18 良薬は口に苦しというけれど
「大変申し訳ございませんでした。あれは手違いですので、どうか、ウェリントン侯爵領の通行を認めて頂きたく……」
面会予約の時間にやってきたマクベ商会の会頭であるルギャンが、執務室のソファに座ってお茶を飲んでいる私に向かって大きく頭を下げました。もちろん、ルギャンは立たせたまま、私は優雅にお茶ですわ。
「手違いとは、どういうことかしら?」
「野菜を卸している小さな八百屋まで目を配ってはおらず……」
「そう。だから?」
「ですから、我々マクベ商会は、ウェリントン侯爵家に逆らうつもりはないのです」
この前のククリ商会のラースと、どうしても比べてしまいますわ……。
「それで、どうして私が、マクベ商会へ通達した侯爵領の通行禁止を取り消さなければならないのです? ウェリントン侯爵家に逆らわないのは当然のことではなくて? それとも、マクベ商会にとってはそうではないのかしら?」
「も、もちろん、当然のことでございます」
「ねえ、ルギャン」
「は、はい」
「手違いだろうと、目配りしてなかったのだろうと、結果は同じだわ。それに今、ウェリントン侯爵家に逆らわないのは当然のことと言ったわね?」
「はい、もちろんです」
「なら、侯爵領の通行禁止の通達にも逆らわないのは当然だわ」
「そんな……」
「あら、ルギャンは、ウェリントン侯爵家に逆らうというのね?」
「い、いいえ、で、ですが、このままでは、我々は……」
「落ち着きなさい、ルギャン。今から私の言うことをよく聞きなさいな」
私はここで初めてルギャンへと目線を向けます。さて、と、エカテリーナ、行きます。
「……あなたたちマクベ商会は、ウェリントン侯爵領の通行禁止を命じられて、この先、東海岸からこの王都までの陸路を利用しなければならないわね」
「……はい」
「西海岸からの陸路と比べると、王都までは倍近い距離ですもの。その分、商品のお値段も高くなるわよね」
「……そうです」
「なら、ライスマル子爵家には、その分、しっかり高く売りつければいいわ」
「は……?」
「よく考えなさい? 今、ライスマル子爵家と取引する者はマクベ商会以外にはいないのよ。ライスマル子爵家はあなたたちから買うしかないの。ウェリントン侯爵家が圧力をかけているのですもの。だから、商品も、恩も、マクベ商会がライスマル子爵家に高く高く、しっかりと高く売りつけなさいな」
「恩、も、高く……」
「そうよ。私はウェリントン侯爵家を敵に回してでもライスマル子爵家をお助けします、とでも言いなさい。けれども、どうしても値段は高くせざるを得ないのです、と。そういう感じかしら? わかりましたか、ルギャン?」
「……はい」
「ライスマル子爵家にはウェリントン侯爵家と正面から戦う力はありません。そのうち寄親のマンチェストル侯爵家が動きます。そこで手打ちになるでしょうから、あなたたちがしっかりとライスマル子爵家から稼げる時間はそう長くはないわ」
「あ……」
「……しっかり稼ぎなさい。いいわね?」
……こう言えば、高い値段で取引してさらにライスマル子爵家を追い詰めなさい、という意味に受け取るに違いありませんわ。もう、目が、お金の計算をしていますものね。そうすれば、通行禁止も解除してもらえると思っているでしょうし。
もちろん、私は通行禁止の解除など、一言も口にしておりません。あくまでも寄親が動いて手打ちになると言っただけですわ。
「スチュワート。お客様はお帰りよ」
「はい、奥様。さあ、こちらへ」
スチュワートが手で指し示して、ルギャンを執務室から外へ案内して、扉を閉じます。
「……そういう訳だから、タイラントおにいさまはマクベ商会から借金をしている貴族をできるだけたくさん洗い出して頂戴」
「……何がそういう訳なのか、わからないけど、その後は?」
