、出資に見合う、どんな利を示す?」
「孫娘の愛情ですわ」
「いらん。そんなものは、自然とそこにあるもんだろうが」
……愛よりも、恨みがあるかもしれませんわよ? 借金苦の。言いませんけれど。
「……純利益の4分の1を、出資者の出資比率で分割して、配当として支払います」
「……リーナは昔から、計算が早かったのう。だが、赤字なら純利益などあるまい? 絶対に成功するなど、誰にも言えぬ」
「出資して頂けないのなら、諦めますわ」
「……ずいぶん、簡単に引くな。リーナはいくら出資するつもりだ?」
「お祖父さまは出資していない商会の内情を教えてもらえるとでも?」
「かわいい孫娘の秘密をじじいは知りたいと思うものだろう?」
「……」
「……そう怒るな」
「怒っておりません」
「そうか。それで、いくら出資する気だ?」
「10万ドラクマですわ」
「なっ……」
あら? お祖父さまを驚かすことに成功しましたわね。ちょっと嬉しいかも。
「……リーナ。その金額を動かせて、なぜ、伯爵家の借金を返済せんのだ?」
お祖父さまから見て私などまだまだ小娘でしょうに、私が10万ドラクマ、出資できると、あっさり信じるのね……。
「その借金は私の借金ではありません。お父さまの、ケンブリッジ伯爵家の借金です。私が返す必要を感じません」
「生まれ育った家だろう?」
「ええ。ですから、既に、20万ドラクマの半分、10万ドラクマは返済しておりますでしょう? 残りはお父さまと……ライオネルが、弟が返すべきですわ。娘として、姉として、半額は負担しましたのよ?」
「……本当に、わしの血が濃いな」
……ええ? お祖父さまの同類扱いはちょっと遠慮したいですわね。
「ふむ。それで、何を売る?」
「……今の物よりも、少し安い、ドレスです」
「ほう?」
「……これ以上は秘密ですわ、お祖父さま。種明かしをして、二番煎じを出されては困りますもの」
「よかろう。出資しよう」
「ありがとうございます」
「5万ドラクマだ」
「はい?」
「1万ドラクマではなく、5万ドラクマだ」
「なぜ、お願いした金額よりも、増えているのです?」
「1万ドラクマでは出資比率が低すぎる」
「ああ、そういう……」
「リーナなら、成功させるだろうしのう。それに、リーナが結婚した頃、10万ドラクマの臨時収入があったからな」
「……」
そう思っているのなら、最初から出資するって言ってくださいませ……あと、その臨時収入は孫娘に付けられた売値ですわよ……。
「ああ、そうだ。その安いドレス、全ての貴族令嬢が買い求めるようにしてはならん。いいか? そこには気を付けなさい」
……高いドレスを買う者は、高いドレスを買わせておけ、ということかしら? それとも、業界を潰すな、という意味かしらね?
価格破壊で何が起きるか、お祖父さまには予想できているみたいだわ。さすがね……。
そうね。その通りだわ。今のドレスメーカーが完全になくなってしまえば、材料となる古着も手に入らなくなるもの。潰す訳にはいかないわね。
「気を付けます」
「うむ。で、今日は、食事でもしていくか?」
「いえ。帰りますわ」
「……本当に、わしの血が濃いのう」
「孫娘ですから」
……濃くも、薄くもなくて、普通に血が繋がっているだけですからね!
それに、なんだかんだで、お祖父さまは、結局、身内には甘いですわ。
お母さまが頼んだ借金も、利子はケンブリッジ伯爵家が倹約すれば支払える程度に低く設定していましたし、今だって、孫娘が頼めば、普通なら出さないはずの資金を出資してくれましたもの。
出資じゃなくて、融資でもよかったのに、ですわ。もちろん、私は融資なら断るつもりでしたけれどね。
……それに、おそらくですけれど、お祖父さまはご自分が儚くなられる時に、お母さまに借金と同額程度の何かは相続させるおつもりではないかと、孫娘は勝手に想像しておりますのよ?
まあ、何の実績もない私には、そういう優しいお祖父さまのような身内に甘えるくらいしか、まだできないもの。でも……。
エカテリーナは、祖父から資金を、引き出した! やったね!
それはそれとしてこれもひとつの成果だわ!
