23 それが私の幸せな結婚ですわ!
ふたつの公爵家が国王陛下と王妃さまのところへ挨拶に向かいます。
国王陛下と王妃さまが座っていらっしゃる御座は一番高い所にございます。
その3段下にちょっとしたスペースがあって、そこが挨拶の場となります。ここを会の座、といいます。会の座からさらに3段下は、会場となっているこの大ホールの床ですね。
スコットレーンズ公爵家が会の座へと進み、リーゼンバーグス公爵家は会の座の3段下で待機します。
スコットレーンズ公爵家の挨拶が終われば、そのまま横へ移動して階段を降り、リーゼンバーグス公爵家が会の座へと進み出ます。ほぼ同時に、先程までリーゼンバーグス公爵家が控えていたところへリライア侯爵家が入ります。
リライア侯爵家の背後にはマンチェストル侯爵家が近づいていきます。順番ですから。
マンチェストル侯爵家の次がウェリントン侯爵家です。
この順番は歴史的なものなので、爵位は同格ですし、現在の領地の広さや経済力とは何の関係もございません。まあ、歴史の重みは大切ですけれど……。
入場時とは違って、御前では争わないのがマナー。ですから、この場でのマンチェストルとウェリントンの接近は、緊張感はあるけれど、問題はありません。
声とその内容まではかなり後ろのウェリントン侯爵家のところまで届きませんけれど、リーゼンバーグス公爵令嬢の頭の動きなどから、王妃さまとのやり取りが繰り返されていることがわかります。直前のスコットレーンズ公爵家の挨拶よりも長い、という時点で、何かがあるのは間違いないでしょう。原因が私でないことを願います……。
リーゼンバーグス公爵家が壇上から下がり、リライア侯爵家が会の座へ進みます。マンチェストル侯爵家も壇の直前へと進み、ウェリントン侯爵家はその後ろに詰めます。背後に、リバープール侯爵家が集まる気配がします。そういえば、ついこの前のモザンビーク子爵家の夜会では、リバープールとももめそうな関係でしたわ。
高位貴族って、本当に、なんだか針の筵ですわね……。
リライア侯爵家が割とあっさりと壇上から下がります。王妃さまのご実家ですのに。いえ、ご実家だからこそ、この場では時間は必要ないのかもしれませんわね。
マンチェストル侯爵家が会の座へと進み、ウェリントン侯爵家は壇の直前へ立ちます。この位置からなら、挨拶の内容も把握できる程度に聞こえます。
特に何の問題もない、王家と侯爵家の儀礼的なやり取りですわね。
そして。
マンチェストル侯爵家が横へと移動し、壇上から下がりつつ、ウェリントン侯爵家が会の座へと進み出る、その入れ替わりの瞬間。
「まあ! カティ! 嬉しいわ、この場で会えるなんて!」
はっきりと私の方を向いた王妃さまが輝かんばかりの笑顔でそう宣いました。近くにいる方に、よく、聞こえるように。
マンチェストル侯爵夫人が思わず、といった感じで足を止め、振り返ります。
「王妃。挨拶もまだなのだ。少しは待ちなさい」
「ですが、陛下。私、ウルスラとも、スカルザとも思っているこの子の結婚式に、急なことだったとはいえ、招待もしてもらえなかったのです。こうして会えて嬉しい気持ちは汲んでくださいませ」
「わかった。わかったから、少し、待ちなさい」
国王陛下と王妃さまのやり取りに。その中の王妃さまのお言葉に。その意味に。
気づかない侯爵夫人などいないでしょう。
ウルスラとはベルラティー島北部に伝わる創世神話の女神ケルダが溺愛した娘、スカルザとは同じく創世神話の三姉妹女神の末妹で、姉女神ワルドラとベルザンダルの二人の溺愛を受けたと言われています。つまり、私は王妃さまにとって、溺愛の対象である、と。そういうことですわね。言い過ぎですけれど。
会の座へ踏み入れたウェリントン侯爵家、壇上から下がったマンチェストル侯爵家、おまけに壇の直前へ詰めたリバープール侯爵家、三つの侯爵家に異様な緊張感が漂います。
……さすがは王妃さま。侯爵家を瞬殺ですわね。
「王国をあまねく照らす太陽たる国王陛下、並びに王国の美しく輝く月たる王妃陛下。ウェリントン侯爵家が挨拶に参りました」
「ウェリントンの地は、いかに?」
「つつがなく」
「ウェリントンの海の宝石が欠けたと聞いているが?」
「それも問題ありません。必要な処置でした」
「そうか。では、これからも宜しく頼む」
「はい。陛下、新たにウェリントンの一員となった義娘を紹介させてください」
「聞こう」
「ケンブリッジ伯爵家より嫁してきました、エカテリーナにございます。エカテリーナ、陛下に挨拶なさい」
お義父さまに呼ばれた私は半歩だけ進み出て、カーテシーで深く膝を折る。
「エカテリーナ・フォレスター・ウェリントンにございます」
「楽にせよ、エカテリーナ」
「はい」
立ち上がって、元の位置へと戻る。
「ウェリントンに尽くし、王家を支えよ」
「はい、陛下」
普通なら。