ソファの後ろに立っていたタイラントおにいさまから声が聞こえます。
「ナナラブ商会の本業を動かすわ」
「本業……金貸しか。ようやく動けるのか。……通行禁止を喰らって負担の増えたマクベ商会が資金繰りに苦しくなる中で、貴族たちに借り換えさせて、資金提供をするのか?」
「その方がマクベ商会も借り換えに応じやすいでしょう? 結果として資金提供をすることになるだけだわ。ただし、借り換えを提案するのは利払いがきちんとできているところだけよ」
「……なるほど。マクベ商会から上客を奪うんだな。本当に、見た目と違って悪辣な……従兄として心配になるよ……」
「利子はマクベ商会の7割に抑えて、返済が楽になることをしっかり説明してね、タイラントおにいさま。マクベ商会以外からも借金があれば整理して一本化すること。あ、その中に寄親からの借金があれば、それは残して別にしておいて。ウェリントン侯爵家の寄子にするつもりはないわ。だから寄親からの借金がない家が望ましいわね」
「おれの心配は無視か……寄親からの借金がないところとなると、おそらく数は限られるな」
「それと、3年間の元本返済の禁止と今以上の新たな借金はナナラブ商会との間で行うことも、契約条件に加えて。違約金は全額即時返済と利子5年分を支払うこと、ぐらいかしら。そのあたりはもう少し考えたいわね」
「元本返済の禁止?」
「その間は確実に利子を受け取って利益にするのよ」
「あ、なるほどな。しかし、元の利子の7割ってのは、安くないか?」
「まだ高いわ。5割でもいいくらいよ。それに、今の利子で利払いができているのなら、その7割だと確実に払えるでしょう? それと、減らした利子の3割で、3年後からの元本返済計画を示すといいわね。いずれ、今の高利貸しは抑えていかないと、金貸しにばかりお金が集まって、世の中が発展しないし、儲けられないのよね……」
「元本返済計画って、おまえ、何考えてんだ……」
……今の利子をきっちりと払える家なら、借り換えで利率を下げても支払い金額は元のままにすることで、その差額を貯金して頂いて元本の返済に充てていく仕組みにすればよろしいのですわ。
そうすれば利子率は下がるのだから、これまで通りにするだけで、数年で借金を返せますもの。
ただ、それだけだとこちらの利も薄くなりますから、元本返済禁止期間を設定しておくのです。
借金経営で転落する貴族が多いと、そのことが原因で、また戦乱とかにでもなったら困りますわ……我が国は今、せっかくの安定期ですもの……。
「詳しい説明はモザンビーク子爵家の夜会の前にするわね。実例付きで。まずは洗い出しを急いで。ところで、明日の準備は大丈夫なの?」
「ああ、もちろんだ。ウェリントン侯爵家が調べたあの資料があれば何の問題もないって。詳細過ぎるだろう。どうやって調べたんだか……」
「頼んだ手紙は?」
「きっちり手配した。じいさんの手は借りたが……」
「……お祖父さまなら、まあいいわ」
……お義母さまのお陰で、マクベ商会を通行禁止にできて助かりますわね。上客を全部掠め取らないようにしないと……やりすぎは良くないですわ。
通行禁止の解除は、マクベ商会が完全に東海岸ルートへと移行する直前くらいがいいでしょうね。そこまでに4つくらいは上客をナナラブ商会に頂くとしましょう。
しばらくはライスマル子爵家を助けるフリをして追い詰めてくれるのでしょうし、潰さない程度には手加減しましょうか。
タイラントおにいさまが出て行くと、入れ替わるようにスチュワートが戻ってきました。
「……悪だくみですか、奥様?」
出て行ったタイラントおにいさまの背中を見送りながら、スチュワートが言いました。
「いい考えが浮かんだら、すぐに行動した方が利は大きいものよ、スチュワート。悪だくみではなく、いい考えが浮かんだの。そこを間違えないでほしいわ」
