6 お茶会は楽しい(かもしれません)
「こういうことは、言わなくてもいいとは、思うのだけれど……」
そう言いながら、お義母さまが軽く手を動かすと、侍女やメイドが東屋から離れていく。声が聞こえないところまで。
エカテリーナは義理の母と二人きりになった! 緊張するわ!
「前の、その、婚約者だった子は、あの子の顔にしか興味がなくて……」
「……」
なんの話ですか!? お義母さま!?
「あなたは、あの子の顔に、興味がないでしょう?」
「……」
……興味がないのではなく、見たら毒だと思うから、できるだけ見ないようにしているのです。
そんなことは言えないし、言わないけれど!
「……どうして、こう、両極端な感じの相手を選んだのかしらね」
それは、女遊びがしたいから、では? ……なんて、口にできないけれど。あの方は、高位貴族の自覚が足りませんわ、とかは、もっと言えませんわね。いえ、お義母さまはご存知でしょうけれど。
さて、エカテリーナです。本日はお茶会。
旦那様の実家、ウェリントン侯爵家のお屋敷に呼び出されての、お義母さまとのお茶会です!
侯爵家のお庭、アジサイが見頃ということで、お呼び出し! いやもう、アジサイはとっても、大きく美しいのですよ? 見応え十分です。
そんなアジサイの話が終わったら、人払いして、こんな話に。
「……あなたのことは、本当に、認めているのよ? あの公爵令嬢と渡り合えるくらいに優秀じゃないかしらね? 苦境にあったとはいえ、さすがは四伯のひとつ、ケンブリッジ伯爵家の令嬢ね。基本がしっかり、できていたもの」
「ありがとうございます、お義母さま」
……たぶん、祖父母世代の使用人のみなさんが、優しくありながらも厳しく、いろいろと小さな頃から言ってくれていたからだと思うけれど。
あと、お祖母さま。侯爵家出身だったから、ちょっとした話の中にも、教訓が多く込められていたと、婚約者期間に侯爵家で学んだ今は強く思うのよね。
家庭教師は、こう、ケンブリッジ伯爵家では、毎日は呼べなかったので。金銭的に……。
私の実家、ケンブリッジ伯爵家は、この国の建国時からある、由緒正しい7つの名家のうちのひとつ。で、そのケンブリッジ伯爵家の苦境とお義母さまがおっしゃってるのは、ケンブリッジ伯爵家の借金のことですわね。うん。
貧乏になったせいで、家庭教師の回数は少なかったけれど、私も弟も、年配の使用人にいい意味でしっかりと可愛がってもらっていたのよね、今思えば。それが私たち姉弟の基礎、基本でしょうね。
……弟の子どもは、大丈夫なのかしら? 祖父母世代の使用人、もういなくなると思うけれど。まあ、貧乏でもいいけれど、たくましく育ってほしいわ。弟、まだデビュー前だけれど!
「……婚約者として大急ぎでこの屋敷に受け入れて、詰め込んで。それでも、しっかりとついてきたものね。先生方も驚いていらしたわ。あの子のことを本気で想ってらっしゃるのでしょう、なんて言われたわね……」
「そんなことが……」
「……まあ、あなたは、あの子には全く興味がなくて、もちろんあの子のことなんてひとつも想ってもなくて、強く白い結婚を望んでいた訳だけれどね?」
「……」
「それでも真摯に学ぼうとしていたあなたのことは本当に認めているのよ、エカテリーナ?」
学ぶこと自体はとても好きなのですわ!
「……ところで、一番苦手としていた、ダンスの練習は続けているのかしら?」
運動はやや苦手なのです……。
というか、お義母さま、私がダンスの練習、サボっているの、知ってますわね、これは。
スチュワート? いや、オルタニア夫人? それともミセス・ボードレーリルかしら? なんか、三人とも、という感じもするけれど。
「クリステルに教えてもらいなさい。男爵家の出とは思えないくらいに美しく踊るわよ? 練習のパートナーはスチュワートでいいわ。いい? エカテリーナ? 毎日、少しずつでも続けるように」
「はい、お義母さま」
……クリステルの線も浮かんできましたわ! 全員スパイかも!
練習のパートナーに旦那様の名前が上がらないのは、旦那様が3日に一度しか帰ってこないことも伝わってますね、はい。
「それと、今年の社交シーズン用のドレスは、マダム・シンクレアに依頼してあるわ」
「マダム・シンクレア……」
二大ドレスメーカーの片割れ! お高くないですかね!? いや、服飾費、予算的にはたくさんあるけれど!