低価格ドレス事業はお祖父さまのカンがイケる! と感じたのだもの! それにカーライル商会がある意味では保証人だわ。うふふ……。
とまあ、そんなこんなで帰りの馬車の中。
「お祖父さまとの会話は、やっぱり気が楽でいいわね」
私がそう言うと、同乗しているタバサとクリステルが同時に私の顔を覗き込んだ。
「……どうかしたの?」
「いえ、10万ドラクマとか、5万ドラクマとか、途方もない金額を動かす話を、気が楽でいいなどとおっしゃるお嬢さまに驚いただけでございます」
タバサがそう言うと、そこは同意だという感じでクリステルは力強くうなずいてから、言った。
「奥様、です。タバサ、そろそろ慣れるように」
「はい……」
相手はクリステルだけれど、いつものようにタバサが叱られているわね。
私の周りは今日も平和です。
「奥様、タイラント・ダドリー子爵令息がいらっしゃいました」
「ここへ通して」
「執務室ですか? 応接室ではなく?」
「ダドリー家は……いえ、カーライル商会は、話が早いのがお好みなの」
「……わかりました」
屋敷の執務室で準備した書類に目を通しながら、スチュワートとの間で短いやり取り。スチュワートが一度執務室を出て行く。
……そういえば、何年ぶりくらいかしら? 結婚式はいなかったものね。
執務室のソファには針子のサラが座っています。ものすごーく緊張しているみたいだけれど、こればっかりは仕方がありませんわね。
戻ったスチュワートが一人の男性を案内してきました。侍従はいないようですわね。まあ、子爵令息のしかも三男ですもの。そうでしょうね。
私は椅子から立ち上がって出迎えます。サラも慌てて立ち上がったわね。
「奥様、タイラント・ダドリー子爵令息をお連れしました」
「ありがとう、スチュワート。下がらず、ここに控えて頂戴」
「フォレスター子爵夫人、お久しぶりです。タイラント・ダドリーでございます」
「タイラントおにいさま、そういう挨拶は別にいいわ。ここでなら昔のようにリーナと呼んでかまいませんことよ」
「……いや、さすがに、嫁いで、それは」
タイラントおにいさまはちらりとスチュワートを見た。まあ、そうなるわよね。
「スチュワートはもう、私がどんな人間か、知ってるわ。大丈夫、もう諦めたみたいなのよ」
「つまり、おにいさまと呼ぶ従兄を馬にして、何時間も乗り回すお転婆娘だと知られているということか?」
「あら、小さな子どもの頃の話を? 恥ずかしいわ」
「そこまで小さくはなかったぞ?」
「そうだったかしら?」
「奥様、そのようなことをなさってらしたのですか……」
「……リーナ。猫を被るって言葉、知ってるかい?」
「もちろんよ。私が、有り余る時間で何をしてたか、知らないの?」
「ああ、図書館か……」
「本当に、どうしてそんな噂が流れたのかしらね……? 立ち話もなんだから座りましょう、おにいさま」
私はタイラントおにいさまに席を指し示しながら、自分もソファへ座ります。
スチュワートとサラは立ったまま。
「サラ、あなたもここへ座ってね。できればスチュワートも、と言いたいのだけれど、それはダメなのでしょう?」
サラはドギマギしながらソファに腰を下ろし、スチュワートは座らないという強い意思を示すように力強くうなずく。いや、そんなに力、入れなくてもいいわ。
「……それで、商会を作りたいって?」
そう。商会を作るの。私のための。それでは、エカテリーナ、行きます!