「……なるほど、勉強になります」
「あなた、嫌味も似合うわね。腹の立つこと。それで、マンチェストル侯爵家の動きは掴めたのかしら?」
「報告書は明日の朝に。ただ……」
「忙しいわね、もう。うん? ただ? 何?」
「あちらは、ウェリントン侯爵家とは同格だとしても、どうやらフォレスター子爵家は格下と見て動くようですね。それが自家の跡継ぎを軽んじることだとも思わずに」
「あら? こちらを甘く見て頂けるのね? それなら楽になるわ。感謝しないと」
……そういう家だから、ウェリントン侯爵家と並び立つような財力は得られなかったのでしょうね。お義母さまのように次期侯爵夫人に厳し過ぎるのも考えものですけれど。ああ、お義母さまにも、少しだけ通じる部分はございますわね。私をまだまだ小娘だと侮ってらっしゃいますものね。
「奥様の噂だけを信じてしまったのでしょうね……同情してしまいそうです……」
「あら? どちらの噂のこと? 優秀な令嬢? それとも大人しい令嬢?」
「もちろん、真実ではない方の噂でございます、奥様」
……こういう冗談じみたやりとりでも、言質を取らせないところとか、私は気に入っていますわよ、スチュワート。
「エルマを呼んで頂戴、スチュワート。洗濯室の話が聞きたいの」
明日はモザンビーク子爵家の夜会ですわ。旦那様にお薬は効いたのかしらね?
「奥様、旦那様がお戻りです」
「えっ?」
「……タバサ。奥様が驚かれるのならまだしも、あなたが驚いてどうするのです。侍女ならば感情をしっかりと抑えなさい。奥様は驚かれておりませんよ」
「申し訳ありません……」
「……出迎えに行きます」
そう答えて、私は私室を出ます。もちろん、タバサが驚いてオルタニア夫人に叱られていたように、私も驚きましたわ。それを言葉や顔に出すかどうかは別問題です。
個人的にはそんなタバサは大好きですけれど。アリーとユフィは大丈夫でしたから、これはケンブリッジ伯爵家の侍女教育の敗北とも言えますわね……さすがはウェリントン侯爵家ですわ……。
今朝、お見送りをしましたので、2日間は帰らない……いえ、夜会のある明日までは帰らないと考えておりましたからね。驚くのも当然ですわね。
……よく考えてみれば、お見送りをした日にお帰りになられたのは、初めてですわね。
それはそれで、いかにろくでもない男なのか、ということでもありますけれど。
……うん。刺した釘が、刺さり過ぎたのかしら? いえ、この場合、お薬が効き過ぎた、と言うべきかしらね。まさか、夜会の時だけでなく、日常生活まで変えてくるとは思いませんでしたわ。
「旦那様、お帰りなさいませ。お疲れでしょう」
「あ、ああ、今、帰った」
「着替えを済まされたら、夕食を……」
「リ、リーナ!」
突然、大きめの声で名前を呼ばれて言葉を遮られましたわ。なんだか驚くことが続きますわね。
旦那様は侍従が差し出した小さな赤い箱を受け取り、私の前に差し出してきました。
この、辰砂のオレンジ系の赤い箱は、フェラール商会ですわね。初めて本物……かどうかはまだ判断できませんけれど、とにかく、初めて見ました。
……いえ、それよりも、なぜ旦那様がフェラール商会の小さな赤い箱を?
「これを、君に……」
そう言って、旦那様が小箱のふたを外しました。
中には、サファイアの指輪……うーん、旦那様の瞳の色に近づけようと考えたのかもしれませんけれど、少し青が濃くて……微妙ですわ……。
あと、やはりフェラール商会ですわね。夫人向け……新婚の、令嬢上がりの私のような者ではなく、もっと年配の夫人向けの宝石商ですから、サファイアでこのサイズなら確かに高価な指輪でしょうけれど、石が大き過ぎて、今の若さで私がこれを付けると、ちょっと、ねぇ……あと10……15年くらいしてから、かしら。
……いえ、そうではなく……いま、君に、と、おっしゃったような?