マダム・シンクレアとマダム・フランソワはどちらも引退したマダム・マクラリーの弟子。マダム・マクラリーは王太后さまのドレスを長く作り続けた最高のデザイナーと呼ばれた人。
そのマダム・マクラリーが引退しちゃったから、今の王妃さまは、1年ごとに姉弟子のマダム・シンクレア、妹弟子のマダム・フランソワと、かわりばんこにドレスを作らせているという。それで二大ドレスメーカーとか呼ばれている訳で。
まあ、王妃さまがどっちか一人に決めたら決めたで、問題が起きたのでしょうけれど……。
ちなみに、散々散財した私の実家のお祖母さまは、マダム・マクラリーにドレスを作らせてた、らしい、ですわ。当時はまだ幼くて、知ろうとも思っていませんでしたし。
私はマダム・シンクレアも、マダム・フランソワも、どちらも、ドレスを作ってもらったことはありませんね。今回が初めてとなります。高級品のドレスですわね……。
「採寸やデザインの相談のために、そっちの屋敷にマダム・シンクレアが行きます。新婚らしく、あの子の色のドレスにしてね?」
「もちろんですわ、お義母さま」
やっぱり侯爵家ってすごいわよね……。
そういうドレスとか、今飲んでる高級なお茶とか、この見た目も綺麗な高級なお菓子とか、こういうのに慣れて初めて、本当に貧乏を脱せるのでしょうけれど。
そういうのが一番難しい。
前世も含めてこの身に染み込んだ貧乏根性って、抜けそうにないわね……。
「元婚約者の公爵令嬢に見劣りするようなドレスは許しませんからね……?」
そういう女の戦争みたいなのも私にはちょっと無理な感じですけれど、こればっかりは高位貴族の嫁ですから、頑張るしかありませんわね……?
「まあ、あちらはまだ、婚約者も決まってないようなのだけれどね……」
うふふと微笑むお義母さま……怖いですよ?
母親目線だとアレなのですけれど、結婚適齢期の娘目線だと、悪者はどう考えても旦那様の方ですからね? 不貞行為を理由に、破棄されちゃったんですよ……?
「……そういえば、あなた、王妃さまと、あなたとの血の繋がりは、もちろん、わかっているわよね?」
「はい。父が王妃さまの従兄にあたりますわ」
もちろん知っています。基本ですわ。
「……ただ、父は従兄とはいえ、それほど王妃さまとの関りはなかったようです」
「伯爵家だから、挨拶の機会もあまりないものね。大夜会で侯爵家までは、デビュタントに関係なく、王家に挨拶します」
「はい。そのように教わりました」
「マダム・シンクレアのドレスは絶対に必要よ、いいかしら?」
「はい。お義母さま」
「あなたのデビュタントでは、王妃さまから何か?」
「従兄の子ということで、優しくお声がけくださいましたわ」
「そう」
……お義母さまが確認したのは血の繋がり、ですわ。ですから、これが答えですわ。嘘、は、吐いてません。
お祖母さまの姉、私の大伯母にあたる方が王妃さまの母ですわ。大伯母はリライア侯爵家に嫁がれて、長男、次男、長女と、三人の子を産み、その長女が今の王妃さまですわ。
お祖母さまが私の実家のケンブリッジ伯爵家に嫁いで、すぐ父を産んだので、父の方が王妃さまより8つ年上でございます。
実際のところ、父と王妃さまは、幼い頃に何度か会ったくらいで、王妃さまが王子殿下の婚約者となってからは交流がなかったようです、父は。
……私? 私はお祖母さまに連れられて、幼い頃にリライア侯爵家で、何度かお会いしましたわね。王子殿下のまだぎりぎり婚約者で、王子妃になる直前くらいだったかしら? 子どもだったから、記憶は曖昧なのよね。
デビュタントで挨拶した時は、覚えていてくださって幸せだったわ……。
まあ、私と王妃さまの関係は、秘密ですわ。お義母さまに対する、私の秘密兵器ですものね。
「え、それは本当ですの?」
「マダム……シンクレア……」
「エカテリーナさまは、もう遠くへ儚くなってしまわれたのね……」
いやいや、勝手に殺さないで、アリステラさま!? 私、まだ生きてますから!?
「ウェリントンのお義母さまが、どうしても、と……」
「やっぱり侯爵家ともなると、違うんですのね」
どうも、エカテリーナです。
本日もお茶会です!
フォレスター子爵家の我が家で!
お友達――『古着ドレス組』の貧乏令嬢仲間たち――を招待しての、現フォレスター子爵家では、初めてのお茶会です!