婚約者の時点で紹介されているので、結婚しての自己紹介はない、と、思う。
……私って、かなり特殊な事例とも言えるわね。全ては旦那さまの責任ですけれど。
もちろん、デビューの時にはエカテリーナ・ケンブリッジとして挨拶はしている。
ともかく、これで王家への挨拶は終わり……だけれど。
「……ねえ、カティ」
国王陛下への挨拶が終わるのを待っていましたとばかりに、王妃さまが私に話しかけてくる。お義母さまを差し置いて、である。
「はい、王妃陛下」
「もう。その呼び方はダメよ。デビューの時にも言ったでしょう?」
「……はい。シシュさま」
お義母さまに声をかけずに、私に声をかけている時点で、王妃さまの態度はある意味では大問題ではある。頼んだのは私ですけれど。
王妃さまと私は、愛称で呼ばれ、愛称で呼ぶ、そういう親しい関係なのです。お義母さまには秘密でした。私が呼ばれる『カティ』も、私が呼ぶ『シシュ』も、二人だけの呼び名ですし。
昔々、お祖母さまに連れられて、王妃さまのご実家であるリライア侯爵家でお会いした、それはそれは幼い頃のこと。
舌っ足らずな私の未熟な挨拶で『えかてぃりなでしゅ』と言った私をかわいいと叫んで抱きしめた王妃さま(まだ王妃ではなかったけれど)は『ねえ、カティと呼んでいい?』とおっしゃって。
それに『はい、ししゅてぃりなしゃま』と答えて、正しくシスティリーナと言えなかった私を王妃さまは本当にかわいいわと言ってなでなでしつつ、『私のことはシシュと呼んでね?』と微笑まれましたわ。
およそ15年前の出来事、エカテリーナ当時4歳の黒歴史、『えかてぃりなかみかみあいしゃちゅじけん』ですわ……。
そのお陰で王妃さまと特別な愛称で呼び合う関係にはなれたのですけれど。
直接お会いしたのはデビュタントでの挨拶以外は、お祖母さまが存命中の、幼い頃の数回のみ。それもリライア侯爵家の屋敷内でのみ。会った時には抱きしめられ、膝に抱かれておやつをあーんされて可愛がられていましたけれど。ペットか、それとも生きたぬいぐるみか……。
私と王妃さまのそのような関係を知っているのは亡くなったお祖母さまと、大伯母さまくらいでしょうか。あとはデビュタントで一緒に挨拶をした父くらい。父が知ったのは互いの呼び名ぐらいですけれど。それが他に知られる要素がない私と王妃さまの関係です。
そういう未知の関係を前にしてもお義母さまは全く動揺を外に出さないです。オルタニア夫人から聞いてはいたけれど、すごいですわ。血の繋がりは知っているのですから、想像の範囲内と言えなくもないですけれど、それでも驚くはずです。
「それで、幸せなの? カティ?」
「はい、シシュさま。ウェリントンではとても大切にして頂いております」
ウェリントンを貶める意図は私にはございません。大切な財源ですもの。しかも極大の。
「それは、プロセルフィとしての幸せかしら? それともテレイラーの幸せ?」
「……幸せの形は、人、それぞれにございます、シシュさま」
プロセルフィもテレイラーも、北部の創世神話の女神ですわね。プロセルフィは夫神のヘイドスに愛された女神、テレイラーは夫神のユーピトの浮気に嫉妬しまくりの女神です。プロセルフィはともかく、テレイラーの幸せって幸せなのかしらね? 女神に例えられても困る、という意味も込めます。
……王妃さま、私たちの結婚について、調べたかも? 契約書は法務局保管までしたから、調べたとしたら、契約で白い結婚であることもご存知みたいですわね。
「……そう。……ねえ、カティ。兄二人と育った私にとって、あなたは大切なスカルザでもあり、また、息子三人に囲まれる私にとっては大切なウルスラでもあるの。だから、いつでも私を頼って頂戴? 私、必ずあなたを助けるわ」
王妃さまの後ろ盾宣言、頂きました。実は、似たようなお言葉はデビューした時にも頂いております。だから、今回、事前にお手紙を差し上げたのです。頼り過ぎるのはよくないですけれど、ね……。
「ありがとうございます」
「そのドレス、シンクレアね? それに、デビューの時より肌にも潤いがあるし、美しく見えるもの。ウェリントンがカティを大切にしていることは伝わるけれど、噂の新しいドレスも見てみたかったわ」
「あのドレスなら、本日がデビュタントとなる男爵令嬢が一人、着ているはずにございます」
「そうなの? それは楽しみだわ」
王妃さまは事前に手紙でお願いしたドレスの話もしてくださいました。これでお義母さまへの牽制は十分でしょう。
私からすぅっと目をそらした王妃さまは、まっすぐお義母さまを見つめます。
「……侯爵夫人。カティは私の大切なスカルザで、大切なウルスラです。宜しく頼みますね?」
「はい、王妃陛下」
「カティに義母と呼ばれるあなたが本当に羨ましいわ……」
とどめにお義母さまにまで太い釘を刺してくださいましたわ!? それ、年齢が合えば王子の妃にほしかったのに、という意味にもとれますわよ?