「……これは、何ですの、旦那様?」
「指輪だよ、リー、ナ。君にはこれを付けて、明日の夜会に出てほしいんだよ、リーナ」
……贈り物、ということでしょうか? 私、きちんと年間予算の中に服飾費を振り分けて頂いておりますので、旦那様から私に似合いそうもない指輪など贈って頂かなくともよいのですけれど、今、この場で指摘する訳にもいきませんわね。
「……ありがとうございます、旦那様。そのお気持ちが嬉しいですわ。とりあえず、着替えを。食事を済ませましょう」
すっと、できるだけ旦那様の手に触れないように指先で赤い小箱を受け取り、ふたを戻しつつ、後ろに控えるタバサに預けます。
そして、侍女共々、旦那様に道を譲り、いつもならこのまま食堂へと向かうところですけれど、一度、私室へと戻ります。
「オルタニア夫人……」
「はい、奥様」
「夕食後、旦那様をここに案内して話します」
「かしこまりました」
「……旦那様とスチュワートだけですわ」
「はい。その通りにいたします」
……スチュワート以外の侍従がいる中で、装飾品の贈り物についての小言とか、言えませんものね。
「……それにしても、どうして指輪の贈り物なんて、今さら?」
「理由は想像がつきますけれど、それは私が申し上げるまでもなく、奥様も理解していらっしゃるでしょう?」
「…………薬が効き過ぎたのかしら?」
「スチュワートによると、奥様は劇薬だそうです」
「……あなたもそう思っている、ということね? オルタニア夫人?」
「奥様はウェリントン侯爵家にとって間違いなく良薬にございます。効き目は抜群かと」
……苦い薬という訳ですわね! うまいことを言う、などと誉めたりしませんわよ?
オルタニア夫人との関係がさらに気安いものとなっていますわ。やはり、秘密を共有すると、親密になれますわね。
この日の夕食後、私の私室でお茶を飲んだ旦那様は、肩を落として出て行かれましたわ。この光景もだんだん見慣れてきましたわね。
さすがに贈り物の指輪にダメ出しされたら落ち込みますわよね……。
翌朝のお見送りの時に、サファイアの指輪をはめて行きました。もちろん、お見送りの後はすぐに外して、今夜の夜会には別の指輪で行く予定です。ひょっとすると、もう二度と使わないかもしれませんわね? 数年後に離婚した場合の、換金用宝飾品として、専用の宝石箱を用意しようかしら……。
そう言えば、旦那様の顔を見ても、特に何も思わなくなってきましたわね? あのイケメンを見慣れてしまったのかしらね? いえ、私を見るといつも少しだけ旦那様の口元が引きつるからかもしれませんわね……。
そんなことを考えていましたのですけれど……。
夜会のために早く帰ってらっしゃった旦那様を出迎えましたところ……。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「リーナ、これを……」
また赤い箱ですわ! 今度は縦長の長方形で! ……中は、サファイアのネックレス?
「今夜の夜会に付けてほしいんだ、リーナ」
いえ、ネックレスならば石が少々大きくても別に問題はないのですけれど、扇襟とネックレスは相性が悪いのです……胸元が強調されますものね。そこから視線を外させるための扇襟ですのに。
あと、絶妙に微妙な感じで、旦那様の瞳の色をほんの少しだけこれも外していますわ……。
というか、なぜまた買ってきたのでしょうか? 昨日の話は理解できなかったのかしら?
「……旦那様。準備もありますので、時間はあまりとれませんけれど、私の部屋でお茶をどうぞ」
もちろん、私室でお話、致しましたわ……。
私に贈る宝飾品を買う前に、違約金の2000ドラクマを先にお支払いくださいませ、とにっこり笑って言えば、また、肩を落として出て行きましたわ。
とりあえず、換金用宝石箱に放り込んで、私も夜会の準備を急ぎましょう……旦那様には申し訳ありませんけれど、あのサファイアのネックレスは付けませんわ。