招待したのは、ノーザンミンスター子爵家のマーガレットさま、ラザレス男爵家のイスティアナさまとその妹のアリステラさま。アリステラさまは図書館仲間ですね。まだデビュー前ですわ。
今回は領地にいるからとお断わりがあったグラスキレット子爵家のオードリーさまと、今は私の侍女となってそこに控えてくれてるレキシントン男爵家のアリーとバステイン男爵家のユフィを加えて、『古着ドレス組』の貧乏令嬢仲間たちです。
侍女になった二人は、近くに侍っていても、ここでの会話には加われないけれど。
契約で、社交は最低限でいいとなっていますけれど、私が私のお友達を呼ぶのは、見えないところで溜まってそうなストレスの発散のためにも、必要でして。
……まあ、私がこのお茶会を開くと決めたから、お義母さまの呼び出しがあった、と。そう思いますわ。侯爵家としての家格でのお茶会というものを見せる、という予行練習みたいな。お義母さまというより師匠って感じですわね。
今、お出ししているお茶の葉も、お菓子も、この前、お義母さまに呼ばれたお茶会と同じものです。さすが優秀な家令のスチュワート、手配が早いですわ。
場所は庭ではなく、応接室を使っておりますの。ウェリントン侯爵家……本家のお屋敷ほどの広さはないのですよ、この子爵家では、さすがに。もちろん庭はあるし、アジサイも綺麗に咲いているけれど、さすがに東屋とかはなくて、ですね。
庭用の椅子とテーブル、日除けの大きな傘なんかを用意できなくはないけれど、ちょっと面倒でして。もちろん、命じたらすぐにできちゃうくらいたくさん働き者の使用人はいますわよ?
「……今年も、ドレスはどうしたものかと、家族みんなで頭をひねっていますわ。婚約者探しのためにも、大夜会には出ないといけませんし」
正確には、私たちのような『古着ドレス組』の貧乏令嬢の家は、大夜会以外の夜会にはほとんど招待されることはないので、大夜会で結婚相手を探すしかないのです。
「出ても、婚約者は見つかりませんけれどね……。それに、我が家はこの子、アリステラがこの秋にデビューですもの」
「そうでしたわね。では、イスティアナさまがあの時に着てらした白のドレスを?」
「そうしたいのですけれど、アリステラの方が少し、私よりも背が高いでしょう? 大は小を兼ねると申しますが、その逆はちょっと……」
「白は、特にお高いですものね……」
「背も高ければ、お値段も、と。笑い話で済ませられるのならよいのですけれど」
「ドレスの話など、まだましですわ、お姉さま。ウェイマス男爵家など、タウンハウスを手放すかもしれないという話があるのですもの。それに比べれば……」
せっかくのデビューだというのに暗い話ですわね。私たちも同じでしたけれど。
だから、アリステラさまもそんなに悲しそうな顔をしなくてもいいのよ? 仲間ですわ。みんな仲間ですから。貧乏なのは。
……でも、ドレスなら、今の私には、手助けできるの。そう。できるわ。だから、どうやって話をそっちにもっていくのか、が大切だわ。
「暗い話はこれくらいで、明るい話題に変えましょうよ」
「あら? マーガレットさまは明るい話題をお持ちでして?」
「私にはございませんわ。でも、エカテリーナさまにはございますでしょう?」
はて? ありましたでしょうかね?
「近衛騎士の中でも一、二を争う美形のお方へと嫁いだんですもの。幸せそうなお話を聞かせて下さいませ。そうすることで少しでもその幸せを分けて頂きたいですわ」
……いや、ないでしょう? 嫌味ですか? 嫌味ですわね? あれはどんなにイケメンだったとしても、中身はヤリチンドクズだから!
「……直接お会いしたことはございませんが、とてもお美しいお方だという話は、耳にしましたわ」
遠慮がちにイスティアナさまが話を合わせる。この遠慮は私に対して、でしょうね。みんな、うちの旦那様がドクズであるということは知っているのです。噂で。有名ですもの! 不貞行為で公爵令嬢に婚約を破棄されましたから!
「去年の騎士武闘会の近衛の部では、兜を外したフォレスター卿が額の汗を拭う仕草を見ただけで、気を失いそうになったご令嬢が何人もいたらしいですわよ?」
「……旦那様には、そんな噂がございましたのね」
噂……いや、事実でしょうか? あのイケメンフェイスならあるかもしれませんわ。
でも、騎士武闘会なんて見に行かなかったから知らないわよ!?