「会頭として年間50ドラクマ。今年はもう半年もないから30ドラクマで」
「いきなり報酬の話かい? 本当にあのじいさまの血が濃いな?」
「どうなの?」
「ドレスメーカーだろ? 交渉したいところだが、そういうのはいい。でも、もう一声かな?」
「年間60ドラクマ。毎年、出来高で判断して最大20ドラクマまで、追加するわ。3年ごとに年額も契約更改しましょうか。今年の30ドラクマはそのままで、今年は1年とは数えません」
「まだまだ若造だし、いいよ、それで。衣食住の手配は?」
「とりあえずこの屋敷の客間を。服は、しばらくは今、タイラントおにいさまが使っているものを持ち込んでくださいね」
「ここの? 客間? え? 本気なのか? 物件、探してないのかい?」
「考えていることはあるの。でも、まだ、準備が、ね」
「……まあ、いいや。どうせ今のところ、商会に雇えるのは私しかいないんだろうしね」
「ある意味ではその通りよ、タイラントおにいさま。頼りにしてるわね」
私がにっこりと微笑めば、タイラントおにいさまも笑顔を返してくれるのだけれど、なぜかその笑顔のやり取りにサラが震えてますわね……。
メイドが用意してくれたお茶を飲む。私が飲まないとタイラントおにいさまが飲めないものね。
今、私に付いている侍女はクリステル。私の背後に立っています。侍女というか、隠れた護衛よね。タイラントおにいさま相手にその心配はいらないとは思うけれど。
「それで、もう少し具体的な話を詰めようか?」
「ええ。商会の名前はザラクロ商会。会頭はここにいるサラよ。マダム・シンクレアのところで修行していた針子なの。あと二人、針子がいるわ。最初は3人ね。少しずつ、人は増やしたいわね」
「……待って。会頭は私では? それとマダム・シンクレアの? え? これから商会を作るんじゃないのかい?」
「あら、ごめんなさい。私ったら。頭の中ではきっちり商会の形があったものだから説明を忘れていたわね」
「商会の……形?」
あの日。
うちのド……旦那様から10万ドラクマ、巻き上げることが決まった、あの日から、ずっと。
どのように事業展開をしてお金を稼ぐか、考え続けていましたわ! 資金がなくて手を出せなかった、私の、前世から続く大きな夢ですもの! 経・営・者! 資・本・家! 最高ですわ!
「タイラントおにいさまにはナナラブ商会を運営して頂きます」
「……さっきから、商会の名前がどうにも気になるけれど、まあ、リーナのネーミングセンスには期待できないんだろうね。それで、ドレスメーカーと聞いていたけれど、それがその、ザラクロ商会で、そこの彼女、サラさんが会頭だというのなら、私が会頭になるナナラブ商会は何をするんだい?」
「ナナラブ商会は出資と融資よ。それと、今はザラクロ商会の手助けね。特に会計関係で」
「自分でやらせればいいだろう?」
「いずれは、ね。商会が小さいうちはおにいさまにお願いするわ。ついでに、できる子を育てて頂戴」
「まるで商会が大きくなるのが前提みたいだな」
「もちろんよ」
「あの、その、奥様……」
びくびくとしたサラが、立ち上がろうとして倒れそうになる産まれたての子鹿さんみたいに震えながら、私とタイラントおにいさまの会話に割って入りましたわね。どうしてそんなに震えているのかしら?
「私が、その、ドレスメーカーとなる商会の、会頭になるお話に聞こえたのですが、聞き間違いでしょうか……?」
「聞き間違ってないわ、サラ。そう言ったもの。あれ? 私、サラには説明してなかったかしら?」
「……初耳でございます、奥様。ええ、初耳でございますとも」
「そう? ごめんなさいね。でも、そうなるから、そのつもりで。もうドレスは売れているの。商会が後からできるだけだわ。よろしくね、マダム・サラ?」
「もうドレスを売ってるのか!?」
「ええ、まだ数は少ないけれど」
「ドレスだぞ? 安く、とは聞いていたけれど、それでもドレスだからな?」
「そうね。1着80ドラクマよ。ただし、社交シーズン終了後に、買ってもらったドレスを20ドラクマで買い戻す契約だから、1着60ドラクマね」
「……実質、ドレスを貸し出すようなものか。それにしても安いな? マダム・シンクレアのところで鍛えられた針子だろう? いったいどんなやり方で?」
「部外秘よ、いい?」
「当然だろう。商売の種を捨ててどうする?」
「古着の糸を解いて、ばらして、素材にして作るのよ。今のところ、その古着はこの屋敷の衣装室の物を利用しているわね。ああ、使った古着は、1着10ドラクマでザラクロ商会に買い取らせるわ。そういう古着の仕入れが、安さの秘密。話を付けられたら、私の実家の古着も買い取りたいわね。お祖母さまのドレスは、いい物ばかりだものね」
「……人件費を考えなければ、およそ1着で50ドラクマの利益、か。いや、そもそも人件費は考えなくてもいいくらい安いから、普通のドレスメーカーよりも、はるかに儲かってる可能性があるかもな……」
タイラントおにいさまの言葉に、うんうんとサラもうなずいていますわね?