「では、カティ。今度、一緒にお茶でも飲みましょうね」
「はい、シシュさま」
再び私へと向き直った王妃さまからのお茶会のお誘いでございます。
……避けられない社交、お茶会が確定しましたわね。
まあ、これは、今回の茶番劇の必要経費のようなものです。お茶会だけに。
王妃さまのお誘いを断る訳にはいきません。あきらめましょう。
王妃さまが一度も旦那様には視線を向けなかったことについては華麗にスルーしつつ、壇上から下がります。
入れ替わりで壇上へと進むリバープール侯爵家、そして、壇の下へと詰めるグラスゴー侯爵家からも私への視線をちらちらと感じます。王妃さまのお言葉が聞こえる距離でしたものね?
お義母さまが壇上から下がって、私の隣に並びます。
「エカテリーナ……あなたという人は……」
「あら、お義母さま、ご覧になって」
私はお義母さまの言葉に素直に答えず、視線だけで、マンチェストル侯爵家の方向をお義母さまに示して誘導します。
そこでは扇を開いて口元を隠したマンチェストル侯爵夫人が私へと視線を送りながらマンチェストル侯爵と盛んに言葉を交わしている姿がございました。
「マンチェストル侯爵家がずいぶんとざわついていますわ」
「……そうでしょうね」
お義母さまの心の中もざわついているのなら、私の心も少しはすっきりしますけれど。
そこは確認しないのがいい嫁というものですわね。
「……戻ったら、マダム・シンクレアを急いで呼びます」
「お義母さま?」
「日程は知らせるから、その日にあなたの侍女を寄こして頂戴。あのドレスを着せて。ウチの夜会ではあのドレスをそろえます。フォレスターの屋敷にもマダムには行ってもらいますから」
「かしこまりました。ですけれど、そこまでしなくともよろしいのでは?」
「あのご様子では、王妃陛下の方が先に動きます」
「そうでしょうか……?」
「……あなたへの王妃陛下のあの態度は溺愛と呼んで差し支えないわ」
「そんな、お恥ずかしい。幼い頃にちょっと可愛がって頂いただけですのに」
……ペットか、ぬいぐるみ扱いで。
「ウェリントンは王家に隙を見せてはなりません。理解しているかしら、エカテリーナ?」
「はい、お義母さま」
……もちろん、知っていますわ。教え込まれましたもの。短い婚約期間で。だからこそ、今夜の、この一撃ですもの。よく効いたでしょう、お義母さま?