……いけない、いけない。脳内言葉が乱れてしまいますわ。ちなみに騎士武闘会に近衛の部があるのは、近衛騎士が他の騎士と戦って負けちゃうと、ねぇ……そういうことです。
「そんな令嬢のみなさまの憧れの近衛騎士さまとのご成婚ですもの。本当に羨ましいですわ」
にっこり笑うマーガレットさま。
うん、嫌味ですわね? それとも金持ちに嫁いだ私に対する嫉妬でしょうか? たぶん両方なのでしょうけれど。
あ、そういえば、マーガレットさまは、私の侍女候補からお義母さまが外したって聞いた覚えがありますわね。その恨みかも? 「子爵家からの侍女もほしいけれど、あれではね……」とかなんとか、おっしゃってたような……? 何が落選要因だったのかは知らないけれど、選ばれなくてよかったみたいですわね。
イスティアナさまとアリステラさまは困ったように微笑んで沈黙している。この二人はいい人ですわね。
……うん。マーガレットさま……ノーザンミンスター子爵令嬢との付き合いは、今後、考えていかないとね。気持ちはわからなくもないけれど、こうしてお茶会に招待するくらいには、これまで通り仲良くしようと思っていましたからね? 私は。
私が伯爵家だったから選ばれた、子爵家だから自分は選ばれなかった、同じ貧乏令嬢だったクセに、とか、そんな風に考えてそうですわね。
せめて、貴族令嬢として、そういう気持ちはあったとしても、私との繋がりがこの先に生かせるように、もう少し本音を隠しておけばいいものを。
「ねえ? エカテリーナさま? どんな幸せが、新婚生活にはございますの?」
こういうケンカ、真正面から買ってもいいし、格下には徹底的にそうするようにお義母さまからはご指導を受けてはいるけれど。
今回は、はぐらかす方向でいきましょう。そして、今後、彼女とは距離を置くことで、このケンカを処理する、と。
でも、この先、秋からの社交シーズンになったら、ノーザンミンスター子爵令嬢みたいな連中を何度も相手にしないとダメなのか。面倒ですわ……。
「そうですわね。私が一番、幸せに感じましたのは……そう、ランドリーメイド、ですわね」
そう、しみじみと言ってやりました。
「……ランドリー、メイド?」
「ええ。うちには、ランドリーメイドが専属でおりますの。4人」
「まあ……」
思わずそう口から出てしまったイスティアナさまはとっさに扇を開いて口元を隠し、アリステラさまは私の手に注目した後、自分の手へと視線を移した。
ノーザンミンスター子爵令嬢も目を見開いて驚いている。予想もしない話題だったのか、とっさに扇を開くこともできなかったみたいですね。口が開いてましてよ?
そう、ランドリーメイド。しかもランドリー専門の。これ、お金持ちの証。
実家……ケンブリッジ伯爵家だと、メイドはいわゆるオールワークスメイドなのよね。なんでもやるのよ、なんでも。分業なんてしないの。そんな人数、いないですし。メイドどころか、侍女のタバサだって手伝うし、なんならお嬢さまとして悠々自適な生活をするはずの私まで、シーツを絞る時とか干す時とか、手伝わなきゃいけないこともありましたし!
手が! 手が荒れないの! このお屋敷だと! 荒れてた手がどんどん治るの! 治癒魔法のかかった聖地なのかと思ったわ、このお屋敷が……この世界に魔法なんてないですけれど……。
この私に、色恋の幸せなんてある訳ないですから。
でも、色恋の幸せよりも、私としてはもっと幸せを感じるのよ。いいわ。最高よ、ランドリーメイド。ホント、幸せだわ……。
「……本当に、羨ましい話ですわ」
ぽつりとそう言ったアリステラさまの一言に、みんな、しみじみとしたみたいで。
おそらく、ノーザンミンスター子爵家よりも、さらに厳しいであろう状態の男爵家、しかも女の子ふたりという、かつての私と同じ不良債権が2倍も!
きっと心の叫びよね、これは。わかるわ……。
まあ、そんなこんなで、洗濯とか掃除とかの苦労話で盛り上がるという、ちょっと変な感じのまま、お友達とお友達だった人とのお茶会は終わりました。
翌日、お茶会に来てくれたことのお礼をお手紙にして出したけれど、ノーザンミンスター子爵令嬢には「また来てください」とは書きませんでしたよ、もちろん。
でも、イスティアナさまとアリステラさまには、「また誘わせてくださいね」と書いたけれど。
こんこんこん、というノックの音。
侍女のタバサが確認して、家令のスチュワートが音もなく入室してくる。何者?
「奥様がお呼びだと聞きましたが?」
「スチュワート。使用人を増やそうと思うの。準備してもらえるかしら?」
そうして、私は、少しずつ、動き出す。