「そうなの?」
「そりゃそうだろ。二大ドレスメーカーが使ってる最高の生地とか、刺繍糸とか、そもそも材料が高いんだぞ。二大ドレスメーカー以外で小さいところは、ドレスの注文が入って、確実に利益が決まらないと生地の発注なんてできやしない」
……マダム・シンクレアは、そのままドレスに使えそうなくらい大きな生地で、私への色合わせをしていたわね。さすが二大ドレスメーカー。
「それで、何着売れた?」
「今のところ、17着ね。今年はこれでおしまい」
お友達の3人が1着ずつで3着、私の侍女はクリステルが5着、アリーとユフィが2着ずつ、そして、私が5着、注文済ですわね。合計17着です。
侍女のドレスは私に付いて参加する夜会用ですわ。
ちなみに、私の侍女の分の支払いは、私の服飾費から負担するようです。スチュワートにそう言われました。でも、ドレスは侍女の物になりますの。侍女っておいしいわね……?
「……いや、ドレス17着って、すごいことだろう? 小さいドレスメーカーは多くて年間3着とかじゃないのか? 17着なら少なくなんかないぞ。しかも、単純な計算で利益が800ドラクマ、超えてるんだが? 商会ができる前からだぞ?」
「そうかしら? 手に入る物を使って、できることをやってみただけなのよ? それに、来年もうまく売れるとは限らないわ」
身内と呼べそうな範囲で商売した今回ではなく、来年こそが勝負の年だわ!
「……いや、もういい。リーナは間違いなく、あの人の孫娘だ」
「誉められてる気がしないのはどうしてかしら……?」
きっとお祖父のせいだわ!
「で、商会の資金は? 少なくとも15万ドラクマはあると聞いた。ありえない金額過ぎて詐欺だと思ったぞ?」
「私が10万ドラクマ、お祖父さまが5万ドラクマ、それにフォレスター子爵家が5万ドラクマ、出資するわ。20万ドラクマよ」
「資金が、聞いてたよりも、増えてる……」
「今年の予算で、予備費の使い道がなかったの。それで、どうせなら出資してもらおうと思ったのよ。スチュワートも5万ドラクマなら問題ないって言ったわよ」
「あの家に育って、嫁ぎ先で躊躇なく、しかもこの大金でそれができる、そういうリーナの図太さが私は怖いよ……」
従兄って、言葉に遠慮がないわね……。可愛い従妹を図太いとか、怖いとか、失礼だわ……。
「……まあいい。それで、二つの商会にどう振り分ける?」
「振り分けないわ」
「え?」
「20万ドラクマ、全部、おにいさまのナナラブ商会の資金よ。純利益の4分の1を、出資者に、出資比率に応じて、毎年、配分してくださいませ。一般的なやり方でいいわ。6月末でしたわね、計算するのは? 配当の支払いは7月末までにね?」
「金額が怖すぎて持ち逃げとかとても考えられんな……あ、ちょっと待て。ドレスメーカーのザラクロ商会の資金は? いや、確かに、もうドレスが売れてるのなら、その金を資金としてでも、できなくはないが……」
「ザラクロ商会の資金は1万ドラクマ。7500ドラクマはナナラブ商会が出資します。残り2500ドラクマはナナラブ商会が貸し付けます。だから2500ドラクマはザラクロ商会の自己資金ね。その利子は年額で50ドラクマ、半年で25ドラクマにしてね。利子の計算日は1月1日と7月1日、利払いは1月末と7月末までに。ああ、出資者への配当はナナラブ商会と同じで」
「どうしてわざわざナナラブ商会を通す? 直接出資すればいいだろ? あと、貸し付けも。しかも、利子がずいぶんと安い。安過ぎるぞ?」
「商会を結び付けるためよ」
「……どういうことだ?」
「ナナラブ商会を親とすれば、ザラクロ商会は娘、かしらね? おにいさまのナナラブ商会は資金の管理を担当する商会。そして、娘や、この先産まれる他の息子や娘も、管理して、教育するの。しっかり資金という食事を与えて、大きく成長させて、働けるようになったら親に仕送りさせるのよ。この融資は親が子に貸すお金だもの、利子は愛情込みよ」
株式会社と銀行が普通にあった前世だと、当たり前のしくみだと思うけれど、こちらでは、まだないらしい。これ、図書館調べ。
あと、現状、利子というものが、高過ぎですわね。まさに高利貸しが横行していますわ……。