王家をも上回る財力を有するウェリントン侯爵家は、王家から謀反の疑いをかけられることを、それはそれは、警戒しております。
王家にウェリントンを討つ口実を与えてはならないのです。
侯爵家同士の争いならば問題はありません。けれども、王家の呼びかけに応じた複数の貴族家との戦いは絶対に避けなければなりません。
ウェリントンの巨大な財力は全て王家を支える貴族家としてのもの。その態度を崩してはならないのです。
今のウェリントンを潰せるのは他の貴族家をまとめて動かせる旗振り役の王家のみ。
……それなら旦那様をしっかり教育すればいいのに、という私の心の声はともかく。
王位継承権をもつ王孫たる公爵令嬢をウェリントンへと嫁入りさせることで王家との良好な関係を示すつもりだったお義母さまの未来予想図は、旦那様の愚かな行動によって崩れます。
それが原因で誅滅となっては困ります。ウェリントンの力を損なわないようにしながらもきちんと賠償を行い、港をひとつ期限付きで割譲しました。国王陛下も気になさっておいででしたわね……。
それでいて、王妃さまの遠縁とはいえ、王家との縁続きの私を嫁入りさせることで、王家への叛意はないこともお義母さまは示しました。お義母さまにとっては、あくまでも、私は王妃さまの従兄の娘、という認識でしたけれど。
その嫁が、ただの遠縁の従兄の娘ではなく、実は王妃が娘とも妹とも思い、幼い頃に可愛がっていたという事実は。……たとえそれがペット的な感じだったとしても、です。
私を大切にすれば王妃さまの信頼を得て、私を軽んじると王妃さまの不興を買うという、諸刃の剣のような嫁なのだと。
お義母さまの認識を一気に変えたのでしょうね。
……まあ、私を大切にすればそれで王妃さまとの関係は良好になるので、簡単と言えば簡単なのですけれど。
そこで問題になるのが旦那様という、浮気クズ男ですわね。有名ですもの。
そこについては私が、王妃さまにお答えした通り。
私は女としての幸せではない、別の幸せを求めていますよ、という話で済ませておくことにしたのです。事実ですし。
王妃さまは私のことについてマンチェストル侯爵家にも聞こえるようにしてくださいましたから。本当に助かりますわ。
もちろん、この日、別室で行われたマンチェストル侯爵家との話はあっさりと終わりました。ウェリントンの完全勝利ですわ。王妃さまの影響力のお陰でございます。作戦通り、とも言えます。
ひとつめ。現ライスマル子爵は引退し、子爵令息たちには平民を娶らせて継承権を捨てさせ、子爵の従兄弟が跡を継ぐこと。旦那様の親友だった方は、貴族籍を失うので近衛騎士の職も同時に失いますわね。
とりあえずライスマルの大奥様の最後の願いが叶えられてひと安心ですわ。
ふたつめ。ライスマル子爵家の領地にある小さなワイン蔵をひとつ、フォレスター子爵家に譲ること。
ここは、お義母さまは子爵領の小さな銅山をお求めでしたけれど、私はワイン蔵で手を打ちましたの。
子爵家の財力では難しかった銅山開発にウェリントンの資本を投入するよりも、ワイン職人を手に入れる方が簡単でいろいろと美味しいのですもの。
銅山開発は次のライスマル子爵との共同事業でも可能でしょうし、採り尽くしてしまえば終わりですものね。ワインなら期限なしで永遠ですわ。
みっつめ。ライスマル子爵家の夜会で旦那様と踊った三人の令嬢の処分をマンチェストル侯爵家が責任をもって行うこと。
彼女たちがこの先、社交界に顔を出すのは、私に対する侮辱ですものね。私、ここはそれほど気にしておりませんでしたの。でも、お義母さまはここだけは許せないとの態度でしたわ。幼友達のマンチェストル侯爵夫人にそれはもう、強く訴えておりました……お義母さま、怖かったわ……。
彼女たちの中にはマンチェストルとの関係が浅い者もいるようですけれど、それはマンチェストルがなんとかするでしょう。よその寄子の処分は面倒ですけれどね。お金もかかるでしょうし。
彼女たちが神殿入りで俗世を離れるのか、平民と結婚させられて貴族籍を失うのか、それとも廃嫡されて娼館にでも売られるのかはマンチェストルにお任せですわ。マンチェストルの経済力なら娼館ルートが有力ですわね……はした金もお金ですものね……。
おまけで。マンチェストルの執事が一人、平民と結婚した上で国外へ出されること。
可哀想に。切り捨てやすい寄子の子爵家の次男ですものね。見事に切り捨てられましたわね。彼の自業自得であって私のせいではないはずですわ……たぶん……。
以上の全てが実行されたら、ウェリントン侯爵家はライスマル子爵家への経済制裁を取りやめること。
まあ、そうですわね。いつまでも虐めていても仕方がないですし。
という訳で。
うふふふ。虎の威を借る狐作戦、大成功ですわ!
エカテリーナは、王国の社交界で確固たる地位を、手に入れた!
マンチェストル侯爵家を下したのですもの。これで他の貴族家もわざわざ私と敵対することはありませんわ! ついでに王妃さまとの関係でウェリントンの家内でも私の地位は安泰です!
これで幸せな結婚生活をさらに満喫できます! やったね!
……旦那様はクズ男ですけれど。それでもいいのです。お金さえあれば。それが私の幸せ。
別室から大夜会の会場へと戻りながら、私は心の中でにやにやとそんなことを考えておりました。