「……私は、会頭だけれど、その実態は会計責任者、なのか?」
「そうとも言えるわね。おにいさまは私がやりたいことを実現するための片腕よ」
「自分でやれよ……」
「いやよ、面倒だわ」
「ひでぇ……待てよ。20万ドラクマの資金のうち、まだザラクロ商会で1万ドラクマしか動かしてないな? つまり、リーナは、ドレスメーカー以外にも、何かしようと考えてるのか?」
「そうね。すぐにいくつもできるほど、人はいないもの。でも、人が増えれば、やるつもりよ」
「とりあえず、今、考えてるものだけでも、教えてくれ」
「ひとつはランドリネン商会」
「なんだそれは? やっぱりネーミングセンス、最低だな」
「おにいさまは淑女に対して失礼ね? 紳士じゃないわ」
「それで、何を作る?」
「まだ秘密よ。作る訳でもないわね」
「ああそうかい。他には?」
「ホットスポット商会も考えているわ。でも、まだ確認できてないのよね」
「……聞かない方がよかったかも」
「あら、つまらない人ね」
「リーナがとんでもないヤツだってことはよくわかったよ」
「……雇われたからには、しっかり頼むわね?」
「おうよ。それで、サラさんのザラクロ商会は、どこに作る?」
「ここよ」
「ここ? この屋敷か?」
「そう。主に裁縫室と衣装室になるかしら。別にどの部屋とか、関係ないでしょうけれど」
ドレスの作成は引き抜いた3人の針子だけでなく、うちの針子も喜んでお手伝いをしてくれています。ありがたいですわね。今のところは、それもあって、ザラクロ商会はこの屋敷が一番よい場所ですわ。
「……格上の侯爵家に嫁入りして、その屋敷でやりたい放題か」
「そのうち、商会の建物はなんとかしたいと思っているわ。でも、すぐには難しいでしょう?」
「まあ、そうだな」
「まだ、何か、聞きたいことは?」
「いや……ああ、最後にひとつ。どうして、いくつも商会を作るんだ?」
「営業税よ」
「……ああ、そういうことか、なるほど」
営業税という一言だけで察するタイラントおにいさまは、お祖父さまの言う通り、優秀ですわね。
王都では、王家が、商会に対して営業税を掛けていますの。8代前のナザレスⅢ世の施策ですわね。商業に着目してそこから税を取るという考えは素晴らしいと思いますわ。
ただし、王都で暮らす者たちが困ってはならないということで、働く者が一桁、9人までの小さな商会、商店、屋台などの税は年間1ドラクマと大変お安く決められておりますの。そこもナザレスⅢ世の素晴らしさですわね。お陰で儲かりますわ……。
近所の家族経営の八百屋が、営業税を払えずに潰れたら、その近くの庶民が飢え死にしますものね。
10人以上で10ドラクマ、20人以上で50ドラクマ、30人以上で250ドラクマ、50人以上で1000ドラクマと、商会で働く人数が増えれば増えるほど、営業税は高くなります。
それなのに、ほとんどの商会の経営者は、何というか、自己顕示欲、ですかね? 財力を見せつけるかのように、お高い営業税を払って、自分の商会を大きく、強く、見せようとなさいます。お祖父さまもそうですわね。まあ、信頼などの面では、それも必要なことなのでしょうけれど。
前世の感覚がある私には、節税の方が大切だと感じてしまいますわね……。
「資金が20万ドラクマもあるのに、最小規模の商会とか、どうしてこんなことを思いつく?」
「全ての商会を合わせたら最大規模の50人以上になればよいではありませんか。それでいて納める営業税はわずかにできるのですよ?」
「……合わせて50人? さっき言ってたふたつの他に、もうふたつ、商会を作るつもりか!?」
……必要なものがあれば、いくらでも商会を作るつもりですわよ?
「スチュワート、あとはお願いね。サラも、しっかり頼むわね?」
私はそう言うと、みんなを立ち上がらせて、執務室から出るように促します。
旦那様が基本的に不在ですから、執務はほとんど、私の役割ですわ! 別にいいですけれどね!
エカテリーナは、使えそうな部下を、手に入れた! 従兄ですけれどね! こき使いますわ!
さあ、商会が動き出しますわ! いっぱい稼ぎますわよ